糸偏雑筆【9】左右おんなじ、じゃない、の話 (2026年5月17日)


 前回に続いて左右の話です。
 アイルランド南部のとある靴のファクトリーを訪れたときのことです。元々は直線4本の生産ラインを持っていたほどの体育館のような大きな建屋でしたが1ラインだけを残して残りの三分の二がアウトレット売り場になっていました。デザートブーツで知られるブランドCの主力工場でしたが生産が中国に移ったとばっちりを受けて大きくリストラした様子。アウトレットにはCの旧品やチョイキズ物などが山積みで、その中に売れ筋のモデルなのにタダ同然に処分されている大量の在庫を発見しました。日本の某店の値札が付いたまま。理由はひと目見てすぐに分かりました。自然なシワが付いた革でしたが左右の革のシワの表情が全く違うのです。これだけ違ってたらさすがにおかしいです。作って納品したものの、日本の店からダメを出されて突き返されてしまったんでしょう。靴の製造現場ではこういうこともあるのだと私はとても驚いたものです。20年以上も前の話です。

 革は布と違って一枚一枚が同じものではありません。なのに靴は全く同じものを2つ作ってそれが当然。しかも左右対称に(ちなみに文明開化の頃の洋靴はまだ左右の区別がなかったそうです)。ほんとにすごいことなのにそんなの当たり前でしょって澄ました素振りをしている靴のファクトリーって、すごいと思うんです。

 ところが、左右おんなじモノのはずなのにどうも左右の具合が違う、ということがありませんか。もちろん自分自身の足の左右の違いというのも原因かもしれませんが、それだけじゃないんです。実は左右で底付けの縫い方に違いがあるのです。上と下を土踏まずのあたりから輪を描くように縫い合わせますね、縫う機械の都合でどちらも時計回りに縫い付けていきます。するとどうなるでしょう。右足はつま先方向に縫い始めますが、左足はかかと方向に縫っていきます。つまり左右で一回りに縫い付ける方向が逆になるんです。だから厳密に言うと左右全くおんなじ、にはならないわけです。これは仕方ないことで、普通はほとんど気にならないほどの違いです。

 これは輪を描くように縫う場面では必ず起こることで、例えばシャツのカフ(袖口)なんかだと誰でも左右同じように縫えますが、スーツの肩付けなんかだと裏地やパットも一緒にしてしかもイセを入れて縫い込むわけですから、左右の肩を逆方向に縫っても同じように仕上げるということは難易度が高くなります。

 こんなこと知ってても試験にもクイズにも出ませんが、靴を履くときや上着を羽織るときにちょっとだけでもそんなことを思うと装いを整える気持ちも変わるんじゃないかな、と思うのです。(弥)