久しぶりに真剣に相撲を見ました。日本にもすごい若者がいるもんだ。新横綱大の里、どうか師匠の分までふたり分の活躍をしてもらいたいものです。(師匠・稀勢の里の悲運については倶樂部余話【363】に書きました)
中学生の頃、だから今から50年ほど前ですが、50年経ったらなくなっているもの、として、私は4つのものを予想しました。デパート、演歌、歌舞伎、大相撲。
デパートは、合併とリストラを繰り返してかろうじて大都市の店舗だけが生き延びてますが、百貨店会社自身がすでにデパートメントストアという従来の店舗形態に固執していないので、私の予想は概ね当たっていたと言っていいでしょう。演歌も世代転換が進まずに今後も衰退していくでしょうね。余計なことですが、どうしてNHKは紅白で演歌になるとけん玉とか巨大な衣装装置とか集団舞踏とか余興ばっかりで肝心の歌を聞かせることに集中させないんでしょうか。さて、歌舞伎は元々が大衆演芸だったこともあり、時代を取り込む柔軟な姿勢を見せて思いの外健闘、歌舞伎座も蘇って、私の予測は外れたと言えます。そして相撲。裸でちょんまげ、なんて誰が好んでするものか、蒙古族の出稼ぎ場になっていくのが関の山、と思ってましたが、なかなかどうして、生き残っています。ただ競技として女性を取り込めないのが致命的なのと、プロスポーツとしてみると優秀な選手が他の競技に流れしまい、相撲界にはいい人材が残りにくいのではないかと思います。大の里も父親が相撲の指導者だったことが幸いしましたが、そうでなかったら、松井秀喜に憧れて今頃大谷翔平と肩を並べる大リーガーになっていたかもしれません。
こういう当たる当たらないという予想は、服飾のバイヤーという職業を長年しているとクセのようになってしまっていて、大きな展示会を回っても、常に売れるか売れないか、を頭においている自分に気が付きます。もちろん、最初から売れないと思って新製品を出す人などいないのですが、バイヤーとしては、ただよく売れるものを探せばいいのではなくて、まだそれほど知られてないけれど売り方次第では面白いアピールができるかな、という極めてニッチな商品を探し当てないといけません。百に一つ、千に一つ、ぐらいのつもりで探しますから、99%は捨てているわけです。
売れる売れないの判断では今でも痛恨の極みとも言うべき記憶があります。当時34歳、1991年(平成3年)に発売された缶入り飲料カルピスウォーター。私は呆れてこう言い放ちました。炭酸水ならともかく(その18年前にすでにカルピスソーダは誕生していた)、ただ水で希釈しただけのものにソーダと同じ金額を払う者なんかいるはずがない、自分で薄めりゃ濃さも自由に好きなだけ飲めるじゃないか、一体何を考えてるんだ、作り置きで飲みきりの缶入り(ペットポトルなどまだなかった)のカルピス水なんて売れるはずがない、と言下に斬り捨てたのです。しかし結果は空前の大ヒット、30年以上続いているロングセラー飲料になっています。思えば売れると信じて仕入れたものが全く売れなかったことは幾度か経験がありますが、あのときほど自分の予想能力に自信をなくしたことはありません。
高校の夏合宿、灼熱のテニスコートに女子が差し入れてくれたヤカン入りの冷えたカルピス、あれはまさに甘い初恋の味でしたが、今でもコンビニであの青い水玉の付いた白いボトルを見るたび、私には苦い記憶ばかりが蘇ってくるのです。(弥)