倶樂部余話【二十八】当店は安売りの店です…(一九九一年三月十四日)


…と言うと、誤解を招くかもしれませんが、例えば、4LDKの新築マンションが三千万円、ベンツの新車が三百万円、これは安いか高いかということです。

私には「どんな人も、それを安いと感じなければ物を買うはずがない」という信念があります。(意外に思われるでしょうか。)安く仕入れ安く提供するという商売の原点は量販店のそれと変わるものではありません。ただ、違うと言えば、安いと感じさせる観点が、量販店が手間を省くという引き算の発想であるのに対し、我々の方はできるだけ手間暇をかけて付加価値を高めるという足し算の発想であるということでしょうか。

ともかくも、コスト感覚を無視してまでいいモノに拘泥し、結果高い価格になって、買える人だけついて来い、といった高飛車な態度の商売はどこか違うと思いますし、店は博物館ではありませんから、私たちの用意する品々を本当に身に付けて欲しい人たちに充分に手の届く価格で提供できなければいけないと思います。

安い、と感じていただく判断材料として、当店で欠かせないことの一つに、そのスタンダード性が挙げられます。今や紳士服業界の御意見番といった感のある御大・石津謙介翁は、その近著で、九〇年代は再び「倹約」とか「質素」とか「節約」とかがお洒落な言葉になるだろう、といった、注目に値する発言をしています。トレンドやらを追いかけて散財のあげくに疲れ果ててしまうよりも、スタンダードなモノを最初は少々投資してでも末長く愛用することのほうが、はるかに倹約になり、無駄のない賢い買い方で、これこそが当店の謳う英国気質に他なりません。つまり、安いということは単に価格の問題ではなく、投資に値するかどうかの判断価値で決まると言えます。

昔の大阪商人は、生き銭と死に銭の判断に大変厳しかったと聞きます。投資すべき生き銭はなんぼでも使うが、無駄な死に銭は一円でもケチる。皆様の当店でのご利用がすべて生き銭になっていただけること、それが私たちの使命だと思っています。