マッキントッシュコートの歴史と変遷
 マッキントッシュを英和辞書で引くと、こう書いてあります。
 「mac(k)intosh 名詞U ゴム引き防水布;C 防水外套(がいとう)【略 mac(k)】.」
 世の中には、レントゲン、ギロチン、コンドーム、沢庵、隠元、など、発明者の名前がそのまま一般名詞になっているものが数多くありますが、マッキントッシュもまたそのひとつです。

 チャールズ・マッキントッシュ(Charles Macintosh、"k"がないのに注意)は、1766年に英国スコットランドのグラスゴーに生まれた化学者です。彼の父は織物の染色工場を営んでいましたが、父の死後、当時グラスゴーにできたガス製造工場から出る廃棄物の再利用を新事業として検討していました。様々な実験の末、彼はコールタール・ナフサがゴムを溶かすことを発見したのです。そしてその手法で薄いゴムのシートを形成し、布に貼り合わせることで、未だ類を見ない防水生地を作り出すことに成功しました。
 彼はこれを1823年に特許にし、翌1824年にマンチェスター郊外に工場を建設して、防水生地の生産に着手しました。しかし、当初の布は毛織物で、この防水生地は、とても重くて堅く、おまけにウールの脂分がゴムのコーティングを邪魔することも分かってきました。その後素材をコットンに変えて、ゴムシートをローラーで圧着する手法を取りましたが、温度によってゴムが堅くなったり溶けたりし、剥離することもあり、決してファッショナブルな生地とは言えず、主に陸海軍への軍需に支えられた事業でした。

 彼のパートナーとして1820年代から共同経営者として参画していたのが彼より20歳年下のトーマス・ハンコック(Thomas Hancock)でした。彼もまたゴムの粉砕器を発明するなどゴム産業に大きく貢献した人物として英国産業史に名を残した人物ですが、1843年にマッキントッシュが死亡すると、工場はハンコックに引き継がれました。
 ある日、ハンコックは、アメリカ帰りの友人ウィリアム・ブロッケンドン(William Brockendon)から、硫黄を混ぜて加熱した硬いゴムのサンプルを見せられました。これはアメリカのチャールズ・グッドイヤー(Charles Goodyear)が1839年に発明した「加硫ゴム」のサンプルでしたが、ハンコックはグッドイヤーよりも先んずることわずか一ヶ月というタッチの差で、1943年にイギリスでこの特許を取得し、ブロッケンドンの助言で、ローマ神話の火と鍛冶の神バルカンにちなんで、この手法をバルカナイズ(vulcanize)そしてこの物質をバルカナイト(vulcanite)と名付けました。
 (ハンコックに特許申請で後れをとったグッドイヤーは、その後自らの発明に改良を加え、1851年に黒檀(evony)によく似た加硫ゴム「エボナイト(evonite)」を発明しました。加工しやすく防水性と絶縁性に富んでいるエボナイトは瞬く間に工業製品に拡がり、その後のプラスチック開発の輝かしい歴史につながっていきます。ちなみに、タイヤで知られるグッドイヤー社はこの偉大なる発明家にちなんで付けられた社名ですが、グッドイヤー一族とは無関係とのことです。)
 バルカナイト(=エボナイト)の特許を持ったハンコックは、自らの工場で、バルカナイズで改善された防水布の製造に加えて、エボナイトを使った様々な加工製品の製造を始めました。事業は大成功し、工場の規模もどんどんと大きく膨らみましたが、皮肉なことに、1860年代に近辺の綿織物産業が衰退していったことで、次第に防水布の製造は減少し、硬化ゴム製品の製造に特化していくことになりました。(この工場は、1923年に、スコットランド出身で空気入りタイヤを発明したジョン・ボイド・ダンロップ(John Boyd Dunlop)の設立したダンロップ社に買い取られた後も稼動を続けていましたが、2000年2月に操業を停止しました。)

 ここで、バルカナイズという言葉について、整理しましょう。辞書には「(ゴムを)硬化[和硫・硫化(生ゴムに硫黄を化合させて行なう硬化操作)]する」とあり、これがハンコックが命名した当時の本来の意味です。そして、当然のことですが、このバルカナイズド・ラバーはマッキントッシュコートの防水生地にも使われました。それ以前のマッキントッシュコートが持っていた温度によってゴムが変質するという欠点は大きく改善され、着心地も格段に向上したため、新たにバルカナイズド・ラバーを使用した三層貼り合わせの生地であることは積極的にアピールされ、軍需だけでなく、ファッション商品として取り扱われるようにもなってきました。その過程で、次第にバルカナイズという言葉に、薄いものを何層かに張り合わせる、という意味合いが発生していったようです。例えば、紙(板状パルプ)を何層にも重ねて圧縮し、皮革の代用品とした、鞄などに使われる硬くて分厚いボール紙のような素材がありますが、これが、バルカナイズド(=バルカン)ファイバーと呼ばれるのは、この派生した意味から付けられた名称だと言われています。

 さて、英国ゴム産業の立役者ハンコックは、数多くの特許を残し、1865年に亡くなりましたが、このマンチェスターの会社は特許の管理を続けました。そして、マッキントッシュのパテントも英国内外の数社にライセンス供与されました。そのひとつが英国グラスゴーのトラディショナル・ウェザーウェア社(Traditional Weatherwear Ltd.)であり、またアイルランドはダブリンのハイドロファスト・ウェザーウェア社(Hydrophast Weatherwear Ltd.)でありました。
 トラディショナル・ウェザーウェア社は、現在でも19世紀のマッキントッシュ製法を忠実に再現しており、最大のマックコートの製造メーカーとして、日本にも多くのコートが輸入されています。この会社は、21世紀に入り、社名をマッキントッシュ社(Mackintosh Ltd.)に変更し、同時に自社の製品ブランド名までもを「Mackintosh」と改めました。そして、マックコート以外の製品にもこのブランド名を付けて販売を始めたのです。日本流に置き換えて言うならば、沢庵(たくあん)というブランドを持った沢庵という会社があったとすると、沢庵印の沢庵があるのは当然としても、沢庵印のキュウリの浅漬けがあったり、沢庵印のわさび漬けがある、という、いささか理解しにくい現象が起き始めたのです。マッキントッシュをコートの一種として英語の一般名詞として長く認識してきた我々には「マッキントッシュのキルティングジャケット」は「カルピスのウーロン茶」ぐらい奇異に聞こえます。ひねくれた見方をするなら、この混同こそがマ社の狙いではなかったか、とも考えられなくもありませんが。

 一方、1934年にライセンス供与を受けたダブリンのハイドロファスト社は、Hydrophast Mackintoshesのブランド名で、アイルランド政府から認証を受け、長く陸軍や警察へマックコートの供給をしていました。1983年に経営難に陥ったため、フランシス・カンペリ(Francis Campelli)がこの事業を継承し、Mackintosh of IrelandとA Genuine Mackintoshのふたつのブランド名で、英国やアメリカの顧客にマックコートの供給を続けました。この時点ではこの会社のマックコートもまた19世紀からの伝統的な手法、すなわちゴム引きとテープ貼り、で作られていましたが、相次ぐ顧客からのイージーケアの要請に、21世紀対応のマックコートへの進化を探求する決意を固め、1996年にゴムではなくハイテク素材を挟み込んだ新たな生地を開発し販売を始めました。同時に社名もマッキントッシュ・レインウェア社(Mackintosh Rainwear Ltd.)と改め、現在はMackintosh of Irelandのブランドで、アイルランド国内はもちろん、欧米の多くの専門店へ製品を供給しています。

 今回この原稿を書くにあたって、ネット検索で数多くの英国の文献を当たりましたが、チャールズ・マッキントッシュが生きた頃の英国といえば、ちょうど産業革命が真っ盛りの時代。たどたどしく英文を読み進むうちに、重たそうな鉄のマシンが蒸気機関の力でガシャンガシャンと大きな音を立てて動いている風景が何度も目に浮かびました。英国が世界の製造業の最先端を走っていた時代の勢いというものを感じました。
(文責・野沢弥市朗 2005年12月5日記)
 
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