少し世代の離れた人と打ち解けるのに私がよく使う方法が「これ覚えてますか?何歳でした?何してた?」といういくつかの時代のお祭り騒ぎです。
*皇太子ご成婚(ミッチーブーム)。1959年(昭和34年)私まだ1歳半。さすがに記憶はありませんが、クラスに美智子さんという女子が少なくとも必ず一人はいました。
*東京オリンピック。1964年(昭和39年)私、小1。青梅街道で聖火ランナーに日の丸を振りました。
*大阪万博。1970年(昭和45年)中1。
*札幌オリンピック。1972年(昭和47年)中3。高校受験ともろかぶり。
中でも自分がまさに真っ只中にいたと思えるのが大阪万博♪1970年のこんにちは♪です。世界中の国名と首都を諳んじるような地理大好き少年12歳の私にとって、それは世界最高のお祭り、地球儀の上を歩いているような興奮でした。大阪・香里園に母の実家があるという好条件で、夏休みに長期滞在、分厚い公式ガイドブックと祖母のおむすびをリュックに詰めて、日がな通い詰め、77カ国、まさに世界の国からこんにちは、110を超えるパビリオンを完全踏破しました。一番の思い出は月の石?太陽の塔? いえ、パイナップルです。縦割りして割り箸を刺した生のパイナップル、最高のごちそうでした。
中学生という年頃も良かったんだと思います。乾いたスポンジみたいにどんなものも吸い取れる巨大な吸収力が自分にありました。「人類の進歩と調和」というそのテーマは当時の実行委員だった小松左京が作った言葉だそうですが、日本中の誰もが知ってる素晴らしいスローガンでした。この国に生まれ育って、私は良かった、と、心からそう思えたのでした。
はてさて、いよいよ二度目の大阪万博です。テーマをご存知ですか。「いのち輝く未来社会のデザイン」。申し訳ないけど、全然ピンとこないんです。そもそも万博ってデザイン展だったのかな。まあ、始まる前から悲観的になるのはやめましょう。年寄りの悪いところです。俺は一回目を知ってるから、って比較するのは良くないですね。二回目は二回目としてのいいところを見いだせるようにしましょう。
さあこの万博は将来私の中でどういうお祭りとして残るのでしょう。分かっていることが一つだけあります。ああ、あの万博の初日、私は福岡でアランセーターの講演をしたんだっけ。(弥)

