倶樂部余話【一三〇】ステッキ専門店(二〇〇〇年三月九日)


沈丁花が咲き木蓮の蕾が膨らんで、もう春ですね。

インポート品が主体の当店ですが、これはまがい物でない主張あるホンモノを集め続けた結果であって、何もやみくもに舶来崇拝主義を貫いているわけではありません。国内にも主張を持ったモノづくりを目指している品物は数多くあり、このところ、尾鷲の傘、鹿沼の箒(ほうき)、鯖江の眼鏡、柿渋染めの鞄など、日本の伝統工芸に裏付けられた品々を少しずつご紹介できるようになってきました。その候補はそれこそ星の数ほどで、京都や江戸だけでなく日本全国に存在しているのでしょうが、まずは「コレをウチで紹介したい」という私の衝動的直感がピピッとくるかどうかを単純な判断基準にして、これからも発掘し続けていきたいと思っています。

その候補のひとつがステッキだったのですが、先日、渋谷のステッキ専門店へお伺いしたときの話です。ここは日本で唯一のステッキだけの店で、狭い店内には何百というステッキが揃い、それだけで私の直感アンテナはピッピッと反応を始めました。しかし、お店の方と話を始めるうちに、私の考えは変化したのです。

聞けば、女性オーナー自身が子供の頃からステッキを常用せざるを得ず、お洒落なステッキがあまりに少ないことにずいぶん寂しい思いをしたのが開店のきっかけとか。そして、身長はもちろん、年令、体格、症状によって、ふさわしい一本が決められるらしい。見渡すと、床にはコルクが貼られ、立ち方を試すために何種かの椅子も用意されている。ノコギリも数種類。つまり、ステッキを選ぶ客の立場に立った環境がすべて揃っている。こうして販売してこそ使う人の満足を得られるに違いない。単なる売買だけでなく、この店にわざわざ来ないと買えない価値がここにはある。これぞ本当の専門店の姿だろう。

売りたい、でも私が売ってもここまではできない。ならば自分で売らずにむしろこの店に顧客をお連れすることを考えるべきだろう。こうして、私はすがすがしい気持ちでステッキ販売を断念したのでした。

いやぁ、専門店とは何と面白いものだろう。

倶樂部余話【一二九】ロンドンの専門店(二〇〇〇年二月七日)


無事欧州より帰国しました。徹底取材のアラン島紀行はいずれ大作にまとめるつもりですので、今回はたった四時間だけ滞在のロンドン巡りについて。

目指すは二軒の専門店。まずは筆記具の「ペンフレンド」。世界一のビジネス街シティのど真ん中、しかもBBCのビルの中に位置するだけに、ダークスーツのエグゼクティブたちが入れ替わり立ち替わり来店している。でもほとんどの客が修理の依頼で、それもそのはず、この店はもともと万年筆の修理で名を馳せた工房なのだ。その経歴から集めたビンテージ・ペンのコレクションは素晴らしく、私は幻の英国製万年筆コンウェイ・スチュワートの1940年代製二種を購入した。

地下鉄を乗り継いで急ぐはナイツブリッヂ。ハロッズの裏手、眼鏡枠の「アーサー・モリス」。北アイルランド・ベルファスト出身の初代から三代に亘り、英国内でアンティークの眼鏡フレームの収集を続け、その膨大なストックの中から少しずつリストアしながら販売している。昨年創業三代目が急死したが、勤続二十年近い女性が権利を買い取り、営業を続けている。山のような在庫から迷うことしばし、都合五本を選び出した。

どちらも観光ガイドにも載らない小さな店だが、世界中の客がやってくる唯一無二の店。やはり真の専門店での買い物は楽しい。

新名物テムズ川の大観覧車をかいま見る暇もなく、ヒースロー空港へ直行。我が搭乗機は私の到着を待っていたかのように直ちに離陸した。

 

※このころ、品揃えの幅を拡げようと、筆記具や眼鏡枠など、男の持ち物を中心にいろいろと候補にしていた。

 

倶樂部余話【一二八】私、四二歳です(二〇〇〇年一月九日)


あけましておめでとうございます。大騒ぎしていたY2K問題が大事にならず、ちょっと肩透かしの気分でいる私はやっぱりひねくれ者でしょうか。

当店の名簿には毎月二十~四十名の新しいメンバーズが加わっています。このところ顕著に目立つのが、五〇代の方と二〇代後半の方の増加で、ちょうど団塊世代と団塊ジュニアに当たります。二〇代後半の方はいわば自然増と考えられますが、注目しているのは社会増とも言うべき五〇代の皆様です。

毎日様々な世代の方々とお相手していて感じるのは、もはや五〇歳に見える五〇歳、六〇歳に見える六〇歳、七〇歳に見える七〇歳、という人はいらっしゃらない、という事実です。ここのところを多くの人が分かっていないように思います。「長持ちするいい物しか欲しくない」と彼らは一様に口にします。

何も今後シニア向けのショップを目指そうというつもりはありませんが、これら年長の世代の目から見てもちゃんと評価していただける商品、サービス、店づくりを目指していきたいと考えます。そうすれば、若者も自然についてくるはず。団塊親子のどちらにも違和感なく対応でき、子は親に服装を学ぶ、そんな理想が垣間見えてきてます。

ところで、暮れの紅白を視ていた一〇歳の長女がポツリと「ねえ、南こうせつサンってお父さんより若いよね?」ガーン、何を言うか!」ムッとして「テレビのこのオジさんはもう五〇歳だよ!」

今年もどうぞごひいきに。よろしくご愛顧下さい。

 

※地下街の「ニューヨーカー」(旧KENT店)を閉めた。

 

倶樂部余話【一二七】名バイヤーとは(一九九九年一二月二四日)


バイヤー(仕入れ担当者)とはなかなか褒めてもらえない仕事で、売れないものを仕入れれば当然ケチョンパだし、かといって売れすぎれば今度は足りないと怒られ、ぴったり売れてやっと当たり前としか評価されず、つくづく損な役回りだなと思います。しかし、百貨店なら売れ残りを返品することもできますが、当店の仕入れのほとんどは「買い取り」ですから、バイヤーの責任も重く、だからこその醍醐味もひとしおに感じます。

かつて聞いた名バイヤーの談。曰く「売れないと思って仕入れるバイヤーなど一人もいない。だが人間のすること、全部が思惑通りに売れやしない。どうしても残る。しかしその残り方に上手下手が出る。最後の一点まで売れるためにはどう残ったらいいのか考えて仕入れる。これがうまいバイヤーなのだ」この話は目からウロコでした。

さて、果たしてこの冬の私はうまいバイヤーでしょうか。我ながらいい残り方をしている冬だな、とは思うのですが…。「ファン感謝ディ」で存分にご評価下さい。お待ちしています。メリー・クリスマス!よいお年をお迎え下さい。



倶樂部余話【一二六】我が街・しぞーか(一九九九年一二月二日)


今までのこの余話で意外にも一度もまともに取り上げていない話題です。セカンド・ミレニアム最後のお代は「我が街・しぞーか」です。

家業はこの静岡の地で77年を数えますが、私自身は東京生まれの湘南育ちで、静岡へ移り住んでまだ17年に過ぎません。こちらへ来て二年ほど経った頃、「私もようやく静岡の人に慣れてきましたよ」とある親戚に言ったところ「そうじゃない。回りがおまえに慣れただけだ」と諭されたのを、なぜだかよく覚えています。

ずっと感じていたのは、静岡の人は自分たちの住んでいる町をあまり自慢しない、むしろ卑下することが多い、ということ。あまりに暮らしやすい環境は郷土愛を育まないのでしょうか。それから、地元の情報であっても、東京発でフィードバックされないと信用されないという東京指向も感じていました。また、新し物好きが過ぎたのか、観光資源たりえた古いモノをあまり大事にせずどんどん壊してしまったのは、先人の失策だったと思います。

正直言うと、私が静岡を「我が街」として誇りに思うようになったのはここ数年のことです。まず街の大きさがちょうどいい。商圏人口百万人というのは、あらゆる商売が過当競争なく成り立つ最適規模です。そして街のヘソとして中心商店街がデンと存在している。平日にこれだけ人の溢れる地方の中心商店街は、仙台や熊本以上だと思います。一一月の大道芸も市民の我が街自慢を高揚しています。きっと「静岡おでん」もそのうち日本一の評価を獲得するでしょうし、来年の大河ドラマ(葵徳川三代)は市民の郷土愛をより増長することでしょう。静岡は全国に誇れる自慢の街になり得るか、その可能性は充分にあると感じます。

転勤で去られるお客様から「この店に通えなくなるのが寂しいよ」と言われると、たとえお世辞とは分かっていても「この人にとってうちの店が静岡のひとつだったんだ」と嬉しく思います。そうか、静岡の隠れた名物・セヴィルロウ倶樂部、なんて、言われる日が来るといいなぁ、なんて自惚れちゃいますね。





倶樂部余話【一二五】イギリスとアメリカ(一九九九年一一月一日)


コーラやハンバーガーを改めて持ち出すまでもなく、戦後五十年、私たちはアメリカの影響を強く受けてきました。

しかし、忘れがちなことですが、約百三十年前、明治維新の頃から日本のお手本はイギリスでした。今とは比べものにならないほどの少ない情報量の中で、明治人は英国を学びました。

このイギリスとアメリカ、一口に英米と言ってしまいますが、この両国の性格にはかなり違いがあります。倹約家VS浪費家、古い物好きVS新し物好き、金より地位VS地位は金で買う、あるがままにVS見た目こそ大切、フェアプレイVS結果がすべて、歴史に優越感VS歴史に劣等感、旧宗主国VS旧植民地…、枚挙に暇がないほどです。

そしてこの対比は、まるで我が国の、明治大正VS昭和平成、だとも思えます。私も二十代の頃はかなりの米国大好き少年でしたが、今になって思うとかなりアメリカに洗脳されていたな、と感じます。今さら教育勅語は御免ではありますが、しかし成熟期となった日本は、米国一辺倒の呪縛を解いて、もう一度英国をお手本にし直してもよいのではないでしょうか。「戦争を知らない子供たち」は、案外と、質素で厳格な明治の人たちをカッコよく感じてはいないでしょうか。



倶樂部余話【一二四】買ってはいけない(一九九九年一〇月五日)


五月に「買ってはいけない」((株)金曜日)を読んだとき、正直こう思いました。何しろ薬害エイズを厚生省がひた隠しにするようなこの国のことだ、大企業が大量宣伝で大量販売するのだから、どこも多少のうさん臭さはあるものだろう、この内容を盲目的に信じ込む人も少ないだろうけど、でもこの本売れるだろうね。

あれよという間に百五十万部のベストセラーになり、ついには対抗本まで発売されました。(「『買ってはいけない』は買ってはいけない」夏目書房)

私が恐ろしいと思うのは、この社会現象を新聞やテレビが全くと言っていいほど取り上げないこと。スポンサーが怖いんですね。そしてやり玉に挙がった67社への質問状に59社が回答拒否もしくは紋切り型の回答(厚生省に聞いてくれ、など)という無視や沈黙の態度です。

商品を選ぶとき、誰がCMしてるかよりも、どういう企業姿勢を持った会社が作っているか、の方がはるかに大切な判断基準になり得るはずなのに、この59社は少し考えが甘かったようです。

結果として、ちゃんと答えた8社の方は評価してあげてもいいでしょう。第一パン、大幸薬品、武田薬品、日本モンサント、ビジョン、扶洋薬品、夢氷工房、マクドナルド。パチパチ…



倶樂部余話【一二三】ライセンス・ブランド(一九九九年九月一日)


小話。ある女子校での校内放送。「ハンカチの落とし物が届いてます。モリハナエさん…」

小四のうちの娘は、デイオールをスリッパのマーク、ジバンシーをタオルの印だと信じています。

これらの笑い話はどれも「ライセンス・ブランド」という奇妙な仕組みが原因です。

この秋、当店から三つのライセンス・ブランドがなくなりました。ギーブス&ホークス、スキャパ、ハケット。いずれもライセンス品を生産する日本のアパレルが、リストラの一環で撤退や縮小を余儀なくされたのが理由です。どこも本国のビジネス自体は順調で、私は直接に本国のオーナーとも面談し、そのブランドコンセプトにも敬服していたので、彼らと縁が切れるのはいささか残念ですが、やむを得ません。

思えば、当店が大幅に輸入品を増やしていた頃、同業の仲間から「そんな商売は危ない。大手のライセンス品を扱うのが最も安全な仕入れだよ」と揶揄されたものでしたが、時代は変わったものです。元気なアパレルは小売店に商品を卸さず自前で店を持つようになり、元気のなくなったアパレルはリストラでいい商品が作れなくなっています。結局、国内外の小さくてもイキのいいメーカーから、好きな物を好きなだけ仕入れるのが最もリスクのないやり方だという時代になったようです。

私は決してブランドというもの自体を否定はしません。商品を選ぶ判断材料としてブランドは最も重要な手掛かりのひとつです。ただ「似て非なる」あるいは「ありえっこない」ライセンス商品は、もういい加減にしようよ、と思うのです。

最後に今度はクイズです。以下のデザイナーの性別と存命か否かを答えて下さい。①クリスチャン・デイオール、②イブ・サンローラン、③ニナ・リッチ、④ミラ・ショーン。

 

※解答…①男性、死亡。②男性、存命。③女性、死亡。④女性、存命。

 

倶樂部余話【一二二】旅行地理検定試験(一九九九年八月一日)


「もし無人島で一生一人で暮らすのに一冊だけ本を持っていけるとしたら?」との問いに、私は迷わず、高校で使う地図帳を挙げます。そのくらい地理は大好き科目で、小学生時代は世界中の国名と首都を暗記しているのが自慢の種、70年の大阪万博(当時中一)は一週間通い詰めて全パビリオンを制覇しました。

日本交通公社(JTB)の関連団体が年に二回「旅行地理検定」という試験を実施しています。国内、海外、鉄道の各部門に加え、毎回二~三ヶ国の国別試験があり、今回は、アメリカ、スイス、とイギリス。ひとつ運試しにと、先日静岡会場でイギリス編を受験してきました。

別に何の資格試験でもなく、最高得点者には「博士」の称号というまったく趣味丸出しの試験で、観光専門学校生や旅行会社の職員に混じって、旅行マニアとおぼしき年配の姿も見受けられる会場で、六〇分一〇〇問のマークシートテストは始まりました。

いや細かい、難しい。コッツウォルズの寒村の名など地図上だけで分かる奴などいるものか、と悪戦苦闘の一時間。イギリス博士の勲章はおろか、英国を標榜する店の店主としてははなはだ不本意な成績で、結果は79点でした。

(後日、詳細な成績結果が届き、最高点が88点、平均が57点で、私は全受験者数159人中で堂々の第七位でした。ホッとしました。)

 

 

旅行地理検定は今も続いていますが、国別試験という分野は廃止になりました。

 

ニコラス・モスの共同購入会、始まる。

 

倶樂部余話【一二一】ファン感謝ディ(一九九九年七月三日)


年二回のファン感謝ディもこの夏で六度目になります。

「酒飲ませて手土産も付けるセールなんて前代未聞」と同業者からは評されますが、私たちはこのイベントを単なる先行優待セールとは捉えていないのです。前にも書いたように、セールをするのはあくまで売る側の都合なのに、その都合を客に押し付けるだけで客が喜ぶとは思えません。ならば、顧客の来店が集中する機会だからこそできる特別なサービスで、日頃の謝意を表したい、ついでに自分たちも楽しんでしまおう、という「感謝の日」なのです。

今回は、酒屋さんに無理をお願いして、イギリス製の白ワインを取り寄せました。一緒に試飲したソムリエによれば、珍品というだけでなくなかなかのテイストとの評価。ついでにこれまたイギリス製のチーズも用意しました。また、ご存知ギネスのグラス売りも新方式で再開します。

ファンの皆様だけに開催する貸切の特別な四日間です。ご来店をお待ちしています。

 

※当然だが、もうこんなイベントは実施してません。(2013年記す)