倶樂部余話【二十三】公式①「革物は、茶色と黒を混ぜない」(一九九〇年九月十八日)


今日のあなたの(またはご主人の)格好を思い浮かべて下さい。

ベルトと靴の色は、黒なら黒、茶なら茶で統一されていますか。街を歩く人をウォッチングする限りでは、十人中五人ぐらいの合格率しかありません。

それでは、鞄の色も一緒に統一されているでしょうか。合格者はさらに減って、十人中二人ぐらいといったところでしょうか。

さらに、財布、名刺入れ、手帳、時計ベルト、傘などの色も同じ系統で統一されている方となると、果たして百人中何名程でしょうか。

もうひとつ突っ込んで、時計や指輪、ベルトのバックル、靴の鎖飾りなどは、ゴールドかシルバーのどちらかに統一されていますか。こうなると、百人中一人見当たるかどうかではないでしょうか。

私たちはこういうものにしっかりと統一感を持たれている方を「お洒落な人」と呼びます。最近では若い方でも高価なスーツをお召しになる方が増えていますが、茶色のベルトに黒い靴、鞄はLVマークの茶色の柄、おまけに白いスポーツソックスでは、いくら三十万円のアルマーニを着ていても、それは「お洒落な人」ではなく、単に「高い流行ものを着ている人」にすぎないのです。

ちぐはぐな色合わせは、ズボンのチャックの閉め忘れと同じぐらいに恥ずかしいものだと考えて下さい。「チャックが開いてるよ」という忠告(?)は、何か相手に失礼なことを言っているように聞こえますが、しかし、誰かが言ってあげなければもっと恥ずかしい思いをしてしまうものなのです。

もちろん、私は皆様を馬鹿にしようとしているつもりは毛頭ありません。むしろ、洋服を着るうえで、何を買うかということ以前の、こういった公式が、何にも当たり前のことになっていない現状は、我々プロの責任ではないだろうかという自省の念があるのです。

雑誌もテレビも店員までもが、こういう初歩的な話は「皆ご存じ」とばかり、トレンドとかブランドとか、「売らんかな」ということばかりに熱心です。パリの著名ブランドの社長までもが「日本人は最高のお客様です。」と述べる社交辞令の裏には「どうせちゃんとした着方ができないのなら、売れさえすればそれでいい。」という諦めの気持ちが見えて仕方がないのです。

聞くところによれば、欧米では、小学校の授業で服装のABCを教える時間があったり、大学でも「服飾学」という専門の学問分野があるそうですが、残念ながら我が国では、服のことに興味を持つなど男の恥、と長いこと考えられてきたようで、服装の公式なども、知りたい人だけが何かの機会に偶然知り得たもので、関心のない人は一生知らされずに終わってしまうものであったわけです。

「見掛けなどどうでもいい。問題は中身だ。」などとは言っていられないほど、現代は「ビジュアル(視覚)」が重要視されています。どんなに美味しい物もいい物も、ビジュアルに訴えられるものでないと受け入れに手間のかかる時代です。今年の各企業の採用活動などは正にそれを裏付けていますし、アナウンサーが全く体型に合っていないぶかぶかのソフトスーツを着ていたりすると、ニュース自体にも信憑性や重みがなくなって聞こえるから不思議です。

昨年、地元のある自動車販売会社から、服飾のイロハを社員に講義してくれないか、という要請を受けました。いわば「おじさん改造講座」を自らで開講したわけで、ビジュアル重視の時代には大変に意義の深い試みではないでしょうか。各企業や学校でそういった機会を設けていけば、本当の「お洒落な人」は一挙に増えてくれるでしょう。

いつも申し上げるようですが、服を売るばかりが店ではなかろう、と考えています。そのためのお手伝いにはいくらでもご協力したいと思っております。

次回は、公式②「色のハシゴ」についての予定です。ご意見ご感想をお待ちしております。

 

 

※この一文についての反応は次号をご覧下さい。

 

この月は、第三回「アランセーターの世界」を開催しています。