倶樂部余話【一一一】ドゥーリンのパブにて(一九九八年九月一日)


アイルランド西岸クレア。アラン諸島を対岸間近に臨むこの一帯は、今でも古いケルトの風習が残る、ハート・オブ・アイルランドともいえる地域だ。

去る一月、夏になればアラン諸島イニシイアへの渡し船も出るドゥーリンという田舎町のパブを訪れたときの忘れられない出来事である。

土地の人たちが奏でる伝統音楽の名演にドップリと浸かっていると、一人の青年が声を掛けてきた。地元の観光局に勤める彼は、当然アラン諸島のこと、もちろんアランセーターのことにもやたら詳しい。亡くなったオシォコン翁の思い出話や名編み手モーリン・ニ・ドゥンネルの逸話など、アラン・マニアならではの会話が弾み、私はしばし有頂天の気分だった。

突然、彼は私の着ている自慢のアランセーターを指差し、「あんたの着ているのは本物じゃないな」と言い放った。何をヌかすか、と一瞬ムッとしたが、彼曰く「もともとアランセーターは二種類の柄を編み込むものだ。君のには三種類入っている」

さらに彼は続ける。「アランセーターもあと五年ぐらいでスタれるだろうね」この野郎、もう許せネー!しかし彼の言い分には一理あった。「まず、編める婆さんがどんどん減ってるだろ。それに何より、地元で着ている者すら少ないじゃないか。この音楽のように地元の生活に根付いて生き残っていかなきゃ伝統なんかまもれやしないのさ!

私は猛然と反駁した。島を去った娘を呼び戻してまで編み手を確保していること、コンスタントな生産体制を維持するため毎年一定量の注文を出し続けていること、などなど。多分滅茶苦茶な英語だったと思う。

 

ここまで私が食い下がってくるとは、彼も予想外だったに違いない。しかし、はるか極東の片隅で、アランの伝統を守るために奮闘している奴がいる、ということは、彼にもいささかの驚きと感動を与えたようだった。「楽しかったよ。また来いよ」さわやかな笑顔だった。

ロマンだけでは語れぬ厳しい現実を彼は言いたかったのだろう。満天の星空、海を渡る冷たい風にギネスの酔いは格別心地好かった。