倶樂部余話【409】野澤屋100周年ジャック野澤屋50周年を迎えてのメッセージ(2022年11月1日)


 年頭の当話(倶樂部余話【399】【400】を参照)から触れていますように、この11月20日で野澤屋創業100周年、12月1日でジャック野澤屋50周年、を迎えます。ですので今回は感謝のメッセージを述べて拙話とします。

 まず、月並みな表現になりますが、野澤屋グループを100年にわたって支えてくださったお客様に深く感謝いたします。ひとりひとりのお客様ひとつひとつのお買い物の積み重ねによって100年を築くことができました。祖父、子、孫、の三世代すべての代表者に代わって厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

 感謝したい最大の相手はもちろんお客様ですが、そればかりではありません。店作りに尽力いただいた建築や内装業者、包装資材、広告代理店、などの裏方にあたる人々、そして幾度となく窮した資金繰りをその都度救ってくれた金融機関も欠くことのできないパートナーでありました。感謝いたします。

 さらに、特に次に挙げるふたつには格別の感謝の思いがあります。まず、仕入先です。実は創業時の祖父は同業者からの圧力にあい思うような仕入れができず窮した経験を持っています。たまたま創業直後に関東大震災が発生し身を挺して東京の仕入先の復旧に駆けつけたことから、信頼を得て窮地を脱したそうです。また何度かの経営危機も仕入先の破綻が遠因でした。私たちは基本的にものは作れませんから、仕入れをしないと商品が揃いません。おそらく100年間の仕入れ業者はグループ全体で国内外の数百社に及ぶでしょう。私たちのために商品を供給してくれた多くの仕入先には感謝に耐えません。

 最後の感謝の相手、それは当社で働いてくれた従業員の皆さんです。大正11年から100年ですからその数が何百人になるのやら、全く想像もつきません。すでに鬼籍に入った方も多いことでしょう。私が知りうる人は百数十人にすぎませんが、長く勤めてくれた人もいればあっという間にいなくなってしまった人もしました。見事にキャリアアップに成功した人もいれば失意の中で退職せざるを得なかった人もいます。野澤屋で働いてなんの得にもならなかった、と後悔している人も多いのかなぁ。今でも私を恨んでる人だってきっといるだろうなぁ。100年経ってもこんなちっぽけな会社に過ぎなくて、ホントは「野澤屋に勤めてました」と堂々と胸を張って自慢してもらいたいのだけれど、多分そういう人種のほうが少数派なんだろう。だから感謝というよりもごめんなさい、の謝りたい気持ちのほうがとても強いのですが、ともかくともかく、あなたが野澤屋に勤めてくれてあなたの力を糧にしてこうして100年を紡いでこられたのです。感謝します。どうもありがとうございました。

 この手のメッセージの結びは、これまた月並みですが、明日からは101年目51年目に向けてまた一歩ずつ前を向いて進んでいきます、という希望を述べるのが常です。しかし、先日の雑誌のロングインタビューでも本音を語ったように、後継者もいませんし、どんどん加齢を重ねてますので、まあ110年がせいぜい、120年はとてもとても、というところで、墜落しないで穏やかに着陸できれば御の字、実のところ一つの節目としてきた100周年を迎えてひとつ肩の荷が下りた、というのが本心であります。でも、淡々と、明日からも明るく働きます。よろしくお願い申し上げます。

 こんな駄文をもちまして、NZ100+JN50記念のメッセージといたします。(弥)