倶樂部余話【九十一】セールをするのは店の都合(一九九六年一二月二五日)


「セール」と聞くと色めき出す人もいれば、「セールならば行きたくない」という人も意外に多い。

確かにモノが安く買えることは魅力だ。しかしそれがためにかえって不愉快な思いもする。混雑する売場、山積みの安売り用追加商品、買わなきゃ罪悪とばかりに迫るぞんざいな店員の態度…。つまりサービスが低下して、楽しい買い物ができないなら行きたくない、ということなのだろう。

いまだに売る側の多くは「セールなのだからサービスが悪くなるのは当たり前だ。その分値段を下げれば客は喜んで買うさ」と思い込んでいるようだ。しかしはっきり言いたい。セールをするのはあくまでも売る側の都合なのである。なのにその都合を客に押し付けてはいないだろうか。考えてもみよ、安売り航空券で乗ると機内サービスが悪くなる航空会社など、私は聞いたことがない。

私たちはこう考えます。セールは新しいファン客を増やす絶好のチャンス。自店の魅力をもっともっと知っていただける最良の契機なのです。だから、いつも通りの接客、そのままの商品(セール専用の安売り品を追加しないのが原則)、変わっていいのは値段だけです。

あなたのご来店を心よりお待ちしています。

 

※この一文は初めて出した新聞広告の一部として公開掲載した。変わったセール広告を見た、といって来店された新規客も何人かいました。



倶樂部余話【九〇】先祖詣で(一九九六年一二月三日)


ケネディやクリントンを始め二千万人といわれるアイリッシュに向けてアイルランド観光庁が発行している雑誌がある。こんなモノを定期購読している日本人は私ぐらいだろうと思うが、中に「あなたのご先祖お探しします」という広告が載っている。私は四年前のあの一夜を思い出してしまう…。

六月、私はスコットランド巡り四日間のバスツアーに参加した。同乗客には初老の米国人夫婦が多い。エジンバラに着き、ホテルの宴会場で毎夜催されている「スコティッシュナイト」という観光ショーへ。名物のハギスを食べながら、ステージではタータンチェックの男女数人が躍ったり歌ったりで、私はすっかり観光気分に浸っていたが、突然目の前の席の米国婦人がワッと泣き始めたのである。「この歌、祖母がよく歌ってくれたのよ…」。

そうか、この人たちの旅は「先祖詣で」なんだ、自分のアイデンティティを血のルーツに求めに来ているんだ、と感動したのも束の間、次に奇妙な孤独感が襲ってきた。この聴衆はみんな血のつながりのある米国人やカナダ人、オーストラリア人など、その中にいる全く無関係な日本人の私はまさに異邦人じゃないか。ショーのフィナーレはスコットランド民謡「蛍の光」の大合唱。一人日本語で大声張り上げて歌う私の姿はきっと奇異に映ったことだろう。

深夜、ホテルの部屋へ帰り、テレビをつけると、NHKの衛星放送、雅子様が笑顔で手を振ってパレードしている。部屋の窓からは眼前に拡がる見事なエジンバラ城の夜景、テレビの中では皇太子ご成婚パレードの生中継。この夜味わったカオスは、少しばかり飲み過ぎたスコッチのせいばかりではなかったろう。メリークリスマス。

倶樂部余話【八十九】ディテールには由来がある(一九九六年一一月一四日)


背広上着の後ろの裾にある割れ目、ベントと言います。背広のルーツは軍服などの儀礼服ですから、元来は割れ目はなく、だからフォーマル服は今でもノーベントです。狩猟などで野山にしゃがむ必要から両脇を割ったのがサイドベンツ(左右二つなので複数形)、乗馬のために真ん中で割ったのがセンターベントです。

上着の右の脇ポケットの上にもうひとつ小さいポケットを付ける、これチェンジポケットと言い、チェンジ(小銭)を入れるのに付いたのが始まり。更に脇ポケット全体を斜めに付けることがあり(スラントポケット)、これは乗馬の際の前傾姿勢でもポケット動作がしやすいようにと工夫した結果です。

スラックスの右腰の前にも小さなポケットが付くことがあり(ウォッチポケット)、懐中時計を入れます。その懐中時計の鎖を留めるのが、ベストに付いている縦の穴で、チェーンホールと言います。

ほんの一例。このように単なる飾りのように見えるものも、必ずその由来があるわけで、極力その由来に忠実たれ、というのが英国服の基本姿勢だと言えます。例えば、脇ポケットを乗馬が由来のスラントポケットにするならベントも呼応してセンターベントであるべきですし、ベストにチェーンホールを付けるのならばスラックスにはウォッチポケットが付いてて欲しいわけです。

これらを万事心得て、理にかなった背広を提供するのがプロとしての私の仕事です。背広のオーダーを受けるというのは、単に寸法を合わせることだけではないのです。私が受けて私が付けたお墨付き、それがSavile Row Clubのラベルの意味だと思うのです。

 

※雑誌「ラピタ」(小学館)別冊付録でアイルランド特集。私が全面協力し、アランセーターなどが通販で大変よく売れた。

 



倶樂部余話【八十八】秋のロード(一九九六年一〇月一六日)


昨年同様にこの時期に長期で出店を留守にすることが増え、すでに松江と山口のフェアを終えました。ブルートレインの寝心地にも少し慣れました。

「オーナー店主のくせに、この秋の一番楽しいときに店を空けるとは何たることか!」といったお客様の反発もあるかなぁ、と心配もしましたが、あに図らんや、多くのお客様が、この静岡の小さな店から日本中に様々なジャブを発信し、小さいながらも少しずつ評価をいただいていることを、自分のことのように喜んでくれて、おまけに「あんまり働き過ぎんなよ」と身体まで気遣っていただいて、本当にありがたい限りです。

お客様の都合もあるだろうに「この日はダメよ」という私のスケジュールに合わせて客の来店を制約するなんて、思えばずいぶんわがまま放題な店主で、その甘えに寛容でいていただけるお客様を嬉しくそして大いに誇りに思いたいと、改めて感じております。



倶樂部余話【八十七】秋の最初に買う服(一九九六年九月一五日)


 

ある期間が首都圏200家族を対象にした調査によると、一家族(2.8)が保有する衣服(肌着を除く)の平均保有枚数は337枚。うち過去一年間に着用したものは59%。残りは「着るつもりでいて結局一度も着なかった」非着用品(24%)と「着るつもりはなく保管している」退蔵品(17%)なのだそうです。

皆さんの実感と比べていかがでしょう。300枚と言っても、単純に一人あたりで120枚、春夏と秋冬で60枚ずつだから、そう驚くこともない数字に思えます。

気になるのは、一度も袖を通してもらえなかった、かわいそうな服たちがその4割をも占めるという事実。礼服や晴れ着、思い出の服、などはともかくとしても、当店の服はなるべくこの4割には入って欲しくないな、と思います。特に我々の商品には、使ってみて更にその良さを体感する、といった類の品が多く、「こないだ薦められたアレ、思いのほか役に立つね。重宝してるよ」というお声は何よりの励みになります。

不幸にして非着用品に入ってしまった当店の服は、嫁ぎ先でうまくいかない嫁のようで、仲人にも責任があります。できるものなら何とかしたい、私が悩み相談所になりましょう。

高名な女流服飾評論家曰く「秋の初めに最初に買う服、この選択はとても重要でしかも一番わくわくするときです。なぜなら、これから先一年の自分のオシャレが成功するかどうかがその服で決まってしまう場合が多いからです」

秋本番、最初に買う服、もうお決まりですか。



倶樂部余話【八十六】開店10周年を迎えて(一九九六年八月二二日)


1987年9月1日開業の当店は、いよいよ10度目のシーズンを迎えます。もう10年か、あっという間だな、と思っています。開業当時をご存知の方で、10年後の今の店の姿を想像できた方は一人としていないことでしょう、私自身を含めて。

それほどに、私自身成り行き任せで好き勝手にやらせてもらってきた感が強いのですが、それでも振り返れば、いくつかのターニングポイントらしきことが見当たります。中でも、バブル崩壊・価格破壊・低成長経済でメンズショップ自体の存在意義が大きく変化、当店も徐々に中心ターゲットを、当初の親子二世代狙いから、戦後生まれの夫婦客に絞り変えていったことが、今の店作りにかなりの影響を与えています。

また93年秋に横浜そごう・アイルランドフェアで、初めて店から出てアランセーターを販売したことは、当店を全国区レベルの店として認めてもらえるようになっていく契機でもありました。ミニイベントを次々に開催した時期もありましたね。この告知が「倶樂部余話」の月例化になり、今のメンバーズ制度に続きました。

品揃えに関しては、その時代時代に自分なりにベストを尽くしてきたという自負はあります。その結果で「○○ならこの店だよね」という「ならここ」商品の分野はかなり持ち駒が増えてきたように思います。

「こんな店は静岡で成功しない」「モノになるまで何年かかるやら」と言われ、意地でも10年は頑張るぞ、と誓ったその10年目の秋冬、かつてないほどに自信ある「ならここ」商品を集積しました。ざっと分野別にアピールさせていただきます。
 
☆メンズ・オンタイム分野…スーツとシャツは、オリジナルのオーダー受注を強化。価格帯も生地も選択の幅を拡げました。試着見本も充実させて既製服並みの安心オーダー。靴は当店だけの英国製別注チャーチに初挑戦。
 
☆メンズ・オフタイム分野…英国調のセーター&アウターコートの二分野にかけては、当店の内容は全国に誇ってもいいと思います。
 
☆レディス分野…バランスのとれたトータルな品揃えをあまり意識せず、得意なモノ他にないモノをぐいぐい押していくことにします。三本柱は、ニット、コート、ケープ&マフラーの纏いモノ。ほとんどが直輸入モノです。

仕込み万全、当然、過去最大の売上予算を組んでます。気合いの10年目、どうぞ大いにご期待下さい。

倶樂部余話【八十五】徒歩通勤をしています(一九九六年七月二一日)


暑中お見舞い申し上げます。

往復6㎞の徒歩通勤を始めて一ヶ月、最初はマンホールのフタばかり気にしていましたが、このごろようやく視線が上を向いてきて、様々な季節の微妙な変化にも目が付いていくようになりました。同時に、草花への知識のあまりの乏しさを恥じ、また草木を愛でる習慣のなかったことを悔いている毎日です。なんでも今最も人気の英国ツアーはガーデン巡りだそうで、私も向学のために今度の休みに蓼科の英国式庭園へ行ってみることにしました。

と、夏真っ盛りのこの頃ですが、店内は今月からいよいよ冬に向かって始動しました。正直今は何を置いても売れない時期。ならば鮮度の落ちた夏物を無理に引っ張るより、期待の大きい冬物をいち早くご紹介した方が喜んでいただけるだろうとの判断です。

セールも一段落。入店客も減って、人恋しくなっています。冷たい麦茶飲み放題、どうか涼みにご来店下さい。

 

※日経流通新聞1996年7月4日付「元気な商店主」で私が写真付きで紹介されました

倶樂部余話【八十四】店は冷やかし客のためにある?(一九九六年六月一八日)


同じ「買う」という行為でも、仕入れはバイイングと言いますが、一般の買い物はショッピングと呼ばれます。つまり、shop + ingで、原義は店歩き、買う行為ではなく店を冷やかして回ることを指しています。

テレビやカタログなど、店ではないショッピングの場合、一般商店よりも圧倒的に冷やかし客ばかりでしょう。テレビなどでは95%以上はただ視ているだけだと思います。しかし彼らは、買う客買わない客の区別なく、同じだけの情報を確実に提供してくれます。

私たち商店の人間は、つい「どうせ買わない冷やかし客だから…」と思ってしまって、カタログのように、顧客と同じレベルまで与えてあげられる商品情報やサービスの提供を怠ってしまいがちです。

近頃自分自身にややその慢心があったことに気が付き、「これではいけない!」と自省している次第です。



倶樂部余話【八十三】お手荷物は置いて、と言われたら…(一九九六年五月一四日)


「どうぞこちらにお手荷物を置いてご覧下さい」と店員に言われたら、どう感じますか。

「どうもご親切に」と喜んでくれる人もいるでしょうし、「押し売りされるのかな」と警戒する人もいるかも知れません。しかし私たちにはまったくそんな意図はなくて、ただ単純に「商品を両手で大切に扱って下さい」という切なる「お願い」なのです。

のっけからこんな話をしてしまったのは、先日、片手に大きな袋を三つほど持ちながら、もう一方の手で商品を強引に引っ張るように見ているアベック客がいまして、「お荷物を…」と三度ほどお願いをしましたが、聞き入れていただけないので、思わず堪忍袋の緒が切れて、語気を強めて注意してしまった事件があったからなのですが、それでも彼らはキョトンとしていましたから、こちらも呆れるやら、がっかりするやら…。

通販、スーパー、コンビニや百貨店と私たち専門店との決定的な違いは「会話」です。当店で会話なしに売り買いを済ますことはまず不可能でしょう。そして究極の専門店の在り方とは限りなく「家」に近いものではないでしょうか。例えば、ホストの「いらっしゃいませ」の招きの言葉に、ゲストが目も合わさずに、家の中を無言で歩き回って、何も言わずに出ていったとしたら、あなたはこの人を客人として歓待できるでしょうか。

決して冷やかし客を非難しているのではありません。どんな上顧客も初めはみんな冷やかしだったのですから。冷やかし客ほど大事な潜在顧客はいないのです。だから、とても上手な冷やかし方をする人に会うとこちらも嬉しく思いますし、逆に、下手な人には「損してるょ」と言いたくなるときがあるのです。

「店員の分際で何をほざくか」というそしりは覚悟の上、わたしとて人の子なんですから…

倶樂部余話【八十二】シーアイランドコットン(一九九六年四月一五日)


シーアイランドコットン(直訳で「海島綿」)を販売するにあたり、手元の「コットンの世界」(88年・馬場耕一著・日本綿業振興会刊)を再読した。綿の最高峰といわれる海島綿が果たしてどのくらいスゴいモノなのか、宣伝媒体でない文献で確認しなければ、と思ったからだ。

まず、この奇妙な名だが、19世紀までの生産地がジョージア州フロリダ州大西洋沿岸のシー諸島であったことに由来する。

カリブ海地方の特殊な気候でないと育たないため、経済性が悪く、しばらく絶滅の危機に瀕していたが、英国の援助のもと、今はカリブ海西インド諸島の小さな六つの島のみで生産され、英国西印度諸島海島綿協会(総裁はエリザベス女王)が一切の品質管理と販売権・価格決定権を握っている。

綿の品質で最重視されるのは繊維長で、繊維が長ければ長いほど細くて強い糸を紡げる高級綿になる。一般的な綿が27㎜、エジプト綿が38㎜に対し、海島綿は平均49㎜と1.8倍、マスティック島の英王室専用綿にいたっては実に2.4倍の64㎜と、驚くほどの長さだ。ロウ分も多く、白さと光沢、シルクのようなしなやかさも大きな特徴だ。吸湿性、耐久性は言うに及ばず。

おまけに生産量が極めて少ない。高級綿とされる35㎜以上の超長綿(これとてすべての綿の4%)のうち海島綿はわずか0.07%、しかも天候にデリケートで毎年の生産量も不安定という塩梅。

つまり誇大表示でなく、まさに「ずば抜けた」最高峰、希少価値モノで、高価格もむべなるかな、と納得した次第。

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