倶樂部余話【355】セクハラ王はリーゼントだった(2018年4月26日)


さて次は何を書こうか。スーツの注文も欲しいところだから、「No More映画泥棒」みたいなスーツでは信用をなくすよね、なんていう話題にしようか。いやいやそれじゃあまりに小賢しいから、たまには政治ネタで、北朝鮮、シリア、TPP,憲法改正と議論すべき題材は山積みなのになぜ国会はいつまでも森友問題ばかりやってるんだ、とぼやこうか。と、つらつら原稿を書き始めたところに、なんだかテレビに見覚えのある顔が現れてきた。あれ、福田くんじゃないか。財務省事務次官だったのか。

母校・神奈川県立湘南高校の体育祭。これは単なる運動会ではなくて、仮装、バックボードなどの数々のパートで構成され、一年生から三年生までの縦割りで9つの色に分かれて競い合う一大行事なのだが、私が三年のとき同じセクシヨンにやってきた一年生の中に彼がいた。リーゼントヘアの面白い男で、ふてぶてしくも人懐っこい笑顔をみせる、俗にいう「いい奴」で、わずか何ヶ月間の交流にもかかわらず私には強烈な印象が残っている。ちびっ子ギャングこと麻生財務相にとても可愛がられたというのも頷ける。

世の中寄ってたかってセクハラ批判の嵐の中で、以下のような発言は、周囲から総スカンを食らうのかもしれないが、私にとってはいい思い出のある可愛い後輩である、一方的に責められるばかりじゃかわいそうだよ、という思いが首をもたげてきて、あえて彼を少し擁護したくなってきた。

つまり「セクハラがバレたら辞職しなくちゃいけないの?」である。もしそうなら世間のかなりの男性社会人は今すぐ辞表を出さねばならなくなる。痴漢したとか汚職だとか公文書偽装とかではないのだ。そもそもセクハラというのは、下ネタやわい談や口説き文句との境目がかなり曖昧、時と場所と相手によって、同じ言葉でも持つ意味が変化してくる。なのにパワハラやいじめに比べてセクハラに対してだけどうして正論まかりとおる、という風潮になってしまうのだろう。ついでに言うなら、新潟の県知事が女性問題で辞めたがあれも辞める必要はないと思う。もちろんセクハラも買春も褒められたことでないのは当然だが、せっかく原発反対という民意を反映した知事を選んだのに、勝手に辞められてしまっては、新潟県民にとっては損失になったのではないだろうか。

フランスの女優カトリーヌ・ドヌーブは二年ほど前にハリウッドでの行き過ぎたセクハラ批判に違和感を表明して物議をかもした。ところが今これだけ我が国でセクハラの話題が沸騰している時なのに、日本のカトリーヌ、第二のドヌーブのような存在が誰も現れない。日本のマスコミ報道に正論一辺倒の偏りを感じるのは私だけなのだろうか。

週刊誌にはセクハラの王とまで書かれて、もう福田くんは日本中の女性の敵。自分の知り合いが日本で一番の時の人になる、などという機会はなかなかないもの。もうこの先も多分ないだろう、珍しい体感をしたものだと思っている。(弥)