倶樂部余話【一二七】名バイヤーとは(一九九九年一二月二四日)


バイヤー(仕入れ担当者)とはなかなか褒めてもらえない仕事で、売れないものを仕入れれば当然ケチョンパだし、かといって売れすぎれば今度は足りないと怒られ、ぴったり売れてやっと当たり前としか評価されず、つくづく損な役回りだなと思います。しかし、百貨店なら売れ残りを返品することもできますが、当店の仕入れのほとんどは「買い取り」ですから、バイヤーの責任も重く、だからこその醍醐味もひとしおに感じます。

かつて聞いた名バイヤーの談。曰く「売れないと思って仕入れるバイヤーなど一人もいない。だが人間のすること、全部が思惑通りに売れやしない。どうしても残る。しかしその残り方に上手下手が出る。最後の一点まで売れるためにはどう残ったらいいのか考えて仕入れる。これがうまいバイヤーなのだ」この話は目からウロコでした。

さて、果たしてこの冬の私はうまいバイヤーでしょうか。我ながらいい残り方をしている冬だな、とは思うのですが…。「ファン感謝ディ」で存分にご評価下さい。お待ちしています。メリー・クリスマス!よいお年をお迎え下さい。



倶樂部余話【一二六】我が街・しぞーか(一九九九年一二月二日)


今までのこの余話で意外にも一度もまともに取り上げていない話題です。セカンド・ミレニアム最後のお代は「我が街・しぞーか」です。

家業はこの静岡の地で77年を数えますが、私自身は東京生まれの湘南育ちで、静岡へ移り住んでまだ17年に過ぎません。こちらへ来て二年ほど経った頃、「私もようやく静岡の人に慣れてきましたよ」とある親戚に言ったところ「そうじゃない。回りがおまえに慣れただけだ」と諭されたのを、なぜだかよく覚えています。

ずっと感じていたのは、静岡の人は自分たちの住んでいる町をあまり自慢しない、むしろ卑下することが多い、ということ。あまりに暮らしやすい環境は郷土愛を育まないのでしょうか。それから、地元の情報であっても、東京発でフィードバックされないと信用されないという東京指向も感じていました。また、新し物好きが過ぎたのか、観光資源たりえた古いモノをあまり大事にせずどんどん壊してしまったのは、先人の失策だったと思います。

正直言うと、私が静岡を「我が街」として誇りに思うようになったのはここ数年のことです。まず街の大きさがちょうどいい。商圏人口百万人というのは、あらゆる商売が過当競争なく成り立つ最適規模です。そして街のヘソとして中心商店街がデンと存在している。平日にこれだけ人の溢れる地方の中心商店街は、仙台や熊本以上だと思います。一一月の大道芸も市民の我が街自慢を高揚しています。きっと「静岡おでん」もそのうち日本一の評価を獲得するでしょうし、来年の大河ドラマ(葵徳川三代)は市民の郷土愛をより増長することでしょう。静岡は全国に誇れる自慢の街になり得るか、その可能性は充分にあると感じます。

転勤で去られるお客様から「この店に通えなくなるのが寂しいよ」と言われると、たとえお世辞とは分かっていても「この人にとってうちの店が静岡のひとつだったんだ」と嬉しく思います。そうか、静岡の隠れた名物・セヴィルロウ倶樂部、なんて、言われる日が来るといいなぁ、なんて自惚れちゃいますね。





倶樂部余話【一二五】イギリスとアメリカ(一九九九年一一月一日)


コーラやハンバーガーを改めて持ち出すまでもなく、戦後五十年、私たちはアメリカの影響を強く受けてきました。

しかし、忘れがちなことですが、約百三十年前、明治維新の頃から日本のお手本はイギリスでした。今とは比べものにならないほどの少ない情報量の中で、明治人は英国を学びました。

このイギリスとアメリカ、一口に英米と言ってしまいますが、この両国の性格にはかなり違いがあります。倹約家VS浪費家、古い物好きVS新し物好き、金より地位VS地位は金で買う、あるがままにVS見た目こそ大切、フェアプレイVS結果がすべて、歴史に優越感VS歴史に劣等感、旧宗主国VS旧植民地…、枚挙に暇がないほどです。

そしてこの対比は、まるで我が国の、明治大正VS昭和平成、だとも思えます。私も二十代の頃はかなりの米国大好き少年でしたが、今になって思うとかなりアメリカに洗脳されていたな、と感じます。今さら教育勅語は御免ではありますが、しかし成熟期となった日本は、米国一辺倒の呪縛を解いて、もう一度英国をお手本にし直してもよいのではないでしょうか。「戦争を知らない子供たち」は、案外と、質素で厳格な明治の人たちをカッコよく感じてはいないでしょうか。



倶樂部余話【一二四】買ってはいけない(一九九九年一〇月五日)


五月に「買ってはいけない」((株)金曜日)を読んだとき、正直こう思いました。何しろ薬害エイズを厚生省がひた隠しにするようなこの国のことだ、大企業が大量宣伝で大量販売するのだから、どこも多少のうさん臭さはあるものだろう、この内容を盲目的に信じ込む人も少ないだろうけど、でもこの本売れるだろうね。

あれよという間に百五十万部のベストセラーになり、ついには対抗本まで発売されました。(「『買ってはいけない』は買ってはいけない」夏目書房)

私が恐ろしいと思うのは、この社会現象を新聞やテレビが全くと言っていいほど取り上げないこと。スポンサーが怖いんですね。そしてやり玉に挙がった67社への質問状に59社が回答拒否もしくは紋切り型の回答(厚生省に聞いてくれ、など)という無視や沈黙の態度です。

商品を選ぶとき、誰がCMしてるかよりも、どういう企業姿勢を持った会社が作っているか、の方がはるかに大切な判断基準になり得るはずなのに、この59社は少し考えが甘かったようです。

結果として、ちゃんと答えた8社の方は評価してあげてもいいでしょう。第一パン、大幸薬品、武田薬品、日本モンサント、ビジョン、扶洋薬品、夢氷工房、マクドナルド。パチパチ…



倶樂部余話【一二三】ライセンス・ブランド(一九九九年九月一日)


小話。ある女子校での校内放送。「ハンカチの落とし物が届いてます。モリハナエさん…」

小四のうちの娘は、デイオールをスリッパのマーク、ジバンシーをタオルの印だと信じています。

これらの笑い話はどれも「ライセンス・ブランド」という奇妙な仕組みが原因です。

この秋、当店から三つのライセンス・ブランドがなくなりました。ギーブス&ホークス、スキャパ、ハケット。いずれもライセンス品を生産する日本のアパレルが、リストラの一環で撤退や縮小を余儀なくされたのが理由です。どこも本国のビジネス自体は順調で、私は直接に本国のオーナーとも面談し、そのブランドコンセプトにも敬服していたので、彼らと縁が切れるのはいささか残念ですが、やむを得ません。

思えば、当店が大幅に輸入品を増やしていた頃、同業の仲間から「そんな商売は危ない。大手のライセンス品を扱うのが最も安全な仕入れだよ」と揶揄されたものでしたが、時代は変わったものです。元気なアパレルは小売店に商品を卸さず自前で店を持つようになり、元気のなくなったアパレルはリストラでいい商品が作れなくなっています。結局、国内外の小さくてもイキのいいメーカーから、好きな物を好きなだけ仕入れるのが最もリスクのないやり方だという時代になったようです。

私は決してブランドというもの自体を否定はしません。商品を選ぶ判断材料としてブランドは最も重要な手掛かりのひとつです。ただ「似て非なる」あるいは「ありえっこない」ライセンス商品は、もういい加減にしようよ、と思うのです。

最後に今度はクイズです。以下のデザイナーの性別と存命か否かを答えて下さい。①クリスチャン・デイオール、②イブ・サンローラン、③ニナ・リッチ、④ミラ・ショーン。

 

※解答…①男性、死亡。②男性、存命。③女性、死亡。④女性、存命。

 

倶樂部余話【一二二】旅行地理検定試験(一九九九年八月一日)


「もし無人島で一生一人で暮らすのに一冊だけ本を持っていけるとしたら?」との問いに、私は迷わず、高校で使う地図帳を挙げます。そのくらい地理は大好き科目で、小学生時代は世界中の国名と首都を暗記しているのが自慢の種、70年の大阪万博(当時中一)は一週間通い詰めて全パビリオンを制覇しました。

日本交通公社(JTB)の関連団体が年に二回「旅行地理検定」という試験を実施しています。国内、海外、鉄道の各部門に加え、毎回二~三ヶ国の国別試験があり、今回は、アメリカ、スイス、とイギリス。ひとつ運試しにと、先日静岡会場でイギリス編を受験してきました。

別に何の資格試験でもなく、最高得点者には「博士」の称号というまったく趣味丸出しの試験で、観光専門学校生や旅行会社の職員に混じって、旅行マニアとおぼしき年配の姿も見受けられる会場で、六〇分一〇〇問のマークシートテストは始まりました。

いや細かい、難しい。コッツウォルズの寒村の名など地図上だけで分かる奴などいるものか、と悪戦苦闘の一時間。イギリス博士の勲章はおろか、英国を標榜する店の店主としてははなはだ不本意な成績で、結果は79点でした。

(後日、詳細な成績結果が届き、最高点が88点、平均が57点で、私は全受験者数159人中で堂々の第七位でした。ホッとしました。)

 

 

旅行地理検定は今も続いていますが、国別試験という分野は廃止になりました。

 

ニコラス・モスの共同購入会、始まる。

 

倶樂部余話【一二一】ファン感謝ディ(一九九九年七月三日)


年二回のファン感謝ディもこの夏で六度目になります。

「酒飲ませて手土産も付けるセールなんて前代未聞」と同業者からは評されますが、私たちはこのイベントを単なる先行優待セールとは捉えていないのです。前にも書いたように、セールをするのはあくまで売る側の都合なのに、その都合を客に押し付けるだけで客が喜ぶとは思えません。ならば、顧客の来店が集中する機会だからこそできる特別なサービスで、日頃の謝意を表したい、ついでに自分たちも楽しんでしまおう、という「感謝の日」なのです。

今回は、酒屋さんに無理をお願いして、イギリス製の白ワインを取り寄せました。一緒に試飲したソムリエによれば、珍品というだけでなくなかなかのテイストとの評価。ついでにこれまたイギリス製のチーズも用意しました。また、ご存知ギネスのグラス売りも新方式で再開します。

ファンの皆様だけに開催する貸切の特別な四日間です。ご来店をお待ちしています。

 

※当然だが、もうこんなイベントは実施してません。(2013年記す)

倶樂部余話【一二〇】ずぼらな筆者よりお願い(一九九九年六月三日)


血がO型のせいか、性格は基本的にずぼらな方で、整理整頓はかなり苦手なジャンルです。

延々続いているこの月例通信にしても、過去の資料をしっかりと保存しておく、という作業を怠ったままでしたが、事務スペースがあまりにも繁雑を極めてきたので、このたび一念発起、全百二十回分のバックナンバーをファイルすることにしました。

第一号が88年九月ですから、足掛け十一年、懐かしい話、忘れていた事、いろいろ飛び出してきて、楽しい活動記録となりました。自分でもよくここまで続いたものだと、感慨もひとしおの思いです。

しかし「全部フロッピーに保存してあるから大丈夫」と、高をくくっていたのが甘かった。肝心のフロッピー自体がどうしても一枚見当たらず、二回分だけが欠けてしまうという羽目に陥りました。

というわけで、古くからのメンバーズの皆様に情けないお願いです。七年前の第四四号(99年八月)と第四七号(同年一二月)をお持ちの方、ぜひ当店までご一報下さいませ。ずぼらな筆者より。



倶樂部余話【一一八】人のスピード(一九九九年四月六日)


 

昨年冬、ティーンズ市場で白のダッフルコートがバカ当たりした時のこと、あるところではわずか一週間でこの売れ筋をドカンと作って売りまくったそうです。恐るべきスピードです。その代わりこういった店では売れない物はいくらいい品でもたった一カ月で処分に出されます。つまり、この店の商品の寿命はわずか一ヶ月しかなく、客もその間に買わないといけないわけです。何か強迫観念さえ感じますね。

ところが人のスピードというのはそんなに早くない。欲しいなと感じてから買おうと決めるまで、もちろん衝動買いというものもあるでしょうが、概ね一~二ヶ月掛かることはざらですし、一年以上思案するお客様だっているはずです。

つまり、モノ(文明と言い換えてもいいかもしれません)のスピードがものすごく早くなってしまい、ついに人間のスピードが追いつけなくなってきた、ということでしょうか。早く・効率的に、という便宜に、そろそろ人はノーを言い出しているように感じます。

当店も、ファッションを扱う以上、流れに乗ることは当然に大切です。しかし、停滞せず、はたまた早すぎず、「人のスピード」を守っていきたいものだ、と強く感じるこのごろなのです。



倶樂部余話【一一七】ユニバーサル・デザインってなに?(一九九九年三月一五日)


この春の新商品を眺めると、新しい時代の流れが少し見えてきたような気がします。

ひとつは、クラシックとハイテクとエコロジーの融合です。二十世紀に滅びずに生き残った古典的「伝統」、二十世紀に生まれた最新の「技術」、二十一世紀の最大の関心事になるであろう「環境」、この三つがうまく溶け合って取り入れられている商品は、今かなり魅力です。例えばコンランや無印良品のインテリアや文具など。ナチュラルなコルク材とメタリックグレーのスチールとの組み合わせはとても心地好く感じます。

逆にどれかひとつに固執し続けているとダメになっていくでしょう。ロールスロイスがフォルクスワーゲンに買収されたように。

あわせて「カッコいい」という意味が変わってきているように思えます。「ユニバーサル・デザイン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。最近では「バリア・フリー」と共に主に福祉や介護の分野で語られていますが、荒っぽく言うと、一昔前はハンディキャップト(障碍者やお年寄り)には一般とは違う特殊な商品を開発していましたが、今後はそうではなくて、どんな人にも区別なく共通な(=ユニバーサル)同じ仕様(=デザイン)のモノで対応できることを目指すべきではないか、という考え方を「ユニバーサル・デザイン」と呼んでいるようです。つまりハンディキャップトに良いモノはそうでない人にも良いはずだ、という発想が大きな流れになったのです。うがった見方をすれば、ジッパーやマジックテープを多用した服や靴が流行るのも、年寄りに良いモノを若い者が使うのがカッコいいんだよ、ということでしょうか。今、竹下通りでは五本指のソックスが売れているそうですが、若い連中はこの流れを本能的に嗅ぎ取っているのでしょうか。

さて、この手の話を大上段に語ると、いつも妻にたしなめられます。「あなたがそんな話をエラそうにしても、全然説得力ないわよ」「どうして?」「だって、あなた、一向にタバコ止めないじゃないの」いや、耳が痛い。