倶樂部余話【二十六】♪You may say I‘m a dreamer♪(一九九〇年十二月七日)


この十二月八日(日本時間九日)、かのビートルズの一員、ジョン・レノンが凶弾に倒れてから、早ちょうど十年になります。そして彼が生きていたら今年で満五十才でした。

前々から、この十二月の「倶樂部余話」では、十年間の彼への思いのたけをどう千余文字の中に凝縮させようかと思っていました。

毎年の命日に店内で彼の曲ばかりを流しながら哀悼し続けてきたこと、中学生の時に深夜放送で「イマジン」に出会いビートルマニアにのめり込んでいったこと、昨年ロンドン大英博物館であのマグナカルタの右隣にさりげなく展示されていた、ノートの切れ端に書き殴られた数々の名曲の作詞メモの直筆に感涙したこと、などなど、言い尽くせぬほどの私の思いを語るつもりでした。

ところが、その気持ちに水を差されてしまいました。「記念日は商売になる」という日本の悪しき商業主義でしょうか、先日池袋で開催された「ジョン・レノン展」で展示された彼の遺品約三十点がオークションにかけられる予定で、何とその落札予定価格は、愛用の丸メガネで三百七十五万円、ギターが二千五百万円とか。日本の金持ち一人にしか彼のギターの鑑賞が許されないのでしょうか。聞けば未亡人ヨーコ・オノの企画とか。ならばなおさらに「なぜ」と思えてしまいます。

彼が私たちに「イマジン」させたかった世界は、人種の別も貧富の差も国境さえもない世界であったはず。仮に地球環境保護の基金設立のために十億円が必要なら、日本の金持ち十数人からではなく、世界中の一億人から十円ずつ集めるやり方はなかったのでしょうか。しかも、いくら彼が平和運動に大きな影響を与えた活動家であったとしても、あくまでミュージシャンとしての彼の音楽に魅力があったからこそ多くのファンをつかんだのですから、メッセージの訴えも歌で伝えてこそ意味があるのではないでしょうか。それとも、愛とか平和とかを歌うことにはさほど効果がないと、冷ややかに悟ってしまったとでも言うのでしょうか。

さらに、息子ショーンを日本人のプロデュースでレコードデビューさせるといいます。「似てる似てない」でしか評価されかねない道化を演じさせられる彼の姿に、哀れを感じてしまうのは私だけでしょうか。

日本で商業を営む私が日本の商業主義を批判するのも変かもしれませんが、稼げるネタは何であれ貪欲に稼ぐ、という姿勢があるから、いつまでたっても商人の言うことが信用されないのではないでしょうか。

十年を経て、思わずも複雑な気持ちを抱かされてしまいましたが、私自身は、今年も以前と変わらぬ思いのままで、八日九日の両日、彼を哀悼し、彼の曲を流し続けたいと思います。「夢想家と言われるかもしれないけれど…」

 

※カクテル「還暦」パーティ