| 【倶樂部余話】 No.158
六年前にも書いたことですが、新しいメンバーも増えましたので、今一度「春」についての持論をお話しします。 三月四月と、確かに平均気温は上ります。ところが、この「平均」というのがひとつのまやかしなのです。週のうち暖かい日が一日だけある、次の週はそれが二日になる、 その次は週に三日、お彼岸ごろを境に週四日になり、そして徐々に夏に続いていきます。だから、三月初めでも初夏みたいな日もあれば、桜が散っても雪が降るという日もあり、実は平均気温どおりの春の日などというのは滅多にはないのです。 よく男性客が言うことに「いつから春物に着替えたらいいんだろう。待ってるうちに、いつの間にか初夏になっちゃってさ。」との発言。私たちはこういう人たちをまやかしの呪縛から解き放ってあげなければいけません。 具体的にはどうしたら良いのか。まだ寒いうちは、色だけを春の色に変化させる。ネクタイなどは季節先取り感を出すには格好です。そして、暖かい日を狙い、徐々に素材感を変化させます。実際には、明日の服装決めを寒い日用暖かい日用の二通り考えておく、ということも肝心でしょう。 多くの男性はこれを面倒と考えますが、女性の多くは、これが楽しみなのです。(2002.3.5) |
| 【倶樂部余話】 No.157
アイルランドから無事帰国。馴染みのモノ、新しいモノ、いろいろ発注。 そして、北の外れのツイードの手織り工房を訪ねたり、山間に忽然と建つ小さなニット工場へ行ったり、八度目ならではの辺境の旅も楽しんだ。 西部の田舎町に昨秋開館したカントリーライフ博物館へ寄るのも今回の目的。現存する最古のアランセーターがあるのだ。拝見を熱望していた三年越しの思いがようやくかなった。写真を撮りたいのなら閉館日にどうぞ、と提言してくれた学芸員は館内貸切り状態で私を案内してくれ、さらに非公開の貯庫保管のセーターまで見せてくれた。 当然アラン諸島へも渡る。今回は過去二年とは違う一番大きく賑やかな島の方を九年振りに訪ねたが、今や一大観光地と化していた。 急増する観光客と激減する編み手。この反比例に、アランセーターの将来はかなり悲観的と言わざるを得ない。 日本がバブル崩壊にあえいだこの十年、この国は劇的な経済成長を遂げ、その中では伝統的産業は急速に淘汰されてしまう。永年付き合ってきたストーンサークルの廃業はその典型。この旅はその事後処理のためでもあった。 新通貨ユーロも新鮮だった。ドイツやスペインの人は「違う言葉の国に来て同じお金が使えるとは不思議な感覚だ」と感激していた。 乗継の合間に初めてスウェーデンへも半日だけ寄る。バリアフリーとはこういうことか、と実感。 かくして、レンタカーの積算距離計は千百キロを越えていた。よくもこれだけ走ったものだ。(2002.2.8) |
| 【倶樂部余話】 No.156
謹んで新春のお慶びを申し上げます。 たくさんのお客様から年賀状を戴き、ありがとうございます。その中で、「今年もわくわくさせて下さいね。」という添え書きが妙に多く、私たちに期待されるこの「わくわく」とは何だろう、と考えてみました。 ★我々はつい、去年これだけ売れたから今年もこのぐらい仕入れる、と考えがちだが、去年と同じものではわくわくするはずがない。前年比主義に陥らないよう、より自戒せねばなるまい。 ★とはいえ、変わらぬものを長く売り続けたいという姿勢も捨てたくない。要はわくわくの陳腐化をどう防ぐかだが、手持ち駒の引出しを時々は閉めておいてしばしお休み中という展開手法があっても良いのかも。 ★ITの普及で、手に入れられる情報量は加速度的に増えている。なのに我々の小さな発信にわくわくしてくれる。「情報」と一口に言われるが、大量の報(data)に迷い悩むばかりの中で、出所の確かな情(information)は、今では貴重なのだろう。報が北風なら、情は太陽なのかもしれない。 ★お客様がわくわくするのは、我々が感じたわくわくをお客様に伝えられたからに他ならない。では我々は何にわくわくするのか。この一年を思い返すと、決してモノだけをとらえて感動したのではなく、モノを作る「職人」、職人と商人の間の通訳をする「仕掛人」、時代を嗅ぎ分けられる「目利き人」、そういったヒトたちとの様々な出会いが我々をわくわくさせてくれた。 そう、モノには必ずヒトが携わっている。その携わり様にわくわくするのだ。 今年も、いっぱいわくわくしましょう。よろしくお付き合い下さい。(2002.1.11) |
| 【倶樂部余話】 No.155
紳士物だけでスタートした当店ですが、徐々に増やしてきた婦人物との比率が、この冬で半々になりました。 同じ洋服でも、紳士と婦人ではかなり性格を異にします。婦人服出身で紳士に進出した同業者からは「どうして男ってのは、こんなにノロいのか。」とよく言われます。確かに、流行、入り方、売れ方、どれをとっても男の動きはかなりスローですし、物心ともに我慢強さがないとやっていけないのは事実でしょう。 それでは、逆に紳士から婦人へ進んでいる私はどうかというと、まず、婦人の市場にはあまりにも意味のない服が溢れている、と感じます。と言うのも、男の服というのはそれぞれに何らかの意味を持っているものだし、その意味を的確に伝えていくことこそ販売という仕事だと考えているからで、自然と婦人にもそれを求めてしまいます。 そしてその「意味のある女の服」が当店の特徴になったのではないかと思うのです。 男の方について厳しく言えば、どれでもあります、いつでもあります、の商売に店も客も今までいかに甘えてきたか、を実感します。 動きがスローでしかもサイズが多い、とあれば、キャッシュ&フロー重視の時代に生き残るのは大変です。 悔しがる男性もいれば、喜んでいる女性もいるでしょうが、婦人の市場規模は紳士の四〜五倍あるのですから、半々というのは未だ紳士が健闘しているともいえますし、カップル客の多い当店にとっては、理想的状態だろうと思います。 例えばギフト需要など、紳士も婦人も両方あるからこそ対応できるという要素は随分とあり、それが現在の当店の最大の強みではないかと感じています。(2001.12.1) |
| 【倶樂部余話】 No.154
私が「化石」と呼ぶものがあります。 例えば、IYドーが販売権を持つケント、洋服のAが商標を獲得したエーボンハウス、あるいは、雑誌のメンズクラブ。かつての栄光は認めますが…。 化石な人、という人種もいます。分かりやすくするため極端に言いますが、ノータックに固執し遂に2タックのパンツをはきえなかった人。過去の知識だけをひけらかせて、揚げ句に、欲しいモノがない、と怒ってしまう人。 メンズのファッションの流れはゆったりとはしていますが、今大きな変化の時期を迎えているところです。そして、それは再びノータックに向かって動いているのです。ここであなたは、その流れを吸収できる柔軟さを持てるか、それとも、流れに乗れず頑固に2タックを貫くか。ここが若さと年寄りの、進化と化石の分かれ目になります。 もっとも、当店は流れの最先端にいる訳でもなく、何も明日からすぐにノータックだけ、などとは言いません。 ただ、そういう流れにあるのだな、と踏まえていてくれればよいのです。 「買いたくても買えないんだよ」という男性諸氏の悲鳴が聞こえてきそうな昨今の経済情勢です。でも興味や関心までなくして欲しくはない。化石な人を増やしたくはないのです。(2001.11.1) |
| 【倶樂部余話】 No.153
ネクタイなしのスーツ姿と言うと、どうしても汚職で逮捕された代議士を思い浮かべてしまいます。(自殺防止のため、タイとベルトを没収されるらしい。)イタリア人はそう見られないための免罪符を考えつきました。タイなしで衿元が目立つのを逆手に取り、そこにもうひとつのボタンを付けてしまったのです。Due Buttoni(二つの釦)と呼ばれています。 これと良く似た現象が実は約百八十年前に起きています。ポロ競技の際、シャツの衿元が動くのを邪魔に感じたアメリカ人、ヘンリー・ブルックスが考案した、ボタンダウンシャツ(ポロカラー)です。 二つの共通点は、本来不必要な箇所に釦を付けるということで、シャツの着こなしの幅を大きく広げたということです。 この余計な釦がマヌケになりそうな衿元を救っています。「タイが嫌で外してるわけじゃない、意識してタイを付けてないのです。」という主張が生まれます。 ただ、ボタンダウンが今では完全にカジュアル化したのに対し、Dueの場合、まだカジュアルというよりもドレスダウンと言った方がふさわしく、ヨレヨレクタクタのシャツではサマになりません。ドレスシャツとしての上質さが必要です。 そこで、上質なシャツを見分ける一つのコツを伝授しましょう。背中を見て下さい。図のように真ん中に縫い目のあるシャツ、こう縫ってあるシャツは間違いなくいいシャツです。但し、こうなっていないものでもいいシャツはあります。逆は真ではないのでご注意を。(2001.10.05) |
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| 【倶樂部余話】 No.152
「質問です。クラシコ・イタリアとセヴィルロウは矛盾しないのですか?」 クラシコ・イタリアとは、元来、伊の有力紳士ブランド19社の加盟する「クラシコ・イタリア協会」を指すのが狭義ですが、要はイタリアン・クラシックのこと。紳士服業界で、クラシックとかトラディショナルという言葉はブリティッシュと同義であり、言わば、伊から見た英です。20年ほど前、アメリカン・トラッドが席巻しましたが、その頃英米で出稼ぎしていた伊の熟練職人が今母国へ戻って活躍しているのです。 また、すでに英米独では消えつつある手仕事の技が、工業化の遅れた伊では最後まで残ったという事情もあります。正直、私は伊にはそんなに詳しくはありませんが、伊の英好きは想像以上らしく、「英国気質」な店が数多く見受けられるそうです。 つまり、英から伊へ軸が動いたわけではなく、一つの円を内側から見るか外側から見るか、ということです。 対して、本家セヴィルロウも大きく変わりつつあります。旧態依然とした店は淘汰され、伊の良いところを拒絶せずに取り込んでいく店が増えてきました。一昨年訪れた時には、外れに、「サルトリア」(伊語で仕立て屋)という名の伊料理店までできていて、私も驚きました。 英が伊っぽくなっているという実例です。 こうして、伊は英よりも英的なスーツを目指し、英は伊に負けじと革新を進めている、この切磋琢磨の中で、結果、両者のモノ作りがとても近いものになっているという、やや分かりにくい状況が、現在のクラシコ・ブームだと言えます。 当店は「英国かぶれ」ではなく、「英国気質」を標榜する店。答えは是です。(2001.10.05) |
| 【倶樂部余話】 No.151
「アランセーターは、アイルランドのアラン島で、六世紀の昔から編まれている白いフィッシャーマンセーターで、編み柄には 祈りを込めた意味があり、その組み合せは家々によって家紋のように異なったため、それで溺死者の身元が判別できた。」これが従来言われている「アランセーター伝説」です。が、私の研究調査によって分かった真実はこうでした。 今から百年程前の19世紀末、政府はアラン諸島に漁業振興政策を施し、島には多くのスコットランド人漁師の家族が出入りしました。島の女たちは、彼らが着ていたガンジーセーターの編み方を教わり、更に独特の美的感覚から、その模様編みは次第に装飾を増していきました。 同じ頃、島からボストンに出稼ぎに行った一人の女性が、どういう理由か島に戻ってきます。彼女は編み物の天才で、ボストンで見た様々なセーターの編み柄を全て習得していました。島の女たちは、彼女からも貪欲に編み物を教わりました。 普段編むのは紺色でしたが、教会の元服式に際し、母親は息子のために飛びっ切りの白いセーターを編んだのでした。ここに白いアランが誕生したのです。 一九三五年、ある民俗品収集家が島にやってきて白いアランを見つけ、ダブリンの自らの店に置きます。翌年、その店を訪れた英国の服飾評論家がこれを発見し、英国服飾業界に大きく紹介しました。「アラン島では豪華な模様入りの白いセーターが昔々から編まれています。」と。 そして、戦後、アランセーターは米国で大ブレークするのですが、その話はいずれまた...。もしくは店頭で。(2001.10.05) |
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