このビデオの昔のフィルムを観て、まず驚くのは、まるで我が国の戦前期のような生活風景がほとんどカラーで撮影されているということです。撮影されたのは、1960年代初頭ですから、日本では、東京オリンピック景気に沸き立ち、高速道路や新幹線が建設されていた頃。そう考えると、その時期にカラーの映像記録があっても何もおかしいことではないのですが、何しろ写っている内容が、カラー映像とまるでそぐわないと感じるほどに、あまりにも素朴であるがゆえに、驚いてしまうのでしょう。 今でこそ、アイルランドは、ケルティック・タイガーと称されるほどのめざましい経済成長を遂げたEUの優等生ですが、1960年当時は、西欧の最貧国のひとつで、ECでもお荷物のような存在でした。そんな国のはたまた西のはずれの島のことですから、この当時、アラン諸島にはいまだ電気も通っていなかったのです。(電気が完備されたのは1978年、水道は83年です。)そんな島に発電器を持ち込み、大きな16ミリの映写機を抱え、道なき道を移動しつつ撮影されたのがこのオリジナル・フィルムなのです。 |
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★イニシマンに着いたルーリィは、モーリン・ニ・ドゥンネルを訪ねます。モーリンは、20歳代の頃からイニシマンでのアランセーターのまとめ役で、パドレイグはモーリンを娘のように可愛がっていましたし、両親を早くに亡くした彼女もまた、彼を父親のように慕っていたといいます。アランセーターを編む若き日のモーリンの表情を映し出す映像に、そんな仲の良さが感じられます。 モーリンは、また島一番のニッターでもあり、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世にセーターを献上した当時の話も出ます。さらに、伝統技術を継承することの重要性も、母と娘の会話からひしひしと伝わります。 |
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