倶樂部余話【363】気の毒↔気の薬(2018年12月25日)


いま日本で一番気の毒な人は誰、と言われたら、私は横綱稀勢の里関を挙げます。昇進の機会を何回も寸前で逃しながらようやく掴んだ日本人久々の横綱の座。
横綱はじめての場所ではつらつと12連勝した矢先にモンゴル人横綱相手に大怪我を食らう。
この怪我の代償はあまりにも大きくて、以来もう今までのような相撲を取ることがかなわず、勝ったり負けたり休んだり、
一場所も思い通りの横綱相撲を取らないうちに早くも引退の危機を迎えています。

世界に目を向けると、世界気の毒大賞は、英国首相のテリーザ・メイ女史じゃないでしょうか。
ブレクジット(英国のEU離脱)は何をどう考えても壁だらけで、新聞見出しは、四面楚歌とか八方ふさがりとか、出口のない迷路をさまよっているようです。
もともと離脱反対派だった彼女なのに、首相候補者がみんな降りてしまってやむなく首相に。
なんであたしがこんなことやんなきゃいけないのよ、って、思ってるに違いありません。
そもそもブレクジットを望んでいる人ってホントにいるんでしょうか。そのうちに再度の国民投票で離脱撤回、大山鳴動鼠一匹というオチになるんじゃないのかなぁ。

さて、ここでは気の毒という言葉を、いわば甚だ不本意を強いられて同情を禁じ得ない、というような意味合いで使いました。
でも、なんでそれが毒なんだろうと思って、調べてみたら、気の毒の反対語というのがあって、気の薬、と言うんだそうです。今では死語ですが、江戸時代には気の毒よりもむしろ気の薬のほうがよく使われていたらしいです。
そもそも気の毒も気の薬も、他人に対してではなく元々は自分に対して言うものでした、気の病、みたいに。
不得手なもの苦手なことが気の毒で、得意なもの楽しいことが気の薬、でした。それがだんだん自分じゃなくて他人を指すようになり、気の毒だけが悲しくて同情するという意味で残ったらしいのです。
でも気の薬っていい言葉だと思いませんか。他人に対して言うなら、つまり、嬉しくなって喜んで大いに共感してしまう、心の良薬になる、という意味になるでしょう。死語にしておくには惜しい、ぜひ復活させたい思いやりに溢れた言葉じゃないでしょうか。
さしずめ、おとといの天皇陛下の平成最後の誕生日メッセージ、涙が出ました。これには陛下ご夫妻に気の薬を頂戴した思いです。

今日はクリスマス。今年は公私共々本当にいろんな事がありましたが、なんとか平和な気持ちでこの日を迎えることができています。
メリークリスマス。今年一年の皆様のご贔屓に感謝いたします。明くる年も皆様の気の薬になれますように、変わらぬご愛顧を願います。良い年をお迎えください。(弥)

倶樂部余話【362】ラジカセが基準(2018年12月1日)


久々にビートルズをちゃんと聴き直してみると、なんだか変なんです。何百回と聴き馴染んでるはずなのに、「あれ、こんな音入ってたっけ」と驚いたり「えっ、ここ、こんな控えめな音だったか」と不安を覚えたり、と、私の記憶の中にこびりついているサウンドと明らかに違いがあるのです。

もちろん、加齢による聴力の低下が一因であろうことはわかっています。が、どうもそれだけではないようです。思えば、当時はまだウォークマンすらない時代、レコードから録音したカセットテープを安いカーステレオやラジカセでガンガンとしかもトーンコントロールも勝手気ままに動かしながら聴いていたのですから、振り返るとかなり劣悪な音響環境でした。今日(こんにち)iPhoneに高性能のヘッドホンを繋いで聴くのとはそりゃ違いがあって当然でしょう。でもここでそれを慣用句的に雲泥の差とは言いたくないのです。脳裏にある当時のサウンドも私にとっては泥ではなく最高の雲の音なんですよ。

そうやって考えてみると、同じ曲も誰ひとりとして同じに聞こえていないんですね。百人いたら百通りの聞こえ方がある。これ、確かめようもないけどきっと事実なんです。同様のことは色についても言えます。同じ絵を見ても、私が見ている青色とあなたが見ている青色はきっと違うはずなんです。しかしどうかすると私たちは、自分の音や色を他人にも同じように聞こえたり見えたりしてるんだろうと考えてしまいがちです。あなたと私とでは、聞こえる音や見える色が違うんだ、という前提でいないといけない。ひとりひとり違っているのが普通のことなんです。

そんなことを十二月の倶樂部余話には書こうかな、と思いつつ、竹内まりやのシアタームービーを妻と映画館で観ていたら、彼女は最終のサウンドチェックをラジカセから流れる音で判断する、というではないですか。いつも「最高の選曲・最高の音質」と豪語する山下達郎のデジタル機器いっぱいのスタジオの中にポツンと置かれたラジカセ。この音を判断基準にするなんて、なんと心憎いことをしてくれるじゃないですか。

まもなくジョンの38回目の記念日。今年の12月8日はカセットにラジカセでイマジンを聞いてみようかな。 (弥)