倶樂部余話【八十九】ディテールには由来がある(一九九六年一一月一四日)


背広上着の後ろの裾にある割れ目、ベントと言います。背広のルーツは軍服などの儀礼服ですから、元来は割れ目はなく、だからフォーマル服は今でもノーベントです。狩猟などで野山にしゃがむ必要から両脇を割ったのがサイドベンツ(左右二つなので複数形)、乗馬のために真ん中で割ったのがセンターベントです。

上着の右の脇ポケットの上にもうひとつ小さいポケットを付ける、これチェンジポケットと言い、チェンジ(小銭)を入れるのに付いたのが始まり。更に脇ポケット全体を斜めに付けることがあり(スラントポケット)、これは乗馬の際の前傾姿勢でもポケット動作がしやすいようにと工夫した結果です。

スラックスの右腰の前にも小さなポケットが付くことがあり(ウォッチポケット)、懐中時計を入れます。その懐中時計の鎖を留めるのが、ベストに付いている縦の穴で、チェーンホールと言います。

ほんの一例。このように単なる飾りのように見えるものも、必ずその由来があるわけで、極力その由来に忠実たれ、というのが英国服の基本姿勢だと言えます。例えば、脇ポケットを乗馬が由来のスラントポケットにするならベントも呼応してセンターベントであるべきですし、ベストにチェーンホールを付けるのならばスラックスにはウォッチポケットが付いてて欲しいわけです。

これらを万事心得て、理にかなった背広を提供するのがプロとしての私の仕事です。背広のオーダーを受けるというのは、単に寸法を合わせることだけではないのです。私が受けて私が付けたお墨付き、それがSavile Row Clubのラベルの意味だと思うのです。

 

※雑誌「ラピタ」(小学館)別冊付録でアイルランド特集。私が全面協力し、アランセーターなどが通販で大変よく売れた。