【倶樂部余話】 No.326  倶樂部の門を閉じます(2015.12.1)


 大事なお知らせです。セヴィルロウ倶樂部Savile Row Clubという店名を12月で下ろすことにしました。主な理由は以下のとおりです。
 28年前にこの店名を付けたときはセヴィルロウという通りの知名度はまだほとんどありませんでした。知る人ぞ知るブリティッシュなメンズショップという意味合いで付けたのですが、徐々にこの通りの知名度が上がり、通り自体にブランド性を帯び始めますと、当店をガチガチのビスポークテイラーと勘違いされる方が現れたり、あるいは似た店名を名乗るところがあったり、と、少しずつですが不都合を感じ始めていたのです。
 このたびの具体的な契機になったのは、長いことサブを務めてくれた相川から、岡山へ住まいを移すのでこの冬で退社したいとの願いが出たことがあります。となるとかなりの戦力減は否めません。私の家族の手伝いを増やすことはしますが、それでも相川の代わりは誰にも勤まりませんので、従来通りのフルラインの品揃えは難しくなります。パワーダウンにはダウンサイジングで対応していかざるを得ません。
 振り返ってみると、弊社にとってセヴィルロウ倶樂部は、ジャック、ケント、ひまわりの次の当時四番目の店でした。学校で言うとD組でしたが、C組、A組、B組が消えて1学級になったのにいまだにD組のままというのは再考すべきかなとも思っていました。弊社には93年続いた野澤屋という屋号があります。目前の創業百年に向けてこの契機に店名と社名を一致させることを決めました。ですから新しい店名はジャックノザワヤJACK NOZAWAYAです。これは次号にて詳細をお伝えします。
 そのような訳で、セヴィルロウ倶樂部の門を閉めることになりました。(但し自店オリジナル商品のブランドとしては今後も残して継続します) 新年からは体制も新しくしますし、休止せざるを得ない商品もありますので、12月は在庫一掃の「倶楽部閉門フェス」を別項の日程と内容で実施いたします。セヴィルロウ倶樂部としての最後の一ヶ月、皆様のお越しをお待ちしております。(弥)

【倶樂部余話】 No.325  フタマタもヌケガケもしてませんが、豊漁です、セーターが。(2015.11.1)


 二股を掛ける、とか、抜け駆けをする、というのは恋愛では決して褒められたことではないはずですが、なぜかこと就活に関しては、学生が二股を掛けまくっても企業が抜け駆けを迫っても、全くお咎めなしの当然のこととして考えられています。予定の倍の内定を出したのに辞退者ばかりで挙句半分しか採れなかった、など、採用担当者の嘆きは絶えませんが、それほどに需要と供給の合致する着地ポイントを見出すのは大変なことなのだろうと同情します。さながらその姿は適正仕入れを目指すバイヤーの苦悩に重なります。
 さて当店の現状。昨年一昨年と壊滅的だったセーターの品揃えを構築し直そうと一月の海外出張で精力的に駆け回ったことは余話【三一六】でもお話ししましたが、これが奏功し、発注したセーターが次々に入荷しました。ダメモトで不安だったところまで順調に届いて、いわば内定を出したところがほとんど辞退者なく入社してきた、という、ちょっと飽和気味になってしまったのです。嬉しい悲鳴だろと思われがちですが、店としてはこの子たちがちゃんと働いてくれてようやく嬉しいと言えるわけです。
 ただ、サンマは豊漁だと値崩れしますが、セーターは簡単には腐らないので大漁でも相場はそれほど下がりません。ましてうちのセーターはよそよりも流行耐性がうんと強くて長持ちします。なのでお願いです、この冬は新しいセーターを着てみよう、であります。(弥)  
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【倶樂部余話】 No.324  ラグビーW杯イングランド大会(2015.10.1)


 発祥の地で開催されるラグビーW杯。その開会式では、1823年にラグビー校のエリス少年がボールを持ったまま突然走り出す伝説のシーンが再現されていました。
 サッカーやラグビーになると英国(UK)は四つの国(nation)に分かれます。イングランド<E>、スコットランド<S>、ウェールズ<W>、そしてアイルランド<I>(ラグビーは南北合同チーム)。
 アングロサクソン(AS)の<E>がケルトの<W><I><S>を支配していくという歴史なのですが、その支配の時期や形態はそれぞれに異なります。5世紀にドイツから渡ってきて<E>に住みついたAS人は13世紀にまず<W>を「征服」。次に17世紀に<I>を「植民地」に。そして18世紀に<S>を「併合」し、グレードブリテン(GB)王国を作ります。ざっと80字で語ってしまいましたが、この長い長い支配する、されるの歴史がこの4つの国相互の国民感情をいかに複雑にしているかは想像できることでしょう。<W><I><S>の3国は、<E>憎しの一点では結託しますが、互いにどこが一番すぐれているかでは譲ることがありません。
 この4つ(に仏と伊を加えた6か国)は総当たりの対抗戦を毎年冬に実施していて、私もダブリンで何度かその時期に出くわしたことがありますが、そのたびに街のあらゆるパブは大騒ぎになります。
 W杯の一次リーグでは早くも開催国<E>と<W>が激突、<W>が劇的な逆転勝利を果たしました。ウイリアム王子夫妻は<W>を応援してましたね。果たしてこの4つ、一番上位に座すのはどこなんでしょうか。
 開店10周年のときに作ったオリジナルの4か国ラガーシャツ(白、紺、赤、緑、の4色で構成)を引っ張り出して応援します。個人的には私<I>びいきですが。(弥)

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註:ハガキ通信という限られたスペースでの書き物ですので、なるべく字数を減らすために略語を多用せざるを得ませんでした。ご了承下さい。  

【倶樂部余話】 No.323  迷彩柄をどう思いますか (2015.8.30)


 某総合衣料品店がナチスのカギ十字の付いた服を販売停止にしました。この処置の是非は判断の分かれるところですが、もしその発端がこれを仕入れたバイヤーの無知だとしたら、それはバイヤー失格と言わざるを得ません。
 例えば、いくら縞模様が流行になっているときでも、白黒の太い縦じまの上下服が決して市場に現れることはありません。ユダヤ人に着せた囚人服を連想させるからで、かつて日本人デザイナーがこれをパリコレで提案して総スカンを食らったという逸話があります。横はいいけど縦は絶対にダメなんです。
 そうはいっても戦争物がすべてダメと決めつけてしまうこともできません。トレンチコートやPコートをそのルーツが軍服だからという理由で遠ざける人はいないでしょう。むしろ軍服ほど服を作るうえで欠かせない重要なアイデアソースになっているものはありません。
 忌み嫌うものは国や人種によって異なるので一概に決めつけることができません。先日読んだ新聞には、今の日本でいたるところで見受けられる迷彩柄(カモフラージュ)が、米国においては銃の好きな人とか奇妙な愛国心にとりつかれている人の象徴と捉えられかねない雰囲気がある、と書いてありました。いや日本でも迷彩服に眉をひそめる人は意外に多いのではないでしょうか。
 かつて東京のある大規模な総合展示会で、エノラ・ゲイというブランドの服を見たことがあります。原爆礼賛とも判断されそうなこのブランド名に怒りを覚えたものでした。さすがにもうこの服は消えたみたいですが、検索してみたらエノラ・ゲイという会社が英国にあり、煙幕弾や迷彩服を売っています。きっと英国ではそれほど知られていない一戦闘機の名なのかもしれませんね。
 やるやらないの判断はそれぞれが主体的に決めればいい。ただ、それを仕入れるバイヤーは絶対に無知ではいけない。バイヤーにはそういう責任があると思うのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.322  ふたたび、キホンのキ (2015.7.27)


 同業の知人が相次いで服飾読本を出版しました。どちらも豊かな経験と深い知識に裏打ちされた秀作で、私など足元にも及びません。
 が、例えば、①ネクタイの幅は上着の襟幅と同じにする、とか、②ベルトと革靴と革鞄は同じ色に揃える(さらに時計ベルト、財布や名刺入れなどのすべての革小物も黒なら黒、茶なら茶に統一すべき)、といったキホンのキが書かれていません。すでに大前提の常識として省かれているのでしょう。それにもし書いたとしたら、この本はそこから言わなきゃいけないほどの低いレベルなのか、と疑われてしまったかもしれません。
 それではこういうキホンのキはどこで教わるのか。私が前述の二つの法則を知ったのは二十代の半ば、社会に出てからで、その時は目からウロコでした。③タイやシャツ、チーフの色使いは共通色を取り出して色の梯子をかけるという色合わせの基本も、そのころ初めて知りました。きっと知らないままにいい大人になってしまった人も割と多いのではないでしょうか。それほどにこの三原則が守れていない人を多く見かけます。ルール違反で捕まるわけでもないし、また掟破りはファッションの常ですので分っててあえてはずすというテクもあり得ます。お前それは違うよ、とわざわざ指摘してくれる人などいやしません。
 だからこのような基本原則はきっと店で教えないといけないのでしょう。店ならその人に合わせた個別対応ができます。いや、もっといいのは学校できちんと教えておくことでしょう。高校や大学で背広の着方の基本原則を教わる特別講義を一時間すればいいのです。正しい着方を知ることはきっと服飾に興味を持つきっかけにもなるはずです。私には指南本は書けませんが、そういう授業ならやってみたいなぁと思います。(弥)

【倶樂部余話】 No.321  儀礼と社交 (2015.6.25)


 仕事柄、礼服で葬儀の場に臨むと、ときどき同席する知人にこう訊かれます。「野沢君、僕の礼服の着方はこれで間違ってないかな」 これ、答えに窮する時があります。仮に間違いを指摘したところでもうその場で修正ができませんから、私のせいでその方に嫌な思いをさせるだけで、どう言ってあげればいいか困ってしまうのです。
 よく目にする間違いはふたつ。まず、ボタンダウンシャツ。これは本来カジュアルなシャツですので礼服に用いてはいけません。それからスラックスの裾のダブル仕上げ。屋外で泥汚れを嫌って裾を折り返したのがその起源ですからこれも礼装にはふさわしくないのです。
 そもそも根本的にフォーマル(儀礼服)とソーシャル(社交服)を混同している人が多いです。フォーマルには守るべきルールがありますし、何より大事なのは「みんないっしょでみんないい」ということ。例えば時制。夜の服タキシードと昼の服モーニングが同じ会場にいることはありえないはずで、主催者と同じに合わせるのが決まりです。没個性でいいとは言いませんがあくまでもルールの範囲内に限ります。対してソーシャルは社交=宴(パーティ)ですから、極端な話、何でもあり、「みんなちがってみんないい」、主催者が認めるのならTシャツにジーンズだって構いません。よく「結婚式に何を着ていくか」と相談を受けますがこのほとんどは実は「披露宴」であります。だからホントはなんでもいいのです。
 それから主催者のドレスコードへの意識が弱いとみんなが戸惑います。私はよく相談者にこう答えます。「私よりも主催者に訊く方が確かです。よくわからない、と言われてもそれでも何度でも訊いて下さい。主催者にはそれを決める責任と義務があるのです」もしあなたが主催者になったときはどうかそれを肝に銘じて欲しいのです。(弥)

※註 これは、元々が顧客向けのハガキ通信という限られた文字数の制約の中で書くものですので、当話もかなりばっさりと書いています。日本国内、それも皇室関係や国際的な儀礼儀式などを除いた、一般的な葬儀や祝宴だけを想定して書いたものですのでご了解下さい。

【倶樂部余話】 No.320  Tシャツ考 (2015.5.22)


 大瀧詠一の追悼特集だったか、ラジオから「Tシャツに口紅」(唄ラッツ&スター・1983年)が…。改めて聴くと「あれ、このタイトル、作詞の松本隆はコニ―・フランシスの「カラーに口紅」(1959年)を意識したのかな」と気になってきました。このカラーはcollar、つまりシャツの衿のことです。
 衿があるのがポロシャツ、ないのがTシャツ。違いはそれだけのはずですが、服としての出自は随分と異なります。英国紳士のスポーツ、例えばゴルフ、テニス、クリケット、ポロ、ホッケー、ラグビー、これらに着用されるのがポロシャツです。対してTシャツには、アメリカ、下着、労働者、メッセージ、などといったキーワードが挙がります。価格のイメージとしても、1万円のポロシャツは売れるが1万円のTシャツは売りにくいのではないか。
 と、こんな話を妻にしたら「それは男の偏見じゃないの。私は衿のあるのが大の苦手だからTシャツが好み。価格感覚にも違いは全くなし。ただ、衿があるかないか、それだけよ」とあっさり否定されました。そうか歴史からくる先入観に固まっていたのかもしれないな。
 思えば、無地のTシャツほど工夫の施し甲斐があるアイテムもありません。Vネック、ヘンリーネック、ボートネックなどの首元の変化、フットボールTのような切り替えの妙や吊り編みの丸胴、ポケットの有無や形状、ステッチワーク、綿百以外にも麻やレーヨンやポリを混ぜたり、さらにプリントや柄物など、これほどバリエーションを楽しめるのは、ポロシャツではなくてTシャツの方でした。
 そんな反省も込めて今年は例年よりもTシャツを増やしてみました。今まで一段低く見ていて、ごめんねTシャツ。(弥)

【倶樂部余話】 No.319  家康と英国と静岡 (2015.4.24)


 今年は静岡市内のあちこちで「徳川家康公顕彰四百年祭」ののぼりやポスター、看板を目にします。家康公が亡くなって四百年、この四月一七日がまさにその四百回忌の命日でしたので、たまにはこんな小話などを。
 日本を最初に訪れた英国人はウイリアム・アダムス(日本名を三浦按針)だと言われています。秀吉の家臣として大坂にいた家康は初めてこの英国人と会い、彼のことをいたく気に入って、その後江戸幕府の外交顧問として重用しました。当時の英国は通商でオランダに後れを取っていたので、アダムスは英国に早く使節団をよこして欲しいと依頼、遂に一六一三年、東インド会社のジョン・セーリスが英国王ジェームス一世の親書を携えて平戸に着いたのでした。
 セーリスは家康に会いに行きます。家康が将軍を退き大御所として政を執っていた当時の駿府は人口12万人と江戸、大坂と並ぶ世界有数の大都市で、事実上まさに日本の首都としての機能を果たしていました。セーリスは駿府城で家康と謁見、仲を取り持つ通訳はアダムスです。互いに貢ぎ物(鎧兜と望遠鏡)を交換、詔書をかわし、家康は英国に通商を許可する朱印状を与えて、ここに日英通商が始まることになったのです。この御朱印状、今も東京の英国大使館に複製が掲げられているんだそうです。
 何の因果か静岡のしかも徳川の屋敷跡を臨む場所で英国気質を標榜する店をやっている者としては、四百年前にこの地で繰り広げられたこの小さな史実に何とはなく思いを馳せてしまうのであります。(弥)  

【倶樂部余話】 No.318  ラジコと砂ワカメ (2015.4.1)


 ラジコ・プレミアム。これはものすごい快挙だと思います。首都圏の人には信じてもらえないかもしれませんが、静岡県は民放ラジオがAMとFM各一局のたった2局しかないというラジオ最貧県で、ずいぶんさみしい思いをしてきました。音楽番組もスポーツ中継もニュースも深夜放送も、聞きたいものが選べない。それが、ラジコのおかげで全国のほとんどのラジオが聞けるようになったので、選択肢が無限大のごとくに拡がりました。ラジオでの首都圏と地方との情報格差はテレビ以上に大きな開きがあったのですが、ラジコはその格差を一気に解消した便利ツールなのです。
 対して砂ワカメ。先日知人からもらったのですが、これが驚くほどうまい。御前崎あたりで三月に採れた新鮮なワカメを滋味を閉じ込めるために大量の砂をまぶして保存するもので、春の風物詩のひとつらしいのですが、静岡の人でも知らない人が多いかなりマイナーな特産品です。地元のスーパーでもほとんど見かけないのは、安すぎる価格と砂まみれという厄介さのせいなんでしょう、つまり売るにはあまりにも不便なわけです。売ってないのだからいくらお金があっても買えない、まさに真の地域限定品ということになります。
 格差をなくす便利さもありがたいし、不便さゆえの格差を楽しめるのもまたうれしい。春の始まりにそんなことを考えました。(弥)

【倶樂部余話】 No.317  覆面レスラーに仮面舞踏会 (2015.3.1)


 「覆面」とグーグルに入れるとパトカー、調査…と予測します。「仮面」と打つとライダー、女子…と続きます。覆面も仮面も自分には無関係と思っているでしょうが、これ、どちらも英語では「マスク」なんです。
 「日本人はみんなマスクして歩いてるんだよな」という英国人との会話を聞いていた外国のご婦人は、もしかしたらデストロイヤーやオペラ座の怪人のような顔で街を歩いている群衆を想像してしまうのかもしれません。
 それにしてもマスクをしている人が増えました。伊達マスクの人も相当数いるようです。マスク自体も年々大きくなったり立体的になっていて、ますます誰が誰だかわからない、匿名性が強くなってきている気がします。

 マナーとかルールとかについて言うのはとても難しいことで、そして携帯電話のように新種の事項に関しては普及するにつれてそのマナーも変わっていきます。マスクもまさにそうでしょう。でも、少なくとも、覆面的要素という観点からは、帽子やサングラスと同じぐらいのマナーがあってもいいんじゃないか、と思うのです。人の家や会社を訪れる時、帽子やサングラスをどう扱うのか、そこにはあなたなりのマナーやルールがあるはずです。ややこしいのは、マスクは医療用具、だから誰のためにしているか、ということが曖昧です。自分の風邪を拡げないようにこれはあなたのためにしているんですよ、と言われたら、何も言えなくなってしまいます。

 実は私も花粉症持ちですので、外出時にはマスクは必需品です。自店内では外していますが、誰もいないときには症状はおさまっていても、お客様が見えたとたんに、お客様の衣服に付いた花粉が持ち込まれるので、急に目と鼻が反応し始めてしまうという皮肉な事態が起きます。そんなことですので、マスクの持つ効能については充分に承知しているつもりです。

 マスクをしている方には、少し意識してくれたらいいなぁと思うのです。マスクは覆面、仮面、と同じなんだと。あなたは誰なの、どんな表情をしているの、と読み取ろうとしている店の者にとって、マスクは大きすぎる壁なんです。(弥)