倶樂部余話【426】アランセーターの黒歴史? (2024年4月1日)


English translation at bottom.


 昨夏地元の小さな書店で衝動買いした本が、こういう事になってくるとは。「羊の人類史」(サリー・クルサード著、森夏樹訳、青土社・2020年)。

 300ページの大作で、内容は面白いのですが、訳(やく)が私と相性が合わないのか、なんだかすんなりと進まなくて、つかえつかえ時間ができたときにゆっくりと読み進めていたのです。羊の起源、羊肉食、生贄、ウールの利用、紡績、産業革命、と、羊が人間社会とどう関わってきたか、が描かれていきます。

 何ヶ月か掛かりようやく三分の二を過ぎた頃、ガンジーセーターが登場します。おっこれはもしかしたら、と、わくわくして読み進むと、出ました、アランセーター。ほう、やっぱりセーターと言えば、その代表選手はアランですよね、嬉しいですね。あれ、この名前は何だ、パドレイグ・オシハーン?、これは我が師、パドレイグ・オシォコン、のことだね。Padraig O’Siochainで日本語検索すればすぐに私の著述が出てくるはずなのに、訳者の怠慢だね、シングの戯曲の邦題もちょっと違ってるし、これは出版社に訂正を求めないといけないなぁ。えっ、彼は抜け目のない起業家で、自分のセーターをアメリカに売り込むために、でたらめな伝説をでっち上げた?、って、はぁーっ、それじゃまるであのおじいちゃんが悪徳商人みたいじゃないか。彼は元来厳格な学者・研究者であって、アランの島民の貧困を救うために、アイルランドの素晴らしい伝統手芸品を世界に広げたい、という純粋な動機を持ち、むしろ武士の商法とも言える素人同然のやり方だったし、抜け目のない悪徳商人などとは全く持って正反対の男なんですよ。これは著者に厳重抗議だな。パドレイグの名誉は私が守らないで誰がやるんだ。しかし、英語か、こりゃ原著を取らないといけないなぁ。

 さらに読み進むと、私の知らない話が黒歴史のように書いてあります。かの悪名高きマグダレン修道院(註※)では収容する修道女たちにまるで強制労働か虐待のようにアランセーターを編ませてその利益を搾取していた、と。記述箇所の段落も少し離れているからそう思う人は少ないだろうけど、ふたつの記述から、あたかもパドレイグがマグダレン修道院にアランセーターを編ませていた、と、連想する人もいるでしょう。これは由々しきことです。

 今までたらたら読んでいたこの本ですが、そこからは急いで完読。次に「マグダレンの祈り」の翻訳本と映画化されたDVD、特典映像のドキュメンタリー番組を確認します。人権を無視した悲惨な場面はたくさん出てきますが、アランセーターを編ませる、というシーンはどこにも出てきません。

 と、今回の話はここまでです。なぜなら、これはもう片手間では済まないことになってきた、と、感じ始めてきたからです。アランセーターは私のライフワーク。日本におけるアランセーターの第一人者、と自認する私にとって、このことはしっかりと調べていかないといけない宿題になってしまいました。何年かかかることになるでしょう。
 結論が出るまで黙っておくこともできないので、ここらで中間報告代わりに余話で書き留めておくことにしました。いつになるやら、ですが、調査報告の続編をお楽しみに。(弥)


(註※)マクダレン修道院(マグダレン洗濯所)
 18世紀に、プロテスタントの教会の施設として「堕落した女」を保護・収容する目的で創設された「マグダレン洗濯所」は、19世紀初頭にはカトリック教会によっても設立・運営されるようになった。
そこに収容されたのは「堕落した女」だけではなかった。そうなる可能性があると(一方的に)みなされた女子、身寄りのない女児などがこの施設に閉じ込められ、過酷な環境でホテルや軍隊の施設などから出るベッドシーツなどの洗濯物を処理する作業を、無報酬で強要された。奴隷労働である。
 施設の存在はもちろん知られていたが、完全に閉鎖された施設であり、教会もことを明るみに出すことはなく、そこでの実態は1993年人手に渡った施設の敷地内から大勢の胎児乳幼児の遺体が発見されるまで、外部には一切知られていなかった。施設の最後の1軒が閉鎖されたのは、1996年である。
 1950年代のアイルランド・ダブリンで助産師としてこれらの施設のひとつに関わった女性の手記「マグダレンの祈り」は映画化もされている。


※著者にこのコラムを読んでもらうため、英訳を下記に載せます。

Club column [426] Black history of the Aran Sweater? (1 April 2024) 

I never thought this would happen to a book I bought on impulse at a small local bookshop last summer. The Human History of Sheep (Originally titled: A Short History of the World According to Sheep) (written by Sally Coulthard and translated by Natsuki Mori, Seidosha, 2020).

 It is a large work of 300 pages, and the content is interesting, but the translation does not suit me, or perhaps it did not go smoothly, so I read it slowly when I had time to catch up. The book describes the origins of sheep, mutton eating, sacrifice, the use of wool, spinning and the industrial revolution, and how sheep have interacted with human society.

 After several months and finally two-thirds of the way through, the Guernsey jumper appears. I was excited to read on, and there it was, the Aran jumper. I was delighted to see that, when it comes to jumpers, Aran is the most popular player. What is this name, Padraig Oshihaan? I’m sure if we do a Japanese search for Padraig O’Siochain we’ll find my writings right away, but it’s the translator’s negligence, the Japanese title of Sing’s play is also a bit different, which I have to ask the publishers to correct! Nah. What, he’s a shrewd entrepreneur who made up some bullshit legend to sell his jumpers to America? That makes the old man sound like a crook, doesn’t it? He was a rigorous scholar and researcher by nature, with a genuine motive to help the islanders of Arran out of poverty and to spread the wonderful traditional Irish handicrafts to the world, rather like an amateur in the business practices of a warrior, and the complete opposite of a shrewd and corrupt merchant. This is a strict protest against the author. If I don’t defend Padraig’s honour, who will? But English, I’ll have to get the original book.

 When I read further, there are stories I don’t know about, like black history. The infamous Magdalene convent (note*) exploited its profits by making the nuns it housed knit Aran jumpers as if they were forced labour or abused. Although few people would think so because the paragraphs are a bit far apart, some people might associate the two statements as if Padraig was having Aran jumpers knitted in the Magdalene convent. This is venerable.

 This book has been a lazy read so far, but from there it is a hasty and complete read. Next, check the translated book and the DVD of the film adaptation of The Magdalene Prayer, as well as the bonus documentary programme. There are many harrowing scenes of disregard for human rights, but nowhere do you see the scene where they make you knit an Aran jumper.

 And that’s the end of this story. Because I am beginning to feel that this is no longer a one-sided affair. Aran jumpers are my life’s work. As the leading authority on Aran jumpers in Japan, this has become a homework assignment that I have to look into thoroughly. It will take years. I can’t keep quiet until a conclusion is reached, so I’ve decided to write it down here as an afterthought instead of an interim report. I don’t know when that will be, but look forward to the sequel to the investigation report.
(Yaichiro)

(Note*) Magdalen Convent (Magdalen Laundries) Founded in the 18th century as a Protestant church institution to protect and house ‘fallen women’, the Magdalen Laundries were also established and operated by the Catholic Church in the early 19th century. It was not only ‘fallen women’ who were housed there. Girls who were (unilaterally) deemed to have the potential to become so, as well as girls without relatives, were confined to these facilities and forced to work in harsh conditions to dispose of bed sheets and other laundry from hotels, military installations, etc., without pay. It was slave labour. The existence of the facilities was known, of course, but they were completely closed and the Church did not bring it to light, and the reality of the situation there was not known to the outside world until 1993, when the bodies of many unborn babies were found on the premises of the facilities in human hands. The last of the institutions was closed in 1996. The Magdalene Prayer, the memoir of a woman who was involved with one of these facilities as a midwife in Dublin, Ireland in the 1950s, has been made into a film.


倶樂部余話【425】聞いてみるもんだ、2題。(2024年3月1日)


 聞かなきゃわかんない、聞いてみるもんだ、と、実感したことをふたつほど。

 復興支援を謳ったイベントを打ったのは初めてのことで石川県のK社のレインコートを特集しました。収益の一部を献金しようとして、一体どこに寄付したら一番有効なのだろうと、K社のSさんに相談しました。というのも、1月末に会ったときには「当社は金沢市の近くなので人も物も被害はほとんどなかったです」との言葉を聞いて安心していたので、石川県の繊維産業全体に寄与できる献金先はないかと模索していたのです。
 そうしたらSさんからこんな答えが。「確かに人も物も被害はほとんどなかったのですが、当社の織機は極細の合成繊維を高速高密度で織り上げていく精密機械なみの精度が必要でして、地盤が少しでも隆起すると、仕上がりに狂いが出てしまうのです。地盤の隆起が止まらなくて、いちいちその調整に生産を止めてるので、そういう損失はかなり出ているのです」。
 なるほど、一次被害は微小でも二次被害が甚大、目に見えるような被災じゃないので、これは聞いてみないとわかりませんでした。寄付先を悩んでるどころじゃない、ということで、早速K社宛に被災見舞いを送ることに決めました。

 英S社のメリノウールのニットの予約会に際して、Iさんから、明るい色のベストが欲しい、との要望が出てきました。私、半分諦め気味に「明るい色はメンズのベストにはなかなか出ないし、しかもS社の値上がりがひどくて、どれも4万円台。この値段なら、もう少し足すとカシミアのオーダーが頼めますし……(もぐもぐ)」。Iさん「あっ、ホントはカシミアならなお良しなんです。5万円でカシミアが頼めるんでしょ」。私「じゃあU社に行って頼んで来ますね。以前の山梨の工場の時代は当社と取引があったけど、岩手に工場を移転するのを機に、卸売をやめて直販体制に切り替えているようです。うちには儲けはないけど、Iさんの一枚ぐらいなら代行しますよ」。
 ということで、2月の初め10何年振りで青山のU社にお邪魔しました。私「卸売やめたらしいから、私の儲けはなしでいいので、一枚注文受けてくれませんか」。Uさん「いやいや野沢さんにも利益は差し上げますよ。野沢さんならわけのわかんないオーダーも入らないし、安心してるから。その代わり先払いね、カードでいいから」。つまり、一般に卸売業は小売業よりもお金の回り方がとっても遅い、しかもここはカシミアだから原料費にかなりの先行資金がかかる、なので卸売を諦めて直販体制にしたんだとのこと。うーん、それはよく分かる。Uさん「だから、野沢さん、うちのエージェントになったつもりで、いっぱい注文取ってくださいよ。レディスもメンズもサンプルを貸し出すし、25色の色見本も持っててください。夏のうちにオーダー会、やりましょう。超円安で日本生産は相対的に割安感があるから、今はチャンスです」。あれれ、儲けはいらないから、ってつもりできたのに、取引が再開しちゃったよ。オーダー会もできそうだし。聞いてみるもんだな。これ、瓢箪から駒、かな。夏が楽しみです。(弥)

倶樂部余話【424】バトンをパスする(2024年2月1日)


昨年の後半ぐらいから、思いつきやひらめきがどうも思惑どおりに進まない、ということが増えてきました。発信した題目に、乗ってくる人が少ない、賛同を得られない、遅々として進まない、のです。これは自分の楽観的な性格も起因しているのでしょうが、やはり、慢心、勉強不足、老化、そして相手のことを慮ることのできない思いやりのなさ、ではなかったか、と反省をしています。

 中でも一番思惑外れを実感したのが、4ヶ月前の当話でお話しした、リユース商品の扱いを始めよう、というひらめきでした。2つの意味で思いどおりに進みませんでした。
ひとつは、古物商の許可を得るのにとっても大変だったということです。正確に言いますと、古物商の許可申請自体は、もちろん簡単ではないですが、それでもそれほど難しいことではありません。それに至るまでのあれこれに思いの外の時間と手間とお金がかかりました。身内間の軋轢も伴い、それを回避するために古物商という当初の目的の範囲外のところまで登記や定款の変更をしなくてはならなくなり、この作業は心理的にもかなり憔悴しましたし、実のところアイルランドを往復できるくらいのお金も掛かりました。あ、今年のアイルランド行きを取りやめたのはそのせいではないですけど、だけど少し悔しい気持ちもあってそう例えてしまいました。結局、思い立ってから4ヶ月もかかって、先月ようやく警察署に申請書類を提出し、問題がなければ、今月中には古物商の許可が下りるところまで漕ぎ着けました。

 もう一つの意味での思惑外れ。これは、思ってたほどユーズド品が集まってこない、ということ。まだ正式な募集を掛けたわけではないので仕方ない部分はあるのですが、それにしても、こんなモノ出すよ、と言ってくれる方が少ない。教会のバザーのようには行かないんですね。これは自分の呼びかけ方に問題があったようです。4回前の当話をあらためて読み返してみると、浮かれて自分の都合しか書いてないんです。品物を出してくれる人の気持ち、欲しがっている人の気持ち、そしてその品物自身の動かされる気持、私はそれを「つなぐ」という役目。そのことへの思慮が全く足りてません。一言で言うと「バトンをパスする」という思い。これがリユース品を扱う何より大切な心掛けなんだと、あらためて気付いた次第です。

 扱い品の範疇をリユース品にまで広げよう、という方向性は間違いないと確信してます。今はもうショッピングセンターに当たり前のように古着が並んでます。そのうちあらゆる物販店はリユース品も扱うことになって、新品も中古品も区別なしに売られる時代が来ることでしょう。ここまで来るのに存外の手間がかかったことで、これゃ片手間にはやれないな、とも感じ始めてます。HP内にも専用のページを作らないといけないでしょうし、買い取り方や販売方法もちゃんとルール作りをしないといけないでしょう。認可はもうすぐ下りますが、遅れついでにもう少し時間を掛けることにします。まずは品集めです。取り急ぎ自分の私物と父の遺品から譲れるものを探すことから始めようとしています。こんなモノ出せるけど欲しい人いるかな、と思い当たる品をお持ちの方、是非こちらまでご連絡ください。(弥)

倶樂部余話【423】ビートルズとキャンディーズとAIと(2024年1月1日)


 知ってる人も多いと思いますが、私にとって、ビートルズとキャンディーズはほとんど同格な地位を持っています。(以下、敬称略)

 昨年(2023年)の秋、NHK-BSで「名盤ドキュメント~キャンディーズ “年下の男の子”」という番組がありました。アイドルを超えた高い音楽性や声の魅力を分析し、キャンディーズの本質は、三人のぴったりなユニゾンとしっかりとしたハーモニーに裏付けされたラン、スー、ミキのコーラストリオということにある、と、結論づけたのです。そうなんだよ、そのとおり、NHKさん、よくぞこのプログラムを作ってくれた、と、嬉し涙を流しながら何度も繰り返してみました。過去の数々のキャンディーズ特集の中ではダントツに秀逸な番組でした。と同時に、一昨年シンガーとして復帰したランが時々ソロで歌うキャンディーズナンバーに手放しで喜べない虚無感を感じる理由を自覚したのです。

 かたや、11月にはビートルズ最後の新曲「Now and Then」が発表されました。一度は断念したアイデアでしたが最新のAI技術を駆使して仕上がった新曲です。オリジナルからは程遠いツギハギだらけの曲で賛否両論ありますが、ジョンの歌声がベースですし、ジョージのギターも入ってるし、ポールもリンゴもOKならばもう何も言うことはありません。諸手を挙げて大歓迎です。ただ、同時に公開されたAI映像の方は、ちょっと悪ノリというかやりすぎの感があり、ポールもリンゴも嬉しがってないように見えました。

 さて、この2つのことから導き出される次なる私の期待は何だとお思いでしょうか。そうです、キャンディーズの復活です。ビートルズができたのなら、キャンディーズだってできないはずはないんです。それができるのはNHKだけだろうし、そうであれば舞台は大晦日の紅白以外にない。事前の発表によれば、伊藤蘭がキャンディーズメロディを歌うこと、娘の趣里は朝ドラのヒロインなのに紅白不参加という違和感否めない発表、これは私の期待を裏付けるものにほかなりません。実現の暁に、後出しジャンケンじゃん、と言われたくないので、わざわざ自分のSNSにも「趣里がスーを演じ、ミキがバーチャルなりオンラインなりで特別出演、ランスーミキのキャンディーズが復活」と予言まで書いて、大晦日を迎えました。

 そして昨晩、こんなに夢いっぱいな気分で紅白を見るのは初めてでした。午後10時過ぎ、笑顔で懸命に歌うランの姿に胸打たれながらも、でもやっぱりこれは違うよ、これじゃ市民文化会館の昭和アイドル懐かしの歌謡ショーと変わりないじゃないか、僕らのキャンディーズはこうじゃないんだよ、NHKだから期待してたのに、ランさんなんでこんな仕事引き受けたの、と、憤懣(ふんまん)やるかたない思いで、さっさと床に入ってしまいました。

 そんなことで、例年1月の倶樂部余話は年末に書き溜めておくのですが、今回は、元日の気持ちをそのまま書こうと思って、結果こうなりました。
 ご挨拶が遅れました。あけましておめでとうございます。本年も当店へのご愛顧お引き立ての程を何卒よろしくお願い申し上げます。(弥)

加筆。
この記述は、元日に書いてお昼すぎにすぐにアップロードしたものです。その直後に能登半島地震が発生しましたので、そのことには触れることができませんでした。
偶然のタイミングとはいえ、配慮の足りないこととなりましたこと、お詫びいたします。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

倶樂部余話【422】コンランのこと(2023年12月1日)



今回のテーマはコンランです。が、たまには、ある日の日記風にだらだらと書いてみようと思います。

夏に静岡を訪ねてきた翻訳家の友人と一緒に立ち寄った鷹匠のヒバリブックスで衝動買いした本が「羊の人類史」という分厚い翻訳本。まだ半分までしか進んでないんですが、読んでるうちに羊肉が食べたくなって仕方がない。それからもう一つ、この秋まだサンマの塩焼きを食べてない、そういえば見かけないなぁ。で、羊とサンマ、このふたつがどうしても食べたい、と、ランチであちこち探しているのに、なかなか実現しないのです。

さて、とある11月の水曜日、快晴。今日の予定はオープン直前の麻布台ヒルズでの開業レセプションに19時に行くこと。時間があるのでどっかで紅葉のいい景色を見てから行こうかな、と、調べますと、沼津の香貫山というところの木々がいい感じで色づいているらしい、ということで、とことこと沼津駅まで参ります。

駅前を探せば羊肉はなくてもサンマにはありつけるだろうと、高をくくっていたのですが、ない、見当たりません。ググると香貫山方向に少し歩くといい店があるみたい、と歩き始める。なんだか地図の縮尺を見間違えたみたいで、相当歩いた末に着いたお店は長蛇の列。並んでる人にサンマありますかね、と聞くと、ここはみんな寿司が食べたくて並んでるよ、としか答えてくれない。さんざん並んだ末にサンマがないってことじゃそこで帰るわけわけにもいかないし、と、やむなく諦めてたまたま数軒先にあった韓国料理屋に飛び込む。とてもいいお店で、道筋の相談をしたら、すぐさまタクシーを呼んでくれた。

タクシーで香貫山中腹の駐車場まで一足飛び。こりゃ歩いてきたら日が暮れてたわ。更に山道を登ること30分、展望台にたどり着く。富士山から駿河湾、眼下には色づき始めた紅葉、秋の絶景を堪能しました。静岡市だとほとんどどこでも富士山が臨めるけれど、沼津市街では愛鷹山が手前に鎮座していて富士山が見えないんですね。沼津の人たちが香貫山を富士見のポイントとして大切に思っている、そんな愛着を感じました。茶店のおじさんに下りの近道を教わり、とんでもない急坂を降りて、バス停へ。そして沼津駅に戻ります。結果的には、最短最楽で香貫山登山を楽しめたわけで、まあ良かった良かった。今日はいい日だ。再びとことこと湘南電車で上ります。

目指すは麻布台ヒルズに旗艦店を移転オープンするザ・コンラン・ショップThe Conran Shop。ここでコンランについて触れますね。テレンス・コンラン卿(1931- 2020年)は、モダン・ブリティッシュ・デザイナーとして知られた人物。ザ・コンラン・ショップは「英国デザインは古臭いだけ」という固定観念を覆し、彼の手掛けた多くのレストランは「イギリス料理はまずい」という常識を打破しました。私がコンランにハマったのは2000年を過ぎたあたりで、2004年1月のロンドン滞在では、まる二日間コンランの手掛けた施設ばかりを回ったものです。ミシュランビルのコンラン・ショップ(現在は閉店)では昔の小学校の教室にあったようなまん丸い壁時計を衝動買い(ずっと紺屋町の店に飾ってましたね)、セヴィルロウのレストランその名もサルトリアで頂戴した巻き尺を模したアッシュトレイ、テムズ川沿いでコンランが手掛けた再開発エリアのデザインミュージアム(現在は移転)で見つけた古いハビタのグラス、などなど、思い出の品々とともに、感動の二日間でした。日本でも、西新宿の旗艦店を始めコンランショップは数店あり、コンラン卿の没後は日本法人として和モノにも目を向けた独自の品揃えも増えて、そしてこの度麻布台ヒルズの目玉ショップのひとつとして旗艦店を移転しての開店となったわけです。

そんな憧れのコンランでしたが、しかし私とは無縁。それがなんでレセプション、ですよね。はい、仲を取り持ったのはやっぱりアランセーターです。一昨年山形の米富繊維で実現したモーリンのアランセーターのレプリカニット(ブランドはthisisthesweater)、これが新しいコンランショップで取り上げられることになったのです。モダン・ブリテン・デザインの中で存在するアランセーター、感激です。とっても間接的にせよ、コンランと縁が持てるなんてこんな嬉しいことはない、是非コンランにお礼が言いたいと、レセプションの末席を汚すお許しをいただいたというわけです。

せっかくだからモーリンのアランセーターをたくさんアピールしたい、と、私はモーリンのアランセーターを来て、会場中を歩き回りました。何人か著名なデザイナーやディレクターの姿もお見受けしましたから、分かる人には目に止めていただけたんじゃないか、と思います。衣食住のライフスタイルショップとして旗艦店の完成度は実に素晴らしいもので、併設のレストランでは、肉も魚もビールもワインも美味、舌鼓を打ちました。時の経つのを忘れ、久々に新幹線の最終に飛び乗りました。

それで、羊肉とサンマには未だにありつけず、のままであります。(弥)

備考: コンランショップでのthisisthesweaterの販売は、12/8(金)から1/8(月)の期間限定(PopUp)として展開されます。

倶樂部余話【420】新たな国内仕入先とは(2023年10月1日)


 この秋は過去最大の向かい風が私たちを襲っています。超円安という強烈な向かい風です。何円上がった下がったという単純な毎日の為替レートではなくて、世界各国の物価の変動や各国間の通貨の均衡を加味した「実質実効為替レート」というのがありまして、これが実際の円の実力を示す指標になるのですが、日銀から最新の実質実効為替レートが発表されまして、ついに53年前にデータを取り始めて以来最低の値を示したというのです。観測史上初、という言葉は気象の世界では近頃しばしば耳にしますが、まさか経済指標で観測史上最低、とは驚きです。53年前というと1970年、大阪万博の年で、まだ1ドル=360円の固定相場制の時代です。円安を武器にトヨタ、ホンダやソニー、松下といった日本製品が欧米に羽ばたいていく時代で、その頃の欧米の輸入品はまだ舶来品と呼ばれて一部の金持ちだけの高額な憧れの品。アップダウンクイズの賞品は夢のハワイへご招待でした。

 そんな53年前と円の力が同じなんて。かつてはJapan as No.1とまで称賛された我が国は一体いつの間にこんなに弱っちくなっちまったんだ、と情けなく思います。53年前と一緒になってしまった一番の原因はずっと日本だけ物価が上がらなかったからです。だから本来なら輸入業者は思いっきり値上げしないとやっていけないのですが、価格競争に敏感な日本ではそんなこともできず、コストの上昇に値上げが追いつかないので、結局自らの利益を削るしかないということになります。いくら値上げしても利益率は上がらない、という悪循環が続きます。

 愚痴ばかり言っても仕方ない、策を練らないと。じゃインポートに頼らず国内での商品調達に切り替えたらどうだろう。でも今さら同質化した商品の価格競争に巻き込まれたくないし、何よりもかつてのように魅力的な素晴らしい商品を供給してくれる卸売業者がどんどん消えてしまったので、数々の展示会を回って楽しいものを見つけたとしても、仕入れのできる商品=勝てる商品がなかなか現れてこないんです。輸入がだめならいっそ輸出はどうだろう。アイルランドに売れる日本製品はないだろうか。すぐに見つかるくらいなら誰でも手を出すし、これには相当な準備と資金、そしてリスクが伴います。

 そんな中、一昨日のこと、顧客のIさんが雑談に見えまして、「いよいよ手持ちのネクタイが全部ダメになってきた、あの締めるとキュッと音のするDのようなしっかりしたネクタイ、どっかにないでしょうか」さらに「それから、ふんわり薄手で長く巻けるカシミアのマフラー、当時3万円ぐらいだったと思うけど、今買おうと思ったら8万円もして、さすがに手が届かない。どうしよう。」というご相談。考えてみましょう、と返事したものの、思案にくれること、丸一日。答えがなにもないのも申し訳ないので、とりあえず、私物の中からIさんに譲れそうなものを物色してみようか。と、思った瞬間、何かが頭の中でピカッと光ったんです。これ、私だけでなく、昔からの顧客に広く呼びかけたら、結構な数のネクタイやマフラーが集まるんじゃないだろうか。私の目利きがあれば正しい仲介ができる自信はある。35年間の店の積み重ねが生きる。これ私のできることのひとつになるんじゃないだろうか。と思い始めてしまったんです。別の観点から言うと、従来顧客を商品調達の新しい仕入先として活用する、円安の影響を受けない魅力的な仕入先の開拓です。つい昨日思いついたばかりです。

 私が過去にお売りしたかつての名品で他人に譲ってもいい、という品物を提供してください。有償で引き取り、私が欲している方に仲介します。ボランティアではなくちゃんとビジネスとしてやっていきたいので、まずは警察に行って古物商の申請をしてきます。許可が出るまで少し時間がかかるようなので、スタートは11月からにして、当面はネクタイとマフラー・スカーフに限リます。古着屋をやるつもりはありませんが、ゆくゆくはアランセーター、ダッフルコート、ダウンウェアなども視野に入れています。許可がないうちでも法に触れない範囲内でご相談には乗れます。いろいろ持ってる古い顧客ほど頼りなんです。ぜひご協力ください。

というのが、今回の倶樂部余話です。なんかいきなり興奮してますが、ご容赦。さあ今日から10月、忙しくなるぞ。(弥)

追記 準備が遅れていて、年明けのスタートとなる見込みです。(2023.11.01.記す)

倶樂部余話【419】塾高と静高と湘南と(2023年9月1日)


 私は湘南(神奈川県立湘南高校)から慶應義塾大学に進みましたが、出身校でよく間違われるのが、塾高(慶應義塾高校)と静高(県立静岡高校)です。嬉しい勘違いですね。

 今から20年前のこと。静高創立125周年の記念事業の一環として塾高野球部を招いて招待試合が催されまして、静高出身で静岡三田会の会長という立場にあった私の父がその始球式を務めることになりました。大役を終えた父から私に電話で、塾高の監督がお前の友達だと言ってるから、すぐにグラウンドに来い、と。驚いた、旧友・上田誠との20数年ぶりの再会でした。私は彼の消息を失っていたのですが、彼は私が静岡に移ったことを覚えていて、父の名札を見て、もしやと思って聞いてみたそうです。父が始球式をしてなければこの再会はあり得なかったでしょう。

 中学一年のときに同級になって以来、高校、大学、と同じ道を進みました。家も近かったので、お互いの家でレコードを聞いたりギターを弾いたりしてました。中学(藤沢市立藤が岡中学)の文化祭ではバンドを組んでビートルズなんか演奏しました。塾も一緒で、江ノ電の車中や夜の公園でよく語り合いました。ほとんど女の子の話ばかりでしたけど。なんか母が彼のことをとても気に入ってて、いつも「上田くんはかっこいい」と言ってたのを思い出します。奴は野球部のエース、私は生徒会長。頭でっかちで運動オンチの私が、高校でいきなりテニス部に入ってみんながびっくりした、そのわけ。自分にリーダーとしての素養がないことを痛感したのが最大の理由ですが、運動部の人間のほうが魅力的な人間が多くて、その上モテるのは運動部の奴らばっかり、だと感じたからでした。母の一言に影響されたのかもしれません。

 私たちふたりが静高で奇跡的な再会をしたその翌々年、塾高は45年振りの甲子園出場を果たします。上田が監督になって14年目のことでした。彼の監督在任は25年間、最難関の神奈川県にあって4度の甲子園出場を成し遂げ、彼の掲げた「エンジョイ・ベースボール」は、高校野球界に一石を投じた革命的指導法として評価されます。彼の著書(上田誠著「エンジョイ・ベースボール: 慶應義塾高校野球部の挑戦」日本放送出版協会 2006年)にはその経緯が詳しく書かれていますが、その中には、本当は母校・湘南の監督がやってみたかった、なんて書いてあるところもあって、私その箇所は涙ぽろぽろで何度も読み返しました。

 8年前に監督を勇退し、現在は、下は学童野球から上は社会人まで、広くアマチュア野球界の正しい発展のために尽力を続けている彼ですが、近頃は年に一、二度は酒を酌み交わす機会があり、暮れに大船で飲んだのが直近ですね。そうだ、先日も春の早慶戦を観に行きたい、と言ったら、ネット裏の招待席をあてがってくれました。次の大学の監督に、という噂もあるらしく、いずれは神宮で上田の雄姿を見られる日もあるのではないかと期待しています。

 友達自慢もいいかげんにしろよ、と言われそうですが、今回だけは許してください。何しろ、甲子園の優勝です。この優勝は誰がなんといっても、上田の掲げたエンジョイ・ベースボールの集大成、なんですから。慶應義塾の各機関は塾高も幼稚舎も学部も院も病院もその他すべてみんな同じ社中ですから、塾員(卒業生)はどこの出身だろうと社中ならどこでも同じように応援します。かくして、私、決勝戦当日は慶應義塾・日吉キャンパス内にあるブリティッシュパブで多くの塾員とともに大騒ぎで若き血&塾歌を歌ってまいりました。

 塾高の甲子園優勝は107年ぶり、とのこと。ちなみに、静高は優勝から遠ざかること97年(準優勝は2度あるのに)、湘南は74年前に初出場初優勝を遂げてそれっきりです。
 塾高、全国優勝おめでとう。(弥)

倶樂部余話【418】Wing and a Prayer (翼と祈り)(2023年8月1日)


  アイルランド国立博物館の別館、カントリーライフ館は、アイルランド西部メイヨー県の県都キャスルバーに2001年に開館しました。ここには古いアランセーター11枚が収蔵されています。元々これらのセーターは首都ダブリンでCleo店の向かいにある国立博物館(本館)に古くから収蔵されていたものをこの別館のオープンに際して移送したものです。
 私のアランセーターの本が1996年の着想から出版まで8年もかかってしまった一番大きな理由は、この11枚のセーターを取材するためにはこの別館のオープンを待たねばならなかったからでした。ダブリンに保管してあった時期ならばCleo店がそうしていたように割と簡単に頼めば見せてもらえたのでしょうが、私が見たいときに運悪く保管と修復のために非公開の遠い場所に移されてしまったのです。

 6年待って、ようやく対面できた11枚のセーター。飾られているものだけではなく、ストレージに厳重管理されているものも学芸員の特別な配慮で拝見することができて、資料もたくさん頂戴し、ようやく私の執筆も進んだのでした。 これらの古いアランセーターはその後2008年のアランセーターの特別展の際に初めて一堂にずらりと並んで展示されました。この展覧会は世界で初めてアランセーターにスポットを当てたもので、嬉しいことに、私が日本での百貨店催事に際して作成した小冊子も一緒に展示されました。

 そのまさに博物館級のアランセーターの中で、ナンバーワンの評価を得ているのが、1942年に本館に寄贈された通称Wing and a Prayer (翼と祈り)と呼ばれる一枚です。80年以上も前にアラン諸島で編まれたものですが、前後左右非対称の複雑な編み柄、特殊な袖付、すべてのバランス、編み手の愛情と技量とに溢れた史上最高傑作と言えるでしょう。

 余談になりますが、このWing and a Prayerという呼称、このセーターに施された、翼のような、祈るような、中央の柄が印象的なのでそう名付けられたようですが、寄贈当時アメリカで流行していたジャズボーカルの曲名でもあり、それに併せてこの題名の航空関係の映画が作られたり、また奇しくも同名タイトルのドラマが偶然にも今年2023年に公開されたりしています。また、wing and a prayerというのは米国ではよく使われる慣用句でもあるらしく、運を天に任せて祈るしかない、一か八か、という意味があるようです。歌も劇もそれに引っ掛けた内容になっているのですね。便利な時代で、wing and a prayer で検索するといろいろ出てきますので、ご興味ある方はどうぞ。

 私はこの国立カントリーライフ館を3度訪問し、その都度学芸員のクロダ・ドイル女史から説明を受け資料の提供をしてもらいますが、いつも、デザインの盗用や商業的な宣伝物に使用されることのないように十分に注意してください、と、念を押されます。まぁ、真似しようにもここまでのレベルのアランセーター、そう簡単には真似なんてできっこないのですが。

 さて、ある時ある博物館から、このWing and a Prayerを展示ために貸してほしい、という要請が入りました。しかし貴重な一枚、もし何かあったら大変なので、レプリカ(複製)で良ければ、ということになりまして、その作成依頼がCleoに入りました。技量、経験、長年の博物館との付き合い、いろいろ考えると、Cleo以外にこの複製を引き受けられるところはほかにはないでしょう。相当苦労してようやくレプリカが編み上がった頃、そこにコロナが襲い、欧州はロックダウン。話はすべてオジャンになってしまいました。

 ある日CleoのFacebookでこのレプリカが販売されていることを見て、
私は驚くとともに心配になって、博物館モノを模倣したセーター、売って大丈夫、博物館の許可は取ったの、と、
Cleoに問い合わせたことで、このような経緯を知った次第。俄然むくむくと欲が湧いてきて、じゃあもう一枚レプリカを編んでもらったら、それ日本で売ってもいい?、と思い切って聞いてみたら、他ならぬ野沢の頼みであれば、との快諾。

ようやく編み上がって、今荷物は経由地のヒースロー空港にあるらしい。まもなく到着します。ただ、売り方は、早い者勝ちにはせずに、平等公平に機会均等に配慮してちょっと工夫しますので、どなた様もぜひご期待ください。(弥)

(写真はIreland National Museum Countrylife 提供)

倶樂部余話【417】どうしても分からないこと、ってありませんか(2023年7月1日)


 どうしても分からないこと、ってないですか。もしかしたら分からないのは自分だけなのかもしれないんですが、私はこんなことが分からないんです。

 ドナルド・トランプ。「AV女優との不倫の口止め料」と「アメリカ合衆国大統領」とを結びつけた世界一最低な男。許せないけど、でもこういう人物が存在してしまうこと自体は分かるんです。分からないのは、こんなとんでもない人物を支持する人たちがいる、ということ、それも相当な数です。前回の大統領選では7000万人以上がトランプに票を投じているんです。アメリカ人は何を考えているのか、どうしても分かりません。こんな最低の人間を自国のトップに据えようなんて、アメリカ人は恥ずかしくないのかなぁ。理解できません。

 ふるさと納税。これがどうしても分かりません。税金には受益者負担の原則というのがあります。例えば私の家のゴミは静岡市が処理をしてくれます。そういう行政サービスを静岡市がしてくれるので静岡市に税金を払います。当たり前ですよね。また、海外からの旅行者には消費税が免税となりますが、これは海外の観光客には消費税納税で日本国から受ける利益がないからです。なのでその消費税は帰国時に自国に対して納めるのです。どうして自分の住んでいない市町村に自分の地方税を払えるんでしょう。しかもその動機は高額なおまけの誘惑です。各自治体はおまけの誘惑合戦、反対に人口の多い都市部の自治体は本来得るべき地方税が入らないので税収減で大迷惑。こんな原理原則に反した訳のわからない制度を政府があおる、というのも解せません。私にはふるさと納税は富裕層を優遇した体のいい脱法行為としか思えないのですが、でも、ここからこんなにいい返礼品をもらった、って皆さん自慢気に話しますよね。理解できないんです。

 マイナンバーカード。不思議な名前です。私の番号はマイナンバー、あなたの番号もマイナンバー、笑えます。わかりやすく12桁の戸籍番号でいいじゃないですか。これからはひとりひとりの戸籍に番号を振ってあらゆることをその番号で管理しますから、その証拠になるカードを持っててくださいね。これ強制です、国民の義務です。これでいいじゃないですか。というか、私はすでに戸籍はとっくに固有の番号によって管理されているものとばかり思ってました。国勢調査だってやってるんですから。でもそうじゃなかったんですね。2万円のニンジンぶら下げてそれでも普及が進まない、って、そもそものやり方が間違ってます。もたもたしてるとまた「消えた年金」が起こりますよ。欠陥の上塗りばかりやってることも分からない。

 異次元の少子化対策。一体何が異次元なのか。4次元でタイムマシンにでも乗るのか。そもそもなんで少子化対策が必要かと言うと、人口が減るからである。人口を増やすには、生まれる子供を増やす以外にもっと現実的は方法がある、移民です。アメリカもヨーロッパも移民が国力増強に寄与した歴史を持っている。世界には生活に困っている難民がたくさんいます。これを積極的に日本で受け入れて人口を増やす。なぜこれがもっと議論されないんだろうか。それが分からない。入管が難民を笑いながらいたぶり殺しておいてそれでも開き直っている、こんな情けない国に移民は来てくれなくなりますよ。

 365日の歩行者天国。うちの商店街の考えていることが分からない。目の前の道のことです。土日祝日のホコ天をさらに平日も、つまり365日雨の日も風の日もずっと昼間の9時間で車をストップする、ということで昨日から始まりました。一体何が天国なのか、分かりません。車(これは来街客だけでなく業務車両も含まれます)に不便を強いてきた繁華街が衰退していった例は世界中で枚挙に暇がありません。それがわかっていて、なのに今更どうして。明治の時代に煙害を恐れて鉄道駅を市街地から遠ざけた地元の実力者、また、最近でいうなら、誰も喜んでいない英国のEU離脱、と、似ているものを感じます。将来起こりうるデメリットを過小評価した間違った議論、時代の流れを見誤った愚の骨頂、と言ったら言い過ぎでしょうか。私も商店街のメンバーなので、あんまり強く批判するのは嫌なのですが、ここまで私が強く言うのは、この措置の犠牲者が仲間から出たからです。営業不能に陥った弁当屋が全日ホコ天実施の開始日と同時に店を閉めました。それでいて商店街はキッチンカーを誘致するらしい。商店の繁栄を支援するはずの商店街が閉店の引導を渡す、とは、あんまりです。何がなんだかさっぱり分からない。

 昔の私なら、結びの言葉として、誰か分かる人、教えて下さい。というセリフで締めくくったところでしょう。でも、いいんです、分からなくても。分かろうとしなくていいんです。世の中にはどうやっても分からないことがいくつもあるんだということを悟れる歳になってきたということでしょうか。大切なのは分かることではなくて、分からないことを分からないと、堂々と言えることなんじゃないかな、分かったふりをせずに。
 かくして、私、分からないことがどんどん増えるばかりの毎日なのであります。(弥)

倶樂部余話【416】靴の話です(2023年6月1日)


 毎年夏の「靴を作ろう!!」キャンペーンに絡めて、今話は靴の話を、もっと正直に言うと、読んだら靴を作りたくなる気持ちになれる話を、と思い、ネタ探しでもと発売したての紳士靴の専門誌を買いました。ところがその特集がテーラードウェア。靴の雑誌が服の特集とは、どういうことだ、こりゃ肯定すべきなのか否定すべきなのか。服好きに靴好きはかぶりますが、逆に靴好きに服好きはそれほどかぶりません。なので服の雑誌に靴の特集はあっても、靴の雑誌に服の特集、で靴好きは嬉しいものなのか、本を買ってくれるのか、それで本は売れるのか、と、疑問を感じて、靴に詳しい知人数名に意見を求めてみました。いわく、やっぱり、靴だけでは誌面が埋まらない、ネタ不足、広告不足、の側面があるようです。うーん、これじゃ靴を作ろう!っていう気にならないなぁ、と、困ってしまいました。

 今シーズンのTVドラマにパクリを題名にしたドラマがあり、知財(知的財産権)をテーマにするのは面白いな(これでも大学では民法のゼミ生でした)と思って、観ているうちに、そういえば以前に宮城興業がオーダーシューズのシステムを特許申請したって言ってたな、あれはどうなったんだろう、と思い出しました。確かにスーツやシャツでは当たり前のパターンオーダーのシステムですが、これを靴の世界で実現した宮城興業のノウハウは特許モノだろうと私はかねてから高く評価していたので、高橋社長に直接確認を取ってみました。すると、弁理士の不手際などもあって、申請をしたままで審査にも至ってなく、つまり現時点では特許は取得していない、とのことでした。ですので誰かにパクられても文句は言えないのですが、実際には相当に本気で取り組まないとパクリは絶対にできっこない自信のあるシステムなので心配はしていない、というお話でしたので一安心です。でもドラマの中でもあったように、実際の特許は取っていないにも関わらず特許申請済という文言だけでそれを宣伝文句に使うのは企業姿勢として決して褒められたものではないということなので、この話だけでは靴を作りたい、という気持ちには繋がりにくいですね。さぁ困った。

 でも光は見えてきました。アイデアはまとまりました。
 紳士靴の雑誌がスーツ回帰を言い始めたということは、逆に言うとビジネススタイルも変わり、革靴をスーツスタイルだけでなくあらゆるスタイルに履こうとする姿勢がすっかり定着したということにほかならなりません。ボトムにしてもウールトラウザーズばかりでなく、デニムやチノなどの綿パンに革靴を合わせる姿はもう当たり前です。むしろスニーカーやコンフォートシューズよりも仕事できるように見えるし、背筋がしゃんと伸びてかっこいい。スマートカジュアル、トランスジェンダー、いろんな理由はあるだろうけど、紳士靴は黒と茶だけ、という固定概念はもう取り払おう。婦人靴並みとはいかないまでも、他の色にも挑戦しよう。その後押しをこのキャンペーンでは特化してみたい。しかも黒と茶以外の変わり色の靴は既製品ではほとんどないから、宮城興業のオーダーシューズのシステムは大きな武器になります。
はい、決まりました。今月のイベント。靴を作ろう!!~変わり色に挑戦しよう。同時開催で、綿パンを作ろう!!~変わり色の革靴に合わせて。(弥)

倶樂部余話【415】GW不要論再び+朝ドラ・ランキング(2023年5月1日)


 朝ドラをネタに直近の倶樂部余話を下書きして安堵の晩酌をしながら夕刊を眺めていたら、実に感動的な記事に出会ってしまい、急遽書き換えることにしました。
 記事は日本経済新聞2023.04.28.夕刊「『祝日大国』どこへ向かう」(ニュースぷらす・政界Zoom)欄外に添付します。

 私が「ゴールデンウィークなんて大嫌い!」とGW不要論を言い始めたのが2005年のこと(倶樂部裏話【9】参照) 18年経って時代が私に近づいてきたぞ、この記事読んでもう嬉しくて嬉しくて涙が出そうになりました。ぜひ詳しく読んでいただきたいのですが、産業構造の中心が製造業からサービス業に変わって、祝日が増えれば増えるほど休めない人が増えるという矛盾した現象に陥っているという記者の指摘は私と同じで、更にそこから突っ込んで、従来から経済面ではプラスと言われてきたGWなどの祝日の存在が実はマイナスのインパクトのほうが大きく、GDPを押し下げる要因となっていると言及しています。その証拠のひとつとしてデンマークの例を挙げ、デンマークでは2月末に祝日を減らす法案を可決、その理由がウクライナ危機に際して国防費増額の財源確保だというのですから、素晴らしいアイデアです。こんな発想を持つ政治家が果たして日本にいるでしょうか。
 まさに溜飲が下がるとはこのこと。しかしこの自己満足的感覚誰かの何かに似てるなぁ、と思ったのです。そうか私のGW嫌いはライターの武田砂鉄がやたらとプレミアムフライデーに拘泥するのとおんなじかもしれない。きっと他人にとっては取るに足らない些末なことなんでしょうね。

 せっかくなんで、朝ドラ話もボツにしないで、ちょつと書き留めておしまいにしましょう。4月からの「あまちゃん」の再放送開始に触発されて、全108作の後半54作をランキング化してみようと試みました。
まずベストテン。放映順です。
第56作「あぐり」
第64作「ちゅらさん」
第66作「さくら」
第69作「てるてる家族」
第74作「純情きらり」
第77作「ちりとてちん」
第80作「つばさ」
第85作「カーネーション」
第88作「あまちゃん」
第96作「ひよっこ」
第98作「半分、青い。」
 どうしても最後の一つが絞りきれずに11作になりました。大半は世間的な評価に近いんじゃないかと感じますが、他人が見たら、なんでそれが、という作品もあると思います。いかがでしょう。
東京が8作、大阪が3作。実話ものが3つありますね。1位「あまちゃん」2位「カーネーション」3位が同率で「ちりとてちん」「ひよっこ」、です。(多分スージー鈴木と一緒のようでちょっと悔しいけど)
 そして、まあまあだった、つまらなかった、どうでもよかった、途中で見なくなった、というのが他の38作。
 で、ワースト5が以下の5つ。これも放映順です。
第78作「瞳」
第86作「梅ちゃん先生」
第87作「純と愛」
第101作「スカーレット」
第106作「ちむどんどん」
 この5つはつまらないを通り越して怒りを覚えたものです。まあ、これは自分だけかもしれないので、あんまりこき下ろしちゃいけませんよね。でも思い出すだけで腹が立ってきます。そんなら見なきゃいいじゃん、と家族は言いますが、毎朝のルーティンはそうそう止めることもできないんです。
最後にひとつ、大きな疑問を提示して話を終えましょう。なぜ三谷幸喜は朝ドラを書かないのか。(弥) (文中敬称略)

倶樂部余話【414】守護聖人パトリックのお話し(2023年4月1日)


 この倶樂部余話はもともとが29年間続けたハガキ通信でしたので、長い説明になってしまうような話は書きたくても書けずにいました。こんな話は書いたつもりだったけど書いてなかったんだ、というようなことがしばしばあり、今回もそんな話題でして、話は毎年3月17日に祝されるセント・パトリックス・ディです。

 3月17日はアイルランドの守護聖人パトリックの記念日(命日)で、アイルランドの各地を始め世界中のアイルランド系の人々を中心に世界各地で緑のパレードが繰り広げられます。最大のパレードはダブリンかニューヨークらしいのですが、コロナ明けの今年は東京・代々木公園&表参道の集いの他、日本でも15以上の都市で3月の間になんらかの催しが企画されました。

 聖パトリックは5世紀にアイルランドにカトリックを拡めた実在の人物で、土着の自然崇拝と融合させた独自の布教に歩きました。雑草のような緑の小さな三つ葉のクローバー(シャムロック)を手にして三位一体(トリニティ)を説いた話はよく知られていて、それゆえに、緑色、シャムロック、トリニティ(カレッジ)などは、アイルランドの象徴になっています。

 そもそも守護聖人とはなんぞや、です。カトリックの世界では国や地域、職業などにたくさんの守護聖人という存在があるとのこと。日本の八百万(やおよろず)の神みたいですが、それとの違いは、架空ではなく実在した聖人があてがわれていることです。ちなみに日本の守護聖人はかのフランシスコ・ザビエル。その命日(記念日)12月3日にはザビエルとゆかりの深い長崎県や山口県の教会では記念の礼拝などが催されているようです。

 アイルランドの聖パトリック(記念日3/17)とよく一緒に引き合いに出されるのは、イングランドの聖ジョージ(記念日4/23)、スコットランドの聖アンドリュー(記念日11/30)、ウェールズの聖ディビッド(記念日3/1)です。それぞれの記念日(命日)には聖パトリックほどではないにせよ、なにがしかの記念式典が催されているようです。スペインのカタルーニァでは4/23の聖ジョージの日に本を贈り合う習慣があることから、日本書店組合連合会ではこの日をサン・ジョルディ(スペイン語で聖ジョージの意)の日として、購買促進のキャンペーン活動をしています。

 スコットランドの守護聖人聖アンドリューはX字型の十字架に掛けられ殉教したため、X字型はセント・アンドリュー・クロスと呼ばれ、青いXはスコットランドの旗印となっています。余談ながら、我が夫婦は38年前に八ヶ岳・清里の清泉寮(聖アンデレ教会)で友人100人を集めて結婚式とパーティとテニス大会を実施しましたが、その清泉寮のシンボルはX字のアンドリュークロスでして、参加記念品はX字入りのスポーツタオルでした。

 さてこのクロスの話になると、必ず出てくるのが、英国旗、いわゆるユニオンジャックです。この国旗は、イングランドの聖ジョージクロス(白地に赤の十字)、スコットランドの聖アンドリュークロス(青地に白のX字)、アイルランドの聖パトリッククロス(白地に赤のX字)、と、3つのクロスを組み合わせたものである、という話。これはよく知られた話ですけど、実はこじつけでして、イングランドの聖ジョージクロスとスコットランドの聖アンドリュークロスは確かにそれぞれの国旗であり正しいのですが、アイルランドに聖パトリッククロスというものはそもそも存在してなくて、これはイングランド側の全くの想像の産物であるらしいのです。3つのクロスの融合という美しいストーリーの犠牲になったのがアイルランド、というのが実にイングランドらしいやり方ですね。

 改めて英国旗をよく見ると、一番目立つのが赤い十字、次が白いX字、3つ目の赤いX字は一番下に潜らされて、しかもそのか細い線もど真ん中でなく微妙に横にずらされしかも分断されて描かれていて、これではアイルランドがとっても虐げられているように映ります。

 英国旗は一見すると上下左右対称の旗のように見えますが、このアイルランドの赤X字がど真ん中を通っていないせいで、実は上下も左右も非対称でちゃんと向きが決まっています。国際的な慣習では旗を逆さに掲げることは国辱を意味することになるので、上下反対に付け間違えた旗を掲げてしまい英国大使館などから厳重注意の指摘を受ける事例が世界中で絶えないのだとか。

 ということで、センパトの日を迎えるたびに、毎年こんなような話が私の頭の中で渦を巻くのです。ようやくその脳内をお話しすることができました。Happy St.Patrick’s day!! (弥)

添付した画像は、かつてロンドンの書店で購入したSimple Heraldry (易しい紋章学)というイラストブックの1ページ。初版は1953年。