【倶樂部余話】 No.278 いわゆる福袋に関する若干の考察 (2011.12.25)

 三十年ほど前、まだ私が新入社員だった頃、福袋の企画会議で「いっそ透明な袋で中身を見せちゃえば…」と提案したところ、一笑に付せられ即却下されました。あまりに時代が早すぎましたね。今じゃ、中身が見えるは当たり前、年内にネットで予約して正月に配達というのも珍しくありません。でも、これじゃ、鮨屋でにぎりの出前を頼むのと何ら変わらず、あるいは大吉ばかりのおみくじを引くようで、こんな運試しにもならないハズレなしのものを果たして福袋と呼んでいいものやら、と感じます。
 先日ある会合で「この正月、福袋は売れるか」が話題になりました。福袋を買う習慣のない私は「大震災の以降、不要なモノや余計なモノはただでもいらない、という風潮が強くなっている。さらに今の消費者はハズレを引くことをすごく怖がるだろ。だからこの正月の福袋は売れないに違いない」との意見です。しかし福袋の好きな友人は「福袋っていうのは、例えば五万円相当を1万円で買った、ということだけで幸せなんだよ。震災の落胆から復興へ向かうこんなときだからこそ、得をした、運がいいぞ、という気持ちをより味わいたいものだ。だから今年の福袋は売れるはず」と反論します。さて、どちらに軍配が挙がるか、あと二週間もすれば分かるはずです。それを私は年頭の運試しにすることにしましょう。
 メリー・クリスマス。今年一年のご愛顧に感謝します。皆様よいお年をお迎え下さい。(弥)  


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【倶樂部余話】 No.277 レビュ男くんレビュ子さん (2011.12.1)

 ネットでよくある「レビュー」というやつ。実際に使った(読んだ、観た)人の評価とか感想などと訳せばいいのでしょうか。私も、宿探しや書籍選びには割と参考にします。映画だけは事前に調べすぎると期待が膨らみすぎて落胆することが多いので、事後にだけ読むことにしました。しかし、利用しながらその反面で思うのです、レビューばかり当てにしてると自分で判断する能力をなくしてしまうぞ、と。
 私は仕入れのときに「一番注文が付いてるのはどれ?」と売り手に尋ねることがあります。それは自分の店で誰に何をどう勧めたいかを判断する材料として知っておきたいからですが、よその店で客として自分のモノを買うときには「一番売れてるのはどれ?」とは聞きません。自分が買うモノには自分なりの理由があるからです。ところが近ごろ若い方から「これとこれ、どっちがよく売れてるんですか?」「お勧めはどれですか?」といった類の問い合わせが増えたなぁと感じているのです。そのくせ、どの服に合わせたいか、どう使いたいか、など、自分のことは一切話さず、ひたすら最大公約数のレビューを求めてくる、レビュ男くんレビュ子さんたちなのです。
 失敗することをものすごく恐れているのが今の若い人たちなのかな、と少し気の毒にもなります。失敗は成功のもと、とか、三度目の正直、とか、七転び八起き、とか、急がば回れ、とか、紆余曲折、とか、彼らにはそういう言葉が通じなくなるのでしょうか。
 将来アマゾンが婚活ビジネスを始めて、こんなモノを買っているあなたにはこんな人がお薦めです、などと言われると、その通りに結婚相手を決めてしまう、なんていう社会になってしまったら…。ああ、恐ろしや恐ろしや。(弥)


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【倶樂部余話】 No.276 父を天に送りました (2011.11.1)

 父、野沢武良男を天に送りました。享年八十歳。「変わらずいつもお洒落だね、ダンディだね」と言われるのが嬉しくて、帽子とステッキで呉服町通りを闊歩して店へ往来する父の姿はお客様にもお馴染みだったことと思います。
 「銀座をつまらなくしたのは、ボールペン、ビニール傘、百円ライター、この三つだそうです。でも故人にはこれらは全く無縁でした。彼は、万年筆にこうもり傘にデュポン、の粋な人でした」交遊の深かったエッセイストの山川静夫さんからはそんな弔辞もいただきました。
 三年前にちっちゃな膵臓がんが見つかり、切らずに抗がん剤治療を続けていました。いよいよ痛みとの戦いになるのか、という矢先、パタンとあっけなく逝ってしまい、本人が望んでいたピンピンコロリにかなり近いものでした。
 振り返れば呉服町通りの野澤屋ビルにVANを扱うジャックを開店したのが四十年前。以来、静岡にトラッドなメンズファッションを根付かせる、という創業の精神が今のこの店へとつながっています。その流れを絶やさぬよう、後継者の私は努めなければなりません。
 まだまだ事後のあれこれがいろいろとあって落ち着きませんが、取り急ぎご報告まで。今後ともよろしくお願いいたします。(弥)


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【倶樂部余話】 No.275 ボストンみやげで経済学 (2011.10.1)

 大学生の長女が夏休みにボストンに行くというので、「ハーバード大学の生協でコレ買ってきて」とメールを送りました。40年前に初めてアメリカ旅行に行った父から土産でもらった69kのノートです。別段珍しいモノではなかったと思うのですが、私にとっては、これこそアイビーの本物だぞ、と、割と大切に使ったものでありました。現地からメールが届き「表紙が少し違うけどほぼ同じモノありました。でも値段は 40年前の8倍です」と。ということは10年ごとに倍々かぁ。米国の物価って随分と上がったんだなあと実感します。娘へ返信。「ドルでは8倍でも円換算だと、驚くなかれたったの2倍なんです。40年前は1j=300円の時代、今はその1/4だからね。」
 そう言いながらも、えっホントかなぁ、と思って、今度はこの40年間の日本の物価指数を調べてみました。すると、前半の20年で3倍に上がったきり、それ以降の後半20年間というもの我が国の物価はほとんど上がってないのです。いわゆる「失われた20年」にあたるところです。その間米国や欧州の物価は上がり続け同時に円高も進みました。そしてちょっと計算してみたら面白いことが分かりました。このノートの値段は円にするとこの20年間ずっと変わらないのです。経済学者が「物価の変化を加味すると今の為替水準は異常な円高ではない」と言っているのがようやく理解できました。
 同じ様なことが、先日アイルランドから3年振りに仕入れた商品でも起こりました。3年前と全く同じジャケットを頼んだところ、現地の価格は4割も上がっていて「こりゃ困ったなあ」と頭を抱えていたのですが、入荷してみたらユーロが4割安くなっていて、結果として仕入れ値は変わらなかったというオチになったのです。
 一冊のノートのおかげで、為替と物価の勉強ができました。さて当時の69kは今の貨幣価値に直すと1,600円。私は随分と贅沢なノートを父からもらったのですね。(弥)



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【倶樂部余話】 No.274 ぜんぶお任せで (2011.8.25)
 「ぜんぶお任せしますので」というお客様。実はこれが一番難しい注文でして、どちらかというと苦手なほうでした。
 スーツにせよ、シャツや靴にせよ、オーダーの場合には寸法を採ること以外に、決めなければいけないことが山ほどあります。着用頻度、素材決め、季節は、価格は、裏地やボタンは、オプションはどうする、と数々の選択肢のうちから、ああしよう、こうしようと、悩みながら話し合いながら決めていく、これがオーダーすることの醍醐味で楽しみだと思うので、できるだけお客様には時間を取ってもらい、一緒に決めていく方がいいのだ、と考えていました。ですから「面倒くさいよ」という方にもお付き合いいただいてバカ正直にひとつひとつ確認をしながら進めました。まあ、要望を完全に汲み取れる自信もありませんし、後から「こんなこと頼んでないよ」と怒られるのも怖いものですし。
 しかし、近頃、思い直しました。それは、自分への逃げであり、言い訳であり、本物のプロではない、と。どんな理由だろうと「任せる」と頼まれた以上は、瞬時にしてその人の嗜好と目的を見抜き、なるべく時間と手間を煩わすことなく、限りなく「お任せ」いただいてしかもベストな満足感も味わっていただく。これこそが真のプロではないだろうか、と。
 正直、怖いです、自信ないです、ビビります。でも今後は「ぜんぶお任せで」と言われても引くことなく、にっこり笑顔で「はい、安心してお任せ下さい」とお受けできるように努めます。(弥)



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【倶樂部余話】 No.273 アランセーターの新局面 (2011.8.1)

 四半世紀ずっと変わらずに売り続けている当店のアランセーターですが、今年から新しい局面を迎えます。簡単に言うと、仲介者が変わるのです。
 私は2002年に「アイルランド/アランセーターの伝説」を著しましたが、それはアランセーターを世に広めた一人のアイルランド人オシォコン翁が1995年に逝去したことが執筆を始めた動機でした。その恩人の死は、私に本を書くきっかけを与えてくれたのですが、同時に、皮肉にも今まで彼が築いてきたアランセーターの供給システムの支柱を失ってしまったことをも意味していました。実は、拙著の出版が決まったのと同じ頃、彼がアイルランドで備蓄していた数百枚の古いアランセーターの在庫を私がすべて引き取ることにして、日本に送らせたのでした。それを十年掛けて選り分けながら少しずつ販売してきたのですが、しかしそれもそろそろ底が見え始めていたのでした。
  この十年、アイルランドは空前のバブル景気から一転してどん底へ、その割にアラン諸島への観光客は減ることもなく、つまり、セーターを編んでもいいという人もそのセーターを欲しいという人もいなくならなくて、もうきっと消滅するに違いないと思っていた本物のアランセーターは、意外にもしっかり生き延びてある店に集まっていました。そのキーパーソンはアン・オモーリャ夫人。彼女に会うためにこの一月、私はアイルランド西岸の街ゴルウェイに飛びました。
 彼女はニューヨークでのニットフェアに参加中でしたが帰国を急遽一日早めてくれて、私の方もフライトを無理矢理一日遅らせて、ようやく実現した数時間だけのランデブー。12年振りの再会でしたが、そのミーティングは、それはそれはディープなアランセーター談義となり、彼女は快く私の願いを聞き入れてくれたのです。
 そして、何年振りかで新しいアランセーターが入ってきます。到着は九月半ばの予定。早く来い来い秋の風。(弥)


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【倶樂部余話】 No.272 年表に載る年 (2011.7.1)

 子供の頃、うちのトイレには歴史年表が貼ってありました。その年と出来事を眺めながら「実際に当時に暮らしている市井の人々は、自分の今生きてるこの年が将来の年表に載るなんて、きっと思ってもみなかっただろうなぁ」と漠然と感じたものです。その感想は、六四五年でも一一九二年でもいいのですが、例えば一九四五年ならば、朝ドラの「おひさま」を視ているとやはり同じ思いを抱くのです。
 しかし、はっきりと分かってしまったことがあります。二〇一一。この数字は間違いなく将来の歴史年表に載ることになるでしょう。しかもそれは日本史だけではなく、世界中の世界史年表にフクシマの文字とともに残るのです。今、私たちの生きているこのときが、です。私たちは年表に載るような瞬間に立ち会うことになってしまった。そんなふうに思うのは私だけでしょうか。
 そして、二〇一一年の夏は、今までとは全く違う未経験の夏、となることでしょう。電力以外にも過去の実績がまるで役に立たないようなさまざまな事態がまだいろいろと起きるのだろうと思います。
 でも、でもですね、それでも私たちはその中で仕事をするのです。「どこもセールセールって、洋服屋は値下げしか能がないのか」と言われそうですが、この夏については悔しくもそれは否めない部分があります。なんのかんの言っても、やることちゃんとやらないと。
 かくして、夏物処分、です。八月から七月に決算を変えたというこちら側の事情もあって、今年は時期早めかつ値下げ幅大きめ、です。どうかご協力を、とお願いする次第であります。(弥)


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【倶樂部余話】 No.271 靴もベルトも服のうち? (2011.6.15)

 店で扱う品を素材の順にすると、毛、綿、の次は、麻でも絹でもなくて、「革」なのです。レザーは思いのほか重要なウェイトを占めているのです。
 靴を「履く」、ベルトを「締める」、手袋を「填(は)める」。日本語の表現は実に豊かですが、英語ではすべて動詞はwearです。あと、帽子を「被(かぶ)る」、もやはりwearです。ですから、靴もベルトも手袋も帽子も、西洋風には広義にみなwear(=衣類)と総称してもよいのでしょう。洋服屋がこれらを一緒に扱うことに違和感がないのは、そんな理由からかもしれませんね。
 洋服も革靴も、日本ではともに明治の文明開化からその歴史が始まりました。洋服は誂え(オーダー)から大正昭和と経て徐々に既製服への流れを歩みましたが、靴の方は比較的早くから既製品化が進み、そのため足に靴を合わせるのではなくて、逆に靴に足を合わせる、ということが普通の感覚に思えるようになってしまったのでしょう。これは、江戸時代からもともと和服も誂えることが珍しくなかったのに対して、下駄・草履・足袋などの履物はとっくに既製品として存在していたことも関係しているのではないかと思われます。
 だからでしょうか、スーツを作ろう!シャツを作ろう!という呼び掛けに抵抗を示す方は少ないのですが、靴を作ろう!との誘いには「何もわざわざ誂えなくっても…」と、かなり珍しいことのように躊躇される方が多いのも仕方ないことなのかもしれません。服では当たり前の「一点流しのパターンオーダー」を革靴の世界で実現した宮城興業の仕組みは世界でも類を見ない「コロンブスの卵」的な快挙であって(ついに特許申請をするらしいですね)、思ったよりも簡単に自分に合った靴ができるのに、悔しいかな、靴を作るのはどうも服を作るよりも気持ちのハードルが高いようなのです。
 なので、服の売上が一段落する夏のこの時期は、毎年誂え靴のキャンペーンを張ることにしています。特に「はじめの一足」の方を大優遇します。「とにかくまず一足作っていただければ」の思いが強いので。実際それほど面倒なことではありません。ぜひお気軽にお出掛けいただければと願っています。(弥)


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【倶樂部余話】 No.270 スーパークールビズって何じゃらほい? (2011.5.22)

 近所の学生服店の看板には「服装の乱れは心の赤信号」とあります。また、人は見掛けによらない、ともよく言われます。そう、見掛けってとても大切です。沖縄の人がかりゆしを仕事着にできるのは、その見掛けが伝統文化のアピールになるから、であって、単に涼しいから着ているわけではないのですよね。
 何を言いたいか、もうお分かりでしょう。クールビズです。前後一カ月ずつの期間延長で五月から十月までの半年間ですって。十月なんてもう冬物商戦真っ盛りだというのにまだ残暑気分を引っ張れというのでしょうか。まあ、今年の特殊事情を考えればそれもある程度は仕方ないとしても、呆れ果てたのは環境省が言い出した「スーパー・クールビズ」であります。アロハもTシャツもジーンズもサンダルも「何でもあり」なんて、これはもう話題作りだけの愚挙としか思えません。「装う」という文化を一体何だとお考えなのか。
 こう言うと、じゃ君は節電に協力しないのか、とお叱りを受けそうですが、そうじゃないんです。例えば勤務の曜日や時間帯をずらす施策は直接に電力需要を左右するのに対して、ネクタイを外しても短パンを履いても、そのこと自体は何も電力のセーブにはつながらないのですよ。クールビズとは「微弱冷房下でも快適に過ごせるように職場のルールを甘くしましょう」という間接的な啓蒙なんですが、悲しいかなそこがニッポン、一度決めたら「右へ倣え」なんですね。で、本来はネクタイを「してもしなくてもいい」なのが、あっけなく「ネクタイはダメ」になってしまうのですね。
 かつて自由と解放の象徴だったTシャツにジーンズがクールビズでOKになり、逆に管理社会のシンボルのようなネクタイはご法度とは。この夏はネクタイを締めることのできる人こそが自由な精神の持ち主のように見えてしまうのかもしれませんね。 (弥)


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【倶樂部余話】 No.269 ロイヤルウェディング (2011.4.25)

 今年のオスカーを獲った映画「英国王のスピーチ」を観ました。ジョージ6世の吃音を巡る実話で、リーダーに必要な資質とは何なのか、を考えさせられました。もうひとつの私の関心は、主役の兄で、人妻との恋のために王位を捨てた、エドワード8世(ウインザー公)の方にもあり、今もメンズファッションに大きな影響を残している彼の服装をじっくりと観察することでした。グレンチェックの柄がプリンス・オブ・ウェールズ(=皇太子)の別名で呼ばれているのもなるほどと納得。紳士服飾界では、稀代の大先生として、数え切れないほど多くのお手本を示してくれた彼ですが、国王という立場ではちょっと困ったお方だったんですね。
 さて、この映画の主人公のひ孫にあたるのがウイリアム王子。彼とケイト嬢の挙式が目前に迫りました。彼の両親、チャールズとダイアナのあの時から三十年振りのロイヤルウェディングに、国内外から注目が集まっています。時節を得たように礼装の知識についての特集も多く目にするようになりました。仕事柄、近刊の本や雑誌には大体目を通しましたが、私が皆様に長年アドバイスし続けているフォーマルの知識にほぼ間違いはなく、ひと安心しています。皆様が完璧に覚えておく必要はありませんので、困ったらどうぞ私に聞いて下さい。
 婚礼の映像に、きっと世界中の視聴者の目は花嫁衣装にばかり注がれるのでしょうが、私は新郎始め男たちの服装を目を皿のようにしてチェックすることになるでしょう。楽しみです。(弥)


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【倶樂部余話】 No.268 東日本大震災にあたり (2011.3.25)

 信じられない大災害が起こりました。戦争を知らない私たちにとって、五十年生きてきてこんな惨事は初めてです。被災された方々を悼む気持ちで一杯です。
 この大震災で、全国各地のいろんなイベントや祭りが中止になっています。もちろん交通や設備などの諸問題で現実的に開催ができないという催しもあるのでしょうが、中には「不謹慎との批判を恐れて自粛」というものも多いようです。これは何か違うと思います。誰が不謹慎だと非難するというのでしょうか。自粛すればそれは謹慎なのかなぁ、と思います。「こんなときに遊んでる場合か」と言う人はいるかもしれません。でも「遊ぶ」仕事をしている人は、真剣に真面目にその仕事をしているのです、決して遊びながらふざけて仕事をしているわけではないのは当然です。自らの仕事を果たすことと哀悼の思いとは全く別のことです。
 大きな言い方をすると、経済を回すこと、が大切です。消費を止めない、小さくしないことです。お金は流れることでその節目節目に利潤を生み、その利益の中から社会の復興原資が賄われていくのです。義援金はどれだけ集まっても一時金です。
 東北地方には紳士服、婦人服、ニット、シャツ、靴などのファッション製品の製造工場がたくさんあります。それらのファクトリーにこれからもたくさんいい仕事をしてもらう、それが私たちの産業ができるささやかな復興支援です。しばらくはできるだけ日本製を優先して売ることにします。日本国内でお金が回るように心掛けることも大切でしょう。(弥)


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【倶樂部余話】 No.267 三年振りのアイルランド (2011.2.21)

 三年振りにアイルランドへ行くんです、と話すと、皆さんから一様に「財政破綻で大変なんでしょ」との心配をいただきました。問題が顕在化した直後なので、私もそんな思いを持って飛びました。
 陽気なアイリッシュもさすがに少しは落ち込むのかな、との予想は見事ハズレ。「先祖たちが英国から長年にわたり受けてきた圧政や貧しさを思えば、これくらい大したことないさ。ケルティック・タイガーとまで称されたあの好景気だってそもそも政策主導で、あれ自体は正しい選択だったし、まあそれなりにいい思いもしたよ。消費税や水道代はこないだいきなり上がったし、公務員は減給、年金も減額になったけど、仕方ないね、また我慢の暮らしさ。でもユーロから仲間外れにされたらそれこそ大変だから。ただ、バブルを思いっ切り享受してきた若年層は、急速な冷え込みに対処のすべがなく、戸惑っている感じだね。」
 逆に日本をよく知るあるアイリッシュからはこう励まされました。「仕事はどう、と聞くと日本人は誰もが『悪いよ、良くないね』と答える。日本人の謙虚さというか、みんな一緒に、という性格の現れなんだけど、あれは良くない。たとえ虚勢でも『他は悪いかもしれないがウチはいいよ』と言おうよ。じゃないと中国にすぐ取って代わられちゃうよ。」
 さて、今回の主たる用件は、今後も現レベルのアランセーターの扱いが続けられるか、という大きな交渉だったのですが、直談判の末、何とか供給を受けられる目処が立ち、一安心です。他にもダブリンで新旧十社ほどの買い付けを滞りなく済ませ、早朝に帰国。羽田発着欧州便は実に便利でした。 (弥)


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【倶樂部余話】 No.266   ツイッターが紡ぐアランセーター (2011.1.20)

 「アランセーターができて百年か、キリがいいから久しぶりに特集しよう」とここに書いたのが昨年の九月末。知己のライターがこの話をツイッターで紹介、それがある編集者の目に留まり、彼は男のセーターの特集を着想、急いで企画を練り、私のところへやって来ました。そして十二月中旬にムック本が発売、巻頭8ページにわたり当店とアランセーターがデカデカと載ったこの本が書店の男性ファッション雑誌の棚に並びました。
 同業者からは「どんだけ払ったんか?」と冷やかされましたが、こちとら静岡までの交通費はおろかお茶の一杯も出してないのですけれども、これだけ取り上げられれば反応が少ないわけはありません。このところ毎日のようにメールや電話での問い合わせが続き、嬉しい悲鳴を上げています。
 私が書いたアランセーターの本も絶版となって久しく、著者分の手持ち在庫も完売し、アマゾンの中古本で三倍もの値が付いている状態でしたので、モノクロだった写真を全部カラーに入れ替えて、データをPDF化してCDに焼き、パソコンで本のように読めるカタチで安価に頒布することにしました。実際iPadでペラペラとめくれる電子ブックになった拙著を初めて見たときは何だか自分の本とは思えない新鮮さがありました。
 アランセーターは百年の間ずっと変わらずに続いてきたものです。それが最先端の情報ツールであるツイッターが契機となって再び火が付くことになりました。 これももうひとつ別の意味の「温故知新」と言えるのかなぁ、などと思っています。(弥)


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【倶樂部余話】 No.265   未来予測なんて当てにならないな (2010.12.23)

 先日電器店に依頼し、二十年以上前に撮った8oとベータのビデオ十数本をDVDに移してもらいました。「カビが出てるとダメかもなぁ」と心配げにつぶやいた店主のおじさんが私には神様に見えました。
 撮ってた当時はまさか8oやベータがなくなるとは思ってもみなかったことで、同様にレコードもカセットテープも消えていきました。DVDにしたってきっとそのうち過去のものとなり、いずれはすべてをネット上の倉庫に格納するような時代がやって来るのかもしれません。
 他にも、よもやこんなモノが消えるなんて思いもしなかった、というモノ、いろいろあります。ブラウン管テレビも白熱電球もまもなく消える運命にあります。
 逆に、私が十代の頃、これは将来なくなるだろう、と思っていたモノがあります。それが、演歌、歌舞伎、相撲、百貨店でした。きっと自分たちが大人になったとき、我々の世代はこれらに興味を持たないだろう、と思っていたのです。でも私の予測ははずれて、どれも残りました。
 そして、実は、私のなくなる予測リストには、もうひとつ、背広、というのがあったのです。笑ってしまいます。未来予測なんてホントに当てにならないもんですね。
 メリー・クリスマス。今年一年のご愛顧に感謝いたします。皆さま良いお年をお迎え下さい。(弥)  


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【倶樂部余話】 No.264  ジョン・レノン、没後三十年 (2010.11.23)

 アランセーターと同じぐらい長く続けているのが、12月8日9日のジョン・レノンのメモリアルイベントです。この店ができる前から始めたので、もう26年続きました。といっても、当店は飲食店でも音楽屋でもありませんから、宣伝販促的な意味合いはまったくなく、何をしているかと言うと、額縁に入れたジョンの顔写真を掲げ、キャンドルを灯し、店内に二日間ジョンの歌声ばかりをずっと流す、といった、ほとんど私の自己満足的なことを毎年やっているに過ぎませんが。
 1980年12月8日(日本時間では9日)、22歳だったあの日あの時に感じた悲しさは不思議によく覚えています。この世に起きるはずのない、起きてはいけないことが起きたのだ、という信じられない気持ちで、「イマジン」のLPレコードを一晩中泣きながら聞いていました。何がそんなに悲しかったのか、今でもちゃんと言葉にできない、もやもやしたものなのですが、きっとこの気持ちを忘れてはいけない、という思いが強くあったのでしょう、こうやって続けてきたのは。
 今年は没後30年、そしてもし生きていれば70歳、と節目の年に当たり、例年にも増して数々の企画が出ているようです。それらの「あやかりイベント」を否定はしませんが、でもなぜか手放しで喜べる気持ちを持てない私がいます。きっと、暗殺されたことを商売に使うことに抵抗感があるのではないかと思います。自分も商人なのに、変でしょうか。
 今年も私はいつもどおりにやります。12月8日9日の二日間、お心のある方はどうぞご来店いただき、一言声を掛けてくれると嬉しいです。(弥)  


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【倶樂部余話】 No.263  セヴィルロウは背広の語源?(2010.10.23)

 背広の語源はロンドンのセヴィルロウという地名に由来する、と、そう信じて私は約20年前にこの店名を付けたのですが、この説について、文明開化当時からの資料を紐解き、検証を試みた一冊があります。「福沢諭吉 背広のすすめ」(出石尚三著・文春文庫・2008年12月)。
 150年前の服装では、きちんとした格好というのはフロックコートであって、今でいうスーツはそれよりも格下のカジュアルな服でした。フロックコートというのはモーニングや燕尾服と同じく、胴回りを細く絞るために、肩の後ろから背の両脇にダーツを入れて作られたので、こういう服を「細腹(さいばら)」な服と呼びました。(今でも仕立ての世界では、前身頃と後身頃の間の脇下のパーツを細腹と呼びます) それに対して、細腹ではない服すなわち背の広い服、ということで「背広」な服という言葉が職人仲間の符丁として生まれたのではないか、というのが筆者の推論です。
 それを記録に留めた最初の人物こそがどうも福沢諭吉らしいというのです。福沢は「経済」や「演説」などの訳語を創った造語の達人、きっと「背広」の語感はその感性にマッチしたのでしょう。
 さらに福沢は自ら「西洋衣食住」というイラストブックを著し西洋服のコーディネートを指南、そればかりか慶應義塾内に「衣服仕立局」なる洋服屋まで開いていたのです。この店が丸善の服飾部門の前身となります。
 セヴィルロウと背広は発音が似ていて何か関係があるのか、と言われ始めるのはそれから60年も経った昭和初期のことで、これは全くの偶然のようです。なーんだ、そうだったのか。(弥)


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【倶樂部余話】 No.262  再び「アランセーターの世界」(2010.9.26)

 アランセーターは開店以来の当店の看板商品です。かつては毎年秋になると特集イベントを組んでいたので、そんなこと言うまでもない、とこちらは思い込んでいましたが、気が付いたら02年に自著「アイルランド/アランセーターの伝説」を出版して以降の八年間というもの、ことさらに大きく取り上げてきませんでした。本を書いたことですべてしゃべり尽くしたような思いもあり、また、うちはアランセーターだけの店じゃないんだよ、と、ちょうど南こうせつが「神田川」をしばらく封印していたのと同じような心境だったのかもしれません。
 でも近頃は新しいお客様から「アランセーターって何で白いんですか」などの質問を受けることも増え、こりゃまた一から「そもそも…」を語らなきゃ、という気になってきました。奇しくも今年は、アラン諸島のマーガレット・ディレインという女性が一九一〇年にアランセーターの原型を生み出してからちょうど百年の記念すべき年。また、円高でユーロがピーク時よりも約30%下がったままなので価格を十年前の当時に戻そうと決めたところでもありました。それと、ルーズな着方からタイトフィットへ、とサイズ提案も十年前とは随分変化してきました。
 といっても新しい商品が入ったわけではありません。陳列するほとんどは、かつて事情でアイルランドの倉庫を閉鎖するときに私が引き取った大量の備蓄在庫からのものですから、十年以上も(ものによっては二十年以上も)前に編まれた古いもので、もちろんすべてアラン諸島の女性が編んだものです。当時のルーズフィットの流行に売れなかったストックということは、多くが腕回りも狭くてタイトなフィッティングのもので、今の着方にちょうど合っているというのも嬉しい偶然です。女性でも着られる小さいサイズが残っているのもそのためです。現在はすでに編み手の多くが亡くなり、また当時の糸屋も廃業したので、今となってはこれだけのものを作ることはまず不可能。つまり、これだけハイレベルのアランセーターが大量に揃っている場所は、世界でもここだけだと言い切っていいでしょう。
 でも、なぜアランセーターはフィッシャーマンセーターと呼ばれるのに汚れの目立つ白色なのでしょうか。元々は白のセーターというのは男の子が教会で着る晴れ着だったのでした。それが次第に大人サイズになったのです。そして、アランセーターは白という色を得たことで世界に普及したのです。理由は自明、白が一番編み柄が美しく映えるから。だから今でもアランの基本は白なのです。
 今年は新しいことよりも復刻の方が新鮮に映るみたいで、あちこちどこも「原点回帰」が目に付きます。それならアランセーターは負けません。久々に開催します、「アランセーターの世界」です。(弥)  


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【倶樂部余話】 No.261  スーツとは黒柳徹子なり? (2010.8.26)

 大学生の頃、湘南のある市民劇団で音の担当をしていました。とある公演の観客アンケートに「音楽の使い方が良かった」とあり(きっと私の友人がお世辞で書いたのでしょう)、私がにこにこ喜んでいたら、座長に怒られました。「音が良かったなんて、悪かったと同じ。そこが目立ってしまう芝居はいい芝居とは言えないんだよ。」
 いきなりですが「徹子の部屋」。ここで「徹子さん、うまいなぁ」って思う時がありますか。不思議にあまりそう感じることはないはずです。他の対談番組で「この聞き手、なんか下手くそだなぁ」と思うことは多々あるにもかかわらず、です。要は「うまい」とすら感じさせないほどあまりにも自然にすんなりと相手の言葉を引き出している、それほどに黒柳さんは稀代の名インタビュアーなのですね。もちろんそれは才能だけではなく、下調べも半端なものではないとよく聞きます。
 さて話はスーツです。良いスーツスタイルというのはつまり「徹子の部屋」のようなものです。スーツ自体は非の打ち所なく、しかも目立たず浮かれず。そして、その日に何をするかを考え、シャツやタイ、靴などに精一杯の配慮を向ける。全力を注いでいるにもかかわらず、力んだ様子はかけらも見せない。
 下手な着こなしだなぁと指摘されるのは論外としても、「いいスーツですね」と言われているうちもまだまだで、更にそれすら気付かせないほどに目立たないという領域に達するのが最良の評価であると言えます。すなわち、スーツとは黒柳徹子なり、であります。(弥)  


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【倶樂部余話】 No.260  再び「スーツは年収の1%」説を… (2010.7.18)

 「スーツは年収の1%」(
余話【194】05年3月)は紛れもなく私が言い出しっぺの持論ですが、そう自らが唱える当店のスーツの裾値は約八万円です。しからば当店のお客様はすべからく年収八百万円以上なのかというともちろん決してそんなはずはなく、年収五百万円から七百万円のお客様には1%以上の負担を強いざるを得なかったわけです。仕立て代の安い某工場を知ってはいましたが、そのクオリティは合格点を付けるにはいささか疑問が多く、結局のところ、五〜七万円台のスーツ提案の必要性を感じてはいながらも、私はそれを怠っていたのです。
 しかしようやくそれが実現することになりました。第三のファクトリーとしてM社との取引を約十年振りに再開することにしたのです。このM社のことは事情があり詳しく書けないのですが、現在当店でメインのA社のレベルには及ばないものの、私は一応の合格点を与えました。81点といったところでしょうか。かつては百貨店向けのお堅い高級ブランドスーツを中心に縫っていましたが、近年は関連企業で首都圏を中心に全国で約三十店舗を展開するオーダースーツのチェーンストア(ここで名前を明かせないのがツラい…)からの注文をほぼ一手に引き受け、技術力に加え「感性」度が飛躍的に上がってきているのです。当店ではこのM社の縫製を「バジェット・ライン」として導入を決めました。
 年収一千万円以上の方にはお勧めしません。しかしバジェット(予算)の限られた方には五〜七万円台のスーツもご用意できるようになり、ようやく「年収1%」の持論に現実味を付与することができたということであります。(弥)


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【倶樂部余話】 No.259  ジョージ・クレバリーでの出来事 (2010.6.23)

 何かの機会に書こうと思っていたネタです。おととし一月ロンドン探訪のときの出来事。立ち寄ったのはオールド・ボンド・ストリートのロイヤル・アーケードにある小さな店構えの靴店「ジョージ・クレバリー(以下GC)」。

その知名度に比較してその構えは
こぢんまりと小さな店です
GCと言えば、チゼルトゥという鑿(ノミ=チゼル)で削ったような独特の美しいつま先を考案したところとして世界に知られる名店です。さて、その日私が履いていたのは当店開店20周年の記念モデルとして作ったチゼルトゥの靴で、これはGCをかなり意識して考えた作品でした。つまり、弟子の模倣品を履いて元祖の師匠の店に入っていったようなものですから、随分と果敢というか無謀というか、思えば私も大胆なことをしたものでした。
 狭い店内にスタッフが二人、年輩の人は他の客と応接中で、私の相手は若い方の人でした。気に入った靴があったので試足することに…。そのとき彼が言ったのです。「今日あなたが履いてるその靴はウチのですよね。」私は心の中で(やった!)とガッツポーズを取りながら「ノー、これは日本でパターンオーダーで作ったものなんです。」

店員クンが間違えてくれた私の靴
 彼、私の靴をじっと眺め「へぇ良い出来ですね、間違えちゃいましたよ。このSavile Row Club というのがブランドですか。」「いや洋服屋の店名なんだけど…」なんて会話が続きました。
 私はこのロンドンでのことをすぐに製造元の宮城興業へ土産話に伝えたところ、彼らも大喜びしてくれました。きっと師匠に誉めてもらった弟子のような心持ちで小躍りしたことでしょう。

欲しい靴は合うサイズがなくて買えませんでしたが、手ぶらで帰りたくなかったので、靴ブラシを購入しました。
 あ、間違ってもらっては困るのですが、何も私は宮城興業にそっくりさんを作ることを賞賛したり奨励しているのではありません。本家取りをしながら、しかも履く人のサイズや要望に併せて一足ずつハイレベルの靴を作ることができる、という、世界でココにしかできない宮城興業の仕事の価値を評価してのコメントであることをご理解下さい。

 靴を作ろう!「はじめの一足」キャンペーン、実施中です。


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【倶樂部余話】 No.258  はじめの一歩 (2010.5.24)

 当店、いろんなものを誂え(あつらえ=オーダー)で扱っていますが、例えば、セーターやジーンズ、ベルトなどは、既製品の中から気に入ったものを探し当てられれば、必ずしもオーダーじゃなくても、というアイテム群でしょう。しかし、シャツと靴、このふたつは、自信を持って言えます、オーダーの方がいいです。既製品をあちこち回って探し歩くよりも、最初から作っちゃった方がラクだし、しかも楽しいものですよ、と。
 シャツと靴にはいくつかの共通点があります。まずサイズの個人差がものすごい。シャツは首と腕と肩と胸と胴、靴だと長さと幅と高さ、これが皆さんバラバラで、しかもどちらも肌への密着度がスーツやパンツよりも高いので、ぴったり目とかゆったり目の個人の好みも随分とまちまちなのです。どんなに優れたモノもサイズが合わなきゃ意味がない、というのはすべてのものに言えることなのですが、特にシャツと靴についてはその要素が大きいものなのです。また、傷んだらリペアできる、とか、分不相応に高価すぎるものを持つとかえって使わなくなって結局宝の持ち腐れになってしまう、などということも共通点に挙げられます。さらに、凝ったオーダーをしたければ徹底的に凝れるけれど普通のシンプルなものならばほとんど店に丸投げ・お任せでいける、という関与度の振れ幅の大きさも共通してます。そして、何よりも、他のアイテムよりもリピーター比率がずば抜けて高い、というのが、シャツと靴の特徴でして、これこそ一度作った人がオーダーの優位性を実感してくれている、という確かな証拠でしょう。
 しかし、そうは言っても、オーダーは「はじめの一歩」のハードルがどうしても高いもの。ないものを買うのですし、何からどう進めたらいいのかも不安でしょう。既製品のように「思わず衝動買いしちゃって…」などと自分に言い訳もしにくいですし、ちょっと知的な創造行為を楽しもう、という気持ちになってもらわないと、面倒くさいよ、の一言でオシマイになってしまいます。
  だから店は考えるのです、どうやって「はじめの一歩」のハードルを低くするか、を。そして今月に企画したふたつの連続イベントが、初めての方にとってその絶好の機会となって欲しい、と、お勧めする次第なのです。(弥)


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【倶樂部余話】 No.257  気が付けば最古参 (2010.4.21)

 ニコラス・モス」で検索すると、近頃当店は常にほぼ最上位に登場します。門外漢の洋服屋が陶器を扱って気が付けば16年、いつの間にか日本で最古参にして随一の輸入扱い者になっていたのです。
 専門業者から見れば取るに足らないほどの片手間な扱いですが、この片手間がかえって長続きの秘訣だったのかもしれません。そもそもは客寄せの催事として始めたのが発端でしたが、現在のオーダー会の形態になったのも、まず自分たち自身が愛好家としてそのコレクションを増やしたくてどうせなら相乗りしてくれる人を募ろう、という動機からでした。何しろ、在庫を持っての現品販売はしません、年に一度私物の見本を並べますからそれを参考に注文をして下さい、というわがままな売り方ですから、不便に感じる方もいたと思います。
 でも、決して不便なことばかりではなくて、限られた在庫から選ぶのではなく全コレクションの中から自分の好きなものを好きなだけ、マグカップ一個からでもはたまた日本ではめったに使わないようなでっかいお皿だって好きに頼めるという自由さ、しかもどこよりも低い価格設定(現地販売価格の約1.4倍)は、きっとよそにはないメリットだったことでしょう。
 入る注文も様々。もちろん毎年少しずつ買い足していかれるリピーターの方が最も多いのですが、アイルランドで見た陶器が忘れられなくて、とか、アメリカのインテリア雑誌で興味を持って、など、全国の見知らぬ方から、ネットを経由して舞い込む問い合わせが年々増えてきました。
 でも16年も続いた何よりの理由、そう、それはニックのこの陶器にそれだけの魅力があり、私たちが大好きだったからに他なりません。今年もオーダー会の始まりです。お待ちしてます。 (弥)


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【倶樂部余話】 No.256  季節に追い越されないように注意しましょう(2010.4.1)

 今年の三月は冷たい雨の日が多くて、春が遅いのかなぁ、と感じていたのですが、なぜか桜は平年よりも早く咲いて、何だか自分の季節感覚が狂ってしまったのかと不安になります。
 毎年言っていることなのですが、三月と九月は実は三月の方がずっと寒いのに、三月の売場には麻の半袖までも入荷し、九月はまだ真夏日があるというのにウールのセーターが堂々と並びます。季節の先取りがこの商売の宿命なんだから当たり前じゃないか、と言われれば確かにそれまでなのですが、ともかく買う服(=売る服)と着る服が全く一致しないのが三月と九月なのです。
 それじゃ三月に着る服はいつ買えばいいの、と考えてみると、これが意外にも九月に買った服だったりします。荒っぽく言うと、秋に暖の取れる春色の服を買っておいてそれを春に着る、というのはひとつのコツなのかもしれません。ただ服を寝かすことになる買い方を洋服屋が積極的に勧めてもいいのか、ということは感じますが。
 人間の季節感とは不思議なもので、九月にこれからだんだん寒くなるのだということは割と容易に思い至れるのに、三月にあと一カ月も経つとすっかり暖かくなっているということは想像しにくいようです。まだまだ寒いから、と、もたもたしてるといつの間にか季節に追い越されて、「あれ、今年もまた買い損なっちゃった」とタイミングを逃してしまうのもまた春の特徴です。「どうしてあの時もっと頑と勧めてくれなかったの」とお客様に言われるのが一番つらいのです。なので、春のこの時期はついついお勧めする押しがいつもよりも強くなってしまうことがあります。
 特にオーダーの商品などは、注文から仕上がりまでに3−4週間掛かるので、春夏期は季節感を先読みする感度を高くしておかないと対応できなくなります。うかうかしてると、すぐに季節に追い付かれ、追い越されてしまいますから。(弥)  

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【倶樂部余話】 No.255  ラジオ体操のススメ(2010.3.1)

 昔は、年寄りのやることだ、と鼻で笑っていた、ラジオ体操と犬の散歩。これを毎朝続けてそろそろ半年が経ちます。ラジオ体操の、第一はしっかり体の中に染みついていたのですが、第二は当初まるでさっぱりだったので、YouTubeで何度も繰り返してようやく身に付けました。第一第二と続けて真剣にやるとちょっとしたエクササイズになります。
 毎朝同じ時刻に同じコースを歩くので同じ人と挨拶をします。でも風景は季節ごと少しずつ微妙に表情を変えます。公園の広場は曜日によってソフトボールやサッカーなど朝早くからメンバーが集まってきてます。空を見上げると羽田からの一番機が朝日を浴びて西へと向かう姿が見えます。静岡上空のこのあたりは空の銀座通りらしくて、幾筋もの飛行機雲が同時に描かれる朝もあります。
 「どうせ三日坊主でしょ」と高をくくっていた家人でしたが、どんな雨の日もお正月も、一日たりとも途切れることなく続いているので、「よく毎朝その気になるわねぇ。」と漏らします。犬がせかすから、ということもありますが、それだけではありません。「うん、確かにやる気がなけりゃ体は起きないわけだけど、逆の場合があるってことに気が付いた。起きたくない朝でもともかくまず先に体を動かす。心が体を動かすんじゃなくて、体を動かして心を起こすってこともあるんだね。」毎朝体操や散歩などを続けている人は、きっと誰でも同じことを感じているのではないか、と思うのです。
 ラジオ体操80年、これはもう立派なニッポンの伝統です。(弥)

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【倶樂部余話】 No.254  「引っ越し通知」の届く店(2010.2.1)

 あなたの家にはひと月にどのくらいのダイレクトメール(DM)が届くでしょうか。封も開けずにゴミ箱行き、というものもあれば、もしかしたら一生を左右するような大きな出会いになるものまで、きっと様々でしょう。その中で、もしあなたが転居したとして、こちらから新住所を知らせておきたいな、と思える先がいくつあるでしょうか。あるいは、お店などから来た商的な年賀状に対して返信を出したことがあるでしょうか。残念ながら私の家に届くDMには一つも思い当たる先がありません。
 ところが、です。当店には「引っ越しました」というお客様からのお知らせが頻繁に届くのです。また正月には多くのお客様から年賀状を頂戴します。これらのことは結構自慢できることなんじゃないか、と感じています。
 言うまでもないことですが、お客様には転居通知や年賀状を私たちに出さねばいけない義理も義務も責任も、何もありません。なのにどうして…。自惚れて言うなら、きっとこの静岡の小さな店を、そして毎月発信する黒い小さな文字ばかりが並んだこの官製ハガキを、「顔の見える店、私のハガキ」として大事にしてくれているからなのでしょう。
 お客様から貰うもの、それは商品代金だけではありません。催促しているわけではありませんが、でも、転居通知や年賀状、店であるがゆえに、実は本当に嬉しくてたまらないものなのです。(弥)

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【倶樂部余話】 No.253  野澤屋創業88周年(2010.1.8)

 新年おめでとうございます。元日の静岡は、寒風が強く吹き荒れましたが空は快晴で、今年は風にめげずに晴れやかであれ、と何だか天気に励まされているような思いがしました。
 年頭はいろんなところで今年はこうなるという予想が書かれていますので、私もここで誰もまだ言ってくれない予測を一つ述べたいと思います。それは「トラディショナル」の復権であります。トラディショナル、トラディション、略してトラッド、一般には伝統と訳されています。またファッション業界では'70年代に流行したある分野の商品ジャンルを指すこともあります。
 もしトラッドが時代のキーワードとして復活したとすると、きっとまた様々に曖昧な解釈が生まれるでしょうが、私が考えるトラッドの意味は、と例えるならそれは「轍(わだち)」なのです。轍(てつ)を踏む、と言うとあまりいい意味ではありませんが、しかし多くの先人たちが付けてきた轍をなぞらえる姿勢を持つこと、そういう態度で臨むこと、これがトラディショナルと言うことなのだと考えます。決してタータンチェックやボタンダウンシャツを着ることがトラッドなのだとは思わないで欲しいのです。
 このところあちこちで創業○○周年とか生誕○○年というイベントがとても多いとは思いませんか。これはとてもトラッドな現象のひとつだといえます。そして、かくいう当社も、今年は創業88周年を迎えます。大正11年(1922年)に祖父が静岡・呉服町の横丁、玄南通りでわずか二坪の「野澤屋」を始めて88年になります。ですので、今年一年間は88や8にちなんだ商品や企画を次々に提案していこうと考えております。お楽しみいただけましたら幸いです。
 今年もお引立てのほどをよろしくお願い申し上げます。(弥)

 上のマークはスコットランド・グラスゴーのとあるストリート88番地にあるレストラン"Two Fat Ladies"のロゴです。とても美味でもてなしも素晴らしくいい思い出の残っている店なので、当社88周年キャンペーンのシンボルマークとして使いたいと拝借をいたしました。  


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【倶樂部余話】 No.252  及ばざるもまた過ぎたるが如し?(2009.12.15)

 反省文を書きます。実は今年ほど不安な気持ちで過ごした一年はなかったのです。新店舗へ引っ越して最初の年ということもありましたが、それ以上にここまでデフレが進んで消費マインドが冷え込むとは思ってもみませんでした。
 そんな中で今年売れたモノと売れなかったモノを、三つの商品群に分けて考えました。まず、新店舗に新しい風を、と意気込んで導入した新規の取引先の商品ですが、ベルトのようにヒットしたアイテムもあったものの、残念ながら全体にもう一歩というところで、多くが予想を下回りました。次に、例年一定の売上げがあり、今年もこのくらい入れておけば、という、俗に言う安全牌(あんぱい)の商品群ですが、これもまた力及ばず今ひとつの成績でした。最後は、ずっと売れ続けているけれど年々販売量が減ってきていて、これは既にほぼ行き渡ったようなのでさらに発注数を手控えておこう、と抑えめにした商品群。ところが実際にはこれがよく売れて数が足りなくなったのでした。
 つまり、ふたを開けてみれば一番自信のある当店らしいモノが一番良く売れた、という、至極当たり前のことなのですが、この結果は、今までの自らの積み重ねを自分自身でちょっと軽んじてしまっていたからではないか、と反省をしているのです。不安の中で自信を失うことも多かったのですが、(なぁんだ、もっと自分に自信を持ってやってても良かったんだ)と今になって痛切に感じています。もちろん過去の伝統や名声にばかり頼って自信過剰になるようでは最低ですが、伝統を自信過小するというのもこれまた考えなけりゃいけません。過ぎたるは及ばざるが如し、と人は言いますが、でも反対に、及ばざるもまた過ぎたるが如し、とも言えるのではないでしょうか。
 皆様の今年のご愛顧に感謝します。どうぞ良いお年をお迎え下さい。(弥)


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【倶樂部余話】 No.251  「スーツは肩で着る」んじゃなくて… (2009.12.1)

 チョイキズでタダ同然で格安に譲ってもらったカシミア&ミンク入りの上質なジャケット生地を、どうせ貰い物だし、と普段はあまり使わない工賃の安い工場に作らせてみました。新パターンができたというので試してみようか、と思いまして。しかし、これがどうにも着心地が悪くて仕方がない。動くたび服が身体から離れて動いてしまうし、生地は軽いのに肩が凝ってしまいます。一方、同じ頃に、普及品よりもさらに重たく織ってもらったハリスツイードの生地を今度はいつもお願いしている工場で仕立てたのですが、これは身体にしっかり吸い付いて実に動きやすく肩も凝らない。この違いをどう話せばいいだろう、と考えたのが今回のお話です。
 「スーツは肩で着る」とよく言われます。私も長くそう思っていました。ところがさらに上のレベルに行くと、そうじゃなかったのです。それを知ったときには私も目からウロコの驚きでしたが、しからばどこで着るのか、というと「首廻りで着る」のです。首廻りにピタッと吸い付くように背骨のぐりぐりの一点に全重量が掛かるようになっているのです。重たい頭を常に支えている背骨(脊髄)は重量をほとんど感じないところなのですね。首廻りに重力(=下向きの力)が作用するようにクセを付けるので、相対的に肩には上への力が働き、肩は浮き気味に触れるようにふんわりと乗るというのが理想的な肩回りだということなのです。
 口で言うだけなら簡単ですが、これを技術で表現するのは大変なことでして、ここで「純正鎌衿ごろし」という熟練の秘技が登場するのですが、これがどこの縫製工場でもできるわけではないのです。そして、当店がいつもスーツの製造をお願いしている二つのファクトリーは、どちらも同じルーツの指導者によって技術の伝達がなされていて、どのスーツにも当然のようにこの匠の技が施されているということなのです。
 いいスーツの見分け方はいろいろ言われますが、「首廻りで着る」は確実にひとつの判断基準となるはずです。(弥)


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【倶樂部余話】 No.250  一生モノって何だろう (2009.11.1)

 「こだわる」という表現はあまり好きじゃない、と五年ほど前に書きました(
余話No.183 2004.2.26)が、もう一つ、やたらに使って欲しくはないな、と思うのが「一生モノ」という言葉です。
 一生モノの財布が欲しいんです、とか、このダウンは一生モノですよね、などと二十代の若い人から言われると、確かにそれらはロングセラーだし長持ちもしますから、大事に愛着を持って使ってもらえると嬉しいです、と願う反面で、だけど君の一生は多分あと五十年はある、その五十年ずっとこれを使い続けて買い換えもしないというわけではないだろう、と、言いたくなってしまうのです。
 自分の身の回りで若い頃から30年以上使い続けているモノを見渡してみると、ホチキスや定規などの何でもない文房具だったり、服ならダンガリーのシャツとかブランドも忘れてしまったスウェットパンツだったりなど、単に継続の結果としてこれからも一生付き合うんだろうなぁ、という他愛のないモノばかりです。死ぬまで使うぞ、など気負った意識で買ったモノなど残っちゃいません。体型も生活環境も流行も、みんな変わっていくのですから。もちろん使わないけど思い出や資料として保管してあるモノはあります。でも、モノは使ってなんぼ、でしょ。 どうも今の「一生モノ」という言葉には、「これ以上のモノはないよ」と他人が言うのなら、という他力本願的な依存心や、「もうこれで打ち止めにしてモノは買わないぞ」という消費への消極性が見えるような気がするのです。長く使いたい、という気持ちはとっても嬉しいのですけれどね。
 かつて、これは間違いなく一生モノだろうと思い、我がアランセーターの恩師故パドレイグ・オシォコン氏にこう尋ねたことがありました。「アランセーターは一生涯死ぬまで使えますよね」 その答えはなんと「ノー」。続く言葉に私は驚きました。「三世代は着られるよ」(弥)


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【倶樂部余話】 No.249  選択肢の多寡 (2009.10.1)

 私は食べ物屋でメニューを選ぶのが大の苦手。ランチ選びはせいぜい五種類が限界で、十種以上になるともうお手上げです。また、こういう仕事をしているのにデパートでモノを選ぶことができません。よくあんなたくさんの中から自分の一着を探すことができるものだ、とデパートで洋服を買える人に私は尊敬の念を抱きます。 選択肢は多い方がいいのか、少ない方がいいのか。売る側は、販売機会のロスを防ぐためには選択肢は多いにこしたことはない、とつい考えがちですが、買う方から言うと、選択肢が少ない方が簡単に選べて後悔もしないのでより幸福感が味わえる、という心理学者の説に軍配を上げたくなります。
 モノが溢れて豊かな時代になり、ネットも普及すると、選択肢は無限に広がり、そこから何を選ぶかはもう自分一人では手に負えず、何かの力に頼らざるを得ません。だからアマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という誘い言葉に、余計なお節介すんなよ、と文句言いながらも、それに頼ってしまいます。自分だけのために選択肢を絞る手助けをしてくれる(機械的でなく)リアルな人や店が存在してくれたら、どんなにありがたいことか、と思います。
 店のお客様には、常連もいれば新参の人もいて、職業も様々。年輩の方も若い方も、大きい人も小さい人も見えます。だから店はいろんな選択肢を用意しますが、決して多ければ多いほどいいのが当然、と思っているのではないのです。たとえどんなに多くの品数があったとしても、お客様は自分の欲しい最小の選択肢がありさえすればそれでいいのですから。最大限の顧客に向けて最小限の選択肢を提案する、これが品揃えの理想でしょう。
 秋冬物が入荷しました。今年の品揃え、あなたにとっての選択肢は、さて多いでしょうか少ないでしょうか。(弥)


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【倶樂部余話】 No.248  全部踏破 (2009.9.1)

 今から約40年前のこと、中学生だった私は大阪の万博に一週間通い詰めて、全パビリオンのスタンプを集めました。また同じ頃、鎌倉のあらゆる寺社や史跡を日曜日ごとに一年以上掛けてすべて回るというようなことをしていました。
 こういう「全部踏破」は人によってジャンルに偏りがあるものです。日本百名山を踏破中という方もいらっしゃるでしょう。文学や映画で、ある人の全作品の踏破というのは女性にも多いようです。音楽の「全部踏破」は比較的楽なのではないでしょうか。ビートルズのイントロクイズなら私だってもしかしたら全問正解できるかもしれません。
 50年経ってもまだ達成できないのが、47都道府県の全部踏破です。現在44で愛媛、高知、沖縄の3県が未踏なんですが、これは慌てて達成してしまうとつまらなくなりそうで、老後のためにとっておこうと思っています。意外にも47全部踏破したという人にお目に掛かったことがないのは不思議です。
 「全部踏破」の欲望をにわかに抑え難くなってしまうのが、食のジャンル。特に困るのがバイキングというやつです。浅ましく、つい全部に挑戦してしまい、いつも胃薬の世話になる羽目に陥ります。
 この「すべてをチェックしたい」という心理はどんな人間にもある欲のようで、どういう人がどんな全部踏破の経験を持っているか、きっとその人の隠れた一面が発見できるような気がしますので、これからいろいろと聞いてみたいと思っています。あなたの全部踏破はなんですか。(弥)


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【倶樂部余話】 No.247  下取りとリペア (2009.8.1)

 世の中「下取りセール」なるものが盛んです。スーツ、靴、鞄からゆかた、はては鍋や炊飯器まで…。そして、下取り代として受け取るのがその店で使える三百円や千円の商品券なのですが、聞けば、ある会社ではこの商品券の使用率が三割以下だというのです。さすが消費者は消費のプロだなぁ、客は店側の思惑を超越するもんだ、と私は感心してしまいました。要は、下取りです、エコです、モッタイナイです、節約です、などと謳うのは店側で、客はスーツが欲しかったのではなくて不要品を無料で簡単に引き取ってもらいたかったのでして、「捨てる」という罪悪感からの解放であったわけです。受け取る商品券は換金せずとも充分に免罪符たり得たのです。
 方や、雑誌ではリペア(直し)やメンテナンス(手入れ)の特集が目立つようになってきました。これは、広告主の激減で新製品紹介の提灯記事でページが埋まらなくなったという出版界の事情かなと勘ぐったりもしてますが、流行りモノをホッピングする浮ついた買い物よりも自分にあったモノを大事に長く使い続けることに労力を費やそう、というこの傾向は悪くないと思います。靴磨きも今はシューシャインと呼ぶそうで、これが趣味にしても職業としてもちょっとした流行りでして、当店でもレザーケア用品はこのところとてもよく売れています。
 捨てるようになる品には手を出さずに、数は少なくても愛着を持って手入れしながら使い続けられる実用性の高い品を慎重に吟味して買う、という性向は今後ますます強くなります。これはなかなか当店らしいんじゃないかな、と感じているのですが。(弥)


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【倶樂部余話】 No.246  靴とセーター、作ろう! (2009.7.1)

 七月の「作ろう!」特集は、紳士靴とカシミアセーターの二枚看板。製造のパートナーは、靴が宮城興業(山形県南陽市)、ニットはUTO(本社・東京都港区、工場・山梨県中央市)ですが、さてさて余話ではどっちのファクトリーのことを書こうかなぁ、と悩んでいた矢先、宮城興業から一通のメールが入りました。「昨日UTOさんが見えました」 えーっ、両社に交流があったなんて話は知らないけどなぁ…。聞けば、双方初対面にもかかわらず、誂えモノという共通項から、当店のことを肴にしつつ話は弾んだ、とのことでした。えーい、それならこっちも二社をまとめて書いてしまいましょう。
 思えばどちらも最初は知縁も紹介も全くないところから手探りで始まった取引でしたが、オーダー靴は五年間で五百六十足、昨年から始めたオーダーニットも一年で六十枚、と、今では欠かせない大事な取組先となりました。製糸工場を改造した古い靴工場とブドウ畑の真ん中にぽつんとある小さなニット工房、と、2社の生い立ちも規模も違いはありますが、私はどちらも当初から「このファクトリーは世界でもどこも真似のできない、世界でココだけのすごいことをやっています」と吹聴し続けてきました。私ごときがそう叫んだところで眉唾程度にしか思われなかったでしょうが、近頃はNHKの番組(BSの「経済最前線」で宮城興業が登場)でも紹介されたりして、私の発言もまんざらホラではなかったことが実証されつつあります。
 この二社の特色を語り出すといろいろと出てくるのですが、なかでも特筆すべきはその価格でしょう。まるで展示会サンプルのように一つずつ違うものを短納期で作り続けるのだから普通は市販品よりも割高になるはずなのに、どちらも「ホントにこれでいいの?」という値段を出してくれます。もっともそのために誤解も受けるようで、「あそこは三万円代の靴しか作れないんだ、と言われたのが一番悔しかったですね。十万円の靴はうちでもよそでも作れます。でもどこがこのレベルの注文靴を三万円代で作れますか。」その通り、だから日本だけでなく、ミラノの展示会に出展したり、ニューヨークや上海のお店にまで販売を拡げることができるんですよ。
 UTOにしても、カシミアの原産地・内モンゴルまで直接に原料手配に出かけたり、糸の仕入れ方法に独自のアイデアを産み出したり、と、小規模ゆえのメリットを最大限に発揮させています。
 同じ「作ろう!」でも、紳士靴とカシミアセーターでは、嗜好はかなり異なります。この二つを同時開催するときっと何かしらの相乗効果が現れるのではないかと楽しみなのであります。(弥)


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【倶樂部余話】 No.245 ベルトの話 (2009.6.1)

 六月から新たに東京のベルト屋さんと付き合うことになりました。社内に熟練の彫金師を擁し、バックルにも革にも独自の技と気概が込められている、ほとんどハンドメイドの、ちょっとユニークなベルトで、東京柳橋の小さな工房で作られます。
 ベルトというのは、革製品の中でも靴や鞄よりも控えめな存在ですが、実は最もぜいたくな革取りを必要とされます。長さ約百pの細長い帯状の形態を、伸びたり曲がったりしないように真横の向きで、キズのある箇所を避けながら、しかも着用時は両端が重なりますから、うんと離れている両端の革の見栄えが全く同じでなくてはならず、と考えると、原皮の中でも一番おいしい部分をスコンと抜いて持っていってしまうのがベルトなのです。
 さらに、ベルトは、体のど真ん中の目立つ場所にいるにもかかわらず、でも目立ちすぎてはいけない。常にスラックスのお供扱いで、しかも靴や鞄とも色合わせなどで仲良くしなければいけません。ベルトレスやサスペンダーという手もあるので、ドレスコードとして必ず付けなければいけないというものでもない、という微妙なポジションにあります。
 六月は当店で一番ベルトが売れる月。上着を脱ぐ機会も増えて「そろそろ買い替えようかな」という気が起きるのでしょうね。この夏はいつもよりも少しベルトを気にしてみてはいかがでしょう。(弥)

 
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【倶樂部余話】 No.244 昼下がりの客かぶり (2009.5.1)

 「昼下がりの客かぶり」がなぜか当店では最近顕著です。一日約九時間の営業で、実際にお客様が在店している時間はその半分程度でしょうか。平日なら来店客が十人を越えることも稀で、本来は二人のスタッフで充分に手が回るはずです。ところが、近頃きまって昼下がりのある時間帯に来店客が重なるのです。二組まではお相手できますが三組四組と短時間にかぶりますと挨拶もろくにできないうちにお帰りになってしまいます。「相手ができなくて、ごめんなさい、また来て下さいね。」の声すら掛けられないこともあります。重なった方には(いつも客のいる繁盛店だな)と思ってもらえたかもしれませんが、実はそういう日に限ってそこから夜八時までずっと閑古鳥が鳴いたりして、(ほんの十五分だけでもずれて来てくれると良かったんだが…)と願ったところで仕方もありません。
 私は予約制というのがどうも好きではありません。一人一人のご来店には思い思いの理由と事情があり、お客様にはご自分の都合で自由に来ていただきたいのです。が反面、迎える私たちとしてはなるべくなら重なることなくご来店機会を分散できるにこしたことはありません。
 この話をここで披露した理由、それはこれを読んだお客様がどうご来店されるか、もしかしたら何らかの変化が現れて、それで「昼下がりの客かぶり」が幾分かでも解消されるのではないか、と期待したからなのです。いかがでしょう。(弥)

 
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【倶樂部余話】 No.243  セヴィルロウが店名の理由 (2009.4.3)

 ビスポーク・テイラーとは、顧客ごとに個別に型紙を起こし、裁断から縫製までのほとんどを手作業で行い、数度の仮縫いの後にじっくりと作り上げる、英国スタイルの最上級スーツを仕立てる店を指します。もちろん価格もそれなりで、最低でも二、三十万円はするでしょう。ロンドンのセヴィルロウには昔からそういう店が集中しています。ですから最近は、セヴィルロウスタイルとかセヴィルロウ仕込みという言葉からビスポーク・テイラーと結びつけて話題にさせることが多くなりました。おかげでセヴィルロウというこの小さな裏通りの知名度はこの数年で格段に上がりました。
 しかし22年前、セヴィルロウという名は、背広の語源の一説ということすらまだほとんど知られていない、一般には実に馴染みの薄いものでした。当時はバブルの真っ盛り、イタリア調のゆったりとした、いわゆる「ソフトスーツ」が流行し始めた頃でしたが、そこに英国調のカチッとしたメンズショップを作ろうとしたので、その店名に英国男性を象徴するキーワードとしてサビルローの名前を冠することを思いついたのでした。(ちなみに、サビルローやセビローでは、さびれる、せびる、につながるので、それがいやで、セヴィルロウという表記を考案しました。) もちろんオーダースーツは開店当初から店の重要な柱のひとつではありましたが、しかし当店はスーツ専門の仕立屋を目指してこの店名を付けたわけではなかったのです。
 今さらわざわざ言うのもお恥ずかしいようなことなのですが、当店のオーダースーツは、パターンオーダーであってビスポーク・テイラーではありません。また将来もビスポーク・テイラーへ進む方向性は持っていないのです。このことは、ちょっと店内を一回りしてその様子や価格帯を見ていただければ、あるいはウェブで店の姿勢をご覧いただければ、すぐに分かっていただけることではあると思うのですが、近頃はこの店名からそういう誤解を受けることが少々増えてきましたので、ホントに全く自慢するようなたぐいの話ではないのですが、改めてここで申し上げておくことにした次第です。(弥)


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【倶樂部余話】 No.242 「これいい」「ここいい」 (2009.3.5)

 かつては「わけあって安い」が売り物だった無印良品、その現在の商品コンセプトは「これいい」なのだそうです。「これいい」ではなくて「これいい」、含みのあるうまい表現だなぁと思います。例えば私はあるお菓子の包装に「日本一おいしいラスK」と書いてあると、押し付け感を覚えてしまうのですが、つまり「これいい(のだ)」にはちょっと自分本位なエゴな匂いがするのに対して、「これいい(でしょ)」は少し理性的な感じがします。決して「これでいいや」と妥協しているのではなくて、「これ」の「」の感度と精度を極めよ、というメッセージなのだと思います。
 極論すると、世界中のすべての品を使い比べでもしない限りは「(世界で一番)これいい」と断言はできないのですから、実はどの店にしても、当店も含めて、その品揃えは「(うちの店には)これいい」なのです。もちろん無印良品と当店ではその「」は判断の指標が全く異なります。それがその店の性格の違いであり、品揃えのフィルターが多様であればあるほど店ごとの面白さが生まれます。
 要するに、モノを決める前に店を決めるという取捨選択があり、その選別に際して、店というのは「ここいい」ではいけなくて、絶対に「ここいい」でなくてはならないのです。
 モノも大事だがそれより先に店が大切、「ここいい」という店で「これいい」というモノを手に入れる、というのが理想の姿ではないでしょうか。(弥)


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【倶樂部余話】 No.241 引っ越し完了 (2009.2.5)

 引っ越しが無事に済み、予定どおりに新しい場所での営業を始めることができました。
 昨年の七月に店の移転を決意してから半年間、大きなトラブルもなくこれほどに順調に進められたのは、新しい家主さん不動産屋さん施工の皆さんグラフィックデザイナーなど多くの方々関係各位の皆様の協力のたまものと、深く感謝しています。
 新店は、旧店の雰囲気をなるべく継承し、さらに不満のあった箇所を改善し、何とか恥ずかしくない店が作れたのではないかと自分なりには満足しています。ご来店の方々からのご感想も、「明るくて見やすいねぇ」「前よりも広く感じますね」「二階だけど意外に入りやすいんじゃないの」など、お世辞半分として差し引いたとしても、概ね好評で、胸を撫で下ろしております。
 お客様からは、時に応じて、お祝い、ねぎらい、励まし、慰め、などなど、いろいろなお声を暖かく掛けていただきました。どれほどに嬉しかったことか、ありがとうございました。素晴らしいお客様に恵まれていること、これがうちの店の何よりの宝なんだなぁと、改めてひしひしと実感しています。
 ともかくも新しい船出はできました。もちろん二十年掛かって店に付いた手垢のような味は一ヶ月やそこらでイミテーションできるはずもなく、それはまたこれからお客様と一緒に付けていくことにいたしましょう。この何ヶ月かに渡ってここに続いた引っ越しネタもこれでオシマイにします。今後も倍旧のお引立てを賜りますよう心よりお願い申し上げます。(弥)


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【倶樂部余話】 No.240 チェンジ (2009.1.1)

あけましておめでとうございます。恒例の年頭所感です。
 何しろこの経済危機、「百年に一度」なのだそうで、生きてる人は誰も知らない、この先何が起きても驚いちゃいけないよ、というのですから、何だかおみくじで凶に当たったような、運がいいんだか悪いんだか、という境地です。
 さて、これからの消費はどうなるのか、という話になると、以下のようないろんな予想が登場します。曰く「衝動買いをせずにじっくり吟味」「見栄を張らずに納得してから」「価格が高い安いだけではなく、その価値に見合う価格かどうかをよく見極める」「虚飾を廃すること」「身の丈に合っているか」「軽いノリよりも真面目さ真剣さを重視」「量より質」「顔の見えるサービス」「便利さや豊かさから安心・安全なものへ」「直してでも長持ちさせられる」などなど…。
 あれ、これらは結構うちの店に当てはまっていないだろうか。とすれば、もしかしたらうちの店は意外に不況に強いアドバンテージを持っているのでは、と少々うぬぼれ気味にそう感じたのであります。多くの堅実なお客様に恵まれていることに感謝です。
 オバマ米新大統領だけでなく、きっといろんな事象がチェンジします。強制的であれ自発的であれ、変化を余儀なくされる場面が多々出てくることでしょう。大切なのは、変えてはいけないことを変えずに守るために、変えるべきを積極的に変える、という見極めで、いわば「積極的な守り」のためのチェンジが肝要だと思うのです。
 本年もどうぞごひいきに。(弥)


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【倶樂部余話】 No.239 困った円高 (2008.12.1)

 高校生の娘が珍しいことに(!)私に聞きます。「ねぇ、円高っていいことなんだとばかり思ってた。だって私が小さい頃にお父さんがよく『やった、円高、円高!』って喜んでたじゃない。でも最近のニュースだと円高はよくないことのように言ってるみたいだし…。」
 確かに十二年振りに訪れた空前絶後の円高です。もちろん我々には円安よりも円高にこしたことはないのですが、しかし今回はそうそう喜んでもいられない「困った円高」なのであります。
 そもそもこの円高ユーロ安、九月中旬以降の世界金融不況の副産物みたいなもので、あまりにも急転直下でした。しかも時期が悪すぎます。秋冬物の仕入れが大半済んだ後での円高ですから、今店内にある輸入品のほとんどは高いユーロで仕入れたものです。でも「コレ来年はきっと安くなるよね」と問われれば、もうこれは否定できません。将来に向けて価格が下がる、つまりデフレ状態ですから、当然買い控えになります。
 ところが店側も、来年安く売るためには、高く仕入れた今の在庫を無くさないと次の仕入れができません。かくして、円高メリットを享受しているわけではないのに、販売価格は値下げを余儀なくされる、という構図になるのです。表向きは「円高差益還元」と称して値下げを実施する海外ブランドも、実は円高差益なんてほとんどないのではないか、と想像が付きます。
 でも、お客様にとっては、何も不都合はなく、むしろありがたい話でしょう。売る側の価格設定が弱気にならざるを得ない今シーズンですから、お買いになる側はどうぞ強気に、丁々発止の値踏み交渉なんぞを楽しまれてはいかがでしょうか。(弥)  


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【倶樂部余話】 <号外>  引っ越し先の発表です (2008.12.1)

 年明け一月に店舗を引っ越しします、と前号でお伝えしました。多くの方から「同じ紺屋町で、大股で137歩、らせん階段・レンガづくり、の2階って、 一体どこ?」と問い合わせをいただきました。
 「あそこじゃないの?」といろんな答えが出ましたが、ズバリの正解者はわずか2名でした。
 それでは発表します。
 住所は、紺屋町5-10 まるめビル2階。パルコの裏手・両替町通りで、浮月楼の正門の向かい側、1階に医心堂薬局さんが入居するビルの2階部分になります。
 今より少し狭くなりますが、広い窓からは徳川のお屋敷跡の木立が見えます。
 移転の具体的な日程は改めてお知らせいたします。

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【倶樂部余話】 No.238 引っ越しを決めました (2008.11.1)

 重要なお知らせをいたします。店を引っ越すことになりました。時期は年が明けて一月中旬の予定です。
 いろいろな事情が重なり、実は店の移転は二年ほど前から検討課題として挙がっていたのです。これから将来さらに売上げ拡大を目指すのか、それとも今の規模を維持しつつスローライフを志向するのか、その岐路にあって段々と後者の選択に気持ちは傾いていきました。いくつかの移転先候補を当たってきたのですが、このたびほぼ希望どおりの場所を確保することができましたので、いよいよ引っ越しすることを決めました。
 移転と言っても、手狭になって、とか、拡張のため、という理由ではないので、できるだけ淡々と大騒ぎせずに引っ越したい、と考えています。が、そうは言っても、この店として二十年、会社としては三十五年間も世話になったこの場所を動くのですから、やはり引っ越しまでの三ヶ月ほどはいつもとは違う変則的な体制となることは避けられません。そんなこともあり、まずは顧客の皆様にいち早くお知らせしなければ、と思い、ここでお知らせすることにいたしました。
 で、どこへ移るの、という肝心のその場所ですが、そのうち分かることですので、発表はもう少し先にして、しばらくの間クイズにすることにしました。ヒントです。ここから大股で百三十七歩という至近なところ、同じ紺屋町の町内で、レンガづくり・らせん階段の二階、というのは今とおんなじです。
 さあどこでしょう。ご来店の方に順次お教えすることにしまして、皆様の十一月のご来店をお待ちすることといたしましょう。(弥)


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【倶樂部余話】 No.237 ちりとて・瞳・だんだん… (2008.10.1)

 朝は割と遅いので、長年まさに時計代わりになっているのがNHKの「朝ドラ」です。今までにも秀作駄作いろいろありましたが、先月までの「瞳」、これはひどかった。つまらない、を通り越して嫌悪感さえ覚えました。その前の「ちりとてちん」が近年まれにみる秀逸な出来映えだっただけに、余計にそのギャップに落胆しました。
 主役が魅力に乏しいとか、ストーリー展開が陳腐など、ケチを付ければキリがないのですが、まず、舞台となる東京下町・月島の小さな紳士洋品店、これがありえない。こんなに不真面目で全く売る気のない店、ちゃんと洋服屋の商売をしている人に失礼です。それから、芸達者なベテランの脇役陣なのに、前にどっかで見たことある役柄ばかりで意外性がまるでない。全体に真剣な熱意というものが感じられない。何十年も続けてやってる朝ドラなんだから、この程度にお茶を濁して適当にやっても半年ぐらいは何とかなるよ、というマンネリと惰性…。
 待てよ、とここまで思って心配になりました。もしかしたら、うちの店もお客さんから同じように思われてはしないだろうか。21年目の秋、新メニューも揃えているのだが、20周年企画が目白押しだった昨年に比べると確かにインパクトは弱い。今年は今までよりも真剣さと熱意に欠けているんじゃなんの、なんて勘違いされてはいないだろうか。いかんいかん、ちゃんと訴えないと、と反省した次第です。
 「ちりとて」も「瞳」も記録的な低視聴率だったとか。でも見ている人の熱中度は両者で雲泥の違いでした。うちの店も高視聴率を狙う店ではありませんが、中身の質として、いつもファン客に高い熱中度で来店いただくため、そのアピールは怠ってはいけないぞ、と改めて肝に銘じてます。慣れることや馴染むことと惰性を履き違えちゃいけないと自省してます。
 次は「だんだん」。「ありがとう」の謙虚さを忘れずに、わくわくしたい、わくわくさせたい、という気持ちを、十月を機にもう一度リセットしてみよう、と思った、この秋なのでした。(弥)

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【倶樂部余話】 No.236 いいご縁を戴きまして… (2008.9.6)

新しい仕入先というのは、こちらから探していくことも多いのですが、逆に先方から当店の実績に一定の評価を頂戴してアプローチの声を掛けていただける場合もあります。この秋冬物からスタートする以下の三つの仕入先は、ありがたいことにどれも後者のケースなのでした。

★葛利(くずり)毛織さん(愛知県一宮市木曽川町)を七月にお訪ねした当初の目的は、純粋に工場見学でした。しかも、先方とはそれまで一面識もなかったので、懇意にしている生地問屋さんに仲介をしていただきました。単純な興味で、今も稼働する旧式のションヘル織機をこの目で見たい、それを話のネタにでもできれば、という程度の気持ちだったのです。
 ところが、話が弾んでいくうちに、どうせなら直接商売しましょう、というように事が進んできたのです。それは従来の業界慣習では考えられないことでした。通常、機屋さんの販売は一反(約60m)ごと、対して我々洋服屋の仕入れは10cm刻みですので、両者の売買の単位が大きく違うのですが、それを工場出荷を10cm単位でやりましょう、というのですから、葛利さんとしては大胆な提案であったのです。
 少々面食らいましたが、先方の熱意にもほだされ、双方の仲介の労を取ってくれた生地問屋さんにもちゃんと筋を通して了解を取り付け、いよいよ今シーズンからふっくらとしたションヘル織りの自慢の服地が尾州のファクトリーから直接届くようになったということなのです。

★ドーメル(本社パリ)と言えば、スキャバルと並んで英国生地の老舗マーチャントです。パリが企画する英国服地として永年人気があり、古くからある街角の仕立屋さんのウィンドウには今でも必ずドーメルの名前が飾られています。そんな先入観があったので、初めに売り込みのアプローチがあったときも「きっと未だに旧体質な代理店方式で、高い生地値でステータスを迫ってくるのだろうなぁ」と高をくくっていたのですが、さにあらず、でありました。フランス本社が直接日本法人を作り、また英国の有力工場を買収し傘下に収めるなど、物流とモノづくりの両面で革新を遂げ、驚異的なコストダウンを実現していたのです。英国でもこんなに艶っぽい色気のある生地が織れるのか、と思うほど美しい服地なのですが、その生地が先日フランスの本社倉庫から直接ここに届いたのにはちょっと驚きました。
 いったん凋落した後に体制を作り替えて蘇ってくる古いブランドというのが、近頃は珍しくないですが、ドーメルもその一つ、復活した老舗ブランド、と言えるでしょう。

★三番目は、ラコステ。ええ、あのワニでお馴染みの、であります。先方からの誘いには、なんでウチに?と、正直私もちょっとびっくりしたのですが、何でも、百貨店、直営店、大手セレクトチェーン店、といった現状の販売店以外にも、地方の品揃え店にワニのマークが置いてあってもいいんじゃないだろうか、という計画が始まったそうで、当店がフランス本社の承認を通った日本初のケースになったということなのです。ですので、並行品でも闇ルートでもなく、ちゃんと正規の取扱い店としての位置付けになります。
 今までこの店では、ワンポイントのブランド品というのはほとんど否定してきましたが、唯一ラコステだけは拒むことができません。なぜなら、ここが世界で最初にワンポイントを発明した元祖であるからです。


 このような援軍の支えをもらって、当店21年目の秋が始まりました。今シーズンもどうぞご贔屓に。 (弥)
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【倶樂部余話】 No.235 フィッシャーマンズ・ストライキ (2008.8.1)

 燃油の高騰で採算が取れず全国一斉休漁という行動で世の中にその窮状をアピールしたフィッシャーマンズ・ストライキ。何しろ売上げの半分が漁船の燃油代で消えてしまうのではそりゃたまらないでしょう。ところが「時化(しけ)で入荷がない日みたいなもんだと思えば、大した影響はないですよ」と、築地市場の人たちは妙に冷ややかなコメントを発していました。私がここで考えさせられたのは、魚の値段は誰が決めるのか、という基本の問題。自分で捕った魚に漁師さんサイドでは売値が決められない、という漁業流通の仕組みです。競り(オークション)という値決めの方法は分からない訳じゃないのですが、それでも、生産者ばかりに損が歪んでいくようで、どこか何かおかしい、と思えてならないのです。柄にもなく、「コレじゃニッポンの漁業はどうなっちゃうんだ、大変じゃないか。」と一人叫んでしまいました。
 私たち小売業にとっての最大の弱点は何か、というと、私は、自分自身ではモノが作れない、ということだと思うのです。誰かに何かを作ってもらわなければ商売が始まらない。モノの供給を止められたら首根っこを押さえ付けられたのも同然なのが小売屋です。だから、売り手にとって作り手はとても大切、ともに育み合うべきパートナーであるはずです。もちろん、安く仕入れて安く売る、は商売の鉄則でありますが、しかし「お客様のため」という名の下で、お客様第一主義と単なる消費者迎合を履き違えたまま、売値を下げるために生産者や中間業者をいじめて叩いて、適正な利益を配分してあげなかったら、作り手はやがて疲弊し立ち行かなくなるだろうことは明らかです。そうなって困るのは今度は売り手の方なのです。このことは繊維縫製業でも全く同じでして、現に私どもにとって、今お願いしている国内の縫製工場がもうこれ以上なくなってしまったとしたら、ホントに困ったことになるのです。
 大規模小売店が流通のイニシアチブを握り、つまり価格決定に強い力を発揮するようになった現代の流通においては、小売業は生産者を守ってあげないといけない義務を負っている、と私は思います。何も難しいことではないはずです。例えば、セブン・アイ(ヨーカ堂)の鈴木さんとイオン(ジャスコ)の岡田さんが二人して「魚を今までより高く売りますけど、どうか買って下さい。日本の漁業を守るためにです。」と訴えれば、賢明な日本の消費者は少なからず共鳴してくれるものと思うのですけれど…。(弥)

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【倶樂部余話】 No.234  服屋から靴を考えてみると… (2008.7.1)

  服屋の目で靴を見るといろんなことに思い当たります。
 もし服の寸法が五ミリ狂っていても、気付く人はほとんどいないでしょうし、このぐらいは仕方ないよ、の許容差の範囲で済まされますが、同じ五ミリもこれが靴となると、表記がワンサイズ変わるほどの大きな違いとなります。
 しかも、靴というのはひとつ作ればいいというものではなく、必ず左右二つを全く同じに作らなければなりません。寸法が違っても革の模様が違っても少しの差も許されないのですから、当たり前のようですが、これはすごいことだと思うのです。
 反面、不思議に思うのは、服屋にとってメジャー(巻き尺)は必携の道具でこれがないと仕事になりませんが、靴屋さんに行って足の寸法を測られることはまず稀で、靴のサイズというのはほとんど客の自己申告で決まってしまうもののように思えます。
 服屋の私が言うのも何ですが、誂え(=オーダー)に適しているのは服よりもむしろ靴の方じゃないかと感じることがよくあります。寸法の個人差は服の比ではなく、どんなに素晴らしい品もサイズが合わないとその真価が発揮できない、という点も服以上でしょう。ただ、靴のオーダーの場合、服よりもその完成図が想像しにくい、という弱点は否めず、それが初めてオーダーをやってみようという方の気持ちのハードルを少し高くしているのではないかと思います。
 「かっこいい靴を履くには、我慢は付きもの。痛い思いも仕方ない。」と思っている方は多いようで、春からレディスを始めてからは、特に女性にそれを強く感じます。確かにブランドのある高価な靴、それは絶対にいい靴です、否定しません。が、自分の足にストレスなく履けるかっこいい靴、これも併存するものとして、また絶対に必要な靴なのだと思います。
 もうひとつ、今後はエコという観点から見ても、履き潰すのではなく、リペア(=修理)して履き続けられる、という利点が誂え靴にはあることも見逃せない要素となることでしょう。
 靴を作るなら、夏。ただいまサマー・キャンペーンを実施中です。(弥)

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【倶樂部余話】 No.233  ウェスト85センチの攻防 (2008.6.1)

 メタボ健診の攻防ラインが、ウェスト85センチ、という数字。
 先日私も主治医にメジャーを当てられ、ささっと「88センチ」と書かれたので、カチンときまして「ちょっと先生、今私が履いているスラックス、82センチですよ。その測り方、変じゃないです? いいですか、ウェストっていうのはこうやって測るんですよ…」と、逆にお手本を見せてやりました。
 何だか85センチを越えたら急に肩身が狭くなるようなおかしな風潮ですが、実は、当店で一番売れるベルトやスラックスのサイズ、これが85センチです。つまり当店の男性客には85センチのウェストの方が最も多いということに他ならないのですが、当然に皆が皆メタボな体質なんてわけではありません。
 それに、同じ85センチでも、身長160センチの方ですと確かに少々コロッと愛嬌のあるご体格(AB体)ですが、180センチある人だと標準体格(A体)の人でウェストがちょうど85センチですから、長身の方にはかなり不利な判定基準ですね。かように身長を無視してことさらウェストだけを問題視してもほとんど意味のないことのように思えます。
 さらに疑問は、女性は90センチ、という基準。普通は女性の方が男性よりもウェストはくびれて細いものなんですが、なぜ女にはそんなに甘いんでしょうね。
 まぁともかくメタボ候補の男性の数を日本中で増やしちゃえ、そんな厚生労働省の意図が見えるような、ウェスト85センチの独り歩きなのであります。(弥)
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【倶樂部余話】 No.232 カシミアセーター・ファクトリー訪問記 (2008.5.4)

 カシミアセーターの受注会を今月開催しますが、その実施前に一度見学しておきたいと思い、甲府の南、笛吹川(富士川の上流)に近い製造現場に伺いました。地図で測ると当店のある静岡市から北へ直線距離でわずか七十キロ、山梨県中央市成島にある(株)ユーティーオーの山梨工場です。工場と呼ぶにはあまりにも小さいファクトリーでしたが、ここで一枚ずつ、糸の太さもデザインも色もサイズも異なるカシミアセーターが作られているのです。キーワードは「さいしん」です。
☆最新…ニット生産の専門知識を熟知した技術者によって一枚ごとに違う設計図がパソコン上で作られ、それに連動して二台の日本製編み機が稼働します。セーターの主要なパーツはこうして正確に編まれていきます。
☆細心…どれほど高度に自動化した編み機だとしても、見頃や袖などに分かれて編まれたパーツであれば、それら同士を結合させる「リンキング」の工程は手作業なのです。細かい櫛(くし)のような道具を使って、一針一針慎重に進められます。見ているだけで目が疲れて肩が凝ってきそうで、よく針目を違えて飛ばしてしまわないものだと感心します。ここがセーターづくりのキモのところですね。ここで扱う製品は全てカシミア製のしかも一枚一枚がすでに購入するお客様が決まっている特注品なのですから、大量生産の工場のように「何しろ生産効率が大切、多少の不良品が出ても返品を引き取ればいい」という慌てた気持ちでは務まりません。
☆砕身…洗いは普通の家庭洗濯機、乾燥も室内で自然干し、と極めて小規模。洗い方も干し方も一枚ずつなのでこの方が融通が利くのです。カシミアの糸は原料からしてとても高価、たとえ十センチだって無駄にはしません。工場長は床に落ちた糸を踏みそうになって足をくじいたそうな。だから、粉骨砕身!
それにしても、綿ぼこりひとつ落ちていないクリーンな現場にはちょっと驚きました。私も内外幾つかのニット工場を見ていますが、こんなきれいなファクトリーは初めてでした。

 畑の真ん中の、一体中で何をやってんだかすら分からないような小さな工場。でも世界でもきっとここでしかできない離れ業をやっています。カシミアセーターの受注会、従前から大幅にスケールアップして、まもなく開催です。 (弥)
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【倶樂部余話】 No.231  アメカジとキャンディーズ (2008.4.10)

 長くこの仕事を続けていると、たまには「昔取った杵柄」が役に立つこともあるものです。しかし、近頃のアメカジ(アメリカン・カジュアル)復活の流行に際してほど、これをどっぷりと実感する事態はありませんでした。もちろんその杵柄は相当に錆び付いてはいるのですけれど…。
 「セヴィルロウ倶樂部」は21年目になりますが、その前の私はアメカジの店やジーンズ店を切り盛りしていました。さらにそのもっと前、そもそも大学生の私はいわゆる「ポパイ少年」の典型だったのでした。当時のポパイはまさに私にとってのバイブルで、教科書以上にラインマーカーだらけとなってまして、暇があれば神田や渋谷、青山あたりのお店を冷やかし冷やかし回ったものでした。
 さて、今回のアメカジ復活。オックスフォードのボタンダウンシャツもスイングトップもプレッピーも、らせん階段のように輪廻するファッションの習わしのひとつだと言われればそれまでですが、当時は客であった大学生の我々がとうとう五十歳となり、いよいよ仕掛ける側として社会の実権を握り始めた、それゆえの現象ではないかと感じています。
 あれから三十年。と言えば、キャンディーズ解散三十周年のファン同窓会が先ごろあって、話題となりました。私もあのとき後楽園球場に熱い思いを寄せた一人として感慨を深くしました。(1978.4.4.FinalCarnivalとプリントされた白いスタッフ・トレーナー、今でも大切に取ってあります。)このイベントは、ファンクラブ(全キャン連)元幹部のガン死という悲劇が契機ではありましたが、しかしこの時間の隔たりが、きっと二十年や二十五年だったらこれは実現しなかったのではないでしょうか。当時のファンのほとんどが五十歳あたりになり、堂々と昔を振り返ることができるようになった、それが三十年、だから現実のものになったんだろうと思います。
 つまり、アメカジ復活とキャンディーズ解散30周年には、関連性がある。これ、誰か論文のテーマにしないかなぁ、と思ってるのですが…。 (弥)
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