倶樂部余話【一五五】紳士服と婦人服(二〇〇一年一二月一日)


紳士物だけでスタートした当店ですが、徐々に増やしてきた婦人物との比率が、この冬で半々になりました。

同じ洋服でも、紳士と婦人ではかなり性格を異にします。婦人服出身で紳士に進出した同業者からは「どうして男ってのは、こんなにノロいのか。」とよく言われます。確かに、流行、入り方、売れ方、どれをとっても男の動きはかなりスローですし、物心ともに我慢強さがないとやっていけないのは事実でしょう。

それでは、逆に紳士から婦人へ進んでいる私はどうかというと、まず、婦人の市場にはあまりにも意味のない服が溢れている、と感じます。と言うのも、男の服というのはそれぞれに何らかの意味を持っているものだし、その意味を的確に伝えていくことこそ販売という仕事だと考えているからで、自然と婦人にもそれを求めてしまいます。 そしてその「意味のある女の服」が当店の特徴になったのではないかと思うのです。

男の方について厳しく言えば、どれでもあります、いつでもあります、の商売に店も客も今までいかに甘えてきたか、を実感します。 動きがスローでしかもサイズが多い、とあれば、キャッシュ&フロー重視の時代に生き残るのは大変です。

悔しがる男性もいれば、喜んでいる女性もいるでしょうが、婦人の市場規模は紳士の四~五倍あるのですから、半々というのは未だ紳士が健闘しているともいえますし、カップル客の多い当店にとっては、理想的状態だろうと思います。

例えばギフト需要など、紳士も婦人も両方あるからこそ対応できるという要素は随分とあり、それが現在の当店の最大の強みではないかと感じています。

 

倶樂部余話【一五四】化石な人(二〇〇一年一一月一日)


私が「化石」と呼ぶものがあります。

例えば、IYドーが販売権を持つケント、洋服のAが商標を獲得したエーボンハウス、あるいは、雑誌のメンズクラブ。かつての栄光は認めますが…。

化石な人、という人種もいます。分かりやすくするため極端に言いますが、ノータックに固執し遂に2タックのパンツをはきえなかった人。過去の知識だけをひけらかせて、揚げ句に、欲しいモノがない、と怒ってしまう人。

メンズのファッションの流れはゆったりとはしていますが、今大きな変化の時期を迎えているところです。そして、それは再びノータックに向かって動いているのです。ここであなたは、その流れを吸収できる柔軟さを持てるか、それとも、流れに乗れず頑固に2タックを貫くか。ここが若さと年寄りの、進化と化石の分かれ目になります。

もっとも、当店は流れの最先端にいる訳でもなく、何も明日からすぐにノータックだけ、などとは言いません。 ただ、そういう流れにあるのだな、と踏まえていてくれればよいのです。

「買いたくても買えないんだよ」という男性諸氏の悲鳴が聞こえてきそうな昨今の経済情勢です。でも興味や関心までなくして欲しくはない。化石な人を増やしたくはないのです。 

倶樂部余話【一五三】ドレスシャツのついての一考察(二〇〇一年一〇月五日)


ネクタイなしのスーツ姿と言うと、どうしても汚職で逮捕された代議士を思い浮かべてしまいます。(自殺防止のため、タイとベルトを没収されるらしい。)イタリア人はそう見られないための免罪符を考えつきました。タイなしで衿元が目立つのを逆手に取り、そこにもうひとつのボタンを付けてしまったのです。Due Buttoni(二つの釦)と呼ばれています。

これと良く似た現象が実は約百八十年前に起きています。ポロ競技の際、シャツの衿元が動くのを邪魔に感じたアメリカ人、ヘンリー・ブルックスが考案した、ボタンダウンシャツ(ポロカラー)です。

二つの共通点は、本来不必要な箇所に釦を付けるということで、シャツの着こなしの幅を大きく広げたということです。 この余計な釦がマヌケになりそうな衿元を救っています。「タイが嫌で外してるわけじゃない、意識してタイを付けてないのです。」という主張が生まれます。

ただ、ボタンダウンが今では完全にカジュアル化したのに対し、Dueの場合、まだカジュアルというよりもドレスダウンと言った方がふさわしく、ヨレヨレクタクタのシャツではサマになりません。ドレスシャツとしての上質さが必要です。

そこで、上質なシャツを見分ける一つのコツを伝授しましょう。背中を見て下さい。スプリットヨークといってヨークの真ん中に縦の縫い目のあるシャツ、こう縫ってあるシャツは間違いなくいいシャツです。但し、こうなっていないものでもいいシャツはあります。逆は真ではないのでご注意を。

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倶樂部余話【一五二】クラシコ・イタリア(二〇〇一年一〇月五日)


「質問です。クラシコ・イタリアとセヴィルロウは矛盾しないのですか?」

クラシコ・イタリアとは、元来、伊の有力紳士ブランド19社の加盟する「クラシコ・イタリア協会」を指すのが狭義ですが、要はイタリアン・クラシックのこと。紳士服業界で、クラシックとかトラディショナルという言葉はブリティッシュと同義であり、言わば、伊から見た英です。20年ほど前、アメリカン・トラッドが席巻しましたが、その頃英米で出稼ぎしていた伊の熟練職人が今母国へ戻って活躍しているのです。 また、すでに英米独では消えつつある手仕事の技が、工業化の遅れた伊では最後まで残ったという事情もあります。正直、私は伊にはそんなに詳しくはありませんが、伊の英好きは想像以上らしく、「英国気質」な店が数多く見受けられるそうです。

つまり、英から伊へ軸が動いたわけではなく、一つの円を内側から見るか外側から見るか、ということです。

対して、本家セヴィルロウも大きく変わりつつあります。旧態依然とした店は淘汰され、伊の良いところを拒絶せずに取り込んでいく店が増えてきました。一昨年訪れた時には、外れに、「サルトリア」(伊語で仕立て屋)という名の伊料理店までできていて、私も驚きました。 英が伊っぽくなっているという実例です。

こうして、伊は英よりも英的なスーツを目指し、英は伊に負けじと革新を進めている、この切磋琢磨の中で、結果、両者のモノ作りがとても近いものになっているという、やや分かりにくい状況が、現在のクラシコ・ブームだと言えます。

当店は「英国かぶれ」ではなく、「英国気質」を標榜する店。答えは是です。

 

倶樂部余話【一五一】アランセーターの誕生秘話(二〇〇一年一〇月五日)


「アランセーターは、アイルランドのアラン島で、六世紀の昔から編まれている白いフィッシャーマンセーターで、編み柄には 祈りを込めた意味があり、その組み合せは家々によって家紋のように異なったため、それで溺死者の身元が判別できた。」これが従来言われている「アランセーター伝説」です。が、私の研究調査によって分かった真実はこうでした。

今から百年程前の19世紀末、政府はアラン諸島に漁業振興政策を施し、島には多くのスコットランド人漁師の家族が出入りしました。島の女たちは、彼らが着ていたガンジーセーターの編み方を教わり、更に独特の美的感覚から、その模様編みは次第に装飾を増していきました。

同じ頃、島からボストンに出稼ぎに行った一人の女性が、どういう理由か島に戻ってきます。彼女は編み物の天才で、ボストンで見た様々なセーターの編み柄を全て習得していました。島の女たちは、彼女からも貪欲に編み物を教わりました。

普段編むのは紺色でしたが、教会の元服式に際し、母親は息子のために飛びっ切りの白いセーターを編んだのでした。ここに白いアランが誕生したのです。

一九三五年、ある民俗品収集家が島にやってきて白いアランを見つけ、ダブリンの自らの店に置きます。翌年、その店を訪れた英国の服飾評論家がこれを発見し、英国服飾業界に大きく紹介しました。「アラン島では豪華な模様入りの白いセーターが昔々から編まれています。」と。

そして、戦後、アランセーターは米国で大ブレークするのですが、その話はいずれまた。もしくは店頭で。

倶樂部余話【一五〇】十五年目の秋(二〇〇一年九月一日)


九月です。暦を知らない蝉法師や向日葵が心なしか気の毒に思えます。

ところで、三月と九月はどちらが暑いかお分かりですよね。なのに、洋服屋は、三月に暖房を入れ夏物を売り、九月に冷房を効かせ冬物を薦めます。 季節の先取りは当然としてもあまりの行き過ぎもどうか、と少し考えを改めました。従来は、九月中にできるだけ真冬物まで仕込んでしまって、さぁどこからでも掛かって来い、という姿勢でしたが、 今年は冬物の仕込みを意識的に遅らせようと考えています。

具体的に言うと、レディスはふた月先に着るものまで、メンズはひと月先のものまで、というのを入荷スケジュールの基本としました。つまり、メンズの展開はレディスよりひと月遅れとなるわけですね。 これは経験則から適性な時差だと思います。

言い方を変えれば、今までよりも秋物をしっかり見ていただきたいと言うことでもあります。従前から得意のセーターやジャケット、アウターばかりに偏重せず、シャツやボトムスにもオススメはたくさんあるのです。

余話第百五十号、当店十五年目の秋は、いつもより少しスローにスタートいたします。



倶樂部余話【一四九】本の原稿を書き上げました(二〇〇一年八月一日)


「アランセーターの本を書いてるんですよ。」と、事あるごとに言い続けてきましたが、とうとうその原稿が出来上がりました。執筆を思い立ってから約四年、 原稿書きに着手して一年半、ようやくの完成です。

私の十四年前のアランセーターとの運命的な出会いから始まり、このセーターがいかにして世界中に知られるようになっていったのか、またよく言われる伝説についての真偽、そして、産地であるアラン諸島における 現状と将来など、「あらん限り」を書き尽くしたら、四百字詰原稿用紙にして三百枚近い量になりました。

恐らくこの完成に一番安堵しているのは、ワープロ打ちに没頭のあまりおろそかになる私の業務を幾度となくフォローせねばならなかった相川嬢ではないでしょうか。

現在、何人かの方に試読をお願いしている段階で、いつ、どこから、どのようなかたちで発表するのかは、まだ全く未定ですが、壮大な自由研究をやっとこさ仕上げられたことを、悦に入っている自分なのです。

本の中身について、もっと知りたい方はお尋ね下さい。但し、かなり長くなるのは覚悟していて下さいね。

倶樂部余話【一四七】冷やかしの心得(二〇〇一年六月一三日)


出張の時など、私もいろんなお店を冷やかします。業界用語でシカチョー(市場価格調査の略らしい)といいます。 今回は、小さいお店を冷やかす際の私の心得をお話します。

☆入店したら「ちょっと拝見させて下さい。」と一言。ままならぬ場合も、最低、店員と目を合わせ会釈を。

☆店内を一周。興味あるときは、手荷物を置かせてもらい、もう一周。

☆店員に話しかけられる前に、こちらから切り出し尋ねる。商品のことでもいいが「このお店、いつできたの?」とか 「定休日は?夜は何時まで?」など、店員の接客態度が伺える事項なら何でもよい。ここから店員がどう突っ込んでくるかが見もの。

☆もし何か買う物があったときには、たとえ自家用でも、なるべくギフトとして包んでもらうようにする。

☆退店時には「ありがとう」の一言。満足しようとしまいと、店員の労を煩わせたことに違いはないのだから。

さて、賢明な読者はもうお分かりでしょう。この態度は、そのまま立場を入れ替えると、「この人のお役に立ちたい」と私に思わせてくれるお客様の好例なのです。



倶樂部裏話[2]ご友人のご紹介について(2001.4.26)


 メンバーズのお客様が、新しいお客様をお連れになって、お見え下さることがあります。まるでスタッフのように、当店の品々をご友人に紹介してくれて、 とてもありがたく感じます。
 類は友を呼ぶ、というごとく、そのご友人の嗜好もまた、当店好みであって、今後も末永くお付き合いいただけるだろう、と感じられる方には、こちらからお願いして、お名前ご住所などのプロフィールをご記入いただき、新しいメンバーズに 加わっていただくことになります。
 ところが、良くも悪くもかなり偏った嗜好の当店ですので、せっかくお連れいただいたご友人の方といえども、明らかに「この人は違うな」と思える方もおいでになるわけです。
 そんなときに困ったことが起きます。お友達同士の会話の中で、「私のところにはこの店から毎月ハガキが来るんだけどね、これが結構面白いんだ。」「そうだ、ねぇ、野沢さん、毎月のハガキ、この人にも出してあげてよ。」
 こう、お客様から言われては、そのご友人の手前、お断りする訳にもいきません。お名前やご住所を頂戴し、ご案内を出すには出しますが、失礼ながら、まぁ、ほとんどといっていい程その効果は見込めません。そのまま 一年後に非来店客のリストに載り、継続希望か否かを催告するも何のお返事もなく、スリープ客のファイルに移されていくというのが、オチです。
 よく、うちのコンピューターには何千人のデータが入っている、とその数の多さを自慢する店がありますが、多けりゃいいというものではありません。客でもない人にDMを発送したって、それは自己満足であり経費の無駄であります。 我が家には九年も前に他界した母に着物屋からの年賀状がいまだに届きます。
 当店では毎月20~30人の新しいメンバーズが加わっているにもかかわらず、総数は年間で100名も増えていません。失礼な言い方ではありますが、名簿を見直し、「ふるい」にかける作業を年に2回徹底して行っているからです。 もちろん「ふるい」は単に買い物金額だけではありません。良く言えば総合的に、有り体に言えば独断と偏見で、じっくりと見分けております。
 つまり、いささか恩着せがましく聞こえるかもしれませんが、この裏話をこうして、お読みできる方というのは、当店から選ばれた大切なお客様だけだということなのです。
 物販店の宿命として、来る人を拒むことはできません。しかし、専門店として、店が客を選ぶことは必要だと考えます。ですから、当店のメンバーズとは、店のほうからお願いして加わっていただくものなのだということを、どうかご理解願います。
 もちろん、お知り合いの方にはどんどん当店をご紹介いただきたいと願っております。 しかし、いくらあなたの知己といえども、その方をあなたと同じような優遇に処させられるとは限りません。その判断は一旦当店にお委ねいただきたい、と思うのです。(弥)