倶樂部余話【一】正統なるビジネスウェア (一九八八年九月五日)


スーツが流行なのだそうだ。主に若者たちの話ではあるが。

若い人たちがスーツに馴染んでいくことは悪いことではないが、大概がいわゆる「ソフトスーツ」と呼ばれるルーズでフワフワしたスタイルのものだ。

われわれはこのようなスーツを草書体と呼んでいる。元来、楷書体がきちっと書けなければ、見事な草書体など書けるはずはないのだが、どうも作る側も着る側もその辺を理解しているのかちょっと疑わしい。しかもなんと没個性で服に着られた人間の多いことか。

スーツをカジュアルウェアで着ようということそれ自体は自由である。しかし、ビジネスの世界では、決してそうはいかない。われわれは、スーツを「最も正統なる」「最も由緒正しき」ビジネスウェアだととらえている。

何百年もの間あまたのビジネスの場を共に戦ってきた心強き友である。サクセスを助けてくれる道具としてこれほどに自分がどう見られるかを大切にしてきたビジネスウェアはない。それが「背広」である。

そしてその男のインテリジェンスから自然に生まれてくるものが粋(いき)とか洒落(しゃれ)とかいう言葉だろう。それはひけらかす筋のものではなく、もっと内面的なものだ。

本当に洒落ることを知っている男は、決して服バカではない。ブランドの名前など少しも知らなくても粋の心というものを知っている。

伝統ある楷書体の「背広」を、ふさわしい雰囲気とふさわしい方法で、ふさわしい男に。そう考えて開店した「セヴィルロウ倶樂部」。早いものでこの九月五日、満一周年を迎えた。まだまだ真の男たちの協力が必要である。

 

 

※開店一周年に書いた記念すべき第一回ですが、いま読み返すとものすごく気負っていますね。しかも、草書楷書の話は赤峰幸生氏(当時グレンオーヴァー専務、現インコントロ代表)の受け売りだし、「天声人語」風の体裁もまた当時赤峰氏が仕掛けた広告スタイルを真似たものでした。

 

原文には①というナンバーリングを振っていないことからも、このときは毎月の連載物になるなんていうことはあまり強くは意識していなかったのです。