倶樂部余話【392】靴について思うこと(2021年6月1日)


 その昔、今から20年ほど前になるでしょうか、アイルランドのとある靴の工場に伺いました。デザートブーツで知られるブランド靴の生産をしていたところです。隣接するファクトリーアウトレットを覗くと人気靴のB級品が大量に投げ売りされていたのです。どうして、と思って見てみると理由はすぐに分かりました。左右で革の表情がまるで違っていて、片方だけがすごいシワだらけなんです。日本の店の値札が付いたままでしたので納品したのに全量が不良品として返品されたんでしょう。よくもまあこんなひどい品物を堂々と日本に出荷したもんだと呆れたものでした。

 靴業界の人から聞いたことがあります。「靴のすごいところは、必ずおんなじものを2つ作らないといけない、ってことなんです」確かにそうです。しかもその素材は革です。布は機械でいくらでも同じものが作れますが、天然皮革は一枚一枚がまったく同じではなく、しかも取る部位によっても微妙に異なります。つまり正確に言うと左右の2つは決して同じではないのに、同じものだと言えるレベルにまで引き上げなければいけないわけです。

 縫製にしても実は左右は同じではないのです。だいたい機械というのは右利きの人向けに作られていますが、この同じ機械で左右の靴を同じように縫い付けるとどうなるでしょう。例えばどちらも時計回りに底付けしたとすると、結果として左右の靴は反対の方向で底付けされていることになるのです。これは服の袖付けでも同じことが言えます。ちょっと左の肩を見てください。左脇の下から時計回りに背中へ向かってぐるり一周袖と肩が縫い付けられていると仮定します。今度は右の肩を見て、右脇の下から同じく時計回りにぐるりと目で追ってみると、ほら、左と逆方向になりますよね。このようにすべての服は袖付けのミシンの方向が左右で逆なんです。でもよっぽど粗悪な品でない限りその違いが表に出ることはありません。それは服だからです。靴には体重何十キロもの負荷が掛かりますし、しかも例えば右の踵だけがよく減る、といったように人の両足は決して均等ではありません。それでも左右おんなじ、と思ってもらえるようにしないといけないのが靴なんです。

 サイズもにしてもそうです。服で5ミリの違いは誤差の範囲で許されますが、靴で5ミリ狂えばひとサイズ違うことになります。足は移動のためのかなり大切な器官なので異常があるとすぐに脳が感知できるようにとても敏感にできていて、わずか5ミリの違いも感じ取ることができるのです。

 ね、靴ってすごいですよね。反面、気の毒だな、と思うところもあって、そのひとつが地位の低さです。江戸時代の藩主と御用商人の親睦会では呉服屋はかなりの上席なのに履物屋はずっと下の席に甘んじていたそうです。今でも官公庁の出入り業者の懇親会では洋服屋と靴屋は席次がずいぶん違うと聞きました。多分、皮革という原料が食肉と密接なつながりがあってそのことから屠殺場関係者と見なされるからなのか、と邪推したりします。服屋で靴を扱うことにはほとんど誰も違和感を覚えないのに、靴屋ではなかなか服を扱わないのはそういうせいもあるのかな、とも思います。

 毎年当店の6月は靴を作ろう!の月間。なので、靴について感じることを少しお話ししてみました。(弥)