倶樂部余話【32】たまには失敗談も聞いて下さい(1991年7月23日)


 久々に失敗しました、この夏の「リダクション(割引)」。もちろん商品内容にも原因はあるのでしょうが、どうもそればかりとは言えないような気がしてます。

 後学のためにどんな店でも住所を記してくるように、と私からの指令を受けている我が妻の元には、六月末あたりから多い日で五枚以上もの「セール」のDMハガキが、毎日のように郵送されてきます。内容はどこも似たような「○月×日より何十%off!」。中には三年前に一度だけ利用した店から「お馴染みの上得意客に限り特別ご招待!」などと書いてあるものまであります。届いた数十枚のハガキを前に、妻曰く「ちっともワクワクしない。むしろだんだん冷めてくる。」と、のたまいます。

 セールだバーゲンだと一大決戦のように盛り上がっているのは店の方だけで、店側が大袈裟な謳い文句でノセよう煽ろうとすればするほど、客の方はシラけていくものなのかもしれません。いわばセールのDMは年賀状程度の重みしかなくて、ことさらにもったいつけなくとも、七月になれば安くなるのは当たり前でしょ、と見透かされているところがあるのじゃないでしょうか。

 当店のリダクションのご案内が他店より見劣りするものとは思えませんが、どう言い方を変えたところで「安くしたから買って下さい」という内容は結局同じです。値段を下げれば客は来るものと思い込んだ我々の「業界慣れ」の慢心がどこかにあったことは否定できません。過去二回のリダクションが好売上だったことからの自惚れもあったかもしれません。

 実際、リダクションせずとも買って下さるお客様が増えてきているのは事実ですし、いくら安くともサービスが低下するくらいなら買いたくない、という人が今後も増えてきても不思議ではありません。

 一方、リダクションの効能として、新規客のご来店という重要な側面もあります。その方たちは三割引で当倶樂部へ入会できるのだと考えればこれはメリットでしょう。

 誰のためのリダクションなのか、お得意様にとって当店に求められる「コンビニエンス」とは何なのか、今一度考えてみなければならないでしょう。

 それにしても、一番重要なのに一番難しいことは「お客様の立場に立つ」ということ、とつくづく思い知らされます。今回はいい勉強をさせてもらいました。

 

※納涼ハンカチまつり

倶樂部余話【31】靴は健康的に歩くための道具です(1991年6月5日)


日本人の足はよく甲高幅広と言われますが、実はそれ以外にも、図のように、足型自体が欧米人ほど「く」の字でなく、指先と足の平の開き方・大きさが違うので、当然歩くときに曲がる箇所も違います。さらにかかとのカーブにも著しい違いがあり、つまり欧米で靴を買ってきても、まずあなたの足に合うはずはないということです。
31

が、モノのレベルから言えば、欧米の革靴は、足袋と畳の歴史が長い日本とは完成度に格段の差があります。革靴を半分に縦割りしてみると分かりますが(当店にもひとつあります)、鋼鉄の背骨や天然コルクの中詰めなど、見えない部分にかなりの手間とコストが掛かっていて、ここに手を抜くと、見てくれだけのハリボテの靴になってしまいます。神田・平和堂靴店のご主人曰く「他の商品だったら絶対に買ってもらえない低レベルのものでも、靴の場合はデザインが気に入りさえすれば、足が入るだけで、履き心地がどうであろうとへっちゃらで買っているのが日本人なのです。」と。

では、経済力豊かな日本のために足型を合わせて欧米で作らせて輸入すればいいか、というと、ここで三つの障壁にぶつかります。 まず、輸入革靴には最低でも二十七%高いもので六十%もの保護貿易的な関税が課せられています。現在のガット/ウルグアイ・ラウンドで若干の自由化も期待されていますが、それにしても本来の価値より三割も高いものを何も無理して買うこともないでしょう。

次に、靴のかかとや底は必ず摩耗し交換が必要になります。履き心地のためには、修理屋ではなく、やはり作った工場へ戻して、純正の木型を入れ直して純正のパーツで新品同様に交換してもらいたいものですが、海外製品では面倒なことのひとつです。

また、靴には五ミリ単位の多くのサイズがあるので、「取り寄せ可能」は販売上不可欠な条件ですが、海外とのクイックデリバリーにはコスト・期間ともに問題があります。

と考えますと、これらの問題をすべて解決できる結論は、革やコルクから紐一本に至るまでを欧米からパーツとして低関税で輸入して、欧米と全く同じ製法技術とデザインで、日本人の足型に合わせて、国内で組み立てるという以外にありません。当店で扱う「ジョンストン&マーフィー(J&M)」がまさにこれに当たります。

先日、週二回のペースで二年ほど履き続けた私のJ&Mの靴が修理を終えて戻ってきましたが、すでに甲革は私なりに馴染んでますので、新品以上の驚くべき履き心地の良さで、この靴を買ってよかったと思う最大の一瞬でありました。

現在当店では靴が一日一足のペースで売れていますが、この半数以上がリピーター需要です。この事実が製品の確かさを物語る何よりの証拠ではないでしょうか。

ご自身の健康のためはもちろんですが、他人から「足元を見られる」ようなことのないように心掛けたいものです。

倶樂部余話【30】パワードレッシング(1991年5月17日)


昨今の流行に「パワーランチ」という言葉があります。ビジネス戦略の演出方法としての昼食という意で、夜の接待よりもスマートでスピーディな商談ができるということの様です。しからば「パワードレッシング」とは? パワーランチにかけるマムシ入りサラダドレッシングのことでしょうか。

ある商工会議所で今年一月から男性のポケットチーフが義務付けられた、という話を聞きました。オジサン達の、外見にも少し気配りをしていくという積極性が、仕事にもいい影響を及ぼしてくれれば、という効果を狙ったものでしょう。また、オジサン達のためのスタイリストやセンスアップ講座なるものもちらほら出始めているらしく、うちの父がその手の話をしに出掛けていく機会も出ています。

ビジネスの演出方法として「装い(ドレッシング)」は重要な手段のひとつだと思うのですが、それを感じているオジサン達はあまり多くないようです。(あるいは気付いていても臆病になられているのでしょうか。)ただ、別に流行の最先端のモノや高価なモノを、ということではありません。また、ファッションは個性的に、としばしば言われますが、こと背広に関しては、個性的であることはかえって逆効果となることがあります。やはり基本的には、背広は戦闘服です。だから、背広自体はスタンダードなダークスーツでいいのですが、その同じ一着の背広でも、シャツとタイを変えていくことで、ビジネスシーン別の演出効果を狙うことができます。例えば、自社製品の説明のときなら冷静で落ち着いた人間ぶりを、取引条件の交渉なら融通の利く暖かな人柄を、部下の悩みを聞いてやるときは話のわかる上司ぶりを、それぞれに演出していくわけです。

このように「装いの持つエネルギーを自分のパワーとして吸収し自分をより魅力的に見せてくれるスタイルを演出すること」、これが「パワードレッシング」ということです。

石原裕次郎や加山雄三をお手本に「青春」した五十代の皆さん、平凡パンチやメンズクラブを読みふけった四十代の皆さん、ポパイに憧れた三十代の皆さん、そして氾濫するファッション雑誌の軽薄で無責任な底の浅さに気付き始めた二十代の皆さん、一着の背広を買うとき、考えてみて下さい。自分のパワーとなってくれるエネルギーを持った一着は何なのかを。

その答えのかなりの部分は当店に用意されているはずです。

 

※「うらないイベント」実施

倶樂部余話【29】「休日のためのネクタイ」という提案(1991年4月10日)


普段何気なく使っている「カジュアル」という言葉、改めて辞書を紐解くと、意外にもあまり良い意味でないということに気が付きます。Casual-lookでは「浮浪者然とした格好」ともなりますし、セーターの着こなしがうまい人を褒めるつもりで、うっかり”You are very casual.”などと言おうものなら、侮辱も甚だしいと怒られても仕方ありません。本来の意味のカジュアルウェアとは、まあ近所のコンビニへ立ち寄る程度の普段着だということでしょう。リゾートカジュアルとかハイグレードカジュアルといった表現は意味不明といえます。

この「当てにならない」言葉を避けて、このところ私たちは、オンタイム(オンビジネス)とオフタイム(オフビジネス)という分類で商品を区別しています。

考えてみれば、オフタイムであってもカジュアルではいけない場面というのはいくらでもあり、例えば、ちょっとした店へ買い物や食事に出掛ける、美術館や知人の家を訪れる、仕事上も付き合いのある人たちとの集い(接待ゴルフなど)、あるいは里帰りやデートなんかもそうでしょうか。いわば「ちょっとよそ行き」の場面で、当店で扱うオフタイムの商品のほとんどはこんなシーンを想定したものといえます。

オンタイムの服装がドレスアップ(着整える)を目指すのに対し、オフの時のポイントはドレスダウン(着崩す)にありますが、実はこれが口で言うほどやさしいものではないのです。ドレスダウンしたつもりが単なる「ダサイおじさん」になってしまうことが往々にしてあるのです。

そこでひとつの提案。オフタイムジャケットにオフタイム専用のネクタイを締める。ビジネスマンにとってタイを結ぶのは得意技、中にはタイがないと落ち着かないという方がいるほどです。ただ、オフの時のタイはオンの時とは違えて、麻使いの軽いものやニットタイ、マドラスのコットンタイ、あるいはゴルフやマリンなど自分の嗜好を伝える柄のタイなど、オフに着るジャケット専用のネクタイにすることがポイントです。

何も工夫しないとだらしなく開いてしまうシャツの襟元に、くつろぎとゆとりを感じさせるニットタイを合わせる。これで欧米のリゾート地のタイ着用パーティも概ねOKです。

 

 

倶樂部余話【28】当店は安売りの店です…(1991年3月14日)


…と言うと、誤解を招くかもしれませんが、例えば、4LDKの新築マンションが三千万円、ベンツの新車が三百万円、これは安いか高いかということです。

私には「どんな人も、それを安いと感じなければ物を買うはずがない」という信念があります。(意外に思われるでしょうか。)安く仕入れ安く提供するという商売の原点は量販店のそれと変わるものではありません。ただ、違うと言えば、安いと感じさせる観点が、量販店が手間を省くという引き算の発想であるのに対し、我々の方はできるだけ手間暇をかけて付加価値を高めるという足し算の発想であるということでしょうか。

ともかくも、コスト感覚を無視してまでいいモノに拘泥し、結果高い価格になって、買える人だけついて来い、といった高飛車な態度の商売はどこか違うと思いますし、店は博物館ではありませんから、私たちの用意する品々を本当に身に付けて欲しい人たちに充分に手の届く価格で提供できなければいけないと思います。

安い、と感じていただく判断材料として、当店で欠かせないことの一つに、そのスタンダード性が挙げられます。今や紳士服業界の御意見番といった感のある御大・石津謙介翁は、その近著で、九〇年代は再び「倹約」とか「質素」とか「節約」とかがお洒落な言葉になるだろう、といった、注目に値する発言をしています。トレンドやらを追いかけて散財のあげくに疲れ果ててしまうよりも、スタンダードなモノを最初は少々投資してでも末長く愛用することのほうが、はるかに倹約になり、無駄のない賢い買い方で、これこそが当店の謳う英国気質に他なりません。つまり、安いということは単に価格の問題ではなく、投資に値するかどうかの判断価値で決まると言えます。

昔の大阪商人は、生き銭と死に銭の判断に大変厳しかったと聞きます。投資すべき生き銭はなんぼでも使うが、無駄な死に銭は一円でもケチる。皆様の当店でのご利用がすべて生き銭になっていただけること、それが私たちの使命だと思っています。

倶樂部余話【27】トラディショナル=先人の例を是として踏む態度(1991年2月10日)


トラディショナル(トラッド)。辞書では「伝統」と訳されるこの言葉、小売りもメーカーもマスコミも実に安易にこの言葉を使いますが、これほどに分かっているようでいて曖昧に使われている言葉もないように思います。「いつの時代にも不変なもの」とか「アイビーと違うの?」とか「あのアメリカかぶれの堅物スタイルのことだろ?」程度の解釈も多いようです。

しからば私が定義している「トラディショナル」とは何ぞや、と申しますと、いささか哲学的ですが「先人の例を是として踏む態度」だと訳しています。例えば、ことわざを拠り所にすること、年賀状や盆暮れの挨拶をとても大切に考えること、松下幸之助を学ぶ経営者、これらは皆トラディショナルな態度だと言えます。先例を紐解いたり、成功者の話を聞き、いったんそれを良しとして取り入れ自分の糧に結びつけようとしていく姿勢を指します。これは、私にとってはもう生活信条とでも呼べるほどの強い意味を持っています。

さて、そもそも紳士服のルーツは英国の民族衣装と言っても良く、従って、我々紳士服飾の分野では「先人の例を踏む」とは突き詰めれば「英国を範とする」ということに行き着きます。そしてこの態度をとる紳士服のプロは、小は私を含めて、どこの国にもいて、例えば今をときめくイタリアのデザイナー、ジョルジォ・アルマーニは「私のアイデアソースはいつもロンドンにある」と語っているごとく、英国を範としつつイタリア人に最も似合う服を目指し、かのブルックス・ブラザースはアメリカの特殊性(他人種ゆえ様々な体型をカバーできる服が必要で、しかも縫製レベルの問題から直線縫いを多用)を加味した独特の型を作ってきました。これを「英国を範としアメリカ流にアレンジした服」として「アメリカン・トラディショナル」と呼んだ訳ですが、日本では悲劇的な誤訳で「アメリカの伝統」と思われて七十年代に流行したことが、トラッド=アメリカという誤った解釈の元凶とも言えます。そもそもわずか二百年の歴史にさほどの伝統などあるはずもなく、多くは母国英国のものを継承してきたものです。何しろ最初はニューイングランドと呼ばれていたのがアメリカなのですから。

例外的にアメリカがルーツとなるものがジーンズでしょう。アメリカ人ラルフ・ローレンは、英国のルーツとアメリカのルーツを融合させて、アメリカ人の心を見事なまでにくすぐった、類い希なデザイナーだと言えましょう。

当店が、誤解を避けてあえてトラッドショップと名乗らずにいる理由が少しはお分かりいただけたでしょうか。話し始めるとそれこそ一晩かかる話題ですので、ひとまずこのへんで…。

 

 

※記事より。

 

アンティーク・ロレックスの販売開始。まだ今ほど知られていない時期にそんなこともやりました。今思い起こすと、仕掛けがちょっと早すぎたのかもしれません。

 

ホワイトディ・パッケージ、受付開始。前年の大好評に2匹目のドジョウを狙いましたが、結果は芳しいものではありませんでした。そう、後々、この年が「バブル崩壊」だったと言われていますね。

倶樂部余話【26】♪You may say I‘m a dreamer♪(1990年12月7日)


この十二月八日(日本時間九日)、かのビートルズの一員、ジョン・レノンが凶弾に倒れてから、早ちょうど十年になります。そして彼が生きていたら今年で満五十才でした。

前々から、この十二月の「倶樂部余話」では、十年間の彼への思いのたけをどう千余文字の中に凝縮させようかと思っていました。

毎年の命日に店内で彼の曲ばかりを流しながら哀悼し続けてきたこと、中学生の時に深夜放送で「イマジン」に出会いビートルマニアにのめり込んでいったこと、昨年ロンドン大英博物館であのマグナカルタの右隣にさりげなく展示されていた、ノートの切れ端に書き殴られた数々の名曲の作詞メモの直筆に感涙したこと、などなど、言い尽くせぬほどの私の思いを語るつもりでした。

ところが、その気持ちに水を差されてしまいました。「記念日は商売になる」という日本の悪しき商業主義でしょうか、先日池袋で開催された「ジョン・レノン展」で展示された彼の遺品約三十点がオークションにかけられる予定で、何とその落札予定価格は、愛用の丸メガネで三百七十五万円、ギターが二千五百万円とか。日本の金持ち一人にしか彼のギターの鑑賞が許されないのでしょうか。聞けば未亡人ヨーコ・オノの企画とか。ならばなおさらに「なぜ」と思えてしまいます。

彼が私たちに「イマジン」させたかった世界は、人種の別も貧富の差も国境さえもない世界であったはず。仮に地球環境保護の基金設立のために十億円が必要なら、日本の金持ち十数人からではなく、世界中の一億人から十円ずつ集めるやり方はなかったのでしょうか。しかも、いくら彼が平和運動に大きな影響を与えた活動家であったとしても、あくまでミュージシャンとしての彼の音楽に魅力があったからこそ多くのファンをつかんだのですから、メッセージの訴えも歌で伝えてこそ意味があるのではないでしょうか。それとも、愛とか平和とかを歌うことにはさほど効果がないと、冷ややかに悟ってしまったとでも言うのでしょうか。

さらに、息子ショーンを日本人のプロデュースでレコードデビューさせるといいます。「似てる似てない」でしか評価されかねない道化を演じさせられる彼の姿に、哀れを感じてしまうのは私だけでしょうか。

日本で商業を営む私が日本の商業主義を批判するのも変かもしれませんが、稼げるネタは何であれ貪欲に稼ぐ、という姿勢があるから、いつまでたっても商人の言うことが信用されないのではないでしょうか。

十年を経て、思わずも複雑な気持ちを抱かされてしまいましたが、私自身は、今年も以前と変わらぬ思いのままで、八日九日の両日、彼を哀悼し、彼の曲を流し続けたいと思います。「夢想家と言われるかもしれないけれど…」

 

※カクテル「還暦」パーティ

倶樂部余話【25】やられた!この一冊!(1990年11月13日)


久米麗子著「服が好き」(主婦の友社・千二百円)。著者はタレント久米宏氏の妻であり、「ニュース・ステーション」の夫君と小宮悦子女史の衣装を担当するスタイリスト。と、これだけでも充分に興味をそそられました。

一挙手一投足に細心の神経を配る「テレビ人のプロ」としての夫をどう「イメージメーク」するか、これまた細心の配慮が払われていることが伝わります。

「なぜ小宮さんがイヤリングをしないのか。」とか、久米氏のスーツが「実際の年齢より少し老けて見えしかも遊び心のあるもの」で決してビジネススーツの手本を見せているわけではないことや、例の丸坊主事件の苦慮など、画面で見られる具体例があるだけにとても楽しく読み進められます。やはりこの人も、「服」が好きと言いつつも、結局は「人」が好きな方なのでしょう。でなけりゃとてもできない仕事です。

ところが、読み進むうちに、次第に複雑な気持ちになってきました。大変おこがましいのですが、その内容も文体もあまりにも「倶樂部余話」によく似ているのです。黙っていれば今後のネタ集めの重要な参考文献になり得たでしょう。

「人が大好きな服飾のプロ」というのは同じ様なことを書くものだな、と思うと大変頼もしく嬉しくもあるのですが、なにせ役者が違います。こっちは、毎月毎月ない知恵絞って二年以上かかっても言いたいことの半分も伝わらない地方都市のちっぽけな一店主。かたや、視聴率十八%、一千万人がその仕事の出来を認めるスタイリスト、しかも美人妻、とくれば、説得力は格段に違います。正直、やられたな、参ったな、という思いです。

ただ、洋服屋をやってて本当に良かった、という思いを一段と強く持ちました。私も今の仕事を継ぐことに悩みがなかったわけではありませんが、それこそ原稿用紙何百枚分の「自分の考え方や暮らし方」を表現する手段として、衣食住のうち、衣は最も身近な分野です。人はその服装を通じて視覚的に瞬時に自分のイメージを訴えることができます。なにしろ、あらゆる動物の中で服を着ているのは人間だけなのですから。

 ところで、素朴な疑問。大体の方がピンマイクを衿をつぶすように挟んで付けていますが、これは何とかならないものでしょうか。スーツの衿の返しのふくらみは背広の美しさの大事なポイントのひとつなのですが、あれでは服がかわいそうです。

 ※私が人より少し図々しいのは、このハガキをぬけぬけとご本人にまで送ってしまうことです。そうしたら、思いがけず、次のような返信を頂戴したのです。これもまた、コピーしてメンバーズに配信しました。

野沢様

街の色がいつの間にか秋から冬へと衣がえ。季節の色に追いつく人などいるのかしらと思いつつ歩いています。

野沢様にはさぞ御多忙の日々をお過ごしのことと存じます。

さてこの度は、大変おやさしいお手紙を頂戴致しまして、有難うございました。心からお礼申し上げます。

そして私の本をお読み下さいました上、機関誌に御紹介下さいましたこと、重ねがさねありがとうございました。感謝申し上げております。

ただただ“美しいものが好き”だけでいつの間にか二十年、花や服の仕事をしてまいりました。その間、沢山の方達にお教えを受け、機会をいただき…、そんな才月でございました。

初めて本を書きました。どうなるかしら…と不安一杯。やっと出来上りまして、何んだか自分のことのような気がしません。

一つ何かをさせていただきますと、又々学ぶことがたくさん出てまいります。そのことの面白さが長く続けてこられたことかも知れません。服も…そう思えます。

ピンマイクのこと、ありがとうございます。以前、トーク番組では(女性でしたが)虜につけていただいたり、衿の裏etcにしていただいたことがございます。服を美しく見ていただきたく思いまして-。

ところが素材によりましては、雑音もひろってしまうのです。


今回はニュースですから、きっとそのこともあったと存じます。マイクは、技術の「音声」の方の担当でございますので…。

又いつか違います折に、野沢様のご意見を忘れずに生かさせていただきます。ありがとうございました。

末筆ながら、気候不順の折、どうぞお風邪など召しませんよう、お体おいとい下さいませ。

まずは取り急ぎ心からの御礼まで

久米麗子

倶樂部余話【24】公式②「色のハシゴ」(1990年10月16日)


「倶樂部余話」も今回で二十四回目。私自身、原稿書き、ワープロ、コピー、宛名と一連の作業を終えないと、何か一息つけず、一月ごとの区切りようになっています。

毎号スクラップに綴っていただいてたり、「君の好きそうな話題だよ。」と資料をいただいたり、果ては「百回続いたら本にしてあげる。」などという奇特な方も現れたりで、「いつも送っていただいてありがとう。」と言われますが、こんな拙い作文をお読みいただいて、感謝したいのはむしろこちらの方です。

私の丸眼鏡のチンチクリンのイメージとこの文体とはどうも一致しにくいようで、新しいお客様からは未だに「どなたかが書いているんですか。」と問われます。「字が小さい。」というのもよく言われることで、いつもつい欲が出ていろいろと詰め込むので、あまり字体を大きくできなかったのを反省し、今回は幾分か大きくしまして、少しは読みやすくなっていることと思います。

内容に関しては、「もっと毒舌を」とか「今回はちと迫力不足」など手厳しいご批評もいただきます。前回の「公式①」についても「よくぞ言ってくれた。」という声の反面、「もっと君にしか書けないことを…」というご意見も頂戴しました。私としては、誰かが言わねば誰も教えてはくれないだろうと思って書いたのですが、結果、本当に読んでいただきたい方には「こんなことにゃ興味はないョ」と実際には読んではいただけずに、愛読者(?)には「何で今さらこんな初歩的な話を、野沢らしくもなく…」と感じられたという、大変皮肉なことになってしまったようです。これも私の文章力のいたらなさかと反省しつつ、今回はさらに初歩的なお話ですのでご勘弁の程を。それでは本題です。

公式②「色のハシゴ(色のかぶり)」。言葉では説明しにくいのですが、配色の基本ですのでしばらくお付き合い下さい。

例えば、紺と茶と赤の三配色のチェック柄のジャケットを着るとしますと、スラックスはこの三色の中の一色を取った無地で合わせます。赤いズボンを履く紳士はいませんから、この場合、紺か茶のスラックスということになります。

このように、使ってある色の中から一色を抜いて他のものと合わせることを、色が二つの物の間を橋渡しすることから「色のハシゴ」と呼んだりしています。

先ほどのジャケットに茶色のスラックスを合わせたとして、次に、紺色の細いストライプの入ったスポーツシャツを「紺のハシゴ」でつなぎ、タイは「赤のハシゴ」で赤地に緑のペイズリーあたりで合わせ、さらにポケットチーフはタイと「緑のハシゴ」でつなぐと同時にスラックスと「茶のハシゴ」でつないで、緑と茶の地味めの小紋柄などでどうでしょうか。

背広の柄にうっすらとブルーとピンクの縞が入っていたら…。迷わずブルーのシャツにピンク使いのタイ(またはその逆)を合わせます。

「お洒落な人」は、配色の中からベースになる色と効かせの色をうまく抜いて、面積のバランスを良くし、「色のハシゴ」をあちこちに掛けてコーディネートしています。(だから冬は楽しい!)単なる色気違いとは大違いです。

何気なく見過ごしているウィンドウのディスプレーも「色のハシゴ」を探しながら見ていくと結構面白い物です。街歩きの楽しみとしてお勧めいたします。

 

 

※今だと、例文のようなコントラスト三配色のコーディネートというのはあまり見かけません。ちょっと色の洪水、と見られるでしょうね。近ごろは、コントラスト配色の場合はせいぜい二配色に絞りますし、また同系色配色(モノトーンもそうですが、例えば紺とブルーなど)が主流になっていますからね。

 

記事より。オーダーシャツを刷新。第四回「カクテル・パーティ」の告知、など。

倶樂部余話【23】公式①「革物は、茶色と黒を混ぜない」(1990年9月18日)


今日のあなたの(またはご主人の)格好を思い浮かべて下さい。

ベルトと靴の色は、黒なら黒、茶なら茶で統一されていますか。街を歩く人をウォッチングする限りでは、十人中五人ぐらいの合格率しかありません。

それでは、鞄の色も一緒に統一されているでしょうか。合格者はさらに減って、十人中二人ぐらいといったところでしょうか。

さらに、財布、名刺入れ、手帳、時計ベルト、傘などの色も同じ系統で統一されている方となると、果たして百人中何名程でしょうか。

もうひとつ突っ込んで、時計や指輪、ベルトのバックル、靴の鎖飾りなどは、ゴールドかシルバーのどちらかに統一されていますか。こうなると、百人中一人見当たるかどうかではないでしょうか。

私たちはこういうものにしっかりと統一感を持たれている方を「お洒落な人」と呼びます。最近では若い方でも高価なスーツをお召しになる方が増えていますが、茶色のベルトに黒い靴、鞄はLVマークの茶色の柄、おまけに白いスポーツソックスでは、いくら三十万円のアルマーニを着ていても、それは「お洒落な人」ではなく、単に「高い流行ものを着ている人」にすぎないのです。

ちぐはぐな色合わせは、ズボンのチャックの閉め忘れと同じぐらいに恥ずかしいものだと考えて下さい。「チャックが開いてるよ」という忠告(?)は、何か相手に失礼なことを言っているように聞こえますが、しかし、誰かが言ってあげなければもっと恥ずかしい思いをしてしまうものなのです。

もちろん、私は皆様を馬鹿にしようとしているつもりは毛頭ありません。むしろ、洋服を着るうえで、何を買うかということ以前の、こういった公式が、何にも当たり前のことになっていない現状は、我々プロの責任ではないだろうかという自省の念があるのです。

雑誌もテレビも店員までもが、こういう初歩的な話は「皆ご存じ」とばかり、トレンドとかブランドとか、「売らんかな」ということばかりに熱心です。パリの著名ブランドの社長までもが「日本人は最高のお客様です。」と述べる社交辞令の裏には「どうせちゃんとした着方ができないのなら、売れさえすればそれでいい。」という諦めの気持ちが見えて仕方がないのです。

聞くところによれば、欧米では、小学校の授業で服装のABCを教える時間があったり、大学でも「服飾学」という専門の学問分野があるそうですが、残念ながら我が国では、服のことに興味を持つなど男の恥、と長いこと考えられてきたようで、服装の公式なども、知りたい人だけが何かの機会に偶然知り得たもので、関心のない人は一生知らされずに終わってしまうものであったわけです。

「見掛けなどどうでもいい。問題は中身だ。」などとは言っていられないほど、現代は「ビジュアル(視覚)」が重要視されています。どんなに美味しい物もいい物も、ビジュアルに訴えられるものでないと受け入れに手間のかかる時代です。今年の各企業の採用活動などは正にそれを裏付けていますし、アナウンサーが全く体型に合っていないぶかぶかのソフトスーツを着ていたりすると、ニュース自体にも信憑性や重みがなくなって聞こえるから不思議です。

昨年、地元のある自動車販売会社から、服飾のイロハを社員に講義してくれないか、という要請を受けました。いわば「おじさん改造講座」を自らで開講したわけで、ビジュアル重視の時代には大変に意義の深い試みではないでしょうか。各企業や学校でそういった機会を設けていけば、本当の「お洒落な人」は一挙に増えてくれるでしょう。

いつも申し上げるようですが、服を売るばかりが店ではなかろう、と考えています。そのためのお手伝いにはいくらでもご協力したいと思っております。

次回は、公式②「色のハシゴ」についての予定です。ご意見ご感想をお待ちしております。

※この一文についての反応は次号をご覧下さい。

 

この月は、第三回「アランセーターの世界」を開催しています。

倶樂部余話【22】池部良のダッフルコート(1990年8月8日)


ご年配の方からはお叱りを受けるかも知れませんが、こういう店をやってますと、「ああ、自分も早くもっと歳を取りたいな。」と思うときがよくあります。歳を取るほどに似合ってくる格好、例えば、モーニングやタキシード、濃紺ストライプのダブルスーツ、アランセーターなどの手編みニット、ダッフルコートやピーコート、ハリスツイードのジャケット、カシミアのコート、帽子などなど、若輩の私たちにもそれなりに着こなすことができないわけではありませんが、恰幅のいい熟年世代にこそ味わい深い装いのできるものが、余りにも多すぎるからなのです。

これらのものは、着こなしうんぬんよりも、「歳を重ねたこと」それ自体がすでに最良の素地となってマッチしていくものばかりで、だからこそ「クラシック(元来「クラスにふさわしい」の意)と呼ばれるのです。

ときたま、五十歳代のお客様から「君のところは、背広はいいんだけど、カジュアルはどうも若向きだね」とのお言葉をいただくことがあります。しかし、サイズや素材の善し悪しの差こそあれ、カジュアルウェアは本来ノンエージのものではないかと思うのです。

欧米の熟年世代は、決して若者に媚びたり流行を追ったりするわけでもなく、ベーシックでクラシックな服を実にうまくシンプルに装っていますが、日本はと言うと、ファッションのリーダー役が流行雑誌を読み漁る情報過多のヤング層に偏ってしまい、熟年層は「シニアカジュアル」とか「アダルトカジュアル」とか、俗におじさんルックと称される日本にしかない独特の商品群の中に追いやられてしまっているのが現状です。

私は、当店の揃えるクラシックな商品こそが、世界に通用する熟年ウェアでもあると考えているのです。

早くもっと歳を取りたい、と若者に憧れを抱かせるようなお洒落な装いの熟年男性がもっともっと増えて欲しいと願っています。そして、恐らく貴方の奥様やご家族もそう望んでいるに違いないのです。

あるお客様の奥様の言。「こないだテレビで池部良が白いダッフルコートを着てて、それがとっても素敵だったの。うちの主人にもああいう格好をさせたいんだけど、おたくで揃えていただけます?」

 

 

 

※池部良…いけべ・りょう。一九一八年生まれ。俳優。東宝映画「青い山脈」などで主演を演じた往年の二枚目スター。

 

つまり、この原稿を書いた時点で、彼は七十二歳だったことになりますね。

倶樂部余話【21】恒例十日間だけの博物館です(1990年6月12日)


好評の昨年に引き続き、今年も「アイルランド・リネン博物館」を開催します。今年も大阪のリネン博士の問屋さんから、美術品の域に達するものを含め、大変貴重な品々をお借りして展示いたします。

「リネン(亜麻)」と「麻」との違い、リネンだけが持つ数々の素晴らしい特性(吸水性、速乾性、強靱性、汚れ落ち、純白性など)、欧州の生活風景の中でのリネンの古い歴史、などについては、昨年『余話【10】』でお話ししましたので、すでにご理解のことと思います。

そこで今回は出展品のいくつかをご紹介することといたします。

☆マデイラ刺繍(非売品)…モロッコの西方沖約八百㎞、大西洋に浮かぶポルトガル領マデイラ島。マデイラ・ワインで知られるこの島に、かつてスワトウの源流とされる、非常に手の込んだ刺繍がありました。細かな刺繍を施すため、極細で強靱な繊維、しかも実用性に富むアイリッシュリネンが生地に使われています。残念なことにその伝統技術も次第になくなり、現在では生産不可能な芸術品です。

☆スワトウ刺繍(三万円~)…香港の北東にある港町スワトウ(仙頭)に伝わるもので、熟練者が一ヶ月かけてようやく一枚仕上がる、というほどの細かい手刺繍が施されたハンカチーフです。製作風景のビデオも上映いたします。

☆アイリッシュリネンのシーツ(ダブルサイズ六万円)&ピローケース(七千五百円)…一流ホテルの特等客室で純白のリネンのシーツが好んで使われるのは、その寝心地の素晴らしさと同時に、清潔さを証明した誇りでもあります。今回展示するのは、東京・パレスホテルに今年納入されたものです。

☆リネンのフェイスタオル(四千円)…こんな薄い生地でタオルになるのか、と思われるでしょう。かつて某一流ホテルで使われていましたが、あまりの重宝さに宿泊客が持ち帰ってしまう例が後を絶たず、取り扱いをやめたとか。

☆アイリッシュリネンのテーブルクロス(一万五千円~)…先日の韓国大統領との宮中晩餐会でも使われた宮内庁御用達のもの。菊の柄のダブルダマスク織りが大変見事です。

☆最高級リネン原糸の束…「亜麻色の髪」とはまさにこのこと。ベルギーのリネン博物館に展示されていた貴重品です。

☆その他、リネンの特性が体験できる実演コーナーを設けます。

地球環境の保護への関心が高まり、エコロジーがキーワードの今日です。大量の石油や木材の資源を使う化学製品の生産力や宣伝力に押され、「知る人ぞ知る」的な需要になってしまったリネン製品も、今後はその評価が改めて見直されてくるに違いありません。

多くの方のご来場をお待ちしております。もちろん入場無料です。十日間だけの館長より。

 

 

※思えば、この提案は少し早すぎたのかも知れません。今ならリネンはもっと認知度が高いですよね。

 

同時期に、第三回「カクテル・パーティ」を、ホテルのバーを会場に実施しています。メキシコのリゾート地カンクーンをイメージしたテキーラのパーティでした。