かつて日本ではアランセーターはフィッシャーマンセーターと言われてきました。雑誌メンズクラブ第68号(1967年8月)にVANの白いセーターが紹介され「北海の荒海で漁業に従事しているスカンジナビアの漁師たちが愛用している、フィッシャーマン・ニットと呼ばれるものです」とあります。そして1969年から71年にかけて、この白いフィッシャーマンセーターは我が国で大流行します。当時私はまだ中学生でしたが、父が日本橋横山町あたりの現金問屋で仕入れたセーターをカローラいっぱいに詰め込んで呉服町の店に運んでいたのを覚えています。もちろんそれは海外製の機械編みで安価なものでしたが、店頭に並べれば右から左へ飛ぶように売れたのです。
この白い縄編み模様のセーターが、アイルランド・アラン諸島のハンドニットを起源とするものだ、という正しい認識が広まるのはずいぶん後のことです。未だに年輩の方からアランセーターってフィッシャーマンセーターとは違うの? と聞かれることがあります。アランセーターという呼び方が定着したのは80年代に入ってからです。
私がアランセーターに関わるようになったのは1987年のことですが、その頃からアランセーターの中でも特に発祥の地アラン諸島の編み手によって編まれたものをリアル・アランと称して別格の扱いをいたしました。それは一枚一枚のステッチやパターンが異なっていて実に素晴らしいものでした。今でも90年代にお譲りしたアランセーターを着てご来店するお客様がいますが、惚れ惚れするようないいセーターです。大切に着て次の世代に繋いでください。
そうやって私がリアルアラン、本物のアランセーター、と称したことに、本物?本物って何?それは本物とは言えないわ、と待ったをかけた女性がいました。ダブリンの専門店クレオのキティ・ジョイス(故人)でした。「あたしが思う本物のアランセーターというのは、商業化される以前のコンペティションの頃のセーターなのね」
今から80年前、1946年に開催されたアランセーターコンペティションにはアランの3つの島の住民から50枚もの白いアランセーターが集まりました。賞金も掛かっていたので、それぞれの編み手は持てるスキルを惜しみなく編み入れてどれも秀逸なセーターばかりでした。そのときの上位作品数枚は国立博物館に収蔵され2001年からは別館(カントリーライフ館)で展示されています。2008年にはそれらを一同に並べた収蔵展が開催されました。
「あの頃は技巧に凝った素晴らしいセーターばかりが編まれていたけど、戦後は売るためのセーターづくりに変わっていったので、どうしてもものづくりが均一化平均化していかざるを得なかったのね」
そうなのです。そもそもこのコンペが開かれた動機が、商業化に向かって編み手のレベルダウンが目につくようになっていたことを危惧した民族学者の発案がきっかけでした。ただ、キティは何も将来を否定するようにそう言ったのではなかったのだと思います。私の想像ですがきっとこう言いたかったんでしょう。
その本物のアランセーターをどう継承していくのか、いろいろな道があります。ミスター野沢の師匠パドレイグ・オシォコンはアラン諸島の編み手に限定しアメリカや日本に輸出することを考えました。私の店クレオは島の編み手に固執せずアイルランド全土の優秀な編み手と組んで技巧に凝った(elaborate)アランセーターを用意し、大量に海外へ輸出するよりもダブリンの店に個々の客を呼ぶことを重視しました。またある人は発祥地の小さな島にニットファクトリーを設けアラン島て作られるセーターというブランドイメージを作りアランセーターに固執しないニット作りを目指しています。またアイルランド内地で編み手を集めてハンドニットの事業を起こしたり、またはドネガルあたりのニットファクトリーでは量産型の安価なアランニットで成功しているところもあります。どれが本物かどうかということではなくて、それぞれがそれぞれの道でアランセーターを継承していく、そうやってアランセーターはアイルランドの宝として裾を広げていくのです。
実はこの10年近く、アイルランドの経済成長とリンクするかのように、アランセーターはトレンドの中にあります。ドネガルあたりの古いニットファクトリーは野暮ったいイメージの付いてしまった昔の社名を隠してアランなにがしというようなブランドでアランモチーフのモダンなニットを作っています。そういう会社が3つぐらいあります。ダブリンの目抜き通りにはアランなんとかという店がたくさん現れました。とにかくアランの名がついているとその店は流行るらしいのです。中には4階建てのビルすべてが安価なアランニットで溢れかえっているような店もあり、白いセーターを着て船を漕ぐヤラセたっぷりの映像を流し、〇〇ファミリーの家紋アランパターンなどありもしないでっちあげのコーナーを作ってみたり、呆れてものも言えないようなショップですが、1月の土曜の午後、そこは来街者でごった返していました。目抜き通りを一歩離れるとひっそりとクレオがありそこには素晴らしいアランセーターが揃っていますが、クレオはクレオでこの何年か売れて売れてとても忙しいのだと日本人スタッフのミワさんは言います。
そんな現象をどう思いますか、と、先日、あるテレビ番組のスタッフに尋ねられまして、こう答えました。
「アランセーターの裾野が広がるのはいいことです。裾野が広がれは山は高くなります。高価なハンドニットも安価なマシンニットも、自分が編んでも人からもらっても、そのどれもがあなただけのアランセーターなのです。その1枚があなたにとって本物のアランセーターです。そのアランセーターを愛でてください」(弥)