倶樂部余話【332】ネタにもならないガンの話(2016年6月1日)


 両親もそのまた両親もみんなガンでしたので、私にもいつかは必ずその時がやってくる、そう思っていました。しかしそれは意外なほどあっけなくやってきてあっさりとなくなりました。見逃されそうなほどの小さな異変が胃カメラで見つかったのが三月のこと、そして内視鏡で2㎝ほどの悪者を取り除いて釈放。その間わずか三ヵ月。術後三日間絶食した以外はほぼ日常通りの生活で、もし日本中のガン患者何万人を順に並べたとしてきっと私はブービー賞が取れるかもしれません。こんな簡単にガン経験者のレッテルを貼ってもらってはガンと懸命に闘っている人たちに申し訳ないという思いです。痛がりで怖がりの私ですので、多分いつもよりもビクビクした顔つきになっていたことでしょうが、面持ほどのことはなかったのでした。

 と同時に、知りたがりで教えたがりの私としては、ちょっとだけ「ちぇ残念」と感じていることもあります。不遜とのそしりを受けることを恐れず言うならば、ですね、「これじゃ、闘病記も書けないし、余話のネタにもならないじゃないか」ということ。家族からはバカヤローと怒られそうですが。

 たくさんの方からお見舞いの言葉を掛けていただきました。おかげで大事に至らずにすみました。私は幸せ者です。ありがとうございました。(弥)

倶樂部余話【331】続・ゴールデンウィーク考(2016年5月1日)


 ゴールデンウィーク(GW)なんて嫌いだ、と言い続けている私ですが、さだまさしさんもGWについて首をひねっています。先日新聞に載っていた短いエッセイに曰く。GWは本当にめでたいのか。すでにちゃんと休めているのだから、もっと働きたいと感じている人も多いのでは。働かずに稼ぐ者が憧れの対象となる風潮はおかしくないか。国は休めというが休めばお金は入ってこないのが当たり前だ。休むことはとても大切だが、働かないことは決して正しいことではない。というような趣旨でした。これには溜飲が下がりました。そうでしょ、GWなんていらないでしょ、不便ばかりでしょ。GWに疑問に感じているのは私だけじゃないんだ、と確信を持ちました。
 そんな折、環境省は今年のクールビズを五月から九月までと終わりを一ヶ月早めるというニュースが入りました。服装規定を環境省がどうのこうの言うこと自体おかしなことなんですが、ともかく十月にノーネクタイはどうにもだらしなく映るということにようやく気がついたようです。ネクタイは付けるのが基本で、外すのは例外です。来年からはぜひ七~九月の三か月ぐらいに短縮してもらいたいものです。
 どうやら世の中、ちゃんと働こう、きちんと着よう、丁寧に過ごそう、という風に染まってきているような気がします。いやいや、こりゃ朝ドラ「とと姉ちゃん」にちょっと感化されているのかもしれませんな。(弥)

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倶樂部余話【329】イースター・ライジング(2016年3月1日)


 イースターは、キリスト教にとってはクリスマスよりも大切な最重要行事ですが、日本ではハロウィンやバレンタインディに比べても今一つなじみが薄いものです。「春分の後の満月の次の日曜日」と日付が一定しないのが大きな理由でしょう。昨年が4/5、今年3/27、来年は4/16ですから、これでは商業イベントには使えませんね。
 よく知られるように、イェスが十字架に掛けられた三日後に復活(rising)を遂げたのを祝う祭事がイースター(復活祭)ですが、この一月に訪れたアイルランドの首都ダブリンでは、今年のイースターは特別だよ、と大いに盛り上がっていたのです。1916年のイースターの日に起きたイースター・ライジング(復活祭蜂起)。長く英国の植民地であったアイルランドが独立に立ち上がった首都でのクーデターで、歴史的英雄も数多く傑出し、その後延々と続く独立運動の発端となった重大事件です。risingは復活と蜂起の二重の意味を持っていたのですね。今年はその百周年に当たり、聖パトリックの日(3/17)にも近いので、数々の記念行事が企画されているのでした。
 こうして今年アイルランドの人々は英国憎しの気持ちを新たにするのでしょう。その英国、奇しくも今年EU離脱を巡っての国民投票に揺れています。欧州の中での英国の歴史は対立と協調の繰り返しで、実に興味深いです。
そんなことで、今年はいつもと少し違う気持ちでイースターを迎えてみようと思っているのです。(弥)

倶樂部余話【328】店に一番必要なものとは(2016年2月6日)


 4日間店を空けてのダブリン行でしたが、計算してみたら52時間現地に滞在するために往復に掛かった時間が50時間でした。かろうじて目的が手段を上回りましたが、それでもしっかり時差ボケになるのはむしろ健康な証拠なんでしょうか。
 しかし慌ただしい1月でした。店名変更、模様替え、展開ブランドの休止、スタッフの退職、と普段と違う怒涛の睦月。そんな中で以前にも考えたこんなことを思い出していました。店にとって一番欠かせないものは何だろうか、と。
 店舗でしょうか ? いえ、無店舗販売や通販もあります。人か? いや、無人販売や自動販売機だってあります。金?、あればいいけどなくても借りれば何とかなる。商品は? オーダーなどの受注生産なら在庫なしでも売れます。人もモノも金も場所も、実は最も必要なものではないのです。
 それでは、一番欠かせないものとは? お分かりでしょうか、はい、それは客です。店というのはお客様がいないと成り立たないのです。新しい店の様子を心配してきてくれる方、辞める店員を労うだけのために来てくれる方、そんなお客様が次々に来店される様子に、ああ店というのはホントはお客様が作っているものなんだ、とつくづく思った一月なのでした。
 そんなこんなで二月の通信が遅れました。すいません。(弥)

【倶樂部余話】 No.327  あらためてジャックノザワヤです (2016.1.1)


 本日より「セヴィルロウ倶樂部」改め「ジャックノザワヤ」を襲名いたします。そう、前号でのお知らせ以来、皆様から多くの問い合わせやご意見をいただきましたが、この店名変更は「襲名」という表現が一番近いように思います。(ちょっとおこがましいのですが)こぶ平から正蔵へ、みたいなもので、だから、ずっとこぶ平ちゃんのままでいて欲しかった、という人がいるかと思えば、懐かしい名跡を継ぐ新しい正蔵に期待してみたい、という方もいらっしゃるはずです。
 店のマークは野澤屋の創業者・祖父野沢弥輔が60年前に作ったデザインを復活させ、英文ロゴは19世紀末にスコットランドで活躍したデザイナー、チャールズ・レニー・マッキントッシュ考案のフォントを採用しました。どちらも不思議に古さを感じなかったのです。
 商品については追々説明するとして、他に変わったところといえば、まず今日からは新しい店内レイアウトです。きっと、その手があったか、と驚かれることでしょう。音も変えました。よりリラックスできる音楽にします。それから香りも。この場所特有の漢方薬の匂いにうまくかぶさる香りをようやく見つけました。もう一つ大切な変更としては営業時間の短縮があります。閉店時間の繰り上げ、火曜水曜の連休など、一つしかない私の体を有効活用するための術ですのでどうかご理解下さい。
 逆に言うと、それ以外は変わりません。セヴィルロウ倶樂部の名はオリジナルブランドとして残しますし、英国旗もこの倶楽部余話もそのままです。何よりお客様と店の器は何も変わらないのです。
 そんなゆるい感覚で気負わずおごらず、開店29年目にしての新屋号「ジャックノザワヤ」、仕切り直して新たな船出です。倍旧のお引立てをどうぞよろしくお願いいたします。(弥)

【倶樂部余話】 No.326  倶樂部の門を閉じます(2015.12.1)


 大事なお知らせです。セヴィルロウ倶樂部Savile Row Clubという店名を12月で下ろすことにしました。主な理由は以下のとおりです。
 28年前にこの店名を付けたときはセヴィルロウという通りの知名度はまだほとんどありませんでした。知る人ぞ知るブリティッシュなメンズショップという意味合いで付けたのですが、徐々にこの通りの知名度が上がり、通り自体にブランド性を帯び始めますと、当店をガチガチのビスポークテイラーと勘違いされる方が現れたり、あるいは似た店名を名乗るところがあったり、と、少しずつですが不都合を感じ始めていたのです。
 このたびの具体的な契機になったのは、長いことサブを務めてくれた相川から、岡山へ住まいを移すのでこの冬で退社したいとの願いが出たことがあります。となるとかなりの戦力減は否めません。私の家族の手伝いを増やすことはしますが、それでも相川の代わりは誰にも勤まりませんので、従来通りのフルラインの品揃えは難しくなります。パワーダウンにはダウンサイジングで対応していかざるを得ません。
 振り返ってみると、弊社にとってセヴィルロウ倶樂部は、ジャック、ケント、ひまわりの次の当時四番目の店でした。学校で言うとD組でしたが、C組、A組、B組が消えて1学級になったのにいまだにD組のままというのは再考すべきかなとも思っていました。弊社には93年続いた野澤屋という屋号があります。目前の創業百年に向けてこの契機に店名と社名を一致させることを決めました。ですから新しい店名はジャックノザワヤJACK NOZAWAYAです。これは次号にて詳細をお伝えします。
 そのような訳で、セヴィルロウ倶樂部の門を閉めることになりました。(但し自店オリジナル商品のブランドとしては今後も残して継続します) 新年からは体制も新しくしますし、休止せざるを得ない商品もありますので、12月は在庫一掃の「倶楽部閉門フェス」を別項の日程と内容で実施いたします。セヴィルロウ倶樂部としての最後の一ヶ月、皆様のお越しをお待ちしております。(弥)

【倶樂部余話】 No.324  ラグビーW杯イングランド大会(2015.10.1)


 発祥の地で開催されるラグビーW杯。その開会式では、1823年にラグビー校のエリス少年がボールを持ったまま突然走り出す伝説のシーンが再現されていました。
 サッカーやラグビーになると英国(UK)は四つの国(nation)に分かれます。イングランド<E>、スコットランド<S>、ウェールズ<W>、そしてアイルランド<I>(ラグビーは南北合同チーム)。
 アングロサクソン(AS)の<E>がケルトの<W><I><S>を支配していくという歴史なのですが、その支配の時期や形態はそれぞれに異なります。5世紀にドイツから渡ってきて<E>に住みついたAS人は13世紀にまず<W>を「征服」。次に17世紀に<I>を「植民地」に。そして18世紀に<S>を「併合」し、グレードブリテン(GB)王国を作ります。ざっと80字で語ってしまいましたが、この長い長い支配する、されるの歴史がこの4つの国相互の国民感情をいかに複雑にしているかは想像できることでしょう。<W><I><S>の3国は、<E>憎しの一点では結託しますが、互いにどこが一番すぐれているかでは譲ることがありません。
 この4つ(に仏と伊を加えた6か国)は総当たりの対抗戦を毎年冬に実施していて、私もダブリンで何度かその時期に出くわしたことがありますが、そのたびに街のあらゆるパブは大騒ぎになります。
 W杯の一次リーグでは早くも開催国<E>と<W>が激突、<W>が劇的な逆転勝利を果たしました。ウイリアム王子夫妻は<W>を応援してましたね。果たしてこの4つ、一番上位に座すのはどこなんでしょうか。
 開店10周年のときに作ったオリジナルの4か国ラガーシャツ(白、紺、赤、緑、の4色で構成)を引っ張り出して応援します。個人的には私<I>びいきですが。(弥)

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註:ハガキ通信という限られたスペースでの書き物ですので、なるべく字数を減らすために略語を多用せざるを得ませんでした。ご了承下さい。  

【倶樂部余話】 No.323  迷彩柄をどう思いますか (2015.8.30)


 某総合衣料品店がナチスのカギ十字の付いた服を販売停止にしました。この処置の是非は判断の分かれるところですが、もしその発端がこれを仕入れたバイヤーの無知だとしたら、それはバイヤー失格と言わざるを得ません。
 例えば、いくら縞模様が流行になっているときでも、白黒の太い縦じまの上下服が決して市場に現れることはありません。ユダヤ人に着せた囚人服を連想させるからで、かつて日本人デザイナーがこれをパリコレで提案して総スカンを食らったという逸話があります。横はいいけど縦は絶対にダメなんです。
 そうはいっても戦争物がすべてダメと決めつけてしまうこともできません。トレンチコートやPコートをそのルーツが軍服だからという理由で遠ざける人はいないでしょう。むしろ軍服ほど服を作るうえで欠かせない重要なアイデアソースになっているものはありません。
 忌み嫌うものは国や人種によって異なるので一概に決めつけることができません。先日読んだ新聞には、今の日本でいたるところで見受けられる迷彩柄(カモフラージュ)が、米国においては銃の好きな人とか奇妙な愛国心にとりつかれている人の象徴と捉えられかねない雰囲気がある、と書いてありました。いや日本でも迷彩服に眉をひそめる人は意外に多いのではないでしょうか。
 かつて東京のある大規模な総合展示会で、エノラ・ゲイというブランドの服を見たことがあります。原爆礼賛とも判断されそうなこのブランド名に怒りを覚えたものでした。さすがにもうこの服は消えたみたいですが、検索してみたらエノラ・ゲイという会社が英国にあり、煙幕弾や迷彩服を売っています。きっと英国ではそれほど知られていない一戦闘機の名なのかもしれませんね。
 やるやらないの判断はそれぞれが主体的に決めればいい。ただ、それを仕入れるバイヤーは絶対に無知ではいけない。バイヤーにはそういう責任があると思うのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.322  ふたたび、キホンのキ (2015.7.27)


 同業の知人が相次いで服飾読本を出版しました。どちらも豊かな経験と深い知識に裏打ちされた秀作で、私など足元にも及びません。
 が、例えば、①ネクタイの幅は上着の襟幅と同じにする、とか、②ベルトと革靴と革鞄は同じ色に揃える(さらに時計ベルト、財布や名刺入れなどのすべての革小物も黒なら黒、茶なら茶に統一すべき)、といったキホンのキが書かれていません。すでに大前提の常識として省かれているのでしょう。それにもし書いたとしたら、この本はそこから言わなきゃいけないほどの低いレベルなのか、と疑われてしまったかもしれません。
 それではこういうキホンのキはどこで教わるのか。私が前述の二つの法則を知ったのは二十代の半ば、社会に出てからで、その時は目からウロコでした。③タイやシャツ、チーフの色使いは共通色を取り出して色の梯子をかけるという色合わせの基本も、そのころ初めて知りました。きっと知らないままにいい大人になってしまった人も割と多いのではないでしょうか。それほどにこの三原則が守れていない人を多く見かけます。ルール違反で捕まるわけでもないし、また掟破りはファッションの常ですので分っててあえてはずすというテクもあり得ます。お前それは違うよ、とわざわざ指摘してくれる人などいやしません。
 だからこのような基本原則はきっと店で教えないといけないのでしょう。店ならその人に合わせた個別対応ができます。いや、もっといいのは学校できちんと教えておくことでしょう。高校や大学で背広の着方の基本原則を教わる特別講義を一時間すればいいのです。正しい着方を知ることはきっと服飾に興味を持つきっかけにもなるはずです。私には指南本は書けませんが、そういう授業ならやってみたいなぁと思います。(弥)

【倶樂部余話】 No.321  儀礼と社交 (2015.6.25)


 仕事柄、礼服で葬儀の場に臨むと、ときどき同席する知人にこう訊かれます。「野沢君、僕の礼服の着方はこれで間違ってないかな」 これ、答えに窮する時があります。仮に間違いを指摘したところでもうその場で修正ができませんから、私のせいでその方に嫌な思いをさせるだけで、どう言ってあげればいいか困ってしまうのです。
 よく目にする間違いはふたつ。まず、ボタンダウンシャツ。これは本来カジュアルなシャツですので礼服に用いてはいけません。それからスラックスの裾のダブル仕上げ。屋外で泥汚れを嫌って裾を折り返したのがその起源ですからこれも礼装にはふさわしくないのです。
 そもそも根本的にフォーマル(儀礼服)とソーシャル(社交服)を混同している人が多いです。フォーマルには守るべきルールがありますし、何より大事なのは「みんないっしょでみんないい」ということ。例えば時制。夜の服タキシードと昼の服モーニングが同じ会場にいることはありえないはずで、主催者と同じに合わせるのが決まりです。没個性でいいとは言いませんがあくまでもルールの範囲内に限ります。対してソーシャルは社交=宴(パーティ)ですから、極端な話、何でもあり、「みんなちがってみんないい」、主催者が認めるのならTシャツにジーンズだって構いません。よく「結婚式に何を着ていくか」と相談を受けますがこのほとんどは実は「披露宴」であります。だからホントはなんでもいいのです。
 それから主催者のドレスコードへの意識が弱いとみんなが戸惑います。私はよく相談者にこう答えます。「私よりも主催者に訊く方が確かです。よくわからない、と言われてもそれでも何度でも訊いて下さい。主催者にはそれを決める責任と義務があるのです」もしあなたが主催者になったときはどうかそれを肝に銘じて欲しいのです。(弥)

※註 これは、元々が顧客向けのハガキ通信という限られた文字数の制約の中で書くものですので、当話もかなりばっさりと書いています。日本国内、それも皇室関係や国際的な儀礼儀式などを除いた、一般的な葬儀や祝宴だけを想定して書いたものですのでご了解下さい。