【倶樂部余話】 No.290 師走に思う雑感 (2012.12.24)


★衆院選自民党圧勝。「政権交代とあんまり言うので、どうせ短命だろうからちょっとだけ、のつもりが、まさかあんな素人集団で三年もやり続けるとは。しまったな」と思っていた人たちは、きっと今また「しまった。こんなに大勝させるつもりじゃなかったのに」と感じているはず。得票比率こそが民意のバランスだと思うのだが、大半が死票になって民意が反映されない議席配分というのは、何かおかしいんじゃないだろうか。
★新都知事に猪瀬直樹氏。彼の「ミカドの肖像」を読んだのは1987年、私が三十歳の時で、多方向からの事実を絡め合わせてひとつのストーリーを紡いでいくノンフィクション文学の醍醐味を味わったのがこの作品でした。その八年後私がアランセーターの本を書こうと思いたったとき、おこがましくも(「ミカドの肖像」みたいなノンフィクションが書けたらいいなぁ)と目標にしました。当然その内容は「ミカド…」の足元にも及ばない拙い出来でしたが、私にとって猪瀬氏はある意味、ひとつのきっかけをくれた恩人であるのです。まあ勝手に私がそう思ってるだけですが。
★その拙著は、アランセーターの伝説なんてうそっぱちなんです、と暴露している本では決してないのです。伝説を信じられる心、科学で証明できない何かの存在を信じたい気持ち、そんなものが印象に残せればと願いました。この三ヶ月間のドラマ「ゴーイング・マイホーム」を観て、そんなアイルランドのことを思い出しました。
★この一年間のご愛顧に感謝します。皆様に、メリー・クリスマス。そして良いお年をお迎え下さい。(弥)

【倶樂部余話】 No.289 遠いのに近い、近いのに遠い (2012.12.01)


 11月になるともう次の冬への仕掛けが始まります。
 11/13、恵比寿の某ホテル。英国で六世代三百年の歴史を誇る老舗のネクタイ生地ファクトリーから担当者が来日中で、仲介者を交えて別注タイの打ち合わせ。初対面で大いに緊張しましたが、驚いたのは、申し訳ないくらい少ない本数なのにこちらの希望どおりの配色で注文を受けてくれる柔軟さでした。しかもサンプル織りはたった二週間で作って日本に送ってくる、という驚異的スピード。英国と静岡との距離感を感じることもなく、三百年生き残りの秘訣ここにあり、という気がしました。
 翌週11/20は静岡県磐田市福田(ふくで)地区へ初めてのドライブ。コーデュロイでは国内シェア90%超という一大産地ですが、近年は安価な中国製に押され生産量は減少の一途です。地産地消を振りかざすまでもなく、せっかく地元にいい素材があるのならばこれは是非とも活用してみたい、と思い、新装開店なった織物組合のショップを訪ねました。運良く意欲的な織布ファクトリーの若社長と会うことができ、「高品質な定番のコーデュロイを見本帳を元に少量ずつ適時に仕入れるシステムはないのだろうか」と相談しましたが、なかなか糸口が掴めません。コーデュロイという布は我々の想像以上に作る単位が大きいらしくて、普段何十反の話をしている彼にメーター単位の相談では、どうも「のれんに腕押し」みたいな感触で、小口でエンドユーザーに提案できるような窓口さえ見当たりません。実現までの道のりはまだまだ長いな、と感じました。

【倶樂部余話】 No.288 旅の甘~い(?)思い出 (2012.11.01)


 話題に困ったときは食べ物の話に限ります。美味しかった話だと「そりゃ良かったね」と言われるのがオチなので、今回は旅先で食べたNGなモノを挙げてみることにします。
 アイルランドの田舎町で出された地中海風?豚肉のオレンジソース和え。フィンランド・ヘルシンキ、ラップランド料理店でのトナカイのブラックベリーソース掛け。どちらも甘ったるいジャムがどっさりと乗っていて、肉とフルーツの掛け合わせは、元来から酢豚にパイナップルさえも苦手な私ですから、手を出してはいけないメニューだったのです。肉の量も半端でなく、見ただけでもうすっかり満腹になりました。
 ロンドンのど真ん中ピカデリーサーカスであまりの空腹に慌てて頼んだ餃子。まさに段ボールを噛んでいるようでこれほどダメな餃子は初めて。えてして日本人は中華料理に慣れすぎているので欧州のアレンジには違和感があることが多いです。むしろ韓国やタイ料理の方が中華ほど馴染みがない分だけハズレも少ない、というのが私の経験です。
 さて、最後を飾るのは、27年前、新婚旅行のシンガポール、インド人街でタクシードライバーに連れて行ってもらった「地元で一番美味しい」食堂での、フィッシュヘッドカレー。バナナの葉の上に、魚の頭がどすんと乗った素朴なカレーです。見た目のグロテスクさはともかく、身の締まりがまるで感じられない臭みの残った白身魚には辟易でした。二人して(文字通り)手を付けられず、運転手は「こんなご馳走、もらっていいの?」と大喜びでビニール袋に入れてお持ち帰りしていました。
 何ごとも経験したからこそのこと、旅での苦い、いや甘~い(?)思い出です。(弥)

【倶樂部余話】 No.287 俄(にわか)や擬(もどき)を本物に (2012.10.01)


 ブリティッシュがトレンドらしいのです。五輪の余波なのか、景気後退の閉塞感からの原点帰りなのか、イタリアよりも知性派向きだからなのか、理由はいろいろ挙げることはできるでしょう。
 加えて、アランセーターにも追い風が吹いています。糸井重里氏が気仙沼で仕掛けているプロジェクトの影響もあるのかもしれませんが、近頃の取材申込の状況からも、今年は「来てる」気がします。
 それなら万々歳じゃないですかと言われそうですが、今までの経験では実はそれ程喜んでばかりもいられないのです。
 俄(にわか)ブリティッシュやアランセーター擬(もどき)の人たちには、当店のように流行関係なく主義を貫いた店は敷居が高いのでしょうか、やはりトレンドとして俄や擬を扱う店に走りがちです。それだけならまだいいのですが、以前からの俄や擬ではない本物の方までもが、流行りモノと一緒にされるのはイヤだからしばらく遠慮しとこう、と、へそ曲がりな気を起こしてしまうのです。
 なので、ハヤリとカブるときは要注意、が今までの教訓なのですが、ネットの時代、小さな情報でも確かな情報なら伝わりやすいという世の中になって、ちょっと変わるかなと思っています。俄や擬から本物に転向する比率は従来よりも格段に高くなるのでは。そんな期待を持って迎えた今年の秋冬なのであります。(弥)  

【倶樂部余話】 No.286 ひとり占めの瞬間(2012.09.01)


 二十年振りに富士山に登りました。雲ひとつない地平線の彼方、茨城県あたりから昇る、まるで朝日新聞のような朝日。今まで見たどの日の出よりも美しいものでした。
 剣が峰三七七六㍍の表碑の前には順番待ちの長蛇の列が。そりゃそうです、何時間も登りつめ、そしてあともう少しで日本最高地点の「ひとり占めの瞬間」が手に入るのですから、一時間ぐらい並んだって平気です。
 皆さんは「ひとり占めの瞬間」って意識したことがあるでしょうか。ヒトやモノ、コトを自分だけの物にする一瞬だけの喜びです。有名人と握手したりツーショットを撮る、なんていうのは割と多い体験でしょう。この瞬間は狙って取れるものもあれば、偶然に訪れる場合もあります。人それぞれに聞かれれば驚くような「ひとり占めの瞬間」の経験を持っているのではないか、と思うのです。
 私の自慢の「ひとり占めの瞬間」は二つ。その一、十七年前の秋の早朝、キャピトル東急ホテルの玄関でエリック・クラプトンと二人っきりですれ違ったこと。このときはあまりの驚きに身体が固まりました。その二はアムステルダムのオランダ国立美術館。十年前の冬。フライトの時間が迫り、開館と同時の急ぎ足で、レンブラントの「夜警」へ一番乗りで到達。数分間、あの大きな絵を遠ざかったり近寄ったりと、独占しました。ただ、この二つ、残念なことにどちらも証拠がないのです。写真もなければ目撃者もいない、なので家人は未だに信じてくれません。
 あなただけのひとり占めの瞬間、是非聞かせてもらいたいものです。(弥)

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【倶樂部余話】 No.285 開店25周年記念・プロ棋士たちのスーツ(2012.07.27)


 この秋、この店は開店二十五周年を迎えます。四半世紀。よくまあ続いたもんです。で、記念に当店だけのオリジナルのスーツ生地を作ることにしました。
 服地の別注は、二十周年の時にハリスツイードでやりましたが、このときは既存の生地をベースに、配色を独自に指定し乗せ換えたものでした。それに対し今回はウールの原料から、糸、織り方、配色に至るまで、すべてがオリジナルで、正真正銘世界で当店だけの服地を作ろうという企てですから、実現できるのかどうか、ちょっと冒険でした。
 当初からの私のアイデアはこんなもの。「英国ハリソンズのフロンティアのようなどっしりと重量感のある平織り、仏ドーメルのアマデウスに見られるようなマッターホルンの青空のような鮮やかなブルーを入れたカラー、できれば英国羊毛を使いたい、これを葛利毛織のションヘル織機でスローに織り上げる」という、当店のおいしいところをすべて盛り込んだ「いいとこ取り」。こんな漠然とした着想を持って、五月の雨の日、愛知県一宮市の葛利毛織さんを訪ね、打ち合わせが始まりました。
 感覚的な私の要望に対して、葛利さんは技術者としての裏付けで答える。そんなやりとりの後、膨大な過去の見本帳から小さな端切れを探し出してきました。「求められているのはこんな生地じゃないですか。実はこの服地、プロの将棋差しの方からの要望だったんです。長時間の正座に耐え、シワの復元力も強く、それでいて上半身は動きやすく、かつ長い季節に使えるスーツが欲しい、というものです」それを見た瞬間、私「そう、これです、これ。この感じ」と。
 そこからは意気投合、かくして私のわがままを葛利さんがカタチあるものにしてくれることに。試し織りの見本生地も先日届き、上出来の仕上がりです。開店二十五周年記念、プロ棋士たちのスーツ、いよいよ発売になります。(弥)

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【倶樂部余話】 No.284 いつからセールを始めるか(2012.06.22)


 いつから夏のセールを始めるか、は我が国永遠の議論のようです。三越伊勢丹が従来よりもたったの2週間だけスタートを遅らせると発表したのが意外にも大ニュースになりました。五月にこのニュースが大した関心もない人にまでも周知徹底されたおかげで、かえって世間にセール待ちの空気を強めさせたなんていう皮肉なことにならなきゃいいがな、と思っています。
 フランスではこの議論は起きません。なぜならセールの日程は国の法律で決まっているからで、夏だと六月最終水曜日の朝八時から、なんだそうです。これは民間のことに国が介入していると言うよりも、個人消費を国家経済の重要な要素と捉えていることの現れなんでしょう。国を挙げての一斉スタートですからそりゃお祭りのように盛り上がるはずです。抜け駆けの好きな国民性を持つ日本でこそ、国レベルでこういうルールづくりが検討されていいと思います。高速無料化やエコポイントなんかができるぐらいだから、その気になればすぐに決められるはずでしょ。
 で、当店ですか。盛夏物が少ない、七月が決算、早めに秋物を立ち上がりたい、などの事情もあって、フランスと同時期に始めることにしました。(弥)

【倶樂部余話】 No.283 その大丈夫は大丈夫ですか?(2012.05.26)


 「大丈夫です」の用法が近頃何だかおかしい。

 例①。店「手提げ袋に入れましょうか?」客「大丈夫です」→これは、店も客も、手提げは不要である、という意味だと認識している。ここに食い違いはない。

 例②。(商品を見て回っているフリの入店客に向かって)店「お手伝いしましょうか?」客「大丈夫です」→店は (一体何が大丈夫なんだろう?買い物の手伝いをするのが私の仕事なのだが)といぶかしむが、どうも客は(見てるだけだから放っといて)というニュアンスで言っているようだ。店と客で言葉感覚にズレがある。

 例③。(日曜日、品切れの商品を訊ねられたので、在庫があれば取り寄せもできるという場面で)店「明日にならないと問屋への在庫確認ができませんが、よろしいでしょうか?」客「大丈夫です」→店(じゃあ、明日お電話しますからこちらでお名前を…)と言おうとしたら、客はそそくさと店を出て行ってしまうではないか。ポカンとする私。客は(すぐに欲しかったので、明日の在庫確認は必要ないです)という意味だったようだ。解釈がまるで正反対になっていた。

 結論。どうも「大丈夫です」は「OKです」ではなくて、「お願いします」の反対語、つまり「お願いしません」という意味で使われているみたいなのだ。三つの例示にそれぞれ「お願いします」を当てはめてみると逆の意味になることでそれがお分かりいただけるだろう。
 でも、そんな大丈夫は全然大丈夫じゃない、と思うのですがね。どうなんだろ、この日本語。 (弥)

【倶樂部余話】 No.282 トラウザーズというのが英国流です (2012.04.26)


 トラウザーズ、スラックス、ズボン、パンツ、バンタローネ、ボトムス、いろんな呼び方がありますが、総じて上着に比べると日陰者です。
 テレビを観ていても上着はいろんな人を参考にできますが、腰やお尻や足元はなかなか映らないので、トラウザーズの正しい履き方とは何なのかさえ人さまざまです。試着される皆さんの腰の位置も実にまちまちですね。また、上着は着心地と見栄えはほぼ一致しますが、下の方は履きやすいけど見てくれが悪い、あるいは反対に、見た目は良いけど履きづらい、というケースが往々にしてあります。
 上着は八つの布で構成されているのに対し、ズボンを形作るのは主に四つの布です。それでいて腕よりも複雑で激しい脚の動きに対応しなければならないのですから、作る方は苦心します。ここで大切になるのが「くせ取り」という作業。もともとフラットな生地にアイロンでゆがんだクセを付けてお尻やひざの丸みに対応させていくのです。トラウザーズを二つ折りにハンガー掛けしようとするとなぜだかうまく掛けられない、という経験があると思いますが、これはくせ取りが効いているからです。私は「くせ付け」といった方が分かりやすいと思うのですが、なぜか古くから「くせ取り」といいます。自然なくせ付けが出来の善し悪しを決める秘訣だと言えます。
 今月は久々のトラウザーズ特集。脇役ですが名優揃いです。(弥)  

【倶樂部余話】 No.281 英国は深い (2012.03.30)


 映画「The Iron Lady マーガレット・サッチャー」を観ながら、一月にロンドンへ行ったときのことを思い出していました。
 何度目かのロンドンですが、実はまともに観光というものをしたことがなく、今回初めてバッキンガム宮殿の衛兵交代を見学する機会を得ました。冬の平日だというのにもかかわらず集まった数百名の見物客に混じって、一時間強のその儀式を楽しみました。さながらディズニーランドのパレードの様ですが、何しろこっちは恐らく何百年ずっと変わっていないであろう本物の儀式ですからね、素晴らしい観光資源です。で、思ったのです。「英国王室ってすごいよ、王室がこの国に寄与しているウェイトのなんと大きなことだろう。日本の皇室だってもっと国の資源として有形無形に活用することができただろうに。単純に『皇室っていいよなぁ』って、政治や宗教やイデオロギーとは全く無関係に、そう思っても良かったのに、戦後ずっとそう言えなかったことは、日本にとって不幸なことだったなぁ」と。
 名所や空港などあちこちのお土産コーナーにたくさん置かれていたのが、エリザベス女王の在位六十周年(Queen’s Diamond Jubilee)を記念したグッズの数々。女王陛下の顔写真が大きくプリントされたショッピングバッグなんて使って恥ずかしくないんだろうか、と思いましたが、考えてみれば英国のお札やコインにはみんな彼女の肖像画が描かれてるんだから、きっともう愛すべき国民的キャラクターになってしまっているのでしょうね、エリザベスは。これも日本の皇室ではありえない違いでしょう。
 六月初めにはこの女王在位六十周年を祝う式典が盛大に執り行われるようで、パレードあり船舶ショーありコンサートあり(ポール・マッカートニーは十年振りにまた御前でハー・マジェスティを歌うのだろうか)、と今からとても楽しみな四日間です。天皇陛下はとりわけこの式典への参加を切望されているそうで、実現すれば六十年前の戴冠式にも臨席した経験を持つ数少ない賓客となります。
 そしていよいよ七月二七日からはロンドン五輪が始まります。古いモノの中に違和感なく整然と新しいモノを取り込む、というロンドンらしさをオリンピックでもきっと遺憾なく見せてくれることでしょう。
 うーん、やっぱり英国は深いな。(弥)