倶樂部余話【十二】老人と海とアランセーター(一九八九年九月十九日)


アイルランド・ダブリン市のパードリィグ・オーシォコン翁は今年八十三才。白いあご髭とメノウのような大きな石のペンダントがトレードマークだ。私が初めて会ったのが四年前、最近は年三回来日している。この老人こそが、本物のアランセーターの伝統を守り続けている「ゴルウェイ・ベイ」社の会長なのである。

アランセーターの産地は、アイルランド西岸に浮かぶ極寒の小島「アラン島」。一本の喬木もない草と岩だけの島で、羊は貴重な自給自足の資源だ。その未脱脂の生成色のウールで、女たちはセーターを編み、漁へ出る男たちに着せる。夫の無事と豊漁を祈り、魚や波、ロープなどの模様を編み込んだその柄は家ごとに微妙に違い、万一遭難した際には着ているセーターの柄でどこの誰かを判別したという。

漁を続けるうちに、海水に濡れて縮み、次第にフェルト化して、まるでウェットスーツのようになり、防水防寒の機能を更に高めながら、何十年と着続けられるのだ。

俗に言う「フィッシャーマンセーター」のルーツであり、多くの会社が流行に合わせた物を量産しているが、アラン島の女将さんが一針一針編んだ本物のアランセーターとなると、今ではオーシォコン翁の会社ぐらいしかなくなってしまったという。

当社では、この貴重なアランセーターを、アイルランド政府輸出庁の協力により、全国十二社の協同仕入で直輸入している。そして、色・方・サイズを一同にお見せできるように、各社二週間ずつの期間限定販売の形式をとり、巡回イベントとしている。今年の入荷はセーター約五十枚を始め、マフラー・手袋・ソックスなど。アラン島を紹介したビデオや写真パネルも展示する。

一枚五万円前後する高価なものだが、どこでも買えるといったものではなく、世界の逸品として、その価値は充分にあるだろう。また、今年は無理だが来年は必ず、という方は、毎年の入荷量に限りがあるため、ぜひ予約を入れておくことをお勧めする。

聞くところ、今年はアラン風のハンド(手編み)ニットが流行だとか。しかし、このセーターだけは決して流行やトレンドで捉えていただきたくはない。アランセーターに由来される歴史や伝統、物語が伝わった方だけにお売りしたい一枚なのだから。

 

 

※まさかこのとき、将来アランセーターが当店の一大看板商品になることを、誰が想像できたでしょうか。でも、最初はこんな感じで始まったのです。全国十二社とは、当時岩国の藤田雄之助氏を信奉していた専門店の勉強会のメンバーで、藤田氏の声掛かりで共同購入をしたもの。バブルの時代だからこそできたテストケースでした。

 

今からしてみると、文章もうわべだけの受け売り的な記述の域を出てないので、恥ずかしい思いです。でもこの催しには地元のテレビ局の取材などもあって、結果としては我々の予想以上に売れたイベントになったのです。そして、私自身もこの店とアランセーターとは大変相性の良い組み合わせだと気づかされたのでした。だから、このときにもし売れてなかったら、今の当店はなかったかもしれません。