倶樂部裏話[10]周回遅れの街・静岡(2005.11.18)


 日専連・静岡(正式には、協同組合静岡専門店会と言います)の組合員である私は、現在、販売促進と街づくりのふたつの委員をやっています。販促の仕事は大体お察しが付くことと思いますが、街づくりの方は何をしているかと言うと、つまりは郊外に計画中の大型SC(ショッピングセンター)と中心市街地との対立を議論しているのです。

 私がこの静岡の地に移り住んだのが22年前。親の実家だとはいえ、今まで住んだこともない土地に骨を埋める覚悟で神奈川・湘南から来た私は、しばらくアンチカルチャーショックから抜け出せませんでした。なかんずく違和感があったのが、他県資本は一切認めないぞ、という静岡商人の姿勢でした。郊外の大手スーパーはおろか街中(まちなか)へのコンビニの進出まで拒み続けていたのですから。私は「栄枯盛衰は世の常。古い店にあぐらをかいて殿様商売なんて言われるぐらいなら、人気のある店をどんどん入れて、もっともっと楽しい街にすればいいのに。」と思っていました。当時の過激な反対運動は、どう見ても、商人のエゴイズムに思え、時代遅れな対応ではないかと感じていました。 もちろん、その後、大手スーパーもコンビニも出来ましたが、しかし結果として全国の地方都市に比べると静岡市の商業は市街地から分散せず郊外化はあまり進まなかったのです。

 さて、時の流れとは不思議なものでかつ皮肉なものでもあります。時代遅れはそのうちに周回遅れとなり、いつの間にか先頭を走っているという場合があるのです。

 近年の街づくりの概念として「コンパクト・シティ」というキーワードがあります。郊外へ郊外へと住宅も商業も図書館も病院も拡大していったのは人口の増え続けていた世の中だから必要だったこと。そのためには道路も整備し上下水道、ガス、電気も敷設しなければならず、その費用も膨大なものでした。今後は、人口も減るし、税収も減る、財政はますます厳しさを増します。それならばもうやみくもに都市機能を郊外へ拡大させないで、逆に中心部にコンパクトに集中させてその密度を高めて行くべきだろう。それこそが少子高齢化社会に対応するこれからの都市の目指す手法となろう、というのが「コンパクト・シティ」の考えです。日本で最も早くそれを実行に移しているのが青森市で、これ以上道路が増え続けると除雪の費用で財政がパンクする、という事情もあったようですが、市長以下のリーダーシップも見逃せません。

 この「コンパクト・シティ」という考え方で静岡の街を見てみると、どうでしょう。わずか約1km2の碁盤の目の街中に、ターミナル、公共施設(役所、病院、ホール、など)、公園、学校、複数の百貨店とそれらを繋ぐショッピングモール(=商店街)、飲食店エリア、ホテル、パーキング、そして周辺には住宅街、と、見事にうまく凝縮されています。かつて米国視察を何度もしている地元の大物社長が「静岡の街中は、自然に出来上がってきたにもかかわらず、アメリカで人工的に作って最も成功しているSCの大きさや構成ととても良く似ている」と言っていましたが、そのとおり、ここには、かなり理想に近いコンパクト・シティが形成されているではありませんか。ある人の調査によると、静岡市のこのコンパクト密度は全国県庁所在地の中でナンバーワンだという結果を出していますし、経済産業省が、地方の大都市で衰退せずに繁栄している中心繁華街、のお手本として挙げているのは、静岡市と鹿児島市のたったふたつだけです。

 事実、私は中心繁華街の構成員の一人ですが、ここで何も商店街活動の自慢話をするつもりは全くありません。確かによその商店街に比べたら格段に情報収集力はありますし、ものすごく勉強もしていますが、まだまだ批判も多いし課題も山積みです。ただ私が思うのは、全国でも奇跡的とも言えるほどにここまで自然形成されてきた密度の高いコンパクト・シティを何も今さら薄めようとすることはないんじゃないですか、ということです。

 郊外の開発がダメだと言ってるのではありません。むしろ郊外に楽しくて面白い店が増えてくるのはいいことだと思います。しかし、都市のヘソとして絶対に「街は要る」のです。ヘソが消えてしまうとどうなってしまうのか、浜松市を見れば一目瞭然です。

 20年前の私を知る人からは、「お前が街づくりをそうやって議論するなんて、野沢も変わったね。」と言われますが、そうじゃないんです。私が変わったんでも歳を取ってきたからでもなく、時代の流れが変わったのだと思います。たとえ周回遅れであっても現在の静岡市は全国から見ればかなり恵まれたいい街であることは確かです。このいい街をもっといい街にしていきたい、思いはただそれだけで、自分としてはその気持ちは20年前と変わりはないと思っているのです。(弥)