【倶樂部余話】 No.215 服もアルバム (2006.12.2)


 服もアルバム、と私は店内でよく言います。これは、着なくなった服をどうするか、という話題になると出るネタ話です。
 古い写真を、昔のものだから、まずもう見ないから、といって捨てる人はいないでしょう。また、古いレコードを、もう聞かないからと処分してしまった人も少ないと思います。嬉しかったこと悲しかったこと、数々の思い出が詰まっているのですから、あっさりと捨てられるはずはありません。
 服だって同じです。思い出のある服はそう簡単に捨てられませんよ。写真もレコードもどちらもアルバムと言いますよね、ならば「服もアルバム」でいいじゃないですか、と言うのが冒頭の言なのです。
 ところで、ユニクロさんが、リサイクル運動の一環として、フリース衣料を始めとする自社製品の回収を呼び掛けたところ、戻って来るは戻って来るは、予想を大きく超える回収量に大慌てだったと聞きました。これには仕掛けた方も嬉しいやら悲しいやら、きっと複雑な心境だったのでは、と思います。もし自分が仕入れて自分で熱心に売った服がその後何の愛着もなく使い捨てにされるとしたら、私なら悲しすぎて涙が出てくるかもしれません。
 賢明な読者はもうお分かりだと思いますが、将来に捨ててもいいと思うだろうような服は極力買わないこと、そして自分のクローゼットを美しい思い出のアルバムとして整然と作り上げていくこと、これがどんなリサイクルにも勝る何よりの資源保護への道だということを。この点では、英国人の姿勢というのはひとつのお手本になり得ます。
 そう、だから服は捨てられない…。(弥)    

倶樂部裏話[12]禁煙しました(2006.11.19)


 私の禁煙の話です。ですから、もともと吸わない人で禁煙になんかまるで興味のない方には全くつまらない話だと思います。どうかご勘弁願います。でも、吸う人で、やめようかな、と少しでも考えている方、または回りにそういう人がいる方にはちょっとはお役に立てるかもしれません。

 自分自身それほど意志の強い人間とは思えないので、私がタバコをやめるのには、きっと医師の助力とニコチンパッチの使用が必要だろうな、とずっと思い込んでいました。(今思うと、それは未知なる禁断症状への恐怖感にほかならなかったのです。) 長らくそれらは保険適用外で、「タバコをやめるのにタバコ代以上のお金が掛かるというのは何だか納得がいかない」と変な理屈を付けて、家族の非難の目を浴びながらも吸い続けていたものでした。
 それが、四月には医師の診察が、そして六月からはニコチンパッチと、どちらも健康保険の適用が利くことが決まり、遂に禁煙代はタバコ代よりも安くなってしまうことになりました。おまけにいよいよ七月には大幅な値上げが決定と、段々と外堀が埋められてきた、という雰囲気で、そろそろ潮時かなぁ、と感じ始めたのが五月頃でした。

 そこで、以前にある人から「知人のヘビースモーカーが読んだだけでやめられた、すごい禁煙の本があるよ」と聞いていたので、それを一冊買いました。アレン・カー著「禁煙セラピー」(KKロングセラーズ刊)という本です。現実に一番売れている禁煙本らしいので書店で平積みになっているのを目にした方も多いと思います。それが六月始めのことでした。そして、半信半疑な心持ちのまま、のんぴりペラペラとそのページをめくり始めたのです。
 結論から先に言いますと、私は見事にこの本の術中にはまってしまい、医師やニコチンパッチの手助けを一切借りることもなく、わずか九百四十五円の本一冊で禁煙を決断したのです。その日その時は六月三十日の午後七時。約一ヶ月の間プカプカ吸いながらだらだらと読み進んでいた件の本を読了したその瞬間、ポケットからタバコを取り出して「よし、やめた!」とゴミ箱にドスンと投げ捨ててしまったのですから、脇で見ていた相川は目を丸くして驚いていました。ちょうど、まさにあと五時間後にはタバコが一斉に値上げになるという寸前のタイミングでの出来事でした。きっとそのまま何もせずに一晩明けていたら、私は値上がりしたタバコを今も吸い続けていたかもしれません。その本を読み終えたタイミングが絶妙に良かったのでしょう。
 ニコチンパッチこそ使うことはありませんでしたが、しかし禁断症状を緩和させる「気休め」にはいろいろお世話になりました。中でも、「禁煙パイポ」と「エビオス」のふたつは、何よりも有効で、感謝状を差し上げたいぐらいです。

 さて、禁煙して良かったこと、となると、これは枚挙に暇がないほどで、しかも書いたところで当たり前のことばかりなので、ここでは触れませんが、当然いいことばかりではなく、禁煙したことの弊害というのも少なからず発生するのです。
 その一は、まず、太りました。タバコやめて四ヶ月で五キロ増ですからかなりのもんです。そして体重増を支えきれず膝を痛めました。
 その二は、これが困ったことに、とても遅筆になったことです。私が一番タバコを吸うのが、ワープロで文章を打っているときでした。「文章を考える」という仕事と「タバコを吸う」という所作は、私の習慣として一体化していたのです。これを切り離すのが結構大変でして、パイポ、エビオス、そしてコンビニの百円袋菓子などを総動員してパソコンの前に向かうのですが、それでも文章は進まず、全くまとまっていかないのです。正直申し上げると、七月から九月あたりまでに書いたものを今読み直すと、一体自分で何を書いていたのか、と思うほどに集中を欠いた出来となっていて、情けない気持ちになります。この裏話のWEBへの掲載も予告より遅れてしまいましたし…。

 まあ、吸ってた期間が三十五年に対して、やめてからはたったの四ヶ月余りですから、まだまだいつまた吸い始めることやら、というところで、言うなれば禁煙初心者であります。未だに夢の中では普通に吸っている自分が出てきますから、これも禁断症状のひとつなのでしょうね。ただ、ありがたいことに、やめなきゃ良かった、と思ったことはこの四ヶ月で一度もないのですね。やめられてホント良かったなぁ、と、かの本の著者アレン・カーさんには感謝の限りであります。
 ひとつ不満は、結構大変な決意でやめたにもかかわらず、家族からの評価が低いこと。なので、これからタバコをやめようとする人が回りにいる方へお願いしておきます。見事に禁煙に成功したなら、うんと誉めてあげて下さい。それだけでその人の禁煙の決意はより確固たるものになっていくのですから。(弥)

※追記
 この原稿を書いてから、わずか十日後の11月29日に、アレン・カーさんが、肺ガンで亡くなりました。享年七十二才。ヘビースモーカーだったのに四十九才で禁煙し、その経験から「禁煙セラピー」を著し、世界で二千五百万人以上を禁煙に導いたそうです。そして彼と同じ四十九才で禁煙した私もその二千五百万人の一人となったのでした。つまり、私もここで禁煙したのですから、たとえ将来肺ガンになるとしたとしても、それでも七十二才まであと二十三年は生きられるというわけですよね。
 あらためて深く感謝するとともにご冥福を心よりお祈りいたします。(弥)

【倶樂部余話】 No.214 店舗優先主義ではいけないのか? (2006.11.12)


 ホームページに次々と商品を載せていますが、だからと言って私たちは決してネット通販への参入に積極的なわけではありません。むしろホームページを設けている目的は「この店に行きたい」と感じてもらうことであり、あくまでも来店促進を主眼に置いているのです。
 確かにウェブの技術革新はめざましくて、動画の処理も日進月歩、近ごろは携帯電話の小さい画面でも服が買えます。でも、どれだけITが進化しようとも、服というのは、最適な店舗環境の中で、見て、触って、試着して、できれば店員とも充分に会話もして、そうやって扱ってあげるのが本来の姿なのだと私たちは考えます。服を売るという場合に関して言うと、ネットに実店舗の代役が完全に務まりきれるとは到底思えないのです。
 そのうえで「忙しくて」とか「遠いので」などの様々な理由からどうしてもご来店いただくことが困難な場合にも対処するために、ご来店なしでも商品販売ができるように決済体系を整えておき、顧客の便宜を図る、というのが私たちの通販に対する考え方なのです。
 このスタンスは、一度でも実際に店舗でお相手した方には割とたやすく分かっていただけるのですが、時として理解してもらえない場合もあります。テレビなら地域別に提供情報を区別するのが普通ですが、ネットは当然ながら全国いや世界中に同時配信です。これが善し悪しで、たまに「静岡なんてそんな遠いところに行けるわけがないだろ!」と「それって店のせいなの?」と、筋違いに怒られたりします。
 時代に逆らっているように聞こえるかもしれませんが、開き直って声高に言います。当店は何よりも店舗での接客販売を優先します。通販はそれを補完するひとつの手段であって、目的ではないのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.213 品格のため行き過ぎに注意しましょう (2006.10.12)


 「小さめに着ましょう」という流れはほぼ定着したと言っていいでしょう。さすがにツータックのスラックスが欲しい、というお客様も見受けられなくなりました。自分の体型と寸法を正しく把握する、という意味ではこの傾向は決して悪いことではないと思っています。
 ただ、これも中庸がなによりであって、近頃はちょっと行き過ぎじゃないの、と感じています。どうしてもファッションの常で、ひとつのトレンドは必ず極端に度を超すほどに一気に突き進んでから揺り戻しがあって落ち着きを見せるものなので、まあやむを得ないところもあるのですが、前ボタンも留まらないほどパツンパツンのジャケットやコート、お尻の山がクッキリのパンツやスカート…、これはもう、ジャストフィットを通り越して、ただサイズの合わない小さいサイズを着ているにすぎず、もう見苦しいだけです。
 それから、メーカーが作るサイズ設定も必要以上に小さくなりすぎているように感じます。これは売上データを瞬時にコンピュータで分析するPOSシステムの悪影響かもしれません。つまり流行に敏感な若い人ほど早く買いますから、当然小さいサイズの方が早く売れ始めます。分析データは、早く売れるものほど良い評価で、遅くまで売れないものはダメな商品と、と判断しますから、どうしても大きいサイズは不利なのですね。
 さて、当店もそして当店のお客様も、ある意味で大変流行に敏感であります。というのは、流行ってきたぞと感じると早めに「引き」の姿勢を見せる、ということなのです。お客様からはこんな声が聞かれます。「そりゃ小さめに着ろっいうのは分かるけどね、あんまりピタピタじゃお腹もあたるし、無理に若ぶったように見られるのもシャクだろ。それに、近頃じゃ、そうやって『ちょいワルおやぢ』してまだ女にモテたいのかい、って思われちゃうしねぇ……。」
 こういった声が最も顕著に出てくるのがスーツではないでしょうか。と言うのも、ちょっと前までぼろぼろ&だぼだぼのスタイルを好んでいた若い人たちの間で、スーツを着るのがひとつの流行りになってきたようなのです。例外なく誰もがイタリア系のサラサラで黒っぽい生地でまるでウエットスーツかボディタイツのような極細のシルエット。馬子にも衣装のたとえの如く、誰でもスーツを着るとちょっとはお上品に見えるのが普通なのですが、なぜかそういう品格を感じない。ピタッと着ているのだからだらしないはずはないのですが、どうしてなんでしょうか、(チンピラアンチャン風)なんですね、失礼ながら。
 というわけで、他のアイテムはともかく、スーツに関しては、そろそろ大人と若者の一線を画さねばならない時期に来たか、と感じます。さらにもう二歩三歩ほど流行から遠ざかって俯瞰する必要があるようです。当店に求められているスーツは、流行の最先端ではなくて、十年着ても時代遅れにならず堂々と着ることのできるスーツであるはず。手仕事を多用した構築的で立体的な高い縫製技術、打ち込みのしっかりした重厚感としなやかさを兼ね備えた英国服地、頑固過ぎずトレンド過ぎずの普遍的なパターン、この三位一体で「最初に出来上がった時はまだツボミ、しばらく着ていくとそこで花が咲く」という英国服の持ち味をよりハッキリと目指したいと思っています。(弥)

【倶樂部余話】 No.212 「何も考えていない客」とは (2006.9.3)


 全国紙に全面広告を出すような著名ブランドと当店が扱うようなブランド、どんな違いがあるのでしょうか。
 確かに、イタリアのインコテックスのパンツ工場やスコットランドのウィリアム・ロッキーのニット工場では、聞けば誰でも知っているような有名ブランドの製品をも作っていますし、ネクタイのドレイク氏やドゥエ・ビランチェの多田氏は大手アパレルの仕事も手伝っています。だから、我々のブランドの方がはるかに生産者との距離が近い、と言えますが、違いはもちろんそれだけではありません。
 私は、あちこちのメゾンブランドの外国人経営者が常々口にしている「日本の客は世界のどこよりもモノの良さが分かり目が肥えていて評価の厳しい、最高に素晴らしい客」といったようなコメントを「そりゃリップサービスでしょ」と感じていましたが、私のその印象が間違いなかったことが分かりました。あるシンクタンクが「有名ブランドを買っている人はどういう考えでそれを買うのか」という深層心理を調査したのです。(「第三の消費スタイル/日本人独自の"利便性消費"を解くマーケティング戦略」野村総合研究所) そこで、案の定というか、仰天な結果が出たのです。『何も考えていない客ばかり』と。
 つまり「みんなが持ってて安心」「品質さえ良ければあとは大してこだわらない」「悩んで回るのは面倒くさい」という利便性を重視したコンビニ的な消費性向が強く現れていて、従来ならブランド消費に付きものの「そのブランドがどこよりも大好きだから」「そのデザイナーの生き様に憧れて」といった付加価値に重きを置く思考はわりに少なかったのでした。
 批判を恐れず極論するならば、ビッグな著名ブランドになればなるほど何も考えていない客に支えられている、という構図となり、ブランドイメージを訴えるだけの一面広告が多いのもそりゃ道理だわぃ、と、私は溜飲を下げたのでした。
 私どもの店で「面倒くさいからコレでいいよ」という動機のお客様はまず存在しませんから、冒頭の違いはこのあたりの思い入れ具合の差にあるように思えるのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.211 シャツを直そう (2006.8.1)


 スーツやパンツは、リペア(お直し)の依頼の多い代表選手です。靴の修理の持ち込みも増えました。それらに比べて「まだまだ少ないな」と感じるのが、シャツのリペアです。オーダーで作ったシャツに限ることなのですが、衿や袖口が擦り切れてきたらそこだけ新しく作り替えることができる、というのは、案外知られていないことなのかもしれませんね。
 ただし、運良く同じ生地の在庫がまだ残っているということは稀で、大概の場合には白無地の生地で代用することになります。つまり衿と袖口だけが白いという変わったシャツは、もともとはリペアを好む英国の倹約家のシャツとして登場したものなのです。このシャツ、見掛けが牧師(cleric)っぽいことから「クレリックシャツ」と呼ばれていますが、これは全くの和製英語でして、実際の聖職者の衣装とは無関係な造語なのです。まあ、要は英国紳士にはケチが多いということでしょうか、エルボーバッチ(ひじあて)と同様に、これも英国的倹約主義が生んだファッションのひとつなのだと言えるでしょう。
 一年で一番暇な月の八月はリペアを積極的に受けることにしました。修繕や寸法直しだけでなく大改造も相談に乗ります。面倒がらずにどうかご持参下さい。(弥)

【倶樂部余話】 No.210 六十の手習い (2006.7.1)


 「六十代男性をお洒落に見せる秘訣があったら教えて下さい。」と問われた故石津謙介氏は、「そんな魔法はないよ。六十年の間どういう興味を持ってきたかが自然に現れてくるのがお洒落な六十代の服飾なんだ。六十になるまで服装に何にも関心のなかった男に今さら周囲がいくら言ったところでもうどうこうしようがないだろう。」と一蹴されたそうです。
 このことは、今の国会議員たちのクールビズを見れば、誰の目にも一目瞭然のことと思います。
 ところが、六十の手習いというか、突然変異のようにある日から突然にお洒落に目覚める、というケースも時にはあるのです。イタリアへ家族旅行へ行ったのがきっかけだったという方もいれば、今まで服を自分で選んだことのなかった方がご家族に当店まで無理矢理連れてこられて、それ以来お一人でぶらりとお越しになってお買い物を楽しんでいかれるようになった方など、そんな実例も私は今まで数多く見ています。
 何も皆が皆、雑誌が煽るようなちょいワルおやじを気取る必要は全くと言っていいほどないのですが、ファッションが若者や女性だけのものではなく、大人の男の服飾だってずっとずっと奥が深く楽しいものだという、欧米では半ば常識になっているような認識が、日本でも定着しつつある風潮は、とても嬉しく思っています。なぜなら、それこそが当店が開店以来十九年の間変わらずに主張し続けてきたことに他ならないからです。(弥)

【倶樂部余話】 No.209 夜行バス朝湯付きの工場訪問 (2006.6.1)


 五月、明け方の山形・赤湯温泉のバス停。夜行バスが一時停車しそして立ち去る。そこには、ジャケットを着たチビで丸メガネの40代男性・野沢。そして、胸と背中と両手に大きなバッグを抱えたひげ面で長身のフランス人青年・ジロー。二人がぼんやりとたたずみ、顔を見合わす……
 まるでアマチュア・ロードムービーのファーストシーンのような光景。聞けば、彼は靴のゴム底材の営業で台湾、日本、韓国、とセールス行脚中、これから、この地の靴工場へ商談に向かうと言う。なんだ、私も同じ。じゃ一緒に行こう。でもまだ朝早いし…、と共同浴場で共に朝風呂を浸かり、コンビニのベンチに二人並んで朝食を取る。そこへ、気のいい果樹園の親父登場。乗せてってやるよー、の一声。ワゴンにちゃっかり同乗して、三人で田舎道をドライブ…… 何だかまだ映画のシーンみたいだった。

 二年振りの宮城興業へ。工場では地元の熟練者に混じって、若い人たちの姿が目立つ。全国からの研修生が十人近くに増え、昼は皆と一緒に仕事をし、夜は遅くまで思い思いに靴の勉強をしている。さながら、全寮制の職業訓練校といった雰囲気だ。地方の町村がどこも過疎と高齢化に悩む中で、この東北の小さな町は若年層の人口流入をかなえているわけで、彼らは地域にも新しい活気を吹き込んでくれることだろう。
 当店がいち早く取り扱いの名乗りを挙げたここの誂え靴のシステムはこの二年でさらに進化を果たし、この秋には遂にニューヨークの名店での扱いも決まった。日本だけでなく世界でもどこも真似のできない独自の境地を開拓しつつあり、ますますの勢いを感じる。
 ここと縁を持つことができ、当店が微力ながらも彼らの繁栄と成長の一助となっていることに自信と誇りを高めた。

 土地の手打ち蕎麦を堪能し、午後は福島市へ移動。七年前から当店のオーダースーツをお願いしている小さな工場を訪問。ここは生産のほとんどがオーダースーツの上着の縫製で、九州のデパートからの年配向け重厚なフラノのスーツの次に代官山のセレクトショップが受けたコットン一枚仕立てのペラペラ・ジャケットが続く、といったように、テーストも型紙も素材も仕様もすべて一着一着異なるオーダースーツを流れ作業の中で一日二百着、正確かつ短納期で製造する。これを可能にしているのが独自に開発したプログラム・ソフトで、逆説的な言い方だが、「人間は必ず間違いをする動物である」という前提から、何重にもチェックを掛けて完璧を期している。
 昨年訪れた岩手のスーツ工場では人間の感や熟練という職人的な秘技をラインの中に当たり前に組み入れていることに驚きを感じたが、ここにはまたもうひとつ別の感動があった。どちらに優劣があるというのではなく、同じスーツ工場でもいろんな特色があるものだと思い知る。
 注文通りの間違いない仕上がり、というのは客にすれば当然のことのように考えてしまうが、実はそれは高い技術を要する人間の知恵の賜物なのだ。

 今回の出張で知ったのは、この靴とスーツの二つの工場が知り合いだったということと、双方とも取引先や親会社の倒産から一度は閉鎖の危機を迎えながらもそれを乗り越えてきた、という事実。生産の海外移転が進み、国内製造業の空洞化が深刻化する中で、生き残ってきた工場というのは、やはりそれだけの価値と意味があるものだ。
 我々商店の最大の弱点は、自分ではものを作ることができない、ということ。いいものを売りたかったら誰かに作ってもらうしかない。その製造拠点は、どこでもできる、代わりはいくらでもある、というものでは決してないのである。
 たった一日だけの強行日程であったが、とても有意義な二工場への訪問だった。(弥)


注)上記後半部に記しました福島の縫製工場との契約は2007年12月にて休止しました。

倶樂部裏話[11]どら焼き(2006.5.12)


 私が、死ぬ前にどうしても食べたいものに挙げるほど、大好きなのが、宮ヶ崎・浅間通り「かWちや」のどらやき。今回はこのどらやき屋さんの話。
 と言っても、私はこの店と個人的に親しいわけでもなく、ゆっくりとお話をしたこともないので、以下はすべて私の推測だということをまずお断りして、話を進めます。
Kawachiya

 初めて食べたときにまだよちよち歩きだった上の娘の手を引いていましたから、今から15年ほど前でしょうか。私と同世代ぐらいのご夫婦二人でやられているので、それほどに古いお店ではなさそうで、もしかしたら脱サラでどらやき屋を始めたのかな、などと勝手に想像を巡らせていました。目の前で皮が焼けるのを待っていたら、無愛想なご主人が
「はい、これ、おまけ」と余った生地で作った焼きたてのミニミニどらやきを娘に渡してくれて、いたく嬉しく感じました。味は、というと、もう絶品、ほっぺたが落ちそうな美味で、こんだけうまくてでっかくてたったの100円、は感激の体験でした。

 私の自転車通勤の通り道でもあり、閉店後の夜も遅くまで、また開店前の朝早くから、お店の前を通ると、シャッターはいつも半開きで、恐らくずっと餡や生地の仕込みをしているのでしょう。この店が評判にならないはずはなく、お客さんは増え続け、時にはかなりの行列ができるほどになって、私は長年のファンの一人として嬉しく眺めていたのです。
 ところが、ある時、店先にこんなコメントが。
 「ひとり五個までです」そうだよね、一日に作れる数が限られてるんだもん、一人で買い占められたら欲しい人が困るもんね、当然だよ。
 それがです、そのうち、それに「並び直してもダメです」さらに「子供連れでもひとりです」と書き加えられていったのです。そしてなんと「車の中からは注文できません」とまで書かれるようになってきました。
 「書いてあるってことは、こんなお客さんが実際にいるということなの?」私が驚いて奥さんに尋ねると「ええ、たまになんですけど、分かってもらえなくて…」と悲しそうな表情を浮かべました。
 きっといくつかのいさかいが店先であったことが想像できます。自分だけ良ければと並び直す人、子供がいるから二人分いいわよねとゴネる人、車の中からお構いなしに叫ぶ人…、そのたびにこのご夫婦は、心ない客から「客が欲しいと言ってんだから、つべこべ言わずに売れよ。」と批判や罵声を浴びるのを覚悟の上で、これらを書かざるを得なかったに違いありません。

 コンサルタントや学者さんだったらこう言うでしょう。値段を倍にすれば客数が半減しても売上は取れますよ。人を雇って設備も大きくして生産量を増やしてデパ地下にも進出しなさい。成長を目指す企業だったら当然そうしたでしょう。でもこのお店は、一個100円で焼きたての温かいどらやきを地元のお年寄りや子供たちにもひとつから気軽に食べてもらいたい、人も増やさずお金も掛けず、家族が暮らせるだけの売上で充分、という道を進むことを選択したのです。成長するだけが商売じゃない、細く長く続けるのもまた商売のひとつの姿です。こう言うと簡単ですが、繁盛を維持し続けながらそして奢ることなくその姿勢を守り続けるというのはなかなかできることではありません。それをこの店は実践しているのです。
 先日はこんな光景にも当たりました。行列を前にして休みなく皮を焼いているご主人「ダメだ、失敗。やりなおし!」、焼き方に不満があったのでしょう、せっかく焼けた皮をサッとよけてしまいました。先頭に並んでいた人が「それ、いらないんだったら頂戴よ!」と言っても「ダメ」と言ったきり、ひたすらに作り直す。ようやく出来上がってまずその先頭のうるさい人が買っていなくなるやいなや、奥さんに「さっきのアレ、出してやって」と声を掛ける。奥さん、失敗した皮にバターをちょっと塗って行列の人に配り始める。ご主人「ずいぶんお待たせしてすいませんでした。おまけです。」とはにかむ。じっと待ってた人たち大喜び。あっぱれでした。

 近頃は、お店で手作りと言いながらレンジで暖めているだけだったり、わざと席数を減らしたり入り口で待たせたりして意図的に行列ができるように仕向けていたり、個店のように見せかけておいて実は全国チェーンだったり、と、ウソっぽい仕掛けが見え見えのところが増えていて辟易するほどですが、このどらやき屋は正真正銘リアルなんです。子供が運動会だから、と、半日休みにしちゃうところなんか、大好きです。

 なぜ裏話に書いたのか、というと、ここを開けられるのは当店のわずかなメンバーズだけで、不特定多数の人たちには読まれることがないから。リンク貼ったりしない下さいね、私もこれ以上行列を長くすることに加担するつもりはないのですから。
 ぜひご賞味あれ。なんなら差し入れも歓迎します。(弥)

【倶樂部余話】 No.208(2006.5.5) よくあるQ&A


 よくあるQへ、よく言うAです。

★Q:綿パンの丈が縮むのは仕方がないの?
A:綿パンのウェストって洗ったあとに履くとキツいけれど、じきに元に戻りますよね。つまり縮んでもお腹の力でまた伸びるんです。丈が縮んでしまうのは、ウェストのように戻す力が働かないからなのです、なので、洗ったあとにパンツの裾をかかとで踏みつけたまま屈伸運動を十回ぐらいやって、強制的に戻す力を縦方向に加えてやるのです。単純なことですが、こうすると丈の縮みが少なくなりますよ。

★Q:タートルネックや帽子の前後はどうやって見分けるのですか?
A:タートルセーターの首の縫い目や帽子の飾りは必ず左側に来るのが決まりです。その昔の騎士は剣を持ち命懸けで戦いました。だから右手の剣の動きを邪魔するような装飾はすべて左側に付いているのです。小銭や懐中時計を取り出す利便性から考案された上着のチェンジポケットやパンツのウォッチポケットは後生考えられたもので、右側に付いている例外的なものです。

★Q:濃紺のスーツにこのネクタイは合いますか?
A:ネクタイがスーツやシャツと合っているかどうか、というのは色や柄だけのことではないのです。私たちが気にする大事なポイントは、むしろ幅なのです。上着の衿幅とタイの幅は同じ、というのが鉄則です。またシャツの衿の空間とタイの結びの大きさやカタチとの納まり具合の相性も大切です。ネクタイはスーツやシャツに比べて自分の趣味嗜好を最も主張しやすいアイテムですから、自分の好きな色柄を自信を持って選べばそう大きくはずれることはないのですが、お洒落をよく分かっている人というのは、どんな色柄のネクタイをしたとしても今述べたようなこういう鉄則をはずさないものなのです。

……と、雑誌やウェブではなかなか教えてくれないだろうこんな話が、店内では日々交わされているのです。こちらから自慢げに知識の押し売りをすることはしたくはありませんが、突っ込んでいただければ答えられることは割とたくさんあるものなのです。(弥)