倶樂部余話【395】五輪、難民、欧州、日本(2021年9月1日)


 30年以上も毎月こう書いていると、私にとっては日記みたいなところもあって、五輪についてもう一度触れておこうと思います。

今度の五輪で一番印象に残ったのは男子マラソンのゴールシーンでした。「ゴールが見える最後の直線に、2位を争う3人が接戦でなだれ込んでくる。チェロノ(ケニア)、ナゲーエ(オランダ)、アブディ(ベルギー)の順。ナゲーエがスパートで2番手に浮上、そのまま前だけ見てゴールに突進するのかと思うと、違った。必死で走りながらも後ろを振り向き、右手でアブディに「来い! 来い!」というしぐさを見せる。吸い込まれるようにアブディは3位に上がり、チェロノを抜いた2人がそれぞれ銀メダル、銅メダルに輝いた。」(朝日新聞)。

 二人は同じソマリアの難民で、来日直前までフランスで一緒に練習してきた先輩後輩同士でした。心の手つなぎゴールともいえるシーンでしたが、私が強く感じたのは、オランダとかベルギーとかフランスとか、欧州の国々がアフリカや中東の難民を受け入れて自国民として五輪のメダリストという栄誉を取らせる、その懐の深さでした。欧州に流れ込んだ難民の数は凄まじいものになっています。様々な軋轢が当然あるのでしょうが、なんだかんだ言って受け入れているのはやっぱり尊敬に値するなぁと思うのですね。そうそう、ポーランドもベラルーシの女性選手の亡命を受け入れました。それから、ミャンマーの代表選手が自国の軍政を支持しないという抗議の意志から不参加を決意したのも命がけの勇気ある行動だったに違いありません。

 片や我が国。名古屋の入管はスリランカ女性を虐待死させ、国後島から決死の覚悟で泳いできた亡命希望のロシア人を本国に突き返してしまうそうです。難民とか亡命とかに対してあまりに酷い消極性です。
 五輪の閉会を待ってたかのように、タリバンがアフガンを制圧し大変なことになってます。日本の大使館職員は自分たちだけ英国機で真っ先に逃げ出しておいて、間抜けなほど遅れてやってきた自衛隊の救援機はたった15人を救っただけと報じられています。難民という言葉を真ん中において欧州と日本を対峙させたときなぜこうも違うのか、ものすごく恥ずかしい気持ちになるのは私だけでしょうか。

 なんてことで、8月が終わりいよいよ9月、秋冬モノのスタートで、いつもながら9月1日は一年の始まり元日のような気分です。まさかまだコロナがこれほど続くとは思いもよらないことになってますが、そのハンディは私だけではない、条件はみんな一緒ですから愚痴はこぼせません。この12月には個人的ながらWhen I’m sixty-fourを高らかに歌う日がやってきて、さらに来年11月野澤屋創業100周年と12月ジャック野澤屋の50周年。自分の頑張りのひとつの指標としてきた創業記念がだんだんと迫ってきます。開店35回目の9月、また長い一年が始まります。どうぞよろしくお付き合いください。(弥)