倶樂部余話【二十六】♪You may say I‘m a dreamer♪(一九九〇年十二月七日)


この十二月八日(日本時間九日)、かのビートルズの一員、ジョン・レノンが凶弾に倒れてから、早ちょうど十年になります。そして彼が生きていたら今年で満五十才でした。

前々から、この十二月の「倶樂部余話」では、十年間の彼への思いのたけをどう千余文字の中に凝縮させようかと思っていました。

毎年の命日に店内で彼の曲ばかりを流しながら哀悼し続けてきたこと、中学生の時に深夜放送で「イマジン」に出会いビートルマニアにのめり込んでいったこと、昨年ロンドン大英博物館であのマグナカルタの右隣にさりげなく展示されていた、ノートの切れ端に書き殴られた数々の名曲の作詞メモの直筆に感涙したこと、などなど、言い尽くせぬほどの私の思いを語るつもりでした。

ところが、その気持ちに水を差されてしまいました。「記念日は商売になる」という日本の悪しき商業主義でしょうか、先日池袋で開催された「ジョン・レノン展」で展示された彼の遺品約三十点がオークションにかけられる予定で、何とその落札予定価格は、愛用の丸メガネで三百七十五万円、ギターが二千五百万円とか。日本の金持ち一人にしか彼のギターの鑑賞が許されないのでしょうか。聞けば未亡人ヨーコ・オノの企画とか。ならばなおさらに「なぜ」と思えてしまいます。

彼が私たちに「イマジン」させたかった世界は、人種の別も貧富の差も国境さえもない世界であったはず。仮に地球環境保護の基金設立のために十億円が必要なら、日本の金持ち十数人からではなく、世界中の一億人から十円ずつ集めるやり方はなかったのでしょうか。しかも、いくら彼が平和運動に大きな影響を与えた活動家であったとしても、あくまでミュージシャンとしての彼の音楽に魅力があったからこそ多くのファンをつかんだのですから、メッセージの訴えも歌で伝えてこそ意味があるのではないでしょうか。それとも、愛とか平和とかを歌うことにはさほど効果がないと、冷ややかに悟ってしまったとでも言うのでしょうか。

さらに、息子ショーンを日本人のプロデュースでレコードデビューさせるといいます。「似てる似てない」でしか評価されかねない道化を演じさせられる彼の姿に、哀れを感じてしまうのは私だけでしょうか。

日本で商業を営む私が日本の商業主義を批判するのも変かもしれませんが、稼げるネタは何であれ貪欲に稼ぐ、という姿勢があるから、いつまでたっても商人の言うことが信用されないのではないでしょうか。

十年を経て、思わずも複雑な気持ちを抱かされてしまいましたが、私自身は、今年も以前と変わらぬ思いのままで、八日九日の両日、彼を哀悼し、彼の曲を流し続けたいと思います。「夢想家と言われるかもしれないけれど…」

 

※カクテル「還暦」パーティ

倶樂部余話【二十五】やられた!この一冊!(一九九〇年十一月十三日)


久米麗子著「服が好き」(主婦の友社・千二百円)。著者はタレント久米宏氏の妻であり、「ニュース・ステーション」の夫君と小宮悦子女史の衣装を担当するスタイリスト。と、これだけでも充分に興味をそそられました。

一挙手一投足に細心の神経を配る「テレビ人のプロ」としての夫をどう「イメージメーク」するか、これまた細心の配慮が払われていることが伝わります。

「なぜ小宮さんがイヤリングをしないのか。」とか、久米氏のスーツが「実際の年齢より少し老けて見えしかも遊び心のあるもの」で決してビジネススーツの手本を見せているわけではないことや、例の丸坊主事件の苦慮など、画面で見られる具体例があるだけにとても楽しく読み進められます。やはりこの人も、「服」が好きと言いつつも、結局は「人」が好きな方なのでしょう。でなけりゃとてもできない仕事です。

ところが、読み進むうちに、次第に複雑な気持ちになってきました。大変おこがましいのですが、その内容も文体もあまりにも「倶樂部余話」によく似ているのです。黙っていれば今後のネタ集めの重要な参考文献になり得たでしょう。

「人が大好きな服飾のプロ」というのは同じ様なことを書くものだな、と思うと大変頼もしく嬉しくもあるのですが、なにせ役者が違います。こっちは、毎月毎月ない知恵絞って二年以上かかっても言いたいことの半分も伝わらない地方都市のちっぽけな一店主。かたや、視聴率十八%、一千万人がその仕事の出来を認めるスタイリスト、しかも美人妻、とくれば、説得力は格段に違います。正直、やられたな、参ったな、という思いです。

ただ、洋服屋をやってて本当に良かった、という思いを一段と強く持ちました。私も今の仕事を継ぐことに悩みがなかったわけではありませんが、それこそ原稿用紙何百枚分の「自分の考え方や暮らし方」を表現する手段として、衣食住のうち、衣は最も身近な分野です。人はその服装を通じて視覚的に瞬時に自分のイメージを訴えることができます。なにしろ、あらゆる動物の中で服を着ているのは人間だけなのですから。

 ところで、素朴な疑問。大体の方がピンマイクを衿をつぶすように挟んで付けていますが、これは何とかならないものでしょうか。スーツの衿の返しのふくらみは背広の美しさの大事なポイントのひとつなのですが、あれでは服がかわいそうです。

 

 

 ※私が人より少し図々しいのは、このハガキをぬけぬけとご本人にまで送ってしまうことです。そうしたら、思いがけず、次のような返信を頂戴したのです。これもまた、コピーしてメンバーズに配信しました。

 

野沢様

 

街の色がいつの間にか秋から冬へと衣がえ。季節の色に追いつく人などいるのかしらと思いつつ歩いています。

 

野沢様にはさぞ御多忙の日々をお過ごしのことと存じます。

 

 

 

さてこの度は、大変おやさしいお手紙を頂戴致しまして、有難うございました。心からお礼申し上げます。

 

そして私の本をお読み下さいました上、機関誌に御紹介下さいましたこと、重ねがさねありがとうございました。感謝申し上げております。

 

 

 

ただただ“美しいものが好き”だけでいつの間にか二十年、花や服の仕事をしてまいりました。その間、沢山の方達にお教えを受け、機会をいただき…、そんな才月でございました。

 

 

 

初めて本を書きました。どうなるかしら…と不安一杯。やっと出来上りまして、何んだか自分のことのような気がしません。

 

一つ何かをさせていただきますと、又々学ぶことがたくさん出てまいります。そのことの面白さが長く続けてこられたことかも知れません。服も…そう思えます。

 

 

 

ピンマイクのこと、ありがとうございます。以前、トーク番組では(女性でしたが)虜につけていただいたり、衿の裏etcにしていただいたことがございます。服を美しく見ていただきたく思いまして-。

 

ところが素材によりましては、雑音もひろってしまうのです。

 

今回はニュースですから、きっとそのこともあったと存じます。マイクは、技術の「音声」の方の担当でございますので…。

 

又いつか違います折に、野沢様のご意見を忘れずに生かさせていただきます。ありがとうございました。

 

 

 

末筆ながら、気候不順の折、どうぞお風邪など召しませんよう、お体おいとい下さいませ。

 

 

 

まずは取り急ぎ心からの御礼まで

 

久米麗子

 

倶樂部余話【二十四】公式②「色のハシゴ」(一九九〇年十月十六日)


「倶樂部余話」も今回で二十四回目。私自身、原稿書き、ワープロ、コピー、宛名と一連の作業を終えないと、何か一息つけず、一月ごとの区切りようになっています。

毎号スクラップに綴っていただいてたり、「君の好きそうな話題だよ。」と資料をいただいたり、果ては「百回続いたら本にしてあげる。」などという奇特な方も現れたりで、「いつも送っていただいてありがとう。」と言われますが、こんな拙い作文をお読みいただいて、感謝したいのはむしろこちらの方です。

私の丸眼鏡のチンチクリンのイメージとこの文体とはどうも一致しにくいようで、新しいお客様からは未だに「どなたかが書いているんですか。」と問われます。「字が小さい。」というのもよく言われることで、いつもつい欲が出ていろいろと詰め込むので、あまり字体を大きくできなかったのを反省し、今回は幾分か大きくしまして、少しは読みやすくなっていることと思います。

内容に関しては、「もっと毒舌を」とか「今回はちと迫力不足」など手厳しいご批評もいただきます。前回の「公式①」についても「よくぞ言ってくれた。」という声の反面、「もっと君にしか書けないことを…」というご意見も頂戴しました。私としては、誰かが言わねば誰も教えてはくれないだろうと思って書いたのですが、結果、本当に読んでいただきたい方には「こんなことにゃ興味はないョ」と実際には読んではいただけずに、愛読者(?)には「何で今さらこんな初歩的な話を、野沢らしくもなく…」と感じられたという、大変皮肉なことになってしまったようです。これも私の文章力のいたらなさかと反省しつつ、今回はさらに初歩的なお話ですのでご勘弁の程を。それでは本題です。

公式②「色のハシゴ(色のかぶり)」。言葉では説明しにくいのですが、配色の基本ですのでしばらくお付き合い下さい。

例えば、紺と茶と赤の三配色のチェック柄のジャケットを着るとしますと、スラックスはこの三色の中の一色を取った無地で合わせます。赤いズボンを履く紳士はいませんから、この場合、紺か茶のスラックスということになります。

このように、使ってある色の中から一色を抜いて他のものと合わせることを、色が二つの物の間を橋渡しすることから「色のハシゴ」と呼んだりしています。

先ほどのジャケットに茶色のスラックスを合わせたとして、次に、紺色の細いストライプの入ったスポーツシャツを「紺のハシゴ」でつなぎ、タイは「赤のハシゴ」で赤地に緑のペイズリーあたりで合わせ、さらにポケットチーフはタイと「緑のハシゴ」でつなぐと同時にスラックスと「茶のハシゴ」でつないで、緑と茶の地味めの小紋柄などでどうでしょうか。

背広の柄にうっすらとブルーとピンクの縞が入っていたら…。迷わずブルーのシャツにピンク使いのタイ(またはその逆)を合わせます。

「お洒落な人」は、配色の中からベースになる色と効かせの色をうまく抜いて、面積のバランスを良くし、「色のハシゴ」をあちこちに掛けてコーディネートしています。(だから冬は楽しい!)単なる色気違いとは大違いです。

何気なく見過ごしているウィンドウのディスプレーも「色のハシゴ」を探しながら見ていくと結構面白い物です。街歩きの楽しみとしてお勧めいたします。

 

 

※今だと、例文のようなコントラスト三配色のコーディネートというのはあまり見かけません。ちょっと色の洪水、と見られるでしょうね。近ごろは、コントラスト配色の場合はせいぜい二配色に絞りますし、また同系色配色(モノトーンもそうですが、例えば紺とブルーなど)が主流になっていますからね。

 

記事より。オーダーシャツを刷新。第四回「カクテル・パーティ」の告知、など。

倶樂部余話【二十三】公式①「革物は、茶色と黒を混ぜない」(一九九〇年九月十八日)


今日のあなたの(またはご主人の)格好を思い浮かべて下さい。

ベルトと靴の色は、黒なら黒、茶なら茶で統一されていますか。街を歩く人をウォッチングする限りでは、十人中五人ぐらいの合格率しかありません。

それでは、鞄の色も一緒に統一されているでしょうか。合格者はさらに減って、十人中二人ぐらいといったところでしょうか。

さらに、財布、名刺入れ、手帳、時計ベルト、傘などの色も同じ系統で統一されている方となると、果たして百人中何名程でしょうか。

もうひとつ突っ込んで、時計や指輪、ベルトのバックル、靴の鎖飾りなどは、ゴールドかシルバーのどちらかに統一されていますか。こうなると、百人中一人見当たるかどうかではないでしょうか。

私たちはこういうものにしっかりと統一感を持たれている方を「お洒落な人」と呼びます。最近では若い方でも高価なスーツをお召しになる方が増えていますが、茶色のベルトに黒い靴、鞄はLVマークの茶色の柄、おまけに白いスポーツソックスでは、いくら三十万円のアルマーニを着ていても、それは「お洒落な人」ではなく、単に「高い流行ものを着ている人」にすぎないのです。

ちぐはぐな色合わせは、ズボンのチャックの閉め忘れと同じぐらいに恥ずかしいものだと考えて下さい。「チャックが開いてるよ」という忠告(?)は、何か相手に失礼なことを言っているように聞こえますが、しかし、誰かが言ってあげなければもっと恥ずかしい思いをしてしまうものなのです。

もちろん、私は皆様を馬鹿にしようとしているつもりは毛頭ありません。むしろ、洋服を着るうえで、何を買うかということ以前の、こういった公式が、何にも当たり前のことになっていない現状は、我々プロの責任ではないだろうかという自省の念があるのです。

雑誌もテレビも店員までもが、こういう初歩的な話は「皆ご存じ」とばかり、トレンドとかブランドとか、「売らんかな」ということばかりに熱心です。パリの著名ブランドの社長までもが「日本人は最高のお客様です。」と述べる社交辞令の裏には「どうせちゃんとした着方ができないのなら、売れさえすればそれでいい。」という諦めの気持ちが見えて仕方がないのです。

聞くところによれば、欧米では、小学校の授業で服装のABCを教える時間があったり、大学でも「服飾学」という専門の学問分野があるそうですが、残念ながら我が国では、服のことに興味を持つなど男の恥、と長いこと考えられてきたようで、服装の公式なども、知りたい人だけが何かの機会に偶然知り得たもので、関心のない人は一生知らされずに終わってしまうものであったわけです。

「見掛けなどどうでもいい。問題は中身だ。」などとは言っていられないほど、現代は「ビジュアル(視覚)」が重要視されています。どんなに美味しい物もいい物も、ビジュアルに訴えられるものでないと受け入れに手間のかかる時代です。今年の各企業の採用活動などは正にそれを裏付けていますし、アナウンサーが全く体型に合っていないぶかぶかのソフトスーツを着ていたりすると、ニュース自体にも信憑性や重みがなくなって聞こえるから不思議です。

昨年、地元のある自動車販売会社から、服飾のイロハを社員に講義してくれないか、という要請を受けました。いわば「おじさん改造講座」を自らで開講したわけで、ビジュアル重視の時代には大変に意義の深い試みではないでしょうか。各企業や学校でそういった機会を設けていけば、本当の「お洒落な人」は一挙に増えてくれるでしょう。

いつも申し上げるようですが、服を売るばかりが店ではなかろう、と考えています。そのためのお手伝いにはいくらでもご協力したいと思っております。

次回は、公式②「色のハシゴ」についての予定です。ご意見ご感想をお待ちしております。

 

 

※この一文についての反応は次号をご覧下さい。

 

この月は、第三回「アランセーターの世界」を開催しています。

倶樂部余話【二十二】池部良のダッフルコート(一九九〇年八月八日)


ご年配の方からはお叱りを受けるかも知れませんが、こういう店をやってますと、「ああ、自分も早くもっと歳を取りたいな。」と思うときがよくあります。歳を取るほどに似合ってくる格好、例えば、モーニングやタキシード、濃紺ストライプのダブルスーツ、アランセーターなどの手編みニット、ダッフルコートやピーコート、ハリスツイードのジャケット、カシミアのコート、帽子などなど、若輩の私たちにもそれなりに着こなすことができないわけではありませんが、恰幅のいい熟年世代にこそ味わい深い装いのできるものが、余りにも多すぎるからなのです。

これらのものは、着こなしうんぬんよりも、「歳を重ねたこと」それ自体がすでに最良の素地となってマッチしていくものばかりで、だからこそ「クラシック(元来「クラスにふさわしい」の意)と呼ばれるのです。

ときたま、五十歳代のお客様から「君のところは、背広はいいんだけど、カジュアルはどうも若向きだね」とのお言葉をいただくことがあります。しかし、サイズや素材の善し悪しの差こそあれ、カジュアルウェアは本来ノンエージのものではないかと思うのです。

欧米の熟年世代は、決して若者に媚びたり流行を追ったりするわけでもなく、ベーシックでクラシックな服を実にうまくシンプルに装っていますが、日本はと言うと、ファッションのリーダー役が流行雑誌を読み漁る情報過多のヤング層に偏ってしまい、熟年層は「シニアカジュアル」とか「アダルトカジュアル」とか、俗におじさんルックと称される日本にしかない独特の商品群の中に追いやられてしまっているのが現状です。

私は、当店の揃えるクラシックな商品こそが、世界に通用する熟年ウェアでもあると考えているのです。

早くもっと歳を取りたい、と若者に憧れを抱かせるようなお洒落な装いの熟年男性がもっともっと増えて欲しいと願っています。そして、恐らく貴方の奥様やご家族もそう望んでいるに違いないのです。

あるお客様の奥様の言。「こないだテレビで池部良が白いダッフルコートを着てて、それがとっても素敵だったの。うちの主人にもああいう格好をさせたいんだけど、おたくで揃えていただけます?」

 

 

 

※池部良…いけべ・りょう。一九一八年生まれ。俳優。東宝映画「青い山脈」などで主演を演じた往年の二枚目スター。

 

つまり、この原稿を書いた時点で、彼は七十二歳だったことになりますね。

倶樂部余話【二十一】恒例十日間だけの博物館です(一九九〇年六月十二日)


好評の昨年に引き続き、今年も「アイルランド・リネン博物館」を開催します。今年も大阪のリネン博士の問屋さんから、美術品の域に達するものを含め、大変貴重な品々をお借りして展示いたします。

「リネン(亜麻)」と「麻」との違い、リネンだけが持つ数々の素晴らしい特性(吸水性、速乾性、強靱性、汚れ落ち、純白性など)、欧州の生活風景の中でのリネンの古い歴史、などについては、昨年『余話【十】』でお話ししましたので、すでにご理解のことと思います。

そこで今回は出展品のいくつかをご紹介することといたします。

☆マデイラ刺繍(非売品)…モロッコの西方沖約八百㎞、大西洋に浮かぶポルトガル領マデイラ島。マデイラ・ワインで知られるこの島に、かつてスワトウの源流とされる、非常に手の込んだ刺繍がありました。細かな刺繍を施すため、極細で強靱な繊維、しかも実用性に富むアイリッシュリネンが生地に使われています。残念なことにその伝統技術も次第になくなり、現在では生産不可能な芸術品です。

☆スワトウ刺繍(三万円~)…香港の北東にある港町スワトウ(仙頭)に伝わるもので、熟練者が一ヶ月かけてようやく一枚仕上がる、というほどの細かい手刺繍が施されたハンカチーフです。製作風景のビデオも上映いたします。

☆アイリッシュリネンのシーツ(ダブルサイズ六万円)&ピローケース(七千五百円)…一流ホテルの特等客室で純白のリネンのシーツが好んで使われるのは、その寝心地の素晴らしさと同時に、清潔さを証明した誇りでもあります。今回展示するのは、東京・パレスホテルに今年納入されたものです。

☆リネンのフェイスタオル(四千円)…こんな薄い生地でタオルになるのか、と思われるでしょう。かつて某一流ホテルで使われていましたが、あまりの重宝さに宿泊客が持ち帰ってしまう例が後を絶たず、取り扱いをやめたとか。

☆アイリッシュリネンのテーブルクロス(一万五千円~)…先日の韓国大統領との宮中晩餐会でも使われた宮内庁御用達のもの。菊の柄のダブルダマスク織りが大変見事です。

☆最高級リネン原糸の束…「亜麻色の髪」とはまさにこのこと。ベルギーのリネン博物館に展示されていた貴重品です。

☆その他、リネンの特性が体験できる実演コーナーを設けます。

地球環境の保護への関心が高まり、エコロジーがキーワードの今日です。大量の石油や木材の資源を使う化学製品の生産力や宣伝力に押され、「知る人ぞ知る」的な需要になってしまったリネン製品も、今後はその評価が改めて見直されてくるに違いありません。

多くの方のご来場をお待ちしております。もちろん入場無料です。十日間だけの館長より。

 

 

 

※思えば、この提案は少し早すぎたのかも知れません。今ならリネンはもっと認知度が高いですよね。

 

同時期に、第三回「カクテル・パーティ」を、ホテルのバーを会場に実施しています。メキシコのリゾート地カンクーンをイメージしたテキーラのパーティでした。

倶樂部余話【二〇】学びたいこと、学べないこと(一九九〇年五月八日)


学びたいこと。革製品の出来。

鞄や靴などの革職人は、欧州では非常に地位の高い職業です。ヴィトンもエルメスもグッチも、かつては貴族のお抱え職人であったわけで、貴族の生活スタイルに応えられるだけの優れたものを作り続けてきたことで、今の地位を築いてきたのです。

片や日本では不幸なことに、ちょんまげの時代には、革職人の社会的地位がなかなか認められませんでした。草履に風呂敷の生活には革製品の出番はあまりなかったようで、日本で初めて鞄と靴の専門店が東京京橋に開店したのが文明開化の明治二年、三越に革靴が置かれたのは明治四二年、今からわずか八十年前のことです。その後も軍需産業としての色合いが濃く、欧州の優雅な貴族生活とは大きな隔たりがあります。

この天と地ほどの歴史の差が製品の出来に影響しないはずはなく、別に有名ブランドに限らずとも、欧州には優れたレベルの革製品が数多くあります。日本のものを一概に否定するつもりはありませんが、使い勝手の良さや使い込んだときの味わいなどは、やはり学ぶべき点が多いように感じます。

学べないこと。夏の服装。

静岡の八月の平均気温は二十六.五度。対してロンドンは十度以上低い十五.九度。英国紳士が夏でも三つ揃いのダークスーツを乱れなく着ていられるのは、せいぜい暑くても日本の四月ぐらいの気温しかないからで、詩人バイロンは「英国の冬は七月に終わり八月に始まる」とまで言っています。

言うまでもなく当店は英国の伝統的生活気質を範としていますが、英国に日本の「夏物」に相当するものがない以上、これをお手本にすることはナンセンスです。素材を選ぶにしても、いくら上質の服地でも通気性が悪く汗ですぐに変色してしまうようではいけませんし、例えばサマーニットなどは、確かに英国製で素晴らしい素材の高価なものもありますが、発汗性が弱くしかも洗濯が不便で、日本には不適と考え、当店ではあえて輸入をしていません。

かの服飾評論家・石津謙介氏は「日本の夏は浴衣(ゆかた)が一番」と、さすがは「TPO」の創語者らしい余裕の一言を述べています。

英国気質を謳うことは、別に堅物を気取ることではありません。学びたきことは学び、学べなきことは学ばず。

 

 

※記事より。バッグ、ベルト、財布など革小物を集めた「レザー・ギア・ギャラリー」を実施しています。

倶樂部余話【十九】行く人来る人新しい人(一九九〇年四月十一日)


当店が「倶樂部」であるならば、お客様は「メンバー(会員)」、当報は「会報」です。別段、登録に入会金も資格も不要ですし、長期間ご来店のない方は自然に退会となるわけですが、やむを得ず退会となってしまう場合に「転勤」というのがあります。

静岡という土地柄で、いわゆる転勤族の方も多く、お客様の異動の話もよくあるこの時期は毎年寂しい思いを繰り返しています。ご丁寧に転居通知を下さる方も少なくなく、中には当店と遠隔地とのお金のやりとりのためにわざわざ通販用のクレジットカードを作っていかれる方もいて、退会せずメンバーであり続けたいという思いは、本当に大変ありがたく思います。

行く人がいれば来る人もいて、四月は新しいお客様が一番増える時期でもあります。通りがかりにうちを「発見」して、当店の「匂い」につられて階段を不安げに上がってくる方や、ご同僚ご友人のご紹介を受けてお越し下さる方。そこで皆様にお願いは、ご紹介を受けたお客様には、どうか「○○さんから聞いて来たのだが…」とおっしゃっていただけるようお伝え願います。私たちも人の子、それによって対応も幾分か違ってくると思いますので。

さて、当店にもこの四月から強力な新戦力が加入しました。(中略)華奢な体ですが、明るくしかもなかなかにシブとい接客をする男です。もちろんこの業界の経験者ではありますが、当店のメンバーとしては皆様の方がはるかに先輩です。しっかり鍛えてやって下さい。よろしくお願いします。

「先輩が後輩の面倒を見る」、これも「倶樂部」としての伝統の習わしですから。

 

 

※記事より。第三回「オフタイム・ジャケット・コレクション」~ゴールデンウィーク対策編。第三回「カクテル・パーティ」~夏のテキーラ~の参加者募集。

倶樂部余話【十八】その名のとおり背広屋なのですが…(一九九〇年三月十三日)


セヴィルロウは背広の語源。だから、当店のメインも背広です。実際の売上バランスも、スーツ・ジャケット五十%、フォーマル十%、常設在庫二十五%、イベント・法人需要十%となっています。

「背広屋のわりに背広があまり置いてないじゃないか」という声があります。これは、お客様の好みをオプションして二週間で仕上げる、受注生産方式を採っており、ディスプレー兼サイズゲージとしてシーズン毎の提案を現品展示する以外は、すべて生地サンプルからお選びいただくという形になっているためです。百戦錬磨のビジネスマンの武器としてのスーツですから、数万円を衝動買いされる方は稀で、一時間でも二時間でもかけてじっくりとお考えいただく筋のものだと思います。一着目は不安も手伝って多少時間はかかりますが、二着目からはこの形の方がずっと楽に品選びができるはずです。

「背広屋ならば、イベントなどやらずに、背広を売り込むことに専念してはどうか」という声もあります。確かにその方が楽な商売でしょう。しかし、背広はお求めになる事情も好みも職業からの制約も、人それぞれでいろいろと違います。背広こそは、こちらからあまり押し付けずに、お客様が主体的に購入を決心すべきものだと考えます。しかも、背広ばかり売っていたのでは、年にせいぜい二、三回のご来店しかいただけないでしょうし、それではお客様とのコミュニケーションなどあったものではありません。もっと気軽に、それこそ「倶樂部」のように、月に一回、年に十回以上、足をお運びいただけたら…。毎月のイベントはその促進剤でもあると考えています。

で、前置きが長くなりましたが、この半年間のイベント・スケジュールをお知らせします。

 (後略)

 

 

※ふつう店の催事というと売上増強を目指して実施するのが常のようですが、当店のミニイベントは、来店の呼び水という意味合いの方が強く、売上は全くと言っていいほど当てにしていませんでした。

 

この月は、靴を全品番約百足並べて見せる、ということをやっています。新しくできた靴屋だと勘違いした方もいました。

倶樂部余話【十七】「いただきます」の喜び(一九九〇年二月十四日)


小売業ですから、物をお渡しすることは生業として当然ですが、時として、お客様から物をいただくことがあります。

郷土のお菓子だったり、出張みやげの海産物だったり、また自家製の果物やパイであったり、あるいは旅先で見つけた絵や版画であったり。

情報をいただくこともあります。本・雑誌や映画をご紹介いただいたり、更に、コピーを取ってお持ち下さったり。

遠隔地への転居のお知らせは寂しいものですが、出来る限り当店のテーストに近い最寄りのお店をご紹介するようにしています。また、私信の年賀状には、思いがけない驚きで恐縮してしまいます。

更に、いただくものといえば、お客様のご紹介。ご同僚ご友人を伴ってのご来店や、近ごろはお父様をお連れいただく方も目立っています。

こう思い巡らすと、私たちは商品代金以外にもいろいろなものをお客様から頂戴していることに気が付きます。そして、そのほとんどは決して高価なものではありませんが、「セヴィルロウなら分かってもらえる」「野沢なら喜ぶだろう」といった、いわば「相手の顔の見えるもの」ばかりです。「お客様の顔の見える商売を」と心掛けてきたことへの、ささやかなる返礼ではないか、と幾分自惚れた気にもなるひとときです。

しかも、私たちの場合、これは仕事ですから、どうしてもどこかで「売上につながって欲しい」と見返りを期待する色気が出てしまうのですが、お客様の場合は、これは全くと言っていいほど掛け値なし、気持ちのみのものであるだけに、本当に心の励みになります。

店員と客という立場を踏まえて、なおその枠にとどまらないコミュニケーション。私たちにとって、かけがえのない財産なのです。

 

 

※今読んでもこれは名文だよなぁ、と自画自賛。

 

この号は、いろんなご案内を別紙で添えた複合ものでした。かいつまんで紹介すると、

 

★第三回「カシミア・ファイナルフェア」…季節の終わりのメーカー残品を集めた特集でした。

 

★「ホワイトディ・パック」の予約販売…当時はまだホワイトデイが定着してませんでしたので、男性客にオリジナルパッケージを用意しました。英国製のレースのハンカチと札幌の銘菓「白い恋人」をセットにして申し込みを受け付けました。これは皆様に喜ばれた大ヒット企画で、百二十個も売れました。

 

★第二回「カクテル・パーティ」~春のラム~の受付開始…二回目からはご婦人の同伴も積極的に呼び掛けました。シニア世代十一名(うち女性二名)、ジュニア世代十八名(うち女性六名)、計二十九名で成功裏に開催。このカクテル・パーティは日経新聞でも取り上げられました。

 

※なお、私事ですが、この号発行の二日後に、第一子の長女が生まれました。