倶樂部余話【一八二の二】国内出張報告(二〇〇四年二月五日)


ロンドンから戻った翌週は、一泊の国内旅行でした。その旅日記です。

 

22()の夜に、兵庫県伊丹市で、7ヶ月ぶりに、アランセーターの講演をいたしました。

伊丹というところは、多くの酒蔵があったり(清酒発祥の地だそうだ)、小さなスナックや立ち飲み屋が続く昔ながらの路地があったりと、古い街である反面、空港や大工場、ショッピングセンターもあり、また震災被害が大であったために道路や神社仏閣、マンションはやたらに新しくて、古いモノと新しいモノが混然としている、魅力ある街です。

空港があるからでしょうか、財政的には比較的裕福な市のように見受けられます。公共ホールも目的別に複数あり、私が呼ばれた講座も、月替わりで各国の音楽と文化を紹介し続けるイベントの一環として開催され、今回のアイルランドでちょうど百ヶ国目、というロングラン企画だそうです。

約五十人の聴講客にはご年配の方も多く、私も三度目の講演ということで、やっと少しはリラックスして話ができたかな、と思っています。まあ、スライドやビデオなどのビジュアル効果にずいぶん助けられてはいますけど…。当店で販売したアランセーターをわざわざ着て、遠く姫路からおいでいただいた方もいらして、大変うれしく思いました。お聞きいただきました皆様、ありがとうございました。

講演後は、酒蔵跡のレストランで、地ビールと清酒、計八種の利き酒をし、ぐっすりと床に着きました。

話が前後しますが、その日の昼は、神戸の六甲アイランドにある「ファッション美術館」へ立ち寄ったのです。そこにはアイルランドから寄贈された素晴らしいアランセーターがあり、それを確認するためです。果たしてそれは、サドルショルダーの肩付けという、大変珍しいタイプの見事なアランセーターでした。

この美術館は、洋の東西から貴重なファッション資料を収集した、我が国唯一のファッション・コレクション・ミュージアムで、内外装も素晴らしいのですが、運営主体の神戸市の財政難で、昨年、その展示規模が半分以下に縮小となり、収蔵品の管理にも充分に手を掛けてやれない状態になってしまっているそうです。丁寧に説明をしてくれた学芸員の方が憤っていました。そもそも交通の便も悪く文化も無毛な人工島にこんなハコを作ってしまったことがどうかしていると私は感じますが、このままでは宝の持ち腐れです、何とかこの貴重な人類の財産を活用できる手段を考えてもらいたいものだと思います。

翌日は、福井県鯖江市に、眼鏡製造の現場見学。一面の雪景色にどんよりとした空。なんだか静岡に住んでいるのが申し訳ないような気になります。

鯖江(さばえ)は眼鏡の一大産地とはいえ、一貫した製造工場があるわけではなく、パーツや工程によって街の中に点在する小さな製作所を行ったり来たりしながら一本の眼鏡ができあがっていること、そこに掛かる手は約二百人にも及んでいる、ということを知りました。

本物のセルロイドを使いほとんどを手作業で仕上げていく工場やモダンと呼ばれる耳掛けの部分だけを小ロットで作るところなどを回り、現場の方からいろんな話を伺いました。聞けば、「少しぐらい値段が上がっても、鯖江ならではの技術を生かしたいいモノを作っていきたいと、考えているのに、注文主は、他ともっと違ったモノをしかももっと安く、と言ってくる。そうなると、不本意だけど、工程を手抜きする、ということでしか対応できないんですよ。」と嘆いていました。末端の消費者も、もう安いだけのモノはいらない、と同じように感じ始めているというのに、モノを作るでもなく直接消費者と接するでもない中間業者だけがあいも変わらない、というジレンマを感じました。職人にも正当な利益を配分していかないと、このままでは産地ごと飼い殺しになりかねない、という危機感を、業界はどこまで分かっているのかなぁ、と思ってしまいます。

名物「鯖のへしこ」を手にぶら下げ、帰りの車中は、越前ガニの炊き込みご飯を食べつつ、帰途に着きました。 

倶樂部余話【一八二】海外出張報告(二〇〇四年二月五日)


恒例の海外出張報告です。今回は、ダブリンとロンドン(&グローヴァオールの工場見学)というシンプルな旅でした。

私たちは見知らぬ土地へ行くと、ついその土地らしさを観察したがり、その発見に感動したりするものですが、今回は何度も訪れた二都市だからでしょうか、逆にその「らしさ」が消えて行くような印象を抱いて帰りました。

ダブリンは、いよいよ先進国の仲間入りを果たしたアイルランドの自信に満ちた勢いで溢れています。この十年で三倍に急増した観光客は、従来から皆が抱いている古いアイルランドを求めて訪れているのに、 ダブリン自身はそのイメージを打ち消したがっている、というのはやや皮肉めいています。若者がギネスを飲まなくなった、という話も聞きました。でも、きっとあと何年後かには、 ヨーロッパのどこにもない新旧の魅力に溢れた街になるんじゃないかな、という期待も大です。

 ロンドンは、随分東京みたいになったな、という印象でした。昨年はミラノでの英国趣味の強さを感じましたが、どうやら逆にロンドンは今イタリア趣味を甘受しているようです。二百年も続いていた老舗の店が目抜き通りから消え、その跡に巨大メゾンブランドがやたら明るく無機質な店を構えています。 かつては薄暗かったセヴィルロウも今はきれいな店がずらりと並びました。良くなったことといえば食事。コンラン系のレストランばかりハシゴしましたが、どこも美味でした。ある意味これも東京っぽいとは言えますけどね。 

倶樂部余話【一八一】値段は誰が決めるのか(二〇〇四年一月九日)


海外で買い物をすると、同じ品物でも専門店の方が百貨店よりも高い値段が付いている、ということは決して珍しくないことです。 その代わり、専門店は、品揃えが良く、接客も丁寧で、お直しも無料でしかもその日にホテルまで届けてくれたりと、その差額を補って余りあるほどのサービスが付加されてくるのです。

さて、今回の話は、値段は誰が決めるのか、ということです。経済学者ならそれは市場(消費者)が決定する、と言うかもしれませんね。実際、欧米では小売店が自由に設定しているのに対して、日本では(独占禁止法という法律があるにはありますが)代理店や卸し元が小売価格を「希望」するのが常になっています。

さて、この四月から、消費税法の改正で値段はすべて税込みで表示するように義務付けられます。将来の増税への布石でしょうが、内税方式の導入自体はかねてからそうあるべきだと考えていたので、 私は歓迎してます。 今、流通業界は980円1,029円になったんじゃ売れないょ、と大騒ぎしています。999円で売れるように951円に値下げせよと問屋に圧力をかけている大手量販店もあるようです。

私なら、980円はそのままにして、他のモノで50円上げるなりして利益を調整することでしょう。それでも人はこれを便乗値上げだと非難するでしょうか。

 私は思うのです。この内税方式への変更は、価格を決める裁量権限を小売店が取り戻す、千載一遇のチャンスなのだと。希望小売価格などに捕らわれず、自店の付加価値を考慮して、各自が独自に売れる値段を付ければいいだけのことだ、と考えるのですが、果たしてこれは暴論でしょうか。