倶樂部余話【419】塾高と静高と湘南と(2023年9月1日)


 私は湘南(神奈川県立湘南高校)から慶應義塾大学に進みましたが、出身校でよく間違われるのが、塾高(慶應義塾高校)と静高(県立静岡高校)です。嬉しい勘違いですね。

 今から20年前のこと。静高創立125周年の記念事業の一環として塾高野球部を招いて招待試合が催されまして、静高出身で静岡三田会の会長という立場にあった私の父がその始球式を務めることになりました。大役を終えた父から私に電話で、塾高の監督がお前の友達だと言ってるから、すぐにグラウンドに来い、と。驚いた、旧友・上田誠との20数年ぶりの再会でした。私は彼の消息を失っていたのですが、彼は私が静岡に移ったことを覚えていて、父の名札を見て、もしやと思って聞いてみたそうです。父が始球式をしてなければこの再会はあり得なかったでしょう。

 中学一年のときに同級になって以来、高校、大学、と同じ道を進みました。家も近かったので、お互いの家でレコードを聞いたりギターを弾いたりしてました。中学(藤沢市立藤が岡中学)の文化祭ではバンドを組んでビートルズなんか演奏しました。塾も一緒で、江ノ電の車中や夜の公園でよく語り合いました。ほとんど女の子の話ばかりでしたけど。なんか母が彼のことをとても気に入ってて、いつも「上田くんはかっこいい」と言ってたのを思い出します。奴は野球部のエース、私は生徒会長。頭でっかちで運動オンチの私が、高校でいきなりテニス部に入ってみんながびっくりした、そのわけ。自分にリーダーとしての素養がないことを痛感したのが最大の理由ですが、運動部の人間のほうが魅力的な人間が多くて、その上モテるのは運動部の奴らばっかり、だと感じたからでした。母の一言に影響されたのかもしれません。

 私たちふたりが静高で奇跡的な再会をしたその翌々年、塾高は45年振りの甲子園出場を果たします。上田が監督になって14年目のことでした。彼の監督在任は25年間、最難関の神奈川県にあって4度の甲子園出場を成し遂げ、彼の掲げた「エンジョイ・ベースボール」は、高校野球界に一石を投じた革命的指導法として評価されます。彼の著書(上田誠著「エンジョイ・ベースボール: 慶應義塾高校野球部の挑戦」日本放送出版協会 2006年)にはその経緯が詳しく書かれていますが、その中には、本当は母校・湘南の監督がやってみたかった、なんて書いてあるところもあって、私その箇所は涙ぽろぽろで何度も読み返しました。

 8年前に監督を勇退し、現在は、下は学童野球から上は社会人まで、広くアマチュア野球界の正しい発展のために尽力を続けている彼ですが、近頃は年に一、二度は酒を酌み交わす機会があり、暮れに大船で飲んだのが直近ですね。そうだ、先日も春の早慶戦を観に行きたい、と言ったら、ネット裏の招待席をあてがってくれました。次の大学の監督に、という噂もあるらしく、いずれは神宮で上田の雄姿を見られる日もあるのではないかと期待しています。

 友達自慢もいいかげんにしろよ、と言われそうですが、今回だけは許してください。何しろ、甲子園の優勝です。この優勝は誰がなんといっても、上田の掲げたエンジョイ・ベースボールの集大成、なんですから。慶應義塾の各機関は塾高も幼稚舎も学部も院も病院もその他すべてみんな同じ社中ですから、塾員(卒業生)はどこの出身だろうと社中ならどこでも同じように応援します。かくして、私、決勝戦当日は慶應義塾・日吉キャンパス内にあるブリティッシュパブで多くの塾員とともに大騒ぎで若き血&塾歌を歌ってまいりました。

 塾高の甲子園優勝は107年ぶり、とのこと。ちなみに、静高は優勝から遠ざかること97年(準優勝は2度あるのに)、湘南は74年前に初出場初優勝を遂げてそれっきりです。
 塾高、全国優勝おめでとう。(弥)