【倶樂部余話】 No.227  逃げも隠れもできない (2007.12.1)


私が「アイルランド/アランセーターの伝説」を著してからもう五年も経つというのに、未だに聞きかじりだけの誤記に出くわします。スコットランドが発祥地になってしまっていたり(註1)、編み柄の組み合わせを無理やりに家系にこじつけたり(註2)、の記述が相変わらずなのです。
アランセーターのことに限った話ではありませんが、他にも近頃はプロだかアマだかすらよく分からない書き手(なぜかガイドとかナビゲーターとか呼ばれている)による、伝聞だけで裏を取らない原稿がネット上に増えているように思います。
これはネット等での匿名性と関係があると思います。モノを書く人の多くは、全て匿名ではないにせよ、どこのどういう人かは知られずに済みます。ところが私の場合、匿名性はほぼゼロです。実店舗があってほとんど常にそこにいますし、書くだけでなく書いたモノを実際に店で売っていますから、店を見られれば、もし私の記述にウソがあってもすぐにばれてしまいます。「これを書いたのは誰?」と糾弾されれば、私は逃げも隠れもできません。それが怖くて恐ろしくて臆病で、とてもいい加減なウソなんか書けないのです。
幸運なことにそれが私の記述の信頼性を高めているのでしょう。先日も遠方からお越しになった方が「いろいろネットで調べてみたけど、ここが一番本当みたいだったので、ちょっと遠かったんだけど意を決してここまで来ました」とアランセーターをお求めになって帰られました。私がウソが書けない理由、決して誠実だとかなんかじゃなくて、逃げ隠れができないから、なのです。(弥)

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【倶樂部余話】 No.226  本棚のある店 (2007.11.9)


あんまり誉められた行為とは言えないでしょうが、他人の家を訪れると、ついつい本棚やレコード棚をじっくりと眺めてしまいます。その家人の思いがけない趣味嗜好を知ってほくそ笑んでしまったり、全くジャンル違いの本が隣り合わせで、これを同一人物が読んでいることに驚いたり、ちょっと覗き見的な快感がありますよね。
なぜそんなことを思い出したかと言いますと、先日、新しくできたメンズのお店を視察に行ったら、そこにも本棚があったからなのです。このお店、私もよく知るライターのY氏が最初のコンセプト作りからメンバーの一人として参画し、大手アパレルWが丸の内のお堀沿いに作った壮大な実験店Lなのですが、「大資本がお金出してくれるんなら俺だってこんな店作ってみたいよ、チキショー」と嫉妬に駆られたほどに、良く錬られた、居心地のいいお店でした。そして、そこの本棚は商品である服自身以上に見事に「私たちはこういう店です」というアピールを投げ掛けていたのでした。
当店にも開店当初からずっと本棚があります。思い起こすと、ここに足を止めて眺めている人って割といらっしゃるんですね。今まで気が付かなかったのですが、うちの店の特徴のひとつ、それは「本棚のある店」だったのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.225  地方の店 (2007.10.10)


丸の内に青山のようなビルが建ち、六本木に新宿のような空間が生まれ、銀座に渋谷のような施設ができる。東京では毎月のように新しい商業施設が生まれ、視察に行くたびに「これだけ次々に目新しいハコが出来続けると、人も移り気にならざるを得ないだろうなあ。私の店は、静岡の『地方の店』で良かったかもしれない。」と改めて感じるのです。
そう、当店の類いは昔も今も「地方の店」と言われます。それは単に地方都市にある店という以上の意味があって、その規模や品揃え方針、固定客重視の接客や店主のわがままな好き嫌いの度合、など、いろんな要素がひっくるめられている呼び方なのです。ですから、この「地方の店」の反対語は何か、と考えると、恐らく「中央の店々」ということになります。しかもその「中央の店々」は中央だけでなくそこそこの規模の地方都市にも進出してきますので、地方には「地方の店」と「中央の店々」が混在しているのです。
そして、地方では「地方の店」が減り、代わりに「中央の店々」が増え続けています。さらに中央では次々に新しい店が湧き上がります。それなのに、です、中央には「地方の店」がない、のです。
さて、地方の客が中央の店へ、という流れはよく言われていることですが、しかし、実は中央の人たちの中にも地方の店(のような店)が好きな人がいる、ということが忘れられてはいないでしょうか。売れ筋に偏って同質化してしまっている店や、富裕層向けと称していたずらに虚栄心をくすぐる店ばかりが増え続けて、目まぐるしいほどの栄枯盛衰の中でパイの取り合いをしているのが中央ですから、そんなあわただしい様子に嫌気をさし「私は『地方の店』の感覚の方が好みだ」と感じる方々が中央にいたとしても何も不思議ではありません。そういう方々は中央で買える立地にいるにもかかわらず地方の店へ目を向けるのではないかと想像ができます。つまり、中央の客が地方の店で買う、という構図だって充分にあり得るのだと思います。マイナーな流れでしょうが、ネット時代になり口コミがマス媒体以上の影響力を持ち始めるようになっているので、この傾向が今後小さくなることはないように感じます。
当店の売り上げはもちろん静岡県の皆様によって支えられていますが、最近は県外の方からのご用命も無視できない比率を占めるようになってきました。それもこれも当店が「地方の店」であるからなのでしょう。昔は何だか見下されているようで快く思わなかった「地方の店」という呼ばれ方ですが、近頃はそう言われることに密かに喜びを感じるようになってきているのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.224  パクられてもパクることなかれ (2007.9.5)


宮沢喜一元総理の死去の際、静岡新聞の「大自在」(朝日新聞で言うところの天声人語の欄)が、ウィキペディア(ネット上の百科事典)の記述を裏も取らずに無断引用し、大恥をかいた、という事件がありました。
このホームページの私の文章も実に方々で参照されているようです。最も多いのは、やはりアランセーターについての記述で、くだんのウィキペディアにまで紹介は及んでいます。またマッキントッシュに関する考察なども業界内では少なからぬ影響を与えているようなのです。
ネット以前の時代ですと、田舎の一商店主がDMのハガキにワープロで書くようなモノと大新聞に書かれた記事とでは、その信頼度には明らかな差があったものでした。ところが、面白いことに、ネット出現以降は、同じような内容の記述に出くわしたとしても、どれが初出の本家モノで、どれが他人の文章のパクリかは、つぶさに記述を読むと比較的容易に判断ができるようになったのです。
このことは、たとえ無名で小規模だろうと、マス媒体以上に説得力のある発信ができる時代がやって来たという朗報であり、また、決して安易に他人の記述をパクったりせず、いつも内容を咀嚼して自分の言葉で書くことを心掛けるべき、という教訓でもあります。
もうひとつ、私が言い出しっぺなのが「スーツは年収の1%」説なのですが、これが過日業界紙に某百貨店の男性バイヤーのコメントとして載っていたのにはいささか驚いてしまいました。
ついでに今回はこんな持論も披露しておきましょう。「スーツは食卓で決まる」。スーツをどの店でどう買うのか、の裁定は、実は店内ではなく、夕食の団らんの家族の会話ですでに決まっているのではないか、というのが私の勝手な推測なのですが、いかが感じられるでしょうか。(弥)

【倶樂部余話】 No.223 バイヤーの憂鬱 (2007.8.3)


最初から売れないと分かってるモノを仕入れるバイヤーなんていません。「コレは売れる!」、バイヤーはいつもそう信じて数を出すのですが、すべてが思惑どおりに行くはずもなく、どうしても売れ残りという困ったモノが出てしまいます。
普段は売場全体に紛れ込んでいるそういった残りモノが浮き彫りになって現れてしまうのが夏のこの時期でして、今月の店内はさながら一年分の残りモノ品評会のようで、無能ぶりをさらけ出しているバイヤーは悲しくなるやら情けないやら、いささか憂鬱になる八月です。
「在庫は宝なんだよ」と私はかつてある名物バイヤーから教わりましたが、今多くの経営者は「在庫は罪だ」と説きます。宝なのか罪なのか、私はどちらも正しいと思います。中身と量と時期の問題ですし、バイヤーと経営者という立場の違いもあるでしょう。そして、宝だと強気に言うバイヤーの私と、罪だと堅気に言う経営者の私が、いつも自身の中で葛藤しているのですが、この時期は明らかに後者の私の方に軍配が上がってしまうわけです。
つまり、かつての宝も八月には罪。なので涙を飲んで、恥ずかしながらの価格を付けても、思い切った罪減らしをやらないといけません。それにはお客様皆さんのご協力が必要であります。暑い中ですが、ご来店いただければ嬉しいです。(弥)

【倶樂部余話】 No.222 宝の持ち腐れ (2007.7.1)


世に言う、宝の持ち腐れ、つまり、買ったはいいけど(または、持ってはいるけど)もったいなくてなかなか使わないモノです。高価でも、クルマ、腕時計、スーツ、バッグなんかは、ちゃんと使って持ち腐れにならないことが多いのに対して、持ち腐れになりやすい代表選手は恐らくシャツと靴ではないでしょうか。高くなればなるほど使わなくなってしまう、という反比例の法則が働いているような気がします。
なぜなのか、その理由も何となく分かります。まずその価格です。何十万円のスーツはハナから手が出ないとしても、例えば五万円のイタリア製シャツや十万円の英国製の靴ならば少し張り込んで(自分にご褒美!として)買えない金額ではありません。でもこの二つ、使った後がそのままにしておけない、という悩ましい共通点が…。使えば必ずメンテナンス(洗濯&アイロンや靴磨き)を要しますし、また使えばすぐに摩耗やキズも進行する。なので使うのについ躊躇してしまうんでしょうね。
もうひとつ、この二者には共通の特徴があるのですが、お分かりでしょうか。それは、既製品と注文品との違いが歴然としている、ということです。先ほどの五万円のイタリア製シャツや十万円の英国製の靴ももし自分の体とちゃんと合わなければ我慢してなければならないわけで、この既製品と注文品とのサイズフィット感の満足度の差は、シャツや靴の方がもしかしたらスーツ以上かもしれません。もちろん既製品と注文品との違いは、サイズのことだけではなく、自分の趣味嗜好をどれだけパーソナルに取り込めるかというディテールや仕様の許容度という面もありますし、何より将来リペアができる(シャツなら衿や袖の交換、靴では踵や底の張り替え)ということがそもそもの購買の前提となっている点も重要な違いです。
そして、実はここに当店でシャツと靴のオーダーが好評という、そのカギがあると思うのです。くどくど申し上げませんが、決して買い物を持ち腐れにさせないだけのセールスポイントがあるのです。
しかし、シャツやスーツのオーダーに比べると靴のオーダーというのは馴染みが浅く、さらに慣れないうちは完成姿が見えにくいので、よしっ頼んでみよっ、という気持ちになるまでのハードルがまだ少し高いように感じます。なのでこの夏も「靴を作ろう!」のキャンペーンなのであります。腐る宝より使えてこその宝ですから。(弥)

【倶樂部余話】 No.221 3年目のクールビズ  (2007.6.6)


クールビズも今年で三年目。元々が官主導の取り組みで始まっただけあって、初めての年は、ネクタイは締めてはならぬ、上着も着てはならぬ、とのお上からのお触れに、下々皆の衆「お行儀良く」素直に従ったのでありました。
しかし、ファッションというのは、お仕着せに反骨する精神から生まれるもの。はい、制服をどうカッコ良く着ようかとアイデアを凝らした中高生の頃を思い出しますね。禁じられるほどに燃えてしまうのが恋とお洒落なのであります。
「通勤の行き帰りはともかくとしても、やっぱり仕事の時にはちゃんとタイを締めていたいし、できれば上着もしっかりと着ていたい。それで暑いのは仕方ないだろ、クーラー強くしろなんて今更もう言わないしね。自分が我慢すればそれでいいんだから。」という声が今年は聞かれます。そう、着たけりゃ着ればいいし、外したけりゃ外せばいい。誰に指図されるでもなく、誰かと横並びになる必要もない。自らのビジネスに一番有効な手だてを自らがアレンジすればいい。
これこそ、クールビズの名の下で男性に与えられたフリーハンドな特権だと考えると、三年目のクールビズはようやく押し付け感が消えて、けっこう個性的で幅のある楽しみができる夏になるんじゃないのかな、と感じているのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.220 紳士服の「基本のキ」 (2007.5.4)


算数の九九、楽器のチューニング、ゴルフのグリップなど、習得の大前提となる「基本のキ」が紳士服にもあるとしたら…。私は最低限のこととして、まずは次の二つを挙げたいと思います。

最初のチェックは、着ている服のサイズ。とりわけ、上着の着丈と袖丈、トラウザーズ(スラックス)の股下(裾丈)、という縦方向の寸法の三か所です。見ていると、これらが合っていない(長すぎる)人が実に多いです。ここが合ってなかったならば、どんなにしなやかなsuper180’sのスーツも、すばらしい光沢のカシミアのジャケットも、それは調律の合っていないストラディバリの如しなのです。(注1)

二つ目は、靴やベルトの色合わせについての基本事項です。黒なら黒、茶なら茶、と必ず同じ色に統一します。そんなの当たり前だろ、と思われる方が多いとは思いますが、意外にこの基本が徹底されていないことが道行く人を観察するとお分かりになることと思います。これができたら次に鞄の色も合わせていきましょう。できれば、財布、名刺入れや時計ベルトも同色に統一したいものです。ピカピカに磨いた流行最先端・ハンドメイドの自慢の薄茶の靴も、お腹に黒いベルトを巻いてたんじゃすっかり幻滅なのです。グリップもろくにできていないのに名門コースを回りたがるビギナー・ゴルファーと同然です。(注2)

トレンドやコーディネート、その人らしい個性の演出、などを語るのはそこから後の話。基本を知った上で崩すのは上級なお洒落ですが、基本を知らずに格好だけつけているのは恥ずべき我流に過ぎません。
今更何でそんな基本中の基本をもう一度話すのか、と思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、何十年経っても当たり前の「基本のキ」を店は忘れずに伝え続けなければいけないと思うのです。と言うよりもむしろ、店でなければ伝え続けることができないと近頃は感じているのです。そして、紳士服というのは、ルールがあるからこそ面白い、そのルールを楽しむのが紳士服なのだ、と感じていただければ、と思うのです。(弥)

(注1)もちろん、肩幅、胴回りなどの横方向の寸法も大切なのですが、一般的に横寸法に気を使うほどに縦寸法への気使いが足りないのではないか、という思いから、ここではあえてこの三か所の縦寸法だけを取り上げました。

(注2)この先に言及すべきこととしては、金属部分の色の統一があります。すなわち、金色なら金色に、銀色なら銀色に、ということですが、「基本のキ」という観点から外れてきてしまうので本文では割愛しました。また、ドレスコードが段々と甘くなってきている現代では、焦げ茶や濃紺など、暗がりでは黒と見間違えるくらいの濃い色に関しては、黒と同義と見なしても良いように考えられているのが現状です。このことも前述と同じ理由から本文では触れませんでした。

【倶樂部余話】 No.219 この長いシッポは誇りです。 (2007.4.12)


二十年も経つとお客様の名簿も増えて、累積すると今では恐らく三千名を超えているのではないかと思います。なぜ正確な数を掴んでいないかというと、原則として二年以上のブランクが空いたお客様のデータは別のファイルに移し替えて保管しているためで、手元の名簿は常に「動いている」お客様だけのフレッシュな状態を保つようにしているからなのです。
その中から、地元の静岡に在住のお客様を中心に、当店の頼もしい親衛隊となっていただきたい方々にこちらからお呼び掛けをして、毎月一回メンバーズ通信のハガキをお送りしています。
ですので、メンバーズの皆様へ毎月の通信を発送するハガキの枚数というのは大体いつも数百枚程度でして、実は二十年で一度も千枚を超えたことがありません。(ただ、ご夫婦でご登録のお客様(当店では過半を占めます)にはお二人で一通の発送となりますから、実際の人数という点では千名を超えています。)
二十周年を期に、この数百通分のお客様の在籍年数を調べてみました。五年ごとに四分割すると、まず顧客歴「五年未満」の新しいお客様の割合が41%と出ました。実際に「動いている」名簿で、眠ったままのお客様は含まれていませんから、ここが最大比率を占めるのは当然でして、常に新しいお客様を取り込んでいて、店の新陳代謝は健全に進んでいると解釈しています。
当店らしさが現れるのはここからで、次の「五年から十年」が33%、「十年から十五年」が14%、そして「十五年から二十年」の方が今も12%のウェイトを占めているのでした。現代風に言うと正に顧客層のロングテール現象でして、実に顧客の四人に一人が十年選手という実態が明らかになったわけです。
どうぞ十年以上経ってもFA宣言したり引退したりなんかしないで、ずっとうちのチームのメンバーで居続けて欲しいと願っています。もちろん、そのための新たな楽しさの提供は常に続けてまいりますので。(弥)

【倶樂部余話】 No.218 春は名のみ? (2007.3.7)


♪春は名のみの、風の寒さよ~♪(「早春賦」吉丸一昌・詞)との歌がうそのように思えるほど、異様に暖かい今年の春です。例年以上に日々の寒暖の差が大きいので、「今日はいったい何を着ればいいの?」と毎朝悩んでいる方も多いことでしょう。
初夏の日あり真冬の日あり、の春のこの時期は、もちろん春という季節感を出すことに留意はしつつも、春夏秋冬の四季にわたる手持ちの服をすべて総動員して掛からないと毎日の気候の変化に対応しきれません。洋服ダンスの前にいると、奥にしまっておける服がなくて、すべての服が手前側にどんどん溢れてくる、という感覚です。だから、春の装いには、その人がいかに系統立てて四季のワードローブを効率的に買い揃えているか、はたまた季節ごとにてんでバラバラに刹那的な服の買い方をしてしまっているか、の差が、真価として現れることになるのです。ひとつのコツは、秋のうちから春に必要なものまで視野に入れながら手を着けておくことのように思います。
これも要は気の持ちようで、この四季の服の総動員を「面倒臭い」と思わず、前向きに「楽しみ」と考えましょう。春は季節の中で一番いろんなコーディネートが試せる楽しい季節なのだ、と積極的に思い込んでしまうしかないのです。
これはオーダーメイドを注文する心持ちに近いものがあります。なんだかんだと決めることが多いから面倒だ、と躊躇していたらそれは苦痛以外の何者でもありませんが、あれこれ悩めることこそオーダーの醍醐味、とすれば、これほどに楽しいことはないのです。(そういう私は、実はレストランや居酒屋でメニューを決めるのが大の苦手で、これを楽しいと感じることはあまりありません。)
春の装いもオーダーメイドも、苦痛にすぎないかそれとも楽しみと感じられるか、そこに関与できるのが私たちの役割でしょう。ご相談には乗れることと思いますよ、メニューのこと以外でしたら…。(弥)

【倶樂部余話】 No.217 伊愛英、出張報告です (2007.2.7)


欧州とんぼ返り二往復の出張報告をいたします。

●伊フィレンツェ、紳士服の祭典「ピッティ・ウォモ」へ、積年の望みがかない初の視察に三泊五日、実質丸二日間だけのイタリア行。

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世界のメンズブランドが何百社と出展しているし、来場者ももちろん世界中から来ているので、もしテロリストがこの会場を一網打尽に全滅させてしまったら、世界のメンズファッション業界は一瞬にして停滞してしまうことだろう、とさえ感じさせる。当店が現在扱っているところだけでも十五社、過去に当社で扱い実績のあったところを数えたら三十五社もあり、これを合わせると五十社になった。これがひとつの会場で一日か二日で見て回れるのだから、展示会のデパートといった状態で、バイヤーにとってこんなに便利な場所はない。

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日本のバイヤーの数も、多いだろうことはある程度想像はしていたが、それにしても異常な多さで、正直「世界のいろんなブランドを多種揃えています、というような店構えをしていても、なーんだ、みんなココで買い付けしてたのね。」という気持ちも感じざるを得なかった。これだけの規模になると、この場所で、誰もまだ知らない自店だけの逸品を発掘する、という業は不可能に近く、むしろ私がアイルランドあたりで足で探してくる商品の方がレア度は高いかもしれないな、との思いも強く持ったのだった。

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毎年行きたい行きたいと思いながら売り場を持つ身としてはその日程からなかなか渡欧がかなわなかったピッティに、今回「行くぞ」と決心したのは、ふたつのことに背中を押されたからだった。ひとつは、この二年ほどバイイングしていて仲良しになっているミラノ在住の船橋さんご夫妻が初めてピッティに出展されると聞いたこと、そして、もうひとつが、今回これに合わせて同時期に特別展「ザ・ロンドン・カット/セヴィル・ロウ・ビスポーク・テイラーリング」がピッティ宮殿の王宮の間で開催される、と聞いたからであった。

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ロンドン・セヴィルロウのビスポーク・テイラーたちが二百年の間、いかに世界の歴史や文化と密接に関わってきたのか、そして現代の紳士服にいかに大きな影響を与えているか。数々の紳士服の複製や写真が昔のままの王宮の間に美しく陳列され、大変興味深く鑑賞した。

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何でも見たがり出たがりの私は、今回この展覧会のオープニングにあたってカクテルレセプションがあることを聞きつけ、つてを頼ってこれに参加潜入することに成功した。実は、日本のアパレルや百貨店、ジャーナリズムなどもきっと大勢いるのだろうと思ってのことだったのだが、行ってみると日本人は私を含めてたったの二人しかいなかった。こんな素晴らしい機会にどうして…、と思うと、優越感になど浸ってもいられず、このエキジビションをちゃんと日本に紹介しなければ、という使命感にかられてしまった。私もジャーナリストではないのでうまく取材できたわけではないのだが、別項にレポートをまとめたので、ご覧いただければ幸いである。

一晩ぐらいトスカーナの伝統料理を贅沢にしっかり食ってやるぞ、と事前調査のレストラン・リストを片手に街歩き。満席だよ、と三軒断られて、四軒目、一人だったら空いてるよ、と案内されると、偶然にも隣りのテーブルではネクタイのドレイク氏一行六人が食事中ではないか。誘われるままにパーティに混ぜてもらい、結局飲み食いは楽しく深夜まで及んだ。食したリボリータ(パンのスープ)とビスティカ(ステーキ)が美味であったのは言うまでもない。
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●一週間を挟んで、今度は四泊六日、実質丸三日の仕事に渡欧。まずはダブリン。数えたら今回が十二回目で、もう慣れたもんだ。

例年の業務に加え、ツイードのシャツジャケットや帽子などにも新しいメニューを加えられそうだ。また、ニコラス・モスには開店二十周年の当店限定柄の製作も依頼し、ニックがデザインを起こしてくれて夏には実現できそうな見通しとなった。2177

クレオにも二年振りの新作となるハンドニットのジャケットを頼むことができて、ほぼ満足な成果を上げられた。小腹が空いたと、定宿の近くのタイ料理屋に入ったら、アイルランド政府商務庁のKさんとばったり。同席となり、トム・ヤム・ガイ(鶏肉スープ)とパッタイ(焼きそば)を「ごちそうさま」になりました。美味でした。

●未明のダブリンから五ユーロの飛行機で英マンチェスターへ飛ぶ。うっすらと雪化粧の山々を見せる西ヨークシャー、ハダースフィールドへ列車は走る。今日は一日で四ヶ所を回る紳士服地の工場巡りの旅だ。

最初はスコフィールド&スミス。シルク使いのジャケット生地などが得意なところだ。駅に迎えに来てくれたマネージャーで後継者と目されているサイクス氏は、幹線を走らずわざわざ景色の良い田舎道を遠回りしてくれて、小高い丘にある工場まで案内してくれた。
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近年ハダースフィールドでは、古い服地工場をリストアして賃貸住宅に転用することが市の政策となっているらしいのだが、昨年になってこの工場にもその話がやってきたそうだ。となると、これから事業を継承していく彼にとっては、工場の移転や従業員のリストラ、という難題を解決しなければならず、きっとひとりでかなり悩んでいるんだろうな、という様子がうかがえた。

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二軒目は、テイラー&ロッヂ。百を超えるハダースフィールド周辺の服地工場の中でも恐らく最も高い知名度を持つブランド服地だと言えよう。スーパー120’s&カシミアなどの細番手のスーツ生地はイタリアや日本でもファンが多い。

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案内してくれたのはマネージャーのヘイグ氏。ウィスキーと同じこの名前はもともとフランスからの移民の姓だという。ここで私は彼を質問責めにした。「数ある英国の毛織物産地の中で、なぜハダースフィールドはこれほどに繁栄したのでしょうか。ある人は水質の違いだと言っていますが…。」「ニッポンの客人よ、とてもいい質問だ。確かに水の違いはあるがそれだけではない。ハダースフィールドには、産業革命のずっと以前からフランス人が移り住んでいたのだ、つまり私の先祖だがね。要は(アングロサクソンが持ち合わせていなかった)フランス人の織物への造詣の深さとセンスの良さがこの土地にだけはあった、ということなのだよ。えっへん。」
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「それでは、次の質問。数多あるこのエリアの紳士服地の中で、なぜテイラー&ロッヂは一番優れているという評価をもらっているのでしょうか。」「富士山の住人よ、それはさらにいい質問だ。服地の製造というのは、機織りのようなドライな作業と洗浄のように水を使うウェットな作業に分かれている。かつてはどこの工場でもその両方を一貫して行っていたのだが、近年はウェットな作業は外注へ出すところがほとんどとなってきた。じめじめと寒いところでの仕事だから、労働環境が厳しく、また設備のメンテナンスにも費用が掛かるからだ。しかし、当社は未だに洗浄や縮絨などフィニッシングといわれるウェット作業まで一貫して社内で行っている。木製の洗濯機は未だに現役だし、ペーパープレスという紙で服地を挟み押さえて仕上げる伝統技法を行っているのはもう当社ぐらいだろう。服地に掛けるそのプライドが、違いと言えば違いだろうかね。えへんえへん。」私の質問は彼をいたくいい心持ちにさせたようだった。

三番目は、エドウィン・ウッドハウス。ヨークシャーの丘陵を小一時間ドライブした、リーズ市の郊外にある。
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ここはブランド力こそないが、マーケットに即したトレンディな服地をタイムリーかつリーズナブルに供給することで定評がある。当店でも「エアウール」は夏の定番服地として人気が高い。糸を撚る段階からのスピニングの設備まで自前で持っている。若き後継者ウィリアム・ゴーント氏は、例えばイタリアと日本と中東では好まれる色合いが全く違うのだが、当社はその世界各国のマーケットに細かく適応した商品開発にいつも心を砕いているのだ、と熱っぽく語ってくれた。

最後は、リーズにあるアームレイ・ミルズ産業博物館。ここは運河沿いにある古い織物工場跡を再生し、織機や蒸気機関などの産業遺産を展示し体験学習する施設として近年オープンしたところ。冬の平日の夕方では客は私だけだったが、普段はきっと近隣の小学生などが体験授業に多く訪れているところなのだろう。自分たちの街の歴史や遺産を後世に語り継ぐことが郷土愛をはぐくむ上でどれほどに大切なことか、欧州の人たちは当たり前のように意識しているように感じる。
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夜ホテルに戻ったら、S&S社のサイクス氏がロビーで待っていた。「地球の裏からはるばるうちの工場を訪ねてくれたんだ、晩飯ぐらいおごるよ」と。ポテトとリークのスープ、ススギのベーコン巻き、どちらも(英国のレストランにしては)うまかったっすよ。

●ひとりで七泊したにもかかわらず、ひとりぼっちの夕食はたったの二夜、あとの五夜のうち四夜が「ゴチ」という、とても食事運に恵まれた旅でありました。当然帰ったときには体重増となっておりました。(弥)

【倶樂部余話】 No.216 二十周年です (2007.1.1)


明けましておめでとうございます。
1987年秋に開店した当店は、今年二十周年、成人式を迎える運びとなりました。
二十年経ったら、普通はもっと立派で大きな店になってるもんだろ、とても誉められたもんじゃないよ、という恥ずかしい思いもありますが、ともかく言えることは、二十周年は二十年掛からないと達成できない、という当たり前の事実でありまして、この事実を自ら祝いたいと感じております。
今振り返ると、始めたときはまさにバブルがその絶頂へ向かって突き進んでいた頃でした。その時代のムードとまだ当時二十代だった私の無謀なまでの憧れから、こんなヘンテコな店は産ぶ声を上げたのでした。よくぞまあ二十年も生き残ったものだ、私のわがままに長いこと付き合っていただいてきたお客様にひたすら感謝、というのが偽らざる正直な実感です。
そんなわけで、今年は一年をかけて、二十周年限定企画品をいろいろとご提案します。と言っても、私自身はモノ売りモノ語りはできてもモノ作りの才はないので、各方面その道のプロにお願いし、わがままに自分が欲しかったモノを作ってもらうことにしています。一年間の様々な提案にお付き合いいただければありがたいです。
二十年目の本年も、お引立ての程、何卒よろしくお願い申し上げます。(弥)