倶樂部余話【五十六】「バリュー」という考え方(一九九三年十一月八日)


(今回、筑紫さんの「多事争論」風で…)

先日アメリカの商業先進地を視察してきた友人の報告によれば、「価格」のことをpriceと言わずにvalueと表現しているそうです。例えば「How much is this?」に答えて「そのValue92ドル59セントです。」というように。

辞書ではvalueは「価値」と訳されていて、「付加価値」という言葉に代表されるように、文字通り価値を付け加えること、例えば有名ブランド料や有名店舗料など、つまり積み重ねた足し算の価値判断を価格としてきました。

しかし、右のように「価格」そのものをvalueと言うときには、逆に余計なものを削ぎ落とし削ぎ落として、この物の本質の価値は実のところいくらなんだろう、という、いわば引き算の価値判断が働いているように思えます。

素人の消費者が品選びのためにブランドを頼りにするのはやむを得ないことです。しかし、販売するプロの我々までもがそれに頼った価格設定をしているのではいかにも情けない。価格とは真にvalue for moneyでなければ、もう誰も納得しないのだということでしょう。

 

※振り返れば、これは、初体験である「デフレ」現象の始まりだったのでしょう。

 

このとき、第一回の「アイルランド・ナイト」を開催。アランセーターを着て、ギネスビールを飲みながら、アイルランド伝統音楽のライブ演奏を楽しむ、という楽しいイベントだった。

 

静岡に昼の演奏会のために見えることになっていた守安さん夫妻に無理をお願いし、ほとんどノーギャラで演奏していただいたのだが、今では大御所的存在の守安大先生によくまあ図々しくも頼めたものだと思う。