「スーツは年収の1%」(余話【194】05年3月)は紛れもなく私が言い出しっぺの持論ですが、そう自らが唱える当店のスーツの裾値は約八万円です。しからば当店のお客様はすべからく年収八百万円以上なのかというともちろん決してそんなはずはなく、年収五百万円から七百万円のお客様には1%以上の負担を強いざるを得なかったわけです。仕立て代の安い某工場を知ってはいましたが、そのクオリティは合格点を付けるにはいささか疑問が多く、結局のところ、五~七万円台のスーツ提案の必要性を感じてはいながらも、私はそれを怠っていたのです。
しかしようやくそれが実現することになりました。第三のファクトリーとしてM社との取引を約十年振りに再開することにしたのです。このM社のことは事情があり詳しく書けないのですが、現在当店でメインのA社のレベルには及ばないものの、私は一応の合格点を与えました。81点といったところでしょうか。かつては百貨店向けのお堅い高級ブランドスーツを中心に縫っていましたが、近年は関連企業で首都圏を中心に全国で約三十店舗を展開するオーダースーツのチェーンストア(ここで名前を明かせないのがツラい…)からの注文をほぼ一手に引き受け、技術力に加え「感性」度が飛躍的に上がってきているのです。当店ではこのM社の縫製を「バジェット・ライン」として導入を決めました。
年収一千万円以上の方にはお勧めしません。しかしバジェット(予算)の限られた方には五~七万円台のスーツもご用意できるようになり、ようやく「年収1%」の持論に現実味を付与することができたということであります。(弥)
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【倶樂部余話】 No.259 ジョージ・クレバリーでの出来事 (2010.6.23)
何かの機会に書こうと思っていたネタです。おととし一月ロンドン探訪のときの出来事。立ち寄ったのはオールド・ボンド・ストリートのロイヤル・アーケードにある小さな店構えの靴店「ジョージ・クレバリー(以下GC)」。

GCと言えば、チゼルトゥという鑿(ノミ=チゼル)で削ったような独特の美しいつま先を考案したところとして世界に知られる名店です。さて、その日私が履いていたのは当店開店20周年の記念モデルとして作ったチゼルトゥの靴で、これはGCをかなり意識して考えた作品でした。つまり、弟子の模倣品を履いて元祖の師匠の店に入っていったようなものですから、随分と果敢というか無謀というか、思えば私も大胆なことをしたものでした。
狭い店内にスタッフが二人、年輩の人は他の客と応接中で、私の相手は若い方の人でした。気に入った靴があったので試足することに…。そのとき彼が言ったのです。「今日あなたが履いてるその靴はウチのですよね。」私は心の中で(やった!)とガッツポーズを取りながら「ノー、これは日本でパターンオーダーで作ったものなんです。」
彼、私の靴をじっと眺め「へぇ良い出来ですね、間違えちゃいましたよ。このSavile Row Club というのがブランドですか。」「いや洋服屋の店名なんだけど…」なんて会話が続きました。
私はこのロンドンでのことをすぐに製造元の宮城興業へ土産話に伝えたところ、彼らも大喜びしてくれました。きっと師匠に誉めてもらった弟子のような心持ちで小躍りしたことでしょう。
あ、間違ってもらっては困るのですが、何も私は宮城興業にそっくりさんを作ることを賞賛したり奨励しているのではありません。本家取りをしながら、しかも履く人のサイズや要望に併せて一足ずつハイレベルの靴を作ることができる、という、世界でココにしかできない宮城興業の仕事の価値を評価してのコメントであることをご理解下さい。
靴を作ろう!「はじめの一足」キャンペーン、実施中です。
【倶樂部余話】 No.258 はじめの一歩 (2010.5.24)
当店、いろんなものを誂え(あつらえ=オーダー)で扱っていますが、例えば、セーターやジーンズ、ベルトなどは、既製品の中から気に入ったものを探し当てられれば、必ずしもオーダーじゃなくても、というアイテム群でしょう。しかし、シャツと靴、このふたつは、自信を持って言えます、オーダーの方がいいです。既製品をあちこち回って探し歩くよりも、最初から作っちゃった方がラクだし、しかも楽しいものですよ、と。
シャツと靴にはいくつかの共通点があります。まずサイズの個人差がものすごい。シャツは首と腕と肩と胸と胴、靴だと長さと幅と高さ、これが皆さんバラバラで、しかもどちらも肌への密着度がスーツやパンツよりも高いので、ぴったり目とかゆったり目の個人の好みも随分とまちまちなのです。どんなに優れたモノもサイズが合わなきゃ意味がない、というのはすべてのものに言えることなのですが、特にシャツと靴についてはその要素が大きいものなのです。また、傷んだらリペアできる、とか、分不相応に高価すぎるものを持つとかえって使わなくなって結局宝の持ち腐れになってしまう、などということも共通点に挙げられます。さらに、凝ったオーダーをしたければ徹底的に凝れるけれど普通のシンプルなものならばほとんど店に丸投げ・お任せでいける、という関与度の振れ幅の大きさも共通してます。そして、何よりも、他のアイテムよりもリピーター比率がずば抜けて高い、というのが、シャツと靴の特徴でして、これこそ一度作った人がオーダーの優位性を実感してくれている、という確かな証拠でしょう。
しかし、そうは言っても、オーダーは「はじめの一歩」のハードルがどうしても高いもの。ないものを買うのですし、何からどう進めたらいいのかも不安でしょう。既製品のように「思わず衝動買いしちゃって…」などと自分に言い訳もしにくいですし、ちょっと知的な創造行為を楽しもう、という気持ちになってもらわないと、面倒くさいよ、の一言でオシマイになってしまいます。
だから店は考えるのです、どうやって「はじめの一歩」のハードルを低くするか、を。そして今月に企画したふたつの連続イベントが、初めての方にとってその絶好の機会となって欲しい、と、お勧めする次第なのです。(弥)
【倶樂部余話】 No.257 気が付けば最古参 (2010.4.21)
「ニコラス・モス」で検索すると、近頃当店は常にほぼ最上位に登場します。門外漢の洋服屋が陶器を扱って気が付けば16年、いつの間にか日本で最古参にして随一の輸入扱い者になっていたのです。
専門業者から見れば取るに足らないほどの片手間な扱いですが、この片手間がかえって長続きの秘訣だったのかもしれません。そもそもは客寄せの催事として始めたのが発端でしたが、現在のオーダー会の形態になったのも、まず自分たち自身が愛好家としてそのコレクションを増やしたくてどうせなら相乗りしてくれる人を募ろう、という動機からでした。何しろ、在庫を持っての現品販売はしません、年に一度私物の見本を並べますからそれを参考に注文をして下さい、というわがままな売り方ですから、不便に感じる方もいたと思います。
でも、決して不便なことばかりではなくて、限られた在庫から選ぶのではなく全コレクションの中から自分の好きなものを好きなだけ、マグカップ一個からでもはたまた日本ではめったに使わないようなでっかいお皿だって好きに頼めるという自由さ、しかもどこよりも低い価格設定(現地販売価格の約1.4倍)は、きっとよそにはないメリットだったことでしょう。
入る注文も様々。もちろん毎年少しずつ買い足していかれるリピーターの方が最も多いのですが、アイルランドで見た陶器が忘れられなくて、とか、アメリカのインテリア雑誌で興味を持って、など、全国の見知らぬ方から、ネットを経由して舞い込む問い合わせが年々増えてきました。
でも16年も続いた何よりの理由、そう、それはニックのこの陶器にそれだけの魅力があり、私たちが大好きだったからに他なりません。今年もオーダー会の始まりです。お待ちしてます。 (弥)
【倶樂部余話】 No.256 季節に追い越されないように注意しましょう(2010.4.1)
今年の三月は冷たい雨の日が多くて、春が遅いのかなぁ、と感じていたのですが、なぜか桜は平年よりも早く咲いて、何だか自分の季節感覚が狂ってしまったのかと不安になります。
毎年言っていることなのですが、三月と九月は実は三月の方がずっと寒いのに、三月の売場には麻の半袖までも入荷し、九月はまだ真夏日があるというのにウールのセーターが堂々と並びます。季節の先取りがこの商売の宿命なんだから当たり前じゃないか、と言われれば確かにそれまでなのですが、ともかく買う服(=売る服)と着る服が全く一致しないのが三月と九月なのです。
それじゃ三月に着る服はいつ買えばいいの、と考えてみると、これが意外にも九月に買った服だったりします。荒っぽく言うと、秋に暖の取れる春色の服を買っておいてそれを春に着る、というのはひとつのコツなのかもしれません。ただ服を寝かすことになる買い方を洋服屋が積極的に勧めてもいいのか、ということは感じますが。
人間の季節感とは不思議なもので、九月にこれからだんだん寒くなるのだということは割と容易に思い至れるのに、三月にあと一カ月も経つとすっかり暖かくなっているということは想像しにくいようです。まだまだ寒いから、と、もたもたしてるといつの間にか季節に追い越されて、「あれ、今年もまた買い損なっちゃった」とタイミングを逃してしまうのもまた春の特徴です。「どうしてあの時もっと頑と勧めてくれなかったの」とお客様に言われるのが一番つらいのです。なので、春のこの時期はついついお勧めする押しがいつもよりも強くなってしまうことがあります。
特にオーダーの商品などは、注文から仕上がりまでに3-4週間掛かるので、春夏期は季節感を先読みする感度を高くしておかないと対応できなくなります。うかうかしてると、すぐに季節に追い付かれ、追い越されてしまいますから。(弥)
【倶樂部余話】 No.255 ラジオ体操のススメ(2010.3.1)
昔は、年寄りのやることだ、と鼻で笑っていた、ラジオ体操と犬の散歩。これを毎朝続けてそろそろ半年が経ちます。ラジオ体操の、第一はしっかり体の中に染みついていたのですが、第二は当初まるでさっぱりだったので、YouTubeで何度も繰り返してようやく身に付けました。第一第二と続けて真剣にやるとちょっとしたエクササイズになります。
毎朝同じ時刻に同じコースを歩くので同じ人と挨拶をします。でも風景は季節ごと少しずつ微妙に表情を変えます。公園の広場は曜日によってソフトボールやサッカーなど朝早くからメンバーが集まってきてます。空を見上げると羽田からの一番機が朝日を浴びて西へと向かう姿が見えます。静岡上空のこのあたりは空の銀座通りらしくて、幾筋もの飛行機雲が同時に描かれる朝もあります。
「どうせ三日坊主でしょ」と高をくくっていた家人でしたが、どんな雨の日もお正月も、一日たりとも途切れることなく続いているので、「よく毎朝その気になるわねぇ。」と漏らします。犬がせかすから、ということもありますが、それだけではありません。「うん、確かにやる気がなけりゃ体は起きないわけだけど、逆の場合があるってことに気が付いた。起きたくない朝でもともかくまず先に体を動かす。心が体を動かすんじゃなくて、体を動かして心を起こすってこともあるんだね。」毎朝体操や散歩などを続けている人は、きっと誰でも同じことを感じているのではないか、と思うのです。
ラジオ体操80年、これはもう立派なニッポンの伝統です。(弥)
【倶樂部余話】 No.254 「引っ越し通知」の届く店(2010.2.1)
あなたの家にはひと月にどのくらいのダイレクトメール(DM)が届くでしょうか。封も開けずにゴミ箱行き、というものもあれば、もしかしたら一生を左右するような大きな出会いになるものまで、きっと様々でしょう。その中で、もしあなたが転居したとして、こちらから新住所を知らせておきたいな、と思える先がいくつあるでしょうか。あるいは、お店などから来た商的な年賀状に対して返信を出したことがあるでしょうか。残念ながら私の家に届くDMには一つも思い当たる先がありません。
ところが、です。当店には「引っ越しました」というお客様からのお知らせが頻繁に届くのです。また正月には多くのお客様から年賀状を頂戴します。これらのことは結構自慢できることなんじゃないか、と感じています。
言うまでもないことですが、お客様には転居通知や年賀状を私たちに出さねばいけない義理も義務も責任も、何もありません。なのにどうして…。自惚れて言うなら、きっとこの静岡の小さな店を、そして毎月発信する黒い小さな文字ばかりが並んだこの官製ハガキを、「顔の見える店、私のハガキ」として大事にしてくれているからなのでしょう。
お客様から貰うもの、それは商品代金だけではありません。催促しているわけではありませんが、でも、転居通知や年賀状、店であるがゆえに、実は本当に嬉しくてたまらないものなのです。(弥)

倶樂部余話【五十七】アイルランドの夜は更けて(一九九三年十二月八日)
さる十一月二〇日の「アイルランド・ナイト」には約三十人が集まり、吹き抜けに響く不思議な笛の音とギネスの酔いで、実に楽しい一夜となりました。当日の様子は店内に写真を掲示しています。来年も是非開催したいと思います。
十二月三日、アイルランド政府商務庁東京オフィスからある本の出版パーティに誘われ、吉祥寺まで行って来ました。書名は「紀行・アラン島のセーター」(伊藤ユキ子著・晶文社刊・二千三百円)。丸ごと一冊アランセーターの話題が満載のアイルランド紀行です。美人の著者にその場で掛け合い、初版本を数冊だけ卸してもらって現在当店で販売中です。
来る十二月七日、午後十一時よりフジテレビ系「ワーズワースの庭で」にてアランセーターの特集があります。制作には私も協力しています。是非ご覧下さい。
と、ずいぶんアイルランドに肩入れした一年でした。違う視点から英国を見たことでもあります。不景気で頭の痛い毎日でしたが、アイルランドに関わったおかげで多くの人とのネットワークが作れ、これは他人に真似のできない何よりの収穫とうれしく思います。
今年一年のご愛顧に感謝いたします。メリー・クリスマス!
※伊藤ユキ子さんとはこのときに初めてお会いしたのだが、その後も事あるごとに当店を日本でのアランセーターの販売拠点として紹介してくれて、本当にお世話になった。また、二〇〇二年の拙著「アイルランド/アランセーターの伝説」刊行に際しては、お祝いの一文も頂戴した。
倶樂部余話【五十六】「バリュー」という考え方(一九九三年十一月八日)
(今回、筑紫さんの「多事争論」風で…)
先日アメリカの商業先進地を視察してきた友人の報告によれば、「価格」のことをpriceと言わずにvalueと表現しているそうです。例えば「How much is this?」に答えて「そのValueは92ドル59セントです。」というように。
辞書ではvalueは「価値」と訳されていて、「付加価値」という言葉に代表されるように、文字通り価値を付け加えること、例えば有名ブランド料や有名店舗料など、つまり積み重ねた足し算の価値判断を価格としてきました。
しかし、右のように「価格」そのものをvalueと言うときには、逆に余計なものを削ぎ落とし削ぎ落として、この物の本質の価値は実のところいくらなんだろう、という、いわば引き算の価値判断が働いているように思えます。
素人の消費者が品選びのためにブランドを頼りにするのはやむを得ないことです。しかし、販売するプロの我々までもがそれに頼った価格設定をしているのではいかにも情けない。価格とは真にvalue for moneyでなければ、もう誰も納得しないのだということでしょう。
※振り返れば、これは、初体験である「デフレ」現象の始まりだったのでしょう。
このとき、第一回の「アイルランド・ナイト」を開催。アランセーターを着て、ギネスビールを飲みながら、アイルランド伝統音楽のライブ演奏を楽しむ、という楽しいイベントだった。
静岡に昼の演奏会のために見えることになっていた守安さん夫妻に無理をお願いし、ほとんどノーギャラで演奏していただいたのだが、今では大御所的存在の守安大先生によくまあ図々しくも頼めたものだと思う。
倶樂部余話【五十五】男たちよ、いくら何でもちょっと元気がなさ過ぎませんか(一九九三年十月一日)
日本初の「アイルランド・フェア」開催に要請を受けての、二週間にわたる横浜でのアランセーター販売も無事終了し、実に多くの方に世界最高の手編みニットに触れていただくことができました。また、どうしても作りたかったアランセーターのすべてをまとめた小冊子(カラー十二頁、現地取材までして完璧を求めたのでお金もかかってしまった!)もようやく出来上がりました。皆様にはご来店の折りに差し上げていますので、是非お読みいただきたいと思います。さらに方々からアランセーターの取材依頼も増え、十一月創刊の新雑誌「メンズ・エクストラ」(世界文化社)や全日空の機内誌「翼の王国」などへ掲載されるようです。
少しずつ「アランセーターのことなら静岡のあの店」という評価が全国的に出てきているようで、これはお客様にとっても、誇らしく思っていただけることだと感じています。
さて、横浜からの荷物が凱旋帰静いたしましたので、例年より二週間遅いスタートですが、いよいよ「第六回・アランセーターの世界」を開催いたします。またまた一階には白の世界が広がります。今年はポンド安&円高で二割ほど価格も下がってますし、何しろこの六月に私がはるばる現地まで取材に行った報告資料が豊富ですので、例年以上に魅力あるイベントになるはずです。今回は新聞広告を出しませんので、是非口コミでご友人などお誘い合わせ下さい。
ところで、最近お客様からよく言われることが「この店に来ると欲しいモノばかりで困るんだよ。だからあんまり行かないようにしてるんだ。」というお言葉。恐らくは無沙汰を自虐されてのお世辞半分だということは十分承知してはいるのですが、聞く方としては(もちろん悪い気はしませんが)かなり困った気持ちになってしまい、答えて曰く「お願いですから、そんなこと言わないで、ちょくちょく遊びに寄って下さいよ。『今日は見るだけ!』と言われれば私たちは売りませんから。」特に今の時期、ご紹介したい新しい品物が続々と入ってきて、お客様の反応や評価を確かめたくてしようがないのです。景気が悪いことも重々承知してはいますが、当店としても、奥様方から「あのお店ならあなたが買うだけの価値のあるものがあるはずよ」と言っていただけるような店づくりを目指しておりますので、どうか冷やかしにでも店内を覗いてみてはいただけませんでしょうか。
何しろ男たちに元気がなさ過ぎる、と思える近頃ゆえ、なかば檄を込めつつのお願いです。
※バブル崩壊で、今読むと少々痛々しい。このとき兄弟店ジャックとケントでは別会場で「トラッド・アウトレット」なる催事を企画し、なんとか売り上げを稼いでいたものだ。
「アランセーターの世界」は朝日新聞静岡支局の取材を受け、ローカル面に記事として紹介された。
「メンズ・エクストラ」は現在の「メンズ・イーエックス」のこと。