倶樂部余話【一二六】我が街・しぞーか(一九九九年一二月二日)


今までのこの余話で意外にも一度もまともに取り上げていない話題です。セカンド・ミレニアム最後のお代は「我が街・しぞーか」です。

家業はこの静岡の地で77年を数えますが、私自身は東京生まれの湘南育ちで、静岡へ移り住んでまだ17年に過ぎません。こちらへ来て二年ほど経った頃、「私もようやく静岡の人に慣れてきましたよ」とある親戚に言ったところ「そうじゃない。回りがおまえに慣れただけだ」と諭されたのを、なぜだかよく覚えています。

ずっと感じていたのは、静岡の人は自分たちの住んでいる町をあまり自慢しない、むしろ卑下することが多い、ということ。あまりに暮らしやすい環境は郷土愛を育まないのでしょうか。それから、地元の情報であっても、東京発でフィードバックされないと信用されないという東京指向も感じていました。また、新し物好きが過ぎたのか、観光資源たりえた古いモノをあまり大事にせずどんどん壊してしまったのは、先人の失策だったと思います。

正直言うと、私が静岡を「我が街」として誇りに思うようになったのはここ数年のことです。まず街の大きさがちょうどいい。商圏人口百万人というのは、あらゆる商売が過当競争なく成り立つ最適規模です。そして街のヘソとして中心商店街がデンと存在している。平日にこれだけ人の溢れる地方の中心商店街は、仙台や熊本以上だと思います。一一月の大道芸も市民の我が街自慢を高揚しています。きっと「静岡おでん」もそのうち日本一の評価を獲得するでしょうし、来年の大河ドラマ(葵徳川三代)は市民の郷土愛をより増長することでしょう。静岡は全国に誇れる自慢の街になり得るか、その可能性は充分にあると感じます。

転勤で去られるお客様から「この店に通えなくなるのが寂しいよ」と言われると、たとえお世辞とは分かっていても「この人にとってうちの店が静岡のひとつだったんだ」と嬉しく思います。そうか、静岡の隠れた名物・セヴィルロウ倶樂部、なんて、言われる日が来るといいなぁ、なんて自惚れちゃいますね。