倶樂部余話【391】アランセーター、ライフワークの終活(2021年5月1日)


(ひとつの大きなプロジェクトが進行中で、この冬には実現しそうです。でもいろんな都合があって具体的な話は8月まで公表できません。ですので、今話は、このプロジェクトに至るまでの私の気持ちを述べておきたいと思います)

もし私にライフワークと呼べるものがあるとしたら、それは間違いなくアランセーターだと言えるでしょう。ライフワークなんて、必ずしも誰しもが持てるものではない中で、アランセーターに出会い生涯を通じてそれに関わることができたこと、なんと私は幸せなんだろう、と嬉しく思います。

しかしながら、私だってついに年金をもらう歳にもなり、またアイルランド側のパートナーであるアン・オモーリャも70を越え、また編み手の高齢化はますます進み優れたニッターの確保は年々難しくなっています。このまま今の状況を続けていけるという確証は何もありません。アンともよく話すことですが、あと10年かそこら、というのが現実かもしれません。

 私のライフそのものの終活はまだ先でもいいでしょうが、ライフワークの終活はそろそろ考えていかないといけないなぁ、とうっすらと思うことが増えました。そしてその気持ちは、昨年(2020年)の始めにモーリン・ニ・ドゥンネルが亡くなったことでさらに強く感じるようになったのです。(モーリンの訃報については拙稿・倶樂部余話【376】をお読みください)

ライフワークとしての終活、として、いくつか仕上げておきたいことが浮かびます。まず、拙著を著した2002年から19年経ちましたので、校了後の動きを増補したいのです。ただもともとの執筆の動機が故バドレイグ・オシォコンの功績を記録として残したい、ということで、その目的はすでに果たしましたから、全体の改訂は考えずに増補にとどめるだけで十分だと思っています。
そして、パドレイグがアランセーターにおける私の父であるなら、母はモーリンです。だからむしろ今度はモーリンの功績を世に残してあげたい、と考えています。さて、どういうことでモーリンのことを私はライフワークとして残してあげることができるのだろうか。あらゆる意味で史上最高のアランセーターの伝説のニッター、モーリンにふさわしい功績の残し方はなんだろうか。

そんな矢先、一人の男が静岡の私のオフィスにやってきます。

(この話は続きます。続きは8月になる予定です) (弥)