倶樂部余話【一八八】素材イジメ(二〇〇四年八月二七日)


一体自分は年間にどれだけの商品を見ているのでしょう。何万点、いや何十万点かもしれません。大きな合同展示会などになると、一日かけて三百社以上見て回ることもありますが、 足を棒にした揚げ句、買付まで至るほどに魅力ある商品に出会えるのはせいぜい一社か二社ぐらいなもの。逆に言うと、99%は自分たちには必要のない商品だということになります。 ファッションというのは多様ですから、きっとどのバイヤーもそんな打率でしょうし、だからこそ、世の中に様々なカタチのお店が生まれるのでしょう。

当然当店とはジャンル違いのモノもたくさんあるわけですが、中でも近頃好感を持ち難くなっているのが、特にメンズカジュアルの分野に、極度に素材を痛め付けるような服が増えていることです。 決して製品染めや洗い加工がダメだと言ってるのではなく、素材の持ち味をより引き出すための加工ならばいいのですが、これでもかと素材をイジメつけることにサディズムな快感を覚えているだけに思える服も見受けられます。そして、多くが素材のデリケートな違いに鈍感な 「素材オンチ」に陥っています。激しいイジメに耐えられるかどうかが、素材選びの基準になってしまっているのです。

職人ならば誰でも、いい材料を前にしたら自然にいいモノを作りたいと思うでしょう。服もしかりで、いい素材に出会うとその素材に敬意を払ったいい服を作ろうと励んでしまうものなのです。 だから、いい素材を見抜けない「素材オンチ」には、いい服を作ろう、という意欲が徐々に欠落してくるのではないでしょうか。

しからば、いい素材を見抜く目はどのように養われるのか、と言うと、これはもう訓練しかありません。永年いい素材に触れ続け、時には失敗を繰り返しながら自然に身に付いていくものでしょう。 この私だって20年この仕事をしているからこそ、目をつぶっても服地の善し悪しが判断できるのです。

平気で地べたに座れるような綿やナイロンばかり着ていると、彼らはそのうち素材オンチになってしまいます。10年着倒した風に加工した素材ではなく、10年後でも着続けたいようないい素材の服がこの世にはあるということ。 素材をイジメるのではなく、素材を「めでる」服があるということ。それに気付けば、その人は将来ずっと大人になっても、服を愛し続けてくれることでしょう。