【倶樂部余話】 No.319  家康と英国と静岡 (2015.4.24)


 今年は静岡市内のあちこちで「徳川家康公顕彰四百年祭」ののぼりやポスター、看板を目にします。家康公が亡くなって四百年、この四月一七日がまさにその四百回忌の命日でしたので、たまにはこんな小話などを。
 日本を最初に訪れた英国人はウイリアム・アダムス(日本名を三浦按針)だと言われています。秀吉の家臣として大坂にいた家康は初めてこの英国人と会い、彼のことをいたく気に入って、その後江戸幕府の外交顧問として重用しました。当時の英国は通商でオランダに後れを取っていたので、アダムスは英国に早く使節団をよこして欲しいと依頼、遂に一六一三年、東インド会社のジョン・セーリスが英国王ジェームス一世の親書を携えて平戸に着いたのでした。
 セーリスは家康に会いに行きます。家康が将軍を退き大御所として政を執っていた当時の駿府は人口12万人と江戸、大坂と並ぶ世界有数の大都市で、事実上まさに日本の首都としての機能を果たしていました。セーリスは駿府城で家康と謁見、仲を取り持つ通訳はアダムスです。互いに貢ぎ物(鎧兜と望遠鏡)を交換、詔書をかわし、家康は英国に通商を許可する朱印状を与えて、ここに日英通商が始まることになったのです。この御朱印状、今も東京の英国大使館に複製が掲げられているんだそうです。
 何の因果か静岡のしかも徳川の屋敷跡を臨む場所で英国気質を標榜する店をやっている者としては、四百年前にこの地で繰り広げられたこの小さな史実に何とはなく思いを馳せてしまうのであります。(弥)