倶樂部余話【四】近ごろ嬉しかったこと 二題 (一九八八年十二月六日)


其ノ一。「静岡百選」という小冊子がある。昭和四十二年に「静岡でも『銀座百点』のようなものができないだろうか」という私の祖父、故野澤彌輔らの提案から創刊され、現在掲載店舗が三百三十店を数える、静岡で最も歴史ある月刊のミニコミ誌である。発行部数は三万部。ちょっとしたお店では店頭配布されているので、ご存じの方も多いのではなかろうか。

その表紙は、毎回美しい写真や絵画で飾られている。毎年正月号にはいいお店が集中して掲載されるとのことであるが、このたび、当店の店頭を描いた油絵がその正月号の表紙を飾ることになった。

しかも、この話はこちらから仕向けたことではないのである。いわゆる情報誌の中には広告と抱き合わせのヤラセ宣伝記事も多いのだが、今度の件については、発行者の「この店を取り上げたい」画家の「この店を描きたい」という衝動的な気持ちがきっかけだったといってよいだろう。

「――というお話なのですが、いかがでしょうか。」という発行の方の話を聞きながら、身体が震えてくるのが分かった。とても嬉しかった。老舗の店舗がズラリとある中で、開店一年余でこんな有り難いお話を戴けるとは。しかも私の祖父が創刊当時の仕掛人の一人であったと聞いては、感慨もひとしおである。

仕上がった油絵は店内に展示してある。小ぶりだが大変気に入っている。ぜひご覧いただきたい。また、ポストカード大にも印刷する予定なので、ギフトメッセージなどにも利用してもらえるだろう。

一月に、どこかでこの「静岡百選」を見かけたら、自慢気に話していただきたい。「このお店はね、―――」と。

今回お世話になった、発行者の田中美実さん、画家の大川晴広さんに、この場を借りて深い感謝の意を表したい。

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其ノ二。山口県岩国市に「フジタ・メンズU」というトラッド系の専門店がある。代表は藤田雄之助氏。人口十万、しかも広島市のベッドタウンという条件にありながら、年間三十以上のイベントを打ち、専門店としての独自性の強い歩み方を探求・実践されている。三十五年の間に、すでに岩国の文化育成の一翼を担う役割を果たしている、と言っても過言ではなかろう。

三ヶ月に一度、夜を徹して氏の考えを伺う機会がある。そしていつもこう思うのだ。「こんな楽しい店の客になれるとは、岩国の人はなんて幸せなんだろう。うちの店もいつかはそう思われるようにならなければ。」と。

十月のある日、トラッドファンと思われる一人の同年代の方がふらりと入店された。東京からの出張中だという彼と、三十分ほど話したろうか、帰り際にぽつりと言った。「静岡の人は幸せですね、こんな店があって…。」思いがけない一言に心が躍った。(やった!)と内心叫んでしまった。

 皆様に、当店の顧客であるということを誇りに思っていただけるよう、更に立派な店づくりをしていかねば、と改めて感じさせられる二つの出来事だった。

 

ユニセフのクリスマスカードを封書で送るのに、別紙で添えるかたちで書いたので、スペースに余裕があったためでしょう、文章がくどいですね。なお、記事では「ジョン・レノンの命日」に触れています。

 

 

 

文中の絵画は今も店内に飾っています。まだ窓枠に桟のある頃なので懐かしい。大切な記念です。

岩国の藤田雄之助氏には、その後も何かと師事を仰ぎ、大変お世話になりました。当店の方向性を導いてくれた大恩人でしたが、惜しくも二〇〇五年一月に急逝されました。

倶樂部余話【三】フォーマルの基礎知識 (一九八八年十一月九日)


最近とみに関心の高まっている「フォーマルウェア」について。

まず、一般に礼装と呼ばれるものは、実は、フォーマルウェアとソーシャルウェアに分類される。フォーマルは「フォーム」のある、つまり儀礼の服であり、ソーシャルは「ソサエティ」つまり社交の服である。例えば、教会などでの結婚式はフォーマルで、その後の披露宴はソーシャルと区別できる。(但し、新郎新婦、仲人、両親家族はフォーマル圏内)

ソーシャルはフォーマルの応用であるので、まずフォーマルの基礎知識から。

第一正装。日没を境に(夜の方がより正式である)、夜は「燕尾服」(但し、日本では宮中行事かオーケストラの指揮者ぐらい)、そして、昼がいわゆる「モーニング」である。

略礼装。夜は、黒地で上着に拝絹・下に側章付きの、いわゆる「タキシード」。昼は、黒のシングルの上着にモーニングの縞のスラックス、これが「ディレクターズスーツ」と呼ばれるものである。

ちなみに、四姿すべて昼夜逆の着用はできないのが本来であるが、日本においてはタキシードとディレクターズスーツに関しては寛容である。

また、多くの人が便利に着用している黒のダブルスーツもあくまでも日本だけのもの。国際的に通用するディレクターズスーツをお勧めする。

もし外国のパーティの招待状に、ホワイトタイ着用とあれば燕尾服、ブラックタイとあればタキシードでなければ出席できない。

また結婚式においては、花婿は主役であるからモーニング、仲人は準主役として花婿と同格か一格下を、父親は末席に着く立場であるから控え目にディレクターズというのが望ましい。

葬儀も、喪主家族はモーニング、親類はディレクターズというのがルール。祝儀とはネクタイなどが異なることは言うまでもない。

いずれのスタイルも、シャツやシューズなどにも様々なルールがある。知らずにうっかり間違えてしまうと、後で恥ずかしい思いをすることになる。聞くは一時の恥、どうぞその前にご相談をいただきたい。

 

※バブル期には今では想像もつかないほど、12月にクリスマスパーティが多かったような気がします。そんな需要を当て込んだ一文だったのでしょう。ただ、スペースが足りず、説明の足りない部分もありますね。


 なお、フォーマルについては、後年【一八六】で素晴らしいルールブックを紹介しています。

倶樂部余話【二】拝啓 ヘンリィ・ブルックス様 (一九八八年十月)


拝啓 ヘンリィ・ブルックス様 

 

あなたが一八一八年、母国英国に憧れニューヨークに開店した「ブルックス・ブラザース」は、今日までの百七十年間に、紳士服飾の世界で輝かしい功績と文化を築いてきました。三ッ釦段返りスーツ、ボタンダウンシャツ、シェットランドセーター、世界中のメーカーが分解しては模倣してきました。そして、アメリカのエクゼクティヴエリートの支持を脈々と受け続けてきたのでした。

ところが、昨今のあなたのお店に関する話には、おやっと思ってしまうのです。

数年前、カナダの会社からM&A(合併・買収)に遭い、更に英国の最大手スーパー「マークス&スペンサー」に買収され、その傘下に入りました。英国を手本にアメリカントラッドをつくってきた店が本家英国のスーパーに買収されるとは何とも皮肉な話ではないでしょうか。

そのうえ、アメリカに十九店舗しかないのに、なぜ狭い日本に三十店舗もあるのでしょう。この日本にエクゼクティヴエリートがそれほど多いとは思えませんし、日本の百貨店の売上げ至上主義に同調したのでしょうか。いつでもどこでもだれでも買えるコンビニエンス的「ブルックス」にどういう価値があるというのでしょう。

「あの○○さんもうちのお客です」といった、著名人の顧客を宣伝材料に使うことはしないという、顧客のプライバシーを尊重した、不文律もどこに行ったのでしょう。それが目玉になった日本の新聞チラシをあなたが見たら、なんとおっしゃるでしょう。

いろいろとお家の事情はあるのでしょうが、「ブルックス」をひとつの目標にしてきた者にとっては、とても残念でなりません。築き上げてきた独自の伝統文化を、一時的な売上増進のために、自らの手で摘み取ってしまうのでしょうか。それも仕方のないことなのでしょうか。

しかしもう、こう言わねばなりません。さようなら、と。

「ブルックス・ブラザース」にこよなく憧れていた者の一人より。

 

※官製ハガキとしての最初の号は、やや刺激的な内容です。サザンオールスターズの「吉田拓郎の唄」に触発された気味もありますが、当店が、アメリカじゃなくて英国、デパートでなくて専門店、ブランドじゃなくて品揃え、であるということを端的に主張したいという気持ちもあって、ブルックスをだしに使いました。

 

この第二号から、倶樂部余話とイベント告知をセットにしたハガキDMという形態ができつつあります。

 

当時の記事から。「平日は一時間の昼休みを取ります。」「アランセーターのイベントをやります。」の記載。

 

なお、後年(二〇〇一年)、マークス&スペンサーは、経営不振から、ブルックス・ブラザースをアメリカの婦人服チェーンストア、リテール・ブランド・アライアンスに売却してしまいました。売却額は買収時のわずか三分の一の価格でした。時代の流れはすさまじい。

倶樂部余話【一】正統なるビジネスウェア (一九八八年九月五日)


スーツが流行なのだそうだ。主に若者たちの話ではあるが。

若い人たちがスーツに馴染んでいくことは悪いことではないが、大概がいわゆる「ソフトスーツ」と呼ばれるルーズでフワフワしたスタイルのものだ。

われわれはこのようなスーツを草書体と呼んでいる。元来、楷書体がきちっと書けなければ、見事な草書体など書けるはずはないのだが、どうも作る側も着る側もその辺を理解しているのかちょっと疑わしい。しかもなんと没個性で服に着られた人間の多いことか。

スーツをカジュアルウェアで着ようということそれ自体は自由である。しかし、ビジネスの世界では、決してそうはいかない。われわれは、スーツを「最も正統なる」「最も由緒正しき」ビジネスウェアだととらえている。

何百年もの間あまたのビジネスの場を共に戦ってきた心強き友である。サクセスを助けてくれる道具としてこれほどに自分がどう見られるかを大切にしてきたビジネスウェアはない。それが「背広」である。

そしてその男のインテリジェンスから自然に生まれてくるものが粋(いき)とか洒落(しゃれ)とかいう言葉だろう。それはひけらかす筋のものではなく、もっと内面的なものだ。

本当に洒落ることを知っている男は、決して服バカではない。ブランドの名前など少しも知らなくても粋の心というものを知っている。

伝統ある楷書体の「背広」を、ふさわしい雰囲気とふさわしい方法で、ふさわしい男に。そう考えて開店した「セヴィルロウ倶樂部」。早いものでこの九月五日、満一周年を迎えた。まだまだ真の男たちの協力が必要である。

 

 

※開店一周年に書いた記念すべき第一回ですが、いま読み返すとものすごく気負っていますね。しかも、草書楷書の話は赤峰幸生氏(当時グレンオーヴァー専務、現インコントロ代表)の受け売りだし、「天声人語」風の体裁もまた当時赤峰氏が仕掛けた広告スタイルを真似たものでした。

 

原文には①というナンバーリングを振っていないことからも、このときは毎月の連載物になるなんていうことはあまり強くは意識していなかったのです。

【序】一九八七年九月五日開店!「セヴィルロウ倶樂部」開店に寄せて。 石津謙介 (原文のまま)「こだわる客」と「頑固な店」


「セヴィルロウ倶樂部」開店に寄せて。 石津謙介 (原文のまま)

 

「こだわる客」と「頑固な店」

 

ファッションをリードする人たちの年齢が若くなって、世界中のヤング達がすっかり、お洒落になってしまったような気がする。

ところが、ヨーロッパでも、アメリカでも、若い人のファッションと、大人のそれとがハッキリと分かれていて、お互いがよい形で影響し合いながら、ますます服装の分野を拡げて行く、そんな傾向が強く感じられる。日本のヤング達は、社会の中心人物である中高年層のことなんか、全く知らぬ人が多い。欧米では、ヤング達はそれなりに、自由奔放に青春を楽しんではいても、社会人となる日のことを考えて、ちゃんとそれなりの常識を学び、社会に通用する身ごしらえに徹底しようとする。ところが、日本では、世界の若人たちと変わらぬくらい、ファッショナブルなヤング達がいるのに対して、世の中の中心であるべき中高年層のファッション意識が、なかなか前進してこないのが残念である。

その理由は「服に哲学がない」からである。ただやたらにヤングのファッションにまどわされたり、昔ながらの洋服にこびりついたりする。

服の持つ昔からの傳統、社会人としてのあり方、そして、日本の中の洋服の着方、それこそがオトナのファッションである、それをよく、深く眺めて、自分の着る服に、自分が責任を持つ。そのためには、「服装哲学」を持たねばならぬ。服の持つ傳統と歴史を見つめて、それを自分のものにする。頑固に自分を押し通す。こんな大人が、社会人が早く、そして沢山育ってほしい。

そんな人を育てるための頑固な店を、着る側が育てて行く。そんな心構えの方が、もっともっと大切なことかも知れぬ。