倶樂部余話【378】[4]patriotism (名) 愛国心(2020年4月1日)


どこもかしこもコロナ、コロナで、ここでもそれに触れないわけにはいきませんが、あちこちで言われていることをここで改めて書くことはやめます。気持ちが落ちるだけですから。ただ、来店客が激減し売り上げを取るのに大変困っているという現状はお伝えいたします。顧客の皆様の協力を乞う次第です。

さて、コロナウィルスに関して各国首脳の演説や会見が、話題になっています。ドイツ、フランス、アイルランド、ノルウェー、ニュージーランド、シンガポール、など。国民を信じ、正しい判断と行動を期待し、団結を呼びかけて、困難に立ち向かおうと熱く語る姿は、感動を呼びます。

ペストやスペイン風邪を経験している地続き同士の欧州と島国の日本とでは事情が違う、という側面はあるでしょうが、しかしそれだけではないように思います。
ドイツのメルケル首相は東側出身の女性物理学者65歳。フランスのマクロン大統領は24歳年上の妻を持つ弱冠42歳。アイルランドのヴァラッカン首相はインド系の血統でゲイを公言する41歳。ノルウェーのソールバング首相は失読症を持つ59歳の女性。ニュージーランドのアーダーン首相は39歳の女性で産休明けの身。宰相の生い立ちとして一番普通なのはシンガポールのリー・シェンロン首相ぐらいか、彼はリー・クアンユーの長男で68歳。

つまり、批判の矢面に立たされてもおかしくないツッコミどころ満載の経歴を持つ彼らなのに、いや社会的弱者の心境を理解できる彼らだからこそ、というべきか、国民の尊敬を集める宰相として、リーダーシップを発揮するのでしょう。
私は久しぶりに愛国心、パトリオティズムという言葉を思い出しました。愛国心に訴えるスピーチ、それこそ宣戦布告なんかもそうなんでしょうが、これで国民が奮い立つのはその宰相や政府が国民の信頼と尊敬を集めているときに限られるのだと思います。
さあ、反対例を考えてみましょう。日本、アメリカ、英国。これらの国の宰相のスピーチは、愛国心という熱情から離れていて、ただ不安と恐怖を国民に植え付けるものでした。これは自分は国民から尊敬されていない、と自身がそう感じているからにほかならないと思いました。

愛国心なんて言葉を50年前に口にしたら、 貴様は右翼か? 赤尾敏か?、と職員室から危険視されたことでしょう。そんなことを考えながら、映画「三島由紀夫vs東大全共闘・50年目の真実」を観ました。前に話したこともありますが、私、小学校高学年のときに東大安田講堂で大人に石を投げて抵抗するお兄さんたちに共感し、ボクも大学生になったら学生運動がしたい、と、ゼンガクレンに憧れたとんでもない子供だったのです。

映画は面白かったです。ただ中身はほとんどちんぷんかんぷんでした。学生側は議論のための議論と言うか一種詭弁をも用いながら三島を挑発しますが、三島は相手を封じ込めるような反論はせず、むしろ三島のほうが思いの外単純で直情的な意見を述べます。そして互いに愛国心を高く持ってリスペクトしあって熱く熱く語り合います。三島は言霊という言葉を残して去ります。右と左は対立するものではなくて、同じ山を反対側のルートから登っているみたいなもんじゃないか、と、思ったくらいでした。ああ、俺が憧れていたのは、ゼンガクレンじゃなくて、ゼンガクレンの持つ「熱情」それ自体だったんだ、と、ようやく気づいて、心地よく映画館を出ました。

さて、表題の[4]patriotism (名) 愛国心、でピンときた人は、私と同世代で受験勉強を頑張った人でしょう。デルタン(=試験にでる英単語。西の方ではシケタンとも言うらしい)です。1ページ目、[1]intellect、[2]conscience、[3]tradition、でその次が[4]patriotismでした。必死で覚えました。いきなり「600番チェリッシュ」と友人に言われて「お前もう600まで行ったのか」と友人のハッタリに焦りを感じたものでした。

こうやって、ああ懐かしいねぇ、と振り返れるときが、コロナ騒動にも必ずやってきます。時が早く通り過ぎてくれるのを祈るばかりです。(弥)