倶樂部余話【一九七】石津謙介さんご逝去に際して(二〇〇五年五月二九日)


アイビールックの仕掛け人と呼ばれた、ヴァン・ヂャケット(VAN JACKET INC.)の創始者・石津謙介氏が524日に93歳の天寿を全うされました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

思い起こせば、70年代前半、中学・高校と、着ているものは全部VANでした。当時の私は特にファッションに興味のあるような「ませガキ」であったわけではなく、単にVANなら父に頼むと店から買い与えてくれたので、自分の小遣いを減らさずに済むという理由からでしたが、結果的に私は十代をVANの純粋培養で育ったわけです。当社の黎明期を知る静岡の五十代男性にとっては、いまだに「呉服町の野澤屋」=VANショップ、の印象が残っていることでしょう。何しろ、父が当社を設立した頃には、VANからの出資を仰いでいたほどの強い結びつきがあったのですから。

78年の倒産はまさに青天の霹靂(へきれき)、当時売上の八割をVAN一社に頼っていた当社も存亡の危機でしたが、氏とのお付き合いはその後も続き、87年の「セヴィルロウ倶樂部」開店に際しても、ご丁寧な長文の祝辞を頂戴いたしました。ずっと初夏にお届けしていた新茶への達筆なる返礼も、近年は代筆となっていたので、長患いが続いているのだろうな、と思っておりました。明治44年生まれとは思えないほど、いつも柔軟な思想を持ち、ダンディという言葉のふさわしい方でした。

 メンズファッションの分野に限らず、衣食住遊のライフスタイル全般にわたり、石津御大(おんたい)の薫陶、影響を受けた戦後世代は数限りなくいることでしょう。みんな「VANが先生だった」(ポパイ786月号の名タイトル!)のです。近々催されると聞いている「お別れの会」には、そんな各界の生徒たちが一堂に会することになるはずです。不謹慎だと言われることを承知で言うならば、私にとってはこれほど楽しみな気持ちで待つお別れの会はかつてありません。御大が命と引き換えに集めてくれた素晴らしいメンバーたちの一大パーティとなることと思います。私自身は、偲ぶというよりも「改めて感謝したい」という気持ちで末席に臨めることを願っています。
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