【倶樂部余話】 No.265   未来予測なんて当てにならないな (2010.12.23)


 先日電器店に依頼し、二十年以上前に撮った8㎜とベータのビデオ十数本をDVDに移してもらいました。「カビが出てるとダメかもなぁ」と心配げにつぶやいた店主のおじさんが私には神様に見えました。
 撮ってた当時はまさか8㎜やベータがなくなるとは思ってもみなかったことで、同様にレコードもカセットテープも消えていきました。DVDにしたってきっとそのうち過去のものとなり、いずれはすべてをネット上の倉庫に格納するような時代がやって来るのかもしれません。
 他にも、よもやこんなモノが消えるなんて思いもしなかった、というモノ、いろいろあります。ブラウン管テレビも白熱電球もまもなく消える運命にあります。
 逆に、私が十代の頃、これは将来なくなるだろう、と思っていたモノがあります。それが、演歌、歌舞伎、相撲、百貨店でした。きっと自分たちが大人になったとき、我々の世代はこれらに興味を持たないだろう、と思っていたのです。でも私の予測ははずれて、どれも残りました。
 そして、実は、私のなくなる予測リストには、もうひとつ、背広、というのがあったのです。笑ってしまいます。未来予測なんてホントに当てにならないもんですね。
 メリー・クリスマス。今年一年のご愛顧に感謝いたします。皆さま良いお年をお迎え下さい。(弥)  

【倶樂部余話】 No.264  ジョン・レノン、没後三十年 (2010.11.23)


 アランセーターと同じぐらい長く続けているのが、12月8日9日のジョン・レノンのメモリアルイベントです。この店ができる前から始めたので、もう26年続きました。といっても、当店は飲食店でも音楽屋でもありませんから、宣伝販促的な意味合いはまったくなく、何をしているかと言うと、額縁に入れたジョンの顔写真を掲げ、キャンドルを灯し、店内に二日間ジョンの歌声ばかりをずっと流す、といった、ほとんど私の自己満足的なことを毎年やっているに過ぎませんが。
 1980年12月8日(日本時間では9日)、22歳だったあの日あの時に感じた悲しさは不思議によく覚えています。この世に起きるはずのない、起きてはいけないことが起きたのだ、という信じられない気持ちで、「イマジン」のLPレコードを一晩中泣きながら聞いていました。何がそんなに悲しかったのか、今でもちゃんと言葉にできない、もやもやしたものなのですが、きっとこの気持ちを忘れてはいけない、という思いが強くあったのでしょう、こうやって続けてきたのは。
 今年は没後30年、そしてもし生きていれば70歳、と節目の年に当たり、例年にも増して数々の企画が出ているようです。それらの「あやかりイベント」を否定はしませんが、でもなぜか手放しで喜べる気持ちを持てない私がいます。きっと、暗殺されたことを商売に使うことに抵抗感があるのではないかと思います。自分も商人なのに、変でしょうか。
 今年も私はいつもどおりにやります。12月8日9日の二日間、お心のある方はどうぞご来店いただき、一言声を掛けてくれると嬉しいです。(弥)  

【倶樂部余話】 No.263  セヴィルロウは背広の語源?(2010.10.23)


背広の語源はロンドンのセヴィルロウという地名に由来する、と、そう信じて私は約20年前にこの店名を付けたのですが、この説について、文明開化当時からの資料を紐解き、検証を試みた一冊があります。「福沢諭吉 背広のすすめ」(出石尚三著・文春文庫・2008年12月)。
150年前の服装では、きちんとした格好というのはフロックコートであって、今でいうスーツはそれよりも格下のカジュアルな服でした。フロックコートというのはモーニングや燕尾服と同じく、胴回りを細く絞るために、肩の後ろから背の両脇にダーツを入れて作られたので、こういう服を「細腹(さいばら)」な服と呼びました。(今でも仕立ての世界では、前身頃と後身頃の間の脇下のパーツを細腹と呼びます) それに対して、細腹ではない服すなわち背の広い服、ということで「背広」な服という言葉が職人仲間の符丁として生まれたのではないか、というのが筆者の推論です。
それを記録に留めた最初の人物こそがどうも福沢諭吉らしいというのです。福沢は「経済」や「演説」などの訳語を創った造語の達人、きっと「背広」の語感はその感性にマッチしたのでしょう。
さらに福沢は自ら「西洋衣食住」というイラストブックを著し西洋服のコーディネートを指南、そればかりか慶應義塾内に「衣服仕立局」なる洋服屋まで開いていたのです。この店が丸善の服飾部門の前身となります。
セヴィルロウと背広は発音が似ていて何か関係があるのか、と言われ始めるのはそれから60年も経った昭和初期のことで、これは全くの偶然のようです。なーんだ、そうだったのか。(弥)

【倶樂部余話】 No.262  再び「アランセーターの世界」(2010.9.26)


 アランセーターは開店以来の当店の看板商品です。かつては毎年秋になると特集イベントを組んでいたので、そんなこと言うまでもない、とこちらは思い込んでいましたが、気が付いたら02年に自著「アイルランド/アランセーターの伝説」を出版して以降の八年間というもの、ことさらに大きく取り上げてきませんでした。本を書いたことですべてしゃべり尽くしたような思いもあり、また、うちはアランセーターだけの店じゃないんだよ、と、ちょうど南こうせつが「神田川」をしばらく封印していたのと同じような心境だったのかもしれません。
 でも近頃は新しいお客様から「アランセーターって何で白いんですか」などの質問を受けることも増え、こりゃまた一から「そもそも…」を語らなきゃ、という気になってきました。奇しくも今年は、アラン諸島のマーガレット・ディレインという女性が一九一〇年にアランセーターの原型を生み出してからちょうど百年の記念すべき年。また、円高でユーロがピーク時よりも約30%下がったままなので価格を十年前の当時に戻そうと決めたところでもありました。それと、ルーズな着方からタイトフィットへ、とサイズ提案も十年前とは随分変化してきました。
 といっても新しい商品が入ったわけではありません。陳列するほとんどは、かつて事情でアイルランドの倉庫を閉鎖するときに私が引き取った大量の備蓄在庫からのものですから、十年以上も(ものによっては二十年以上も)前に編まれた古いもので、もちろんすべてアラン諸島の女性が編んだものです。当時のルーズフィットの流行に売れなかったストックということは、多くが腕回りも狭くてタイトなフィッティングのもので、今の着方にちょうど合っているというのも嬉しい偶然です。女性でも着られる小さいサイズが残っているのもそのためです。現在はすでに編み手の多くが亡くなり、また当時の糸屋も廃業したので、今となってはこれだけのものを作ることはまず不可能。つまり、これだけハイレベルのアランセーターが大量に揃っている場所は、世界でもここだけだと言い切っていいでしょう。
 でも、なぜアランセーターはフィッシャーマンセーターと呼ばれるのに汚れの目立つ白色なのでしょうか。元々は白のセーターというのは男の子が教会で着る晴れ着だったのでした。それが次第に大人サイズになったのです。そして、アランセーターは白という色を得たことで世界に普及したのです。理由は自明、白が一番編み柄が美しく映えるから。だから今でもアランの基本は白なのです。
 今年は新しいことよりも復刻の方が新鮮に映るみたいで、あちこちどこも「原点回帰」が目に付きます。それならアランセーターは負けません。久々に開催します、「アランセーターの世界」です。(弥)  

【倶樂部余話】 No.261  スーツとは黒柳徹子なり? (2010.8.26)


 大学生の頃、湘南のある市民劇団で音の担当をしていました。とある公演の観客アンケートに「音楽の使い方が良かった」とあり(きっと私の友人がお世辞で書いたのでしょう)、私がにこにこ喜んでいたら、座長に怒られました。「音が良かったなんて、悪かったと同じ。そこが目立ってしまう芝居はいい芝居とは言えないんだよ。」
 いきなりですが「徹子の部屋」。ここで「徹子さん、うまいなぁ」って思う時がありますか。不思議にあまりそう感じることはないはずです。他の対談番組で「この聞き手、なんか下手くそだなぁ」と思うことは多々あるにもかかわらず、です。要は「うまい」とすら感じさせないほどあまりにも自然にすんなりと相手の言葉を引き出している、それほどに黒柳さんは稀代の名インタビュアーなのですね。もちろんそれは才能だけではなく、下調べも半端なものではないとよく聞きます。
 さて話はスーツです。良いスーツスタイルというのはつまり「徹子の部屋」のようなものです。スーツ自体は非の打ち所なく、しかも目立たず浮かれず。そして、その日に何をするかを考え、シャツやタイ、靴などに精一杯の配慮を向ける。全力を注いでいるにもかかわらず、力んだ様子はかけらも見せない。
 下手な着こなしだなぁと指摘されるのは論外としても、「いいスーツですね」と言われているうちもまだまだで、更にそれすら気付かせないほどに目立たないという領域に達するのが最良の評価であると言えます。すなわち、スーツとは黒柳徹子なり、であります。(弥)

【倶樂部余話】 No.260  再び「スーツは年収の1%」説を… (2010.7.18)


 「スーツは年収の1%」(余話【194】05年3月)は紛れもなく私が言い出しっぺの持論ですが、そう自らが唱える当店のスーツの裾値は約八万円です。しからば当店のお客様はすべからく年収八百万円以上なのかというともちろん決してそんなはずはなく、年収五百万円から七百万円のお客様には1%以上の負担を強いざるを得なかったわけです。仕立て代の安い某工場を知ってはいましたが、そのクオリティは合格点を付けるにはいささか疑問が多く、結局のところ、五~七万円台のスーツ提案の必要性を感じてはいながらも、私はそれを怠っていたのです。
 しかしようやくそれが実現することになりました。第三のファクトリーとしてM社との取引を約十年振りに再開することにしたのです。このM社のことは事情があり詳しく書けないのですが、現在当店でメインのA社のレベルには及ばないものの、私は一応の合格点を与えました。81点といったところでしょうか。かつては百貨店向けのお堅い高級ブランドスーツを中心に縫っていましたが、近年は関連企業で首都圏を中心に全国で約三十店舗を展開するオーダースーツのチェーンストア(ここで名前を明かせないのがツラい…)からの注文をほぼ一手に引き受け、技術力に加え「感性」度が飛躍的に上がってきているのです。当店ではこのM社の縫製を「バジェット・ライン」として導入を決めました。
 年収一千万円以上の方にはお勧めしません。しかしバジェット(予算)の限られた方には五~七万円台のスーツもご用意できるようになり、ようやく「年収1%」の持論に現実味を付与することができたということであります。(弥)

【倶樂部余話】 No.259  ジョージ・クレバリーでの出来事 (2010.6.23)


 何かの機会に書こうと思っていたネタです。おととし一月ロンドン探訪のときの出来事。立ち寄ったのはオールド・ボンド・ストリートのロイヤル・アーケードにある小さな店構えの靴店「ジョージ・クレバリー(以下GC)」。

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GCと言えば、チゼルトゥという鑿(ノミ=チゼル)で削ったような独特の美しいつま先を考案したところとして世界に知られる名店です。さて、その日私が履いていたのは当店開店20周年の記念モデルとして作ったチゼルトゥの靴で、これはGCをかなり意識して考えた作品でした。つまり、弟子の模倣品を履いて元祖の師匠の店に入っていったようなものですから、随分と果敢というか無謀というか、思えば私も大胆なことをしたものでした。
 狭い店内にスタッフが二人、年輩の人は他の客と応接中で、私の相手は若い方の人でした。気に入った靴があったので試足することに…。そのとき彼が言ったのです。「今日あなたが履いてるその靴はウチのですよね。」私は心の中で(やった!)とガッツポーズを取りながら「ノー、これは日本でパターンオーダーで作ったものなんです。」
彼、私の靴をじっと眺め「へぇ良い出来ですね、間違えちゃいましたよ。このSavile Row Club というのがブランドですか。」「いや洋服屋の店名なんだけど…」なんて会話が続きました。
 私はこのロンドンでのことをすぐに製造元の宮城興業へ土産話に伝えたところ、彼らも大喜びしてくれました。きっと師匠に誉めてもらった弟子のような心持ちで小躍りしたことでしょう。
  あ、間違ってもらっては困るのですが、何も私は宮城興業にそっくりさんを作ることを賞賛したり奨励しているのではありません。本家取りをしながら、しかも履く人のサイズや要望に併せて一足ずつハイレベルの靴を作ることができる、という、世界でココにしかできない宮城興業の仕事の価値を評価してのコメントであることをご理解下さい。
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【倶樂部余話】 No.258  はじめの一歩 (2010.5.24)


 当店、いろんなものを誂え(あつらえ=オーダー)で扱っていますが、例えば、セーターやジーンズ、ベルトなどは、既製品の中から気に入ったものを探し当てられれば、必ずしもオーダーじゃなくても、というアイテム群でしょう。しかし、シャツと靴、このふたつは、自信を持って言えます、オーダーの方がいいです。既製品をあちこち回って探し歩くよりも、最初から作っちゃった方がラクだし、しかも楽しいものですよ、と。
 シャツと靴にはいくつかの共通点があります。まずサイズの個人差がものすごい。シャツは首と腕と肩と胸と胴、靴だと長さと幅と高さ、これが皆さんバラバラで、しかもどちらも肌への密着度がスーツやパンツよりも高いので、ぴったり目とかゆったり目の個人の好みも随分とまちまちなのです。どんなに優れたモノもサイズが合わなきゃ意味がない、というのはすべてのものに言えることなのですが、特にシャツと靴についてはその要素が大きいものなのです。また、傷んだらリペアできる、とか、分不相応に高価すぎるものを持つとかえって使わなくなって結局宝の持ち腐れになってしまう、などということも共通点に挙げられます。さらに、凝ったオーダーをしたければ徹底的に凝れるけれど普通のシンプルなものならばほとんど店に丸投げ・お任せでいける、という関与度の振れ幅の大きさも共通してます。そして、何よりも、他のアイテムよりもリピーター比率がずば抜けて高い、というのが、シャツと靴の特徴でして、これこそ一度作った人がオーダーの優位性を実感してくれている、という確かな証拠でしょう。
 しかし、そうは言っても、オーダーは「はじめの一歩」のハードルがどうしても高いもの。ないものを買うのですし、何からどう進めたらいいのかも不安でしょう。既製品のように「思わず衝動買いしちゃって…」などと自分に言い訳もしにくいですし、ちょっと知的な創造行為を楽しもう、という気持ちになってもらわないと、面倒くさいよ、の一言でオシマイになってしまいます。
  だから店は考えるのです、どうやって「はじめの一歩」のハードルを低くするか、を。そして今月に企画したふたつの連続イベントが、初めての方にとってその絶好の機会となって欲しい、と、お勧めする次第なのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.257  気が付けば最古参 (2010.4.21)


 「ニコラス・モス」で検索すると、近頃当店は常にほぼ最上位に登場します。門外漢の洋服屋が陶器を扱って気が付けば16年、いつの間にか日本で最古参にして随一の輸入扱い者になっていたのです。
 専門業者から見れば取るに足らないほどの片手間な扱いですが、この片手間がかえって長続きの秘訣だったのかもしれません。そもそもは客寄せの催事として始めたのが発端でしたが、現在のオーダー会の形態になったのも、まず自分たち自身が愛好家としてそのコレクションを増やしたくてどうせなら相乗りしてくれる人を募ろう、という動機からでした。何しろ、在庫を持っての現品販売はしません、年に一度私物の見本を並べますからそれを参考に注文をして下さい、というわがままな売り方ですから、不便に感じる方もいたと思います。
 でも、決して不便なことばかりではなくて、限られた在庫から選ぶのではなく全コレクションの中から自分の好きなものを好きなだけ、マグカップ一個からでもはたまた日本ではめったに使わないようなでっかいお皿だって好きに頼めるという自由さ、しかもどこよりも低い価格設定(現地販売価格の約1.4倍)は、きっとよそにはないメリットだったことでしょう。
 入る注文も様々。もちろん毎年少しずつ買い足していかれるリピーターの方が最も多いのですが、アイルランドで見た陶器が忘れられなくて、とか、アメリカのインテリア雑誌で興味を持って、など、全国の見知らぬ方から、ネットを経由して舞い込む問い合わせが年々増えてきました。
 でも16年も続いた何よりの理由、そう、それはニックのこの陶器にそれだけの魅力があり、私たちが大好きだったからに他なりません。今年もオーダー会の始まりです。お待ちしてます。 (弥)

【倶樂部余話】 No.256  季節に追い越されないように注意しましょう(2010.4.1)


 今年の三月は冷たい雨の日が多くて、春が遅いのかなぁ、と感じていたのですが、なぜか桜は平年よりも早く咲いて、何だか自分の季節感覚が狂ってしまったのかと不安になります。
 毎年言っていることなのですが、三月と九月は実は三月の方がずっと寒いのに、三月の売場には麻の半袖までも入荷し、九月はまだ真夏日があるというのにウールのセーターが堂々と並びます。季節の先取りがこの商売の宿命なんだから当たり前じゃないか、と言われれば確かにそれまでなのですが、ともかく買う服(=売る服)と着る服が全く一致しないのが三月と九月なのです。
 それじゃ三月に着る服はいつ買えばいいの、と考えてみると、これが意外にも九月に買った服だったりします。荒っぽく言うと、秋に暖の取れる春色の服を買っておいてそれを春に着る、というのはひとつのコツなのかもしれません。ただ服を寝かすことになる買い方を洋服屋が積極的に勧めてもいいのか、ということは感じますが。
 人間の季節感とは不思議なもので、九月にこれからだんだん寒くなるのだということは割と容易に思い至れるのに、三月にあと一カ月も経つとすっかり暖かくなっているということは想像しにくいようです。まだまだ寒いから、と、もたもたしてるといつの間にか季節に追い越されて、「あれ、今年もまた買い損なっちゃった」とタイミングを逃してしまうのもまた春の特徴です。「どうしてあの時もっと頑と勧めてくれなかったの」とお客様に言われるのが一番つらいのです。なので、春のこの時期はついついお勧めする押しがいつもよりも強くなってしまうことがあります。
 特にオーダーの商品などは、注文から仕上がりまでに3-4週間掛かるので、春夏期は季節感を先読みする感度を高くしておかないと対応できなくなります。うかうかしてると、すぐに季節に追い付かれ、追い越されてしまいますから。(弥)