倶樂部余話【一一二】横浜ベイスターズ優勝セール(一九九八年一〇月一日)


一九七八年、二十歳のとき。その年の正月に私は静岡の洋服屋の跡継ぎになることを決めました。そのことは同時に住み続けた湘南の地をいずれは去らねばならないということを意味していました。四月キャンディーズ解散、六月に郷土の新星サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」で鮮烈デビュー、八月には初めて三週間のアメリカ横断の旅に出ました。

その春、遊び慣れた横浜の平和公園に三角形の照明灯を配した青々としたスタジアムが完成、大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)が川崎から移ってきて、横浜大洋ホエールズが誕生しました。いずれは後にする青春の思い出の地との繋がりを探っていた私の思いはこの目にも鮮やかなマリンブルーのユニフォームに注がれました。

以来二十年、監督は十一人を数え、最下位も四回。万年Bクラスで横浜大洋銀行などと嘲笑されても、私はハマのクジラたちに一喜一憂し続けてきました。

そして、いよいよ今月、悲願の三十八年振りの優勝に手が掛かりました。私の二十年来の夢がまもなく叶います。もう嬉しくて嬉しくて、公私混同は承知なのにどうしようもなくて、この熱い思いを本号で伝えてしまうことにしました。

YOKOHAMA、バンザ~イ!

 

※ということで、オーナー独裁で、リーグ優勝の翌日一〇月九日に一日限りで全品15%オフの優勝セールをやりました。大賑わいでした。