倶樂部余話【一六五】店は我が家(二〇〇二年一〇月三日)


「マナー」について語るのは、とても難しいことです。自分自身に問い返されれば、まったく自信はありませんし、これほどに主観的な尺度に依るものもないからです。

例えば、私は、自分の店は、「我が家の客間」と同じだと思ってますし、客間にお迎えしたゲストを心地良くもてなすためのホストのつもりでいます。決して出入り自由の気軽な空間とは捉えていません。だから、たまに、挨拶はおろかまったくホストを無視し続けるゲストを迎えたりすると、内心で(他人の家を訪ねたら、家人に出会いと別れの挨拶ぐらいするのが最低のマナーでしょ。黙って人の家に入って黙って出ていくのは、泥棒のすることだよ。)と思ったりもします。

しかし、この方にとってみれば当店もコンビニと同じ一小売店に過ぎないのでしょうから、ゲストを責めるのは筋違いで、私は、逆に、自分自身に問いかけます。(なぜ、今の人はわざわざうちの店に入ったのに、挨拶すらしないで出ていったのだろう。ウィンドゥの展示レベルが低かったのか、あるいは、玄関先にゴミでも落ちてるんだろうか。ディスプレーに乱れはないか、照明は切れてないか。)と、表へ出て店頭をチェックしたりします。そういうときはたいてい何かの落ち度が見つかるから、不思議なものです。

私を含めて、人格者でない多くの人間は、時として、イヤな奴ににもいい人にもなります。薄汚れてほこりの落ちているような部屋に泊まったときと、サービスの行き届いた快適な部屋に泊まったときとでは、ホテルのチェックアウトの心持ちは随分違います。前者では自分も嫌うほどのイヤな奴に、後者では自分でも信じられないぐらいいい人になっていたりすることを、発見します。あるいは、ディズニーランドに行くと自分がいい人になっていることに気付きます。つまり、いいもてなしは人をいい人にしていく、ということでしょう。

長年、店で多くの方のお相手をしていると、(おっ、この人、前の時より段々いい人になってる。)と感じることがしばしばあります。幸い、逆のケースはまずありません。コレは、小売業をやっている中で最大の喜びの瞬間です。私どものもてなしでこの人はいい人になってきたのですから。

流通業にセルフサービスという概念が生まれて以来、客は店と会話なしでモノを買うことに慣れ、やがて、店員と挨拶することすら忘れてしまった人も増えてきました。また、モノ余りの時代になって、店は、「お客様が望むから」という理由で、やれクイックレスポンス、やれマーケットイン、あるいは、「売場と言わずに『お買い場』と呼びましょう」(某百貨店の標語)などと、客の啓蒙よりも、客に迎合することを早道にしてきたように思います。甘やかすだけではわがままになる、これは子供も消費者も同じです。かくして我々は客として少しわがままになり過ぎたのではないでしょうか。

ホスト(=店)にはホストのマナーがあるように、ゲスト(=客)にもゲストのマナーがあるはず。それを求めていけるような、人をいい人にできるような店で、これからもあり続けたい、と、日々の研鑽の気持ちを新たにした、セヴィルロウ開店十六年目の秋なのでした。