映像DVDの解説書

 このビデオの昔のフィルムを観て、まず驚くのは、まるで我が国の戦前期のような生活風景がほとんどカラーで撮影されているということです。撮影されたのは、1960年代初頭ですから、日本では、東京オリンピック景気に沸き立ち、高速道路や新幹線が建設されていた頃。そう考えると、その時期にカラーの映像記録があっても何もおかしいことではないのですが、何しろ写っている内容が、カラー映像とまるでそぐわないと感じるほどに、あまりにも素朴であるがゆえに、驚いてしまうのでしょう。
今でこそ、アイルランドは、ケルティック・タイガーと称されるほどのめざましい経済成長を遂げたEUの優等生ですが、1960年当時は、西欧の最貧国のひとつで、ECでもお荷物のような存在でした。そんな国のはたまた西のはずれの島のことですから、この当時、アラン諸島にはいまだ電気も通っていなかったのです。(電気が完備されたのは1978年、水道は83年です。)そんな島に発電器を持ち込み、大きな16ミリの映写機を抱え、道なき道を移動しつつ撮影されたのがこのオリジナル・フィルムなのです。

★案内役のルーリィは、まずアランの「東の島」イニシイアに降り立ち、友人の詩人・歴史研究家、ダラの家を訪問します。 透き通った歌声を聞かせてくれるのは、ダラの娘ラーサリーナ。彼女は現在アイルランドで注目のシンガーとして、シンニード・オコナーらとともに、フランスやスイスでも公演をしています。2002年発表のアルバム”An Raicin Alainn”は、アイルランドではベストセラーCDになっています。

★昔の映像が続きます。小舟(カラハ)、ロバ、収穫、海藻取り、畑、帆船(フッカー)、ターフ(泥炭)、すべてが人力の世界。ビーチにテントを張ってのキャンプ生活。産業振興としての、かご作り、カラハのミニチュア、そして、アランセーター…。アメリカでの大成功。日本へのセールス。

★この島でのアランセーターのまとめ役、ブリッド・イ・ドナーハの登場。この家族なしにはアランセーター事業は成り立ちませんでした。アランセーターを編む当時の姿が、鮮やかに映し出されます。

★ルーリィは、隣の「中の島」イニシマンに飛びます。ここに流れるラーサリーナの歌は、父ダラの母から彼女が幼い頃に教わった歌。イニシイアからイニシマンに移動するシーンにこれほどふさわしい歌はないでしょう。珍しい、結婚式の映像……。

★イニシマンに着いたルーリィは、モーリン・ニ・ドゥンネルを訪ねます。モーリンは、20歳代の頃からイニシマンでのアランセーターのまとめ役で、パドレイグはモーリンを娘のように可愛がっていましたし、両親を早くに亡くした彼女もまた、彼を父親のように慕っていたといいます。アランセーターを編む若き日のモーリンの表情を映し出す映像に、そんな仲の良さが感じられます。 モーリンは、また島一番のニッターでもあり、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世にセーターを献上した当時の話も出ます。さらに、伝統技術を継承することの重要性も、母と娘の会話からひしひしと伝わります。

★いよいよ上映会です。イニシマンの公民館にはたくさんの島民が集まりました。狭い島のことですから、40年前の映像であっても、観る人にとっては懐かしい顔ばかりだったことでしょう。 死後七年経ち、息子の手によって、しかも撮影地で初公開されたことを、天国のパドレイグもきっと喜んでいるに違いありません。

★翌朝、ルーリィは、島を離れる寸前、思わぬ人と偶然に対面します。さて、その人物とは……。この不思議な一致(coincidence)こそ、このタイトルにふさわしいエンディングでしょう。