誰も自分の過去を知らない離れた土地に引っ越して人生をリセットする、そういう機会を私は二回得ています。二度目の方は25歳で東京から静岡に引っ越してきたときで、リセットというと聞こえはいいですが、血気盛んな頃の不埒な悪行三昧の恥ずかしい過去を静岡の人に知られたくなかったのでした。
自分にとってなにより大きかったのは最初のリセットでして、それは小学校卒業と中学入学との境目、東京杉並区から湘南藤沢への引っ越しでした。今から55年前、大阪万博の年のことです。生まれ変わった少年野沢は創立間もない藤沢の新しい中学で生徒会活動に没頭、楽しく過ごすことになります。
小学校当時の私は、職員室を騒がせる問題児、まあとにかく悪い子でして、母親は何度も学校に呼ばれました。今になって思うと担任だった若くてきれいな女センセイを困らせたかっただけの他愛ないワルガキの仕業なわけですが、10歳ぐらいの私にはなぜ悪さをするのか自分でも自分のことが理解できず、抜け出したくても抜け出せない、自己嫌悪のカタマリになってました。それでも学校は大好きで毎日楽しく通いましたし、仲のいい友達もたくさんいました。しかし引っ越して以来、今では連絡の取れる級友は一人もいなくなってしまったのです。
この小学校、親がわざわざ越境までさせて私たち兄妹を入れたほどのとても古い伝統校で、入学したときにはまだ長い廊下の木造の校舎がありそこで授業を受けました。わけも分からず丸暗記した文語調の校歌の出だしは、明治八年春開校という13文字を29文字に引き伸ばしたものだったと、その意味を知ったのはかなり大人になってからです。明(あき)らけく治まる御代(みよ)の八年(やとせ)春、開けし学びの我が舎(やど)は、、、。もちろん今でも歌えます。東京都杉並区立桃井第一小学校、通称、桃一。
明治8年(1875年)というのは寺子屋から小学校へ国の学制が大きく切り替わった年で、桃一は杉並区で二番目に古い小学校で4月28日に開校しました。一番目はその三日前に開校していて、たった3日の違いで二番目に甘んじたことがよほど悔しかったんでしょう、ことさらに明治八年を強調した校歌にはその悔しい思いが込められているように感じます。
つまり今年創立150周年を迎える小学校は日本中のあちこちにあるらしいのですが、私にとっては55年前にそこから離れてしまった思い出の場所です。150年を迎える今年の開校記念日は何年か前からずっと気になっている節目の日になっていて、もしかしたら同じように思っている卒業生もいるんじゃないか、いや学校はホームカミングディなどと称して校門を開けて待ってるんじゃないか、などと思い巡らせまして、私とうとう桃一に問い合わせをしてみました。
副校長に名前を告げるとすぐに調べてくれて95期に私の名前があり卒業後すぐに藤沢市に転居していることなどの記録があると話してくれました。「創立記念日は例年と同じく休校日なのでどなたも入れません。来ていただいても誰もいません」しかし55年前の卒業生、しかも静岡からわざわざ問い合わせが来たことに母校はいたく喜んでくれまして「秋に大きな式典をやりますのでぜひ出席してください」と招かれました。ああ、電話してよかった。
ですので私だけの節目の日だった一昨日は何事もなく過ぎ去り、ひとり静かにワインを傾けました。桃一150周年おめでとう。(弥)
