倶樂部余話【404】アランセーターの新展開です。海外出張日誌から。(2022年6月1日)


例年1月のはずのアイルランド出張が、異例の初夏の出発、しかも6月のつもりがいろんな都合で急遽5月に前倒しになって、無理やりはめ込んだ日程。そしていつもなら展示会場を回るぐらいでほとんど移動はないのに、南へ北へ西へとバスの移動ばかり、初めて会う人も多くて、結果の予想もつきにくく、その意味でも異例でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、今まで私がアイルランドそしてアランセーターに関わった35年間で積み重ねてきたネットワークの集大成が今回の出張に凝縮されたと言ってもいいでしょう。
何から話そうか、と、考えましたが、ともかく旅のメモ書きのように時系列を追うのが一番わかりやすいでしょう。
第1日(水)。成田発22時の最終便でドーハ経由でダブリンへ。
第2日(木)。昼過ぎにダブリン着、その足で街なかのクレオCLEOに直行。店内陳列の中からエラボレートアラン(elabolate=凝りに凝った)を、メンズとレディス合わせて10数枚チョイス。桁違いの価格になるけれどもすごいアランセーターばかり。夜はM嬢とN嬢にお礼の晩餐。スコッチエッグとチキンキエフ(=キーウ)。思えばまともなディナーはこの一晩だけ。

第3日(金)。早朝のバスで南下、キルケニー県へ。美しい山間水運の町グレイグナマナのクッシェンデールを20年ぶりに訪ねる。フリース(羊の原毛)から製品までを一つの建物で一貫生産する今では貴重なミル。アイルランド原種のゴルウェイシープで織った新柄のブランケットを、特別なサイズで別注。午後はそこから30分のドライブで、べネツブリッヂのニコラス・モスのファクトリーへ。サンプルの受け取り、工場見学、も大事だけれど、今後のコストアップへの対応について、ニックと協議。帰りのバス待ち時間にニックが付き合ってくれて、森の中に広がる彼のプライベートガーデンを案内してもらう。よく歩いた。夜にバスでダブリンに戻る。バタンキュー。

第4日(土)。早朝、トランク引いて市バスに乗り、空港近くのクリニックでPCR検査。また市バスで空港まで進み、高速バスに乗り継ぐ。昼過ぎアイルランドの西の中心都市ゴルウェイのコーチステーション着。コインロッカー使用中止で、土曜日でごった返す人混みの中、トランク引いてオモーリャの店へ。アン・オモーリャは思いのほか元気だが、足は痛そうでちょっと辛そう。店には次々と客が入って来るので、勝手にセーターを選ぶ。店内の商品数自体は豊富だが、私の目に適うアランセーターは少ない。秀作10枚を選び風呂敷に包んで店の隅に隠すように置いた。店内でモーリンの娘さんノリーンに会う。こんな偶然ってあるのか。昨年米富繊維と実現したモーリン愛のセーターのことを報告、墓前に知らせてと依頼できてよかった。

重たい荷物を一旦B&Bに置いて、昼過ぎまたバスに乗る。目的地はゴルウェイの南東バレン高原の外れに位置する小さなビレッヂ、アルドラハン。バス停の真ん前にある小さな店アイリッシュ・ファイバー・クラフターズのサンドラに会うために。サンドラを紹介したのは後述するGalway Woolのブラトネイド。細い糸と細い糸が増殖していく感じ。Galway Woolで編んだアランセーター、というとてつもない難題を実現する鍵を握っている。2時間の熱い会談は楽しく過ぎて商談成立。秋には、世界でも数少ない貴重なアランセーターが数枚だけ日本へ届く手筈となった。ウキウキでまたバスに飛び乗りゴルウェイに戻る。夜9時だというのにまだ明るい。これが余計に感覚を狂わせる。フィッシュ・アンド・チップスで腹ごなししてサタデーナイトのパブでトラッド音楽でも、と、街に繰り出したが、サバのフライが口に合わず降参。パブも人が多すぎて確実に密。もちろん皆さんノーマスク。さすがに怖くて入れない、宿に退散。長い一日だった。

第5日(日)。ゴルウェイから東へ40kmのバリナスローにあるGalwayWoolのファームに行くのが本日の目的。バスで向かうつもりだったが、宿まで迎えが来ていた。ありがたい。会いたい女性は、ブラトネイド・ギャラハー。今回の出張の最大のキーパーソンだ。肉食用のために飼育されてきたアイルランド原種の羊(Galway sheep)、そのウールに着目し、Galway Woolとしてブランド化、40の小規模ブリーダーを組合組織化し、今年ようやく一般への販売がスタート、という、その仕掛け人、ブラトネイドはアイルランドの輝く女性として注目の人物だ。彼女とつながることから、新しいアランセーターの芽が生まれるのではないか、と、思い立ち、ここまでたどり着いたのだった。当日のファームのゲストは私だけではなかった。スペイン政府から派遣されてきた地方農政の視察団10数組の夫婦が体験ツアーにやってきて私はその中に混ざることになった。羊の毛狩りショーなどファームも視察団を懸命にもてなし、その間、私は彼女の夫ナイルからブラトネイドがいかに熱いパッションを持ってこの事業に取り組んできたのか、詳しく聞くことができた。私のことも日本からのアランセーターの専門家の表敬訪問と視察団に持ち上げてくれて恐縮。

送迎したくれるコナーがうちに寄ってお茶でも飲んでって、俺が飼ってる18頭の牛にも会ってってよ、と、誘う。断れないよね。教会帰りのおじいちゃんや生まれたて6週間の赤ちゃんなど大家族の中でのお茶はアイルランド人のホスピタリティを再認識。列車の時間待ちに美しい古都アセンナィを街歩き、そのときにクリニックからメールが入り、PCR陰性の報。良かった、帰れる。鉄道でゴルウェイへ戻る。すべてのミッション終了。タイの焼きそばパッタイとギネスで一人祝杯。

第6日(月)。早朝ゴルウェイから3時間の高速バスでダブリン空港着、搭乗5時間前。チェックインの前に、再び市バスでクリニックへ往復、日本専用書式の陰性証明書をもらう。これで入国準備OK、アプリmySOSは緑色になった。出国のセキュリティチェックはとても厳しく長蛇の列。お土産買ってラウンジで一息。ようやく搭乗。深夜ドーハ着。
第7日(火)。ドーハでのセキュリティの際、腕時計をトレイの中に置き忘れた。無事に発見できたが、乗り継ぎ時間が短くて大慌て。成田行きはガラガラで久々の4席占拠。18時成田着。抗原検査に2時間半、検疫、入国、税関、を通り抜け、WiFiを返却し、電車に飛び乗り、最終の新幹線に間に合った。静岡帰宅。ただいま、です。

自分でも気が付かないほど相当疲弊していたらしく、翌日からお腹が痛くなり、腸炎で胃カメラ、というおまけまで付きました。もう元気です。(弥)